2012年4月5日木曜日

旧暦3/15 原級留置、いわゆる留年

垂渓庵です。

わたしの住まいする大阪府では見直すべきだという議論が起こっているが、これまでのところ、中学までは欠席が多かろうが成績が悪かろうが、年度が変われば生徒は原則として自動的に進級してきた。しかし、高校はそうはいかない。欠席日数や成績に縛りが設けられていて、必要な要件を満たさなければ進級することはできない。わたしの勤務校でもそれは同じだ。昨年度も進級に必要な単位をとれなかった生徒が一人原級留置となった。


長期欠席にはよんどころない事情が伴うことがおおい。しかし、単位がとれないのは、多くの場合自業自得だ。授業態度がなっていなかったり、提出物を出さなかったり、当然テスト勉強もほとんどしない、そんなことを積み重ねたら、単位がとれなくて当然だ。今回原級留置となった生徒もそんな風な毎日を過ごしていた。本人してみれば言い訳のしようもないだろう。しかし、原級留置は本人にとってやはりショックな出来事だ。

まじめに勉強に取り組まなかった本人が悪いのだと言えばその通り。しかし、担任としては複雑な気分だ。わたしの勤務校のような中高一貫校だと、原級留置となった生徒はほぼ百パーセント進路変更を希望する。学校にとどまることはまずない。今回の生徒もそうだ。ここに至る過程ではそのまま下の学年に在籍すると言っていたこともあったが、最終的には外部へ進路変更することになった。中学から同じ学年団で過ごしてきて早五年が経つ。やはり何がなし情が移る。その生徒が進路変更して出て行くのだから、残念と言う他はない。

生徒本人にしても、なかなか冷静に受け止められない様子だ。授業態度などもそれなりに改めようとしていたし、追試でもできるだけの努力をしていたと思う。その結果の原級留置なので、挫折感というか蹉跌感というかを感じているようだ。成績という一つの物差し、指標から見て努力不足だと判定されただけなのだけれど、本人にしてみれば自分自身の存在そのものを否定されたという風に感じているようだ。それは違う、ということを伝えた。旧ブログに書いたことがあるが、去年の秋の文化祭で売り上げから収益が回収された際にその一部を日本財団とトルコ大使館に寄付した。その際、この生徒は自分の取り分の全額を寄付したのである。修学旅行の際には沖縄戦の悲惨さに率直に同情と憤りを表明していた。気持ちを切り替えて、進路変更した先でがんばってくれることを今は祈るばかりだ。

繰り返しになるけれど、事ここに至ったのは、本人の不心得によるところが大きい。進級させてくれるはずだという甘えもあったことだろう。しかし、である。原級留置は、高校生にとってさえ多くの場合ショックなできごとだと推察されることも事実だ。そう考えると、ハシモト前府知事が提唱し、大阪府教委も先の選挙を受けて追認した形になっている中学生段階での留年の導入は、よほど慎重にかからないといけないのではあるまいかと思う。もちろん、個別の事情によっては留年させた方がいい場合もあるだろうことは否定しないけれど。

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