垂渓庵です。
またも更新の間隔が開いてしまった。もはや更新しないのが常態と化しつつある。
近況として変わったところはないと言いたいところだが、ある。何やら片手の指が思うように動かなくなったのである。今回のブログの中断はそのてんやわんやのせいでもある。
医者に行くこと数度。何くれとなく検査した結果、脳から腕に至る神経の途中が圧迫されて手指が動きにくくなったらしいことが分かった。治療法は日にち薬。
さすがにその間パソコンのキーを打つのもおっくうだったこともあり、ブログはおろか、日常必要となる書類仕事も、喫緊のもの以外はうっちゃっておいた次第。いまは復調している。ブログや書類仕事をうっちゃり続ける理由はない。というわけで、ぼちぼち再開しよう。
授業の教材関係は夏休みまでのストックで何とかなったが、さすがにネタ切れだ。源氏物語の校訂と授業プリント作りを再開使用。むにゃむにゃの原稿もとりかからなけりゃならない。
というわけで、まずは採点作業に取り組むこととしよう。
ああ、だらだらしたい。
2016年12月6日火曜日
2016年9月6日火曜日
旧暦8/6 久しぶりとGメール
垂渓庵です。
すっかりごぶさたしている。みなさん、お変わりないだろうか。
何やら雑務に取り紛れているうちに、更新の間隔がすさまじく空いてしまった。
相変わらず浪曲生活を送っている。最近は、講談にも手を伸ばしだしている。
さて、わたしはGメールを利用しているのだけれど、先日全然覚えのない業者から商品の発送に関わるメールが来た。これが詐欺メールかと思ったが、少し変だ。ただの商品を発送する云々という内容の連絡メールに過ぎない。どうも不思議なので、ネットで検索してみると住所も電話番号もメールの通りのちゃんとした会社のようだった。
これはあれか、カード情報が漏れたのかとも思ったが、連絡メールを信じるなら三千円程度の品物でしかない。カード情報が漏れたのなら、そんな小さな額ではすまない気もする。メールが間違ってきているのかもしれないと思いついた。しかし、天下のGoogleがそんな初歩的なことをするとも思えない。
あれやこれやと考えたが埒があかない。思い切ってその会社に非通知で電話してみた。メールの内容と心当たりがないむねを伝えると、向こうでも分からない様子。というか、最初はこちらが電話した用件自体を理解できないようだった。だろうな。おれも会社の中の人だったらそう思う。こちらも?あちらも?である。で、あれこれ話し合った後、商品を購入した人に直接連絡してくれることとなった。その結果を伝えてもらうこととし、こちらの電話番号を言っておいた。
後刻会社の人から電話があり、どうやら注文した人がメルアドの入力をミスしたようだ。わたしのアドレスの後に番号を入れなきゃいけなかったらしい。
そこで気がついた。わたしのアドレスは今のGメールの利用者状況からすると、珍しい部類に入るのかも知れない。おれのアドレスは
名字ドット名前の頭文字@gmail.com
という形になっている。くだんの注文主は名前の頭文字の後に3だか4だかの数字を入れ忘れていたそうだ。
つまりわたしと「名字」「名前の頭文字」が同じ人が少なくとも3人か4人いるわけだ。わたしが数字なしのアドレスを持っているので、同じような構成のアドレスにしたい人は前後に何らかの数字や記号を入れるしかないわけだ。オリジナルはわたしで、他の人たちはクローン。クローンが劣化することは聞いたことがあるけれど、オリジナルが劣化しているのは珍しい。……。
ところで、情報弱者のわたしがどうしてこんなアドレスを持つにいたったのかというと、Gメールの使用時期が2006年まで遡るからだ。その頃はまだベータ版だったのではないか。おまけに中の人から紹介されないとアドレスをもらえなかった。おそらく利用者は桁違いに少なかったのだろう。そんなわけで、思った通りのアドレスにすることができたのだ。当時はフリーメールで容量1Gというのは驚異だった。10年経った現在もその半分も使っていない。
と書いていてふと気になった。ネットがらみの詐欺や犯罪がそこここで起こっている。こんな単純なメルアドはいけないのかもしれない。やっぱりわたしは情報弱者だったのか。
すっかりごぶさたしている。みなさん、お変わりないだろうか。
何やら雑務に取り紛れているうちに、更新の間隔がすさまじく空いてしまった。
相変わらず浪曲生活を送っている。最近は、講談にも手を伸ばしだしている。
さて、わたしはGメールを利用しているのだけれど、先日全然覚えのない業者から商品の発送に関わるメールが来た。これが詐欺メールかと思ったが、少し変だ。ただの商品を発送する云々という内容の連絡メールに過ぎない。どうも不思議なので、ネットで検索してみると住所も電話番号もメールの通りのちゃんとした会社のようだった。
これはあれか、カード情報が漏れたのかとも思ったが、連絡メールを信じるなら三千円程度の品物でしかない。カード情報が漏れたのなら、そんな小さな額ではすまない気もする。メールが間違ってきているのかもしれないと思いついた。しかし、天下のGoogleがそんな初歩的なことをするとも思えない。
あれやこれやと考えたが埒があかない。思い切ってその会社に非通知で電話してみた。メールの内容と心当たりがないむねを伝えると、向こうでも分からない様子。というか、最初はこちらが電話した用件自体を理解できないようだった。だろうな。おれも会社の中の人だったらそう思う。こちらも?あちらも?である。で、あれこれ話し合った後、商品を購入した人に直接連絡してくれることとなった。その結果を伝えてもらうこととし、こちらの電話番号を言っておいた。
後刻会社の人から電話があり、どうやら注文した人がメルアドの入力をミスしたようだ。わたしのアドレスの後に番号を入れなきゃいけなかったらしい。
そこで気がついた。わたしのアドレスは今のGメールの利用者状況からすると、珍しい部類に入るのかも知れない。おれのアドレスは
名字ドット名前の頭文字@gmail.com
という形になっている。くだんの注文主は名前の頭文字の後に3だか4だかの数字を入れ忘れていたそうだ。
つまりわたしと「名字」「名前の頭文字」が同じ人が少なくとも3人か4人いるわけだ。わたしが数字なしのアドレスを持っているので、同じような構成のアドレスにしたい人は前後に何らかの数字や記号を入れるしかないわけだ。オリジナルはわたしで、他の人たちはクローン。クローンが劣化することは聞いたことがあるけれど、オリジナルが劣化しているのは珍しい。……。
ところで、情報弱者のわたしがどうしてこんなアドレスを持つにいたったのかというと、Gメールの使用時期が2006年まで遡るからだ。その頃はまだベータ版だったのではないか。おまけに中の人から紹介されないとアドレスをもらえなかった。おそらく利用者は桁違いに少なかったのだろう。そんなわけで、思った通りのアドレスにすることができたのだ。当時はフリーメールで容量1Gというのは驚異だった。10年経った現在もその半分も使っていない。
と書いていてふと気になった。ネットがらみの詐欺や犯罪がそこここで起こっている。こんな単純なメルアドはいけないのかもしれない。やっぱりわたしは情報弱者だったのか。
2016年6月24日金曜日
旧暦5/19 浪曲生活
垂渓庵です。
すっかりご無沙汰しています。お元気ですか。おれは誰にあいさつしているのだろう。
さて、前回の更新から二ヶ月近く経っている訳だけれども、わたしは相変わらずの生活を送っている。これ、独り言になっていないか、ちょっと不安だ。大丈夫だろうか。
そんな懐疑に押しつぶされそうになる昨今だけれど、まったく変化がなかったわけでもない。職場への行き帰りに歩く頻度が少し減りました。梅雨だし。でも、雨間をついては、行きだけとか、帰りだけとか、できるだけ歩くようにしている。それで寄付する額が少しでも増えればというのもあるが、歩くのが習慣化しているからでもある。
ま、かわりばえしない毎日と言えば言えるのだけれど、しつこく幸枝若さんのCDだけは聞き続けている。過去に何集か発売された幸枝若さんのCDもぼちぼちと買い集めている。残るは、蔵出し浪曲傑作集と河内音頭のシリーズとの二つぐらいか。もちろん、単発で売られていたものは別だ。さすがにそこまではフォローしきれていない。
というわけで、いま、うちにある初代幸枝若さんのCDは四十枚ぐらい。朝夕に歩く間はそれを聞いている。今は会津の小鉄シリーズの内、「賀茂の河原」がお気に入りだ。これは去年の年末に当代の幸枝若さんが演ったのを聞いたことがある。聴き応えがあった。あれがあったから、わたしは浪曲を聴き続けるようになったと言っても過言ではない。当代の幸枝若師匠は、2月ぐらいから腰を痛めて入院しておられたけれど、今は元気に浪曲の会などに復帰しておられる。先代はすでに亡くなられて久しいので、その芸を見ることはできないが、当代の幸枝若さんの芸は見ることができる。面白いこと請け合いだ。みなさんも機会があれば見てほしいと思う。
すっかりご無沙汰しています。お元気ですか。おれは誰にあいさつしているのだろう。
さて、前回の更新から二ヶ月近く経っている訳だけれども、わたしは相変わらずの生活を送っている。これ、独り言になっていないか、ちょっと不安だ。大丈夫だろうか。
そんな懐疑に押しつぶされそうになる昨今だけれど、まったく変化がなかったわけでもない。職場への行き帰りに歩く頻度が少し減りました。梅雨だし。でも、雨間をついては、行きだけとか、帰りだけとか、できるだけ歩くようにしている。それで寄付する額が少しでも増えればというのもあるが、歩くのが習慣化しているからでもある。
ま、かわりばえしない毎日と言えば言えるのだけれど、しつこく幸枝若さんのCDだけは聞き続けている。過去に何集か発売された幸枝若さんのCDもぼちぼちと買い集めている。残るは、蔵出し浪曲傑作集と河内音頭のシリーズとの二つぐらいか。もちろん、単発で売られていたものは別だ。さすがにそこまではフォローしきれていない。
というわけで、いま、うちにある初代幸枝若さんのCDは四十枚ぐらい。朝夕に歩く間はそれを聞いている。今は会津の小鉄シリーズの内、「賀茂の河原」がお気に入りだ。これは去年の年末に当代の幸枝若さんが演ったのを聞いたことがある。聴き応えがあった。あれがあったから、わたしは浪曲を聴き続けるようになったと言っても過言ではない。当代の幸枝若師匠は、2月ぐらいから腰を痛めて入院しておられたけれど、今は元気に浪曲の会などに復帰しておられる。先代はすでに亡くなられて久しいので、その芸を見ることはできないが、当代の幸枝若さんの芸は見ることができる。面白いこと請け合いだ。みなさんも機会があれば見てほしいと思う。
2016年5月1日日曜日
旧暦3/25 偽装
垂渓庵です。
ワーゲンだけかと思っていたら、三菱もやってました。偽装。
最近では、耐震ゴムのデータ偽装もあった。食品関係でもなんかあったな。冷凍食品関係だったか。車関係では、エアバッグの欠陥てのもあった。原発関係でもデータ隠しや事故隠しなんてのは昔からあった。カトリック教会の性的虐待というのも問題になっていたな。
以 前も書いたと思うが、科学的に安全であるとか妥当であるとかいう以前に、人間は基本的に下らないこと、愚劣なことをやりかねない存在であるということを頭 に入れておく必要がある。そんな人間が、あまりにも巨大なシステムを管理するというのは、すこぶる危険なことなんだろうな。
ば れなきゃいいという風潮を改めるためにはどうすればいいか。ばれた時の罰をとんでもなく重くするのも一つの方法だ。もちろん、現職だけではなく、過去に 遡って罰してやるのである。三菱も25年以上の長きにわたって偽装していたそうだから、その間に要路にいた人間を全て罰してやればいい、と個人的には思 う。財産没収、ついでに矯正施設にでも入ってもらう。こんなものに時効などいらないだろう。カトリックの性的虐待も同様だ。
それはひどすぎる、という人は彼らを許しておやりなさい。偽装の種類によっては多くの人が死ぬ。人が死ぬ偽装だからだめ、死なない偽装だからいいというものではないだろう。人が死なない偽装でも、長期にわたれば誰にどんな影響が及ぶか分かったものではない。
たぶんこういうことをやる連中は、嘘をついてはいけません、と教わらなかったんだろう。しつけがなっちゃいないわけだ。親の顔が見てみたいものだ。「本人の顔と親の顔もさらしてやってはいいのではないか」、と提案されたとしたら、わたしはそれを拒否できる気がしない。
ワーゲンだけかと思っていたら、三菱もやってました。偽装。
最近では、耐震ゴムのデータ偽装もあった。食品関係でもなんかあったな。冷凍食品関係だったか。車関係では、エアバッグの欠陥てのもあった。原発関係でもデータ隠しや事故隠しなんてのは昔からあった。カトリック教会の性的虐待というのも問題になっていたな。
以 前も書いたと思うが、科学的に安全であるとか妥当であるとかいう以前に、人間は基本的に下らないこと、愚劣なことをやりかねない存在であるということを頭 に入れておく必要がある。そんな人間が、あまりにも巨大なシステムを管理するというのは、すこぶる危険なことなんだろうな。
ば れなきゃいいという風潮を改めるためにはどうすればいいか。ばれた時の罰をとんでもなく重くするのも一つの方法だ。もちろん、現職だけではなく、過去に 遡って罰してやるのである。三菱も25年以上の長きにわたって偽装していたそうだから、その間に要路にいた人間を全て罰してやればいい、と個人的には思 う。財産没収、ついでに矯正施設にでも入ってもらう。こんなものに時効などいらないだろう。カトリックの性的虐待も同様だ。
それはひどすぎる、という人は彼らを許しておやりなさい。偽装の種類によっては多くの人が死ぬ。人が死ぬ偽装だからだめ、死なない偽装だからいいというものではないだろう。人が死なない偽装でも、長期にわたれば誰にどんな影響が及ぶか分かったものではない。
たぶんこういうことをやる連中は、嘘をついてはいけません、と教わらなかったんだろう。しつけがなっちゃいないわけだ。親の顔が見てみたいものだ。「本人の顔と親の顔もさらしてやってはいいのではないか」、と提案されたとしたら、わたしはそれを拒否できる気がしない。
2016年4月25日月曜日
旧暦3/19 航空宇宙軍史
垂渓庵です。
SF作家の谷甲州さんに「航空宇宙軍史」なるシリーズがある。ガチガチのハードSFで、航空宇宙軍の確立~外惑星動乱~氾銀河文明との争いという大きな枠の中で様々な時点の話がとりあげられる。20年以上前に一応の完結を見たシリーズだ。
主にハヤカワSF文庫で刊行されていた。確かシリーズ最後の「終わりなき索敵」はハードカバーで出されたように記憶している。その後文庫化したのだったか。
宇宙空間の圧倒的な距離感や航宙艦の息詰まるような閉塞感、戦闘行動の緊張感などがたまらないシリーズだった。下手をすれば死と隣り合うハードで乾いた世界が好きな人にお勧めだ。
長らく読み返していなかったけれど、気付けばシリーズが再開している。というか、「新・航空宇宙軍史」という角書きを持った単行本が出ているじゃないか。しかも今年のSF大賞を受賞したときたもんだ。こりゃあ買うしかない。と思っていたら、なんと過去のシリーズも改稿されて電子書籍として発売されているというじゃないか。買おうかどうしようか激しく迷っているところだ。
SF作家の谷甲州さんに「航空宇宙軍史」なるシリーズがある。ガチガチのハードSFで、航空宇宙軍の確立~外惑星動乱~氾銀河文明との争いという大きな枠の中で様々な時点の話がとりあげられる。20年以上前に一応の完結を見たシリーズだ。
主にハヤカワSF文庫で刊行されていた。確かシリーズ最後の「終わりなき索敵」はハードカバーで出されたように記憶している。その後文庫化したのだったか。
宇宙空間の圧倒的な距離感や航宙艦の息詰まるような閉塞感、戦闘行動の緊張感などがたまらないシリーズだった。下手をすれば死と隣り合うハードで乾いた世界が好きな人にお勧めだ。
長らく読み返していなかったけれど、気付けばシリーズが再開している。というか、「新・航空宇宙軍史」という角書きを持った単行本が出ているじゃないか。しかも今年のSF大賞を受賞したときたもんだ。こりゃあ買うしかない。と思っていたら、なんと過去のシリーズも改稿されて電子書籍として発売されているというじゃないか。買おうかどうしようか激しく迷っているところだ。
2016年4月23日土曜日
旧暦3/17 雨が
垂渓庵です。
朝はとても天気がよかったように思う。が、気付けば雨が降っている。というか、子供と遊びに出ようとしたらいきなり雨が降ってきた。
妻は菜種梅雨と言っていたが、ちょっと遅くないか。なんか本格的な梅雨につながる雨のような気がするが、ちょっと早いか。
それはそれとして、変に手持ちぶさたになってしまったな。何をしようか。
朝はとても天気がよかったように思う。が、気付けば雨が降っている。というか、子供と遊びに出ようとしたらいきなり雨が降ってきた。
妻は菜種梅雨と言っていたが、ちょっと遅くないか。なんか本格的な梅雨につながる雨のような気がするが、ちょっと早いか。
それはそれとして、変に手持ちぶさたになってしまったな。何をしようか。
2016年4月22日金曜日
旧暦3/16 隙を突く
垂渓庵です。昨日、全校一斉の体力測定があった。
中1から高3まで一斉に行われる。みんながてんでに測定場所に群がると収拾がつかなくなるということで、ローテーションを組んで、グループごとに移動することになっている。
しかし、測定種目によってはやたらに混雑するところがあり、そのまま混雑につかまっていてはずいぶんなロスタイムが発生する。というわけで、グループを任されている教員には難しい判断が迫られることとなる。行儀よく順番を守るか、臨機応変に順路を逸脱するか、という判断である。
いや、普通は迫られない。激しく迫られない。順路を逸脱すると全体のアレンジをしている教員からクレームが来る。行儀よく順番を守っている者からも冷たい目で見られる。要はここでの逸脱行為はあれだ。激しくやっちゃいけないことな訳だ。でも遅くなる。というわけで、わたしは逸脱することにしている。とにかく隙を突いてちゃっちゃとやった方が、手持ちぶさたな状態になっている測定箇所を有効利用することになると思うのだ。ただし、横入りはやっちゃいけない。測定に入る前に中学生がやってきたら道を譲る。それがわたしの中でのルールだ。
で、昨日も臨機応変に測定種目をこなしていったところ、途中で全体指揮の教員からさりげに愚痴られた。慣れている高校生がどんどん行くと、中学生が遅れ気味になると言うのだ。わたしはリソースの有効利用をしているで、文句を言われたわけではない、という自信があるので余裕である。確かにそりゃ困るわな。さっきも中学生が来たので先に行かせてやったんや。と応じておいた。不覚にも隙を突かれてしまった。ふう。
中1から高3まで一斉に行われる。みんながてんでに測定場所に群がると収拾がつかなくなるということで、ローテーションを組んで、グループごとに移動することになっている。
しかし、測定種目によってはやたらに混雑するところがあり、そのまま混雑につかまっていてはずいぶんなロスタイムが発生する。というわけで、グループを任されている教員には難しい判断が迫られることとなる。行儀よく順番を守るか、臨機応変に順路を逸脱するか、という判断である。
いや、普通は迫られない。激しく迫られない。順路を逸脱すると全体のアレンジをしている教員からクレームが来る。行儀よく順番を守っている者からも冷たい目で見られる。要はここでの逸脱行為はあれだ。激しくやっちゃいけないことな訳だ。でも遅くなる。というわけで、わたしは逸脱することにしている。とにかく隙を突いてちゃっちゃとやった方が、手持ちぶさたな状態になっている測定箇所を有効利用することになると思うのだ。ただし、横入りはやっちゃいけない。測定に入る前に中学生がやってきたら道を譲る。それがわたしの中でのルールだ。
で、昨日も臨機応変に測定種目をこなしていったところ、途中で全体指揮の教員からさりげに愚痴られた。慣れている高校生がどんどん行くと、中学生が遅れ気味になると言うのだ。わたしはリソースの有効利用をしているで、文句を言われたわけではない、という自信があるので余裕である。確かにそりゃ困るわな。さっきも中学生が来たので先に行かせてやったんや。と応じておいた。不覚にも隙を突かれてしまった。ふう。
2016年4月21日木曜日
旧暦3/15 当代幸枝若さん
垂渓庵です。
わたしが浪曲を聴くようになったきっかけは、去年の年末に国立文楽劇場で浪曲を見てきたことだ。ということは以前書いたように思う。その際の強く印象に残った一人が当代の幸枝若さんだ。
当代幸枝若さんの演目は「加茂の河原」。会津の小鉄シリーズの一つだ。当代幸枝若さんはとにかくのりがよく、見ているこちらがうきうきしてくる演じ方だった。
で、その幸枝若さんを見ようと思ったとたん、病気で浪曲会を休まれることが続いた。わたしが行った浪曲会ではその穴を春野けいこさんが埋めたりしておられた。
大丈夫なのだろうかと思っていたが、その後退院されて、今は元気に活躍されているはずだ。
またお元気な姿を高座で見たいと思う。
初代幸枝若さんのCDをたくさん聴いてみて思ったことだけれど、当代の幸枝若さんは、初代幸枝若さんの特に滑稽を狙ったケレン物の語り口を受け継いでおられるような気がするのだけれど、どうだろう。
そういうことを思ったときに周りに誰も声をかける相手がいない。わたしに友だちがいないわけではなく、浪曲を聴く人間がいないのである。このお寒い状況を何とかしようと思っても、何ともならない気がする。今は浪曲にとって冬の時代だ。いや、氷河期か。国本武春さんもお亡くなりになってしまったし。いっそうちの文化鑑賞会に浪曲をフィーチャーするか。でも中学生から高校生まで聴いておもしろいような演目があるのだろうか。
わたしが浪曲を聴くようになったきっかけは、去年の年末に国立文楽劇場で浪曲を見てきたことだ。ということは以前書いたように思う。その際の強く印象に残った一人が当代の幸枝若さんだ。
当代幸枝若さんの演目は「加茂の河原」。会津の小鉄シリーズの一つだ。当代幸枝若さんはとにかくのりがよく、見ているこちらがうきうきしてくる演じ方だった。
で、その幸枝若さんを見ようと思ったとたん、病気で浪曲会を休まれることが続いた。わたしが行った浪曲会ではその穴を春野けいこさんが埋めたりしておられた。
大丈夫なのだろうかと思っていたが、その後退院されて、今は元気に活躍されているはずだ。
またお元気な姿を高座で見たいと思う。
初代幸枝若さんのCDをたくさん聴いてみて思ったことだけれど、当代の幸枝若さんは、初代幸枝若さんの特に滑稽を狙ったケレン物の語り口を受け継いでおられるような気がするのだけれど、どうだろう。
そういうことを思ったときに周りに誰も声をかける相手がいない。わたしに友だちがいないわけではなく、浪曲を聴く人間がいないのである。このお寒い状況を何とかしようと思っても、何ともならない気がする。今は浪曲にとって冬の時代だ。いや、氷河期か。国本武春さんもお亡くなりになってしまったし。いっそうちの文化鑑賞会に浪曲をフィーチャーするか。でも中学生から高校生まで聴いておもしろいような演目があるのだろうか。
2016年4月18日月曜日
旧暦3/12 幸枝若さんのこと
垂渓庵です。
幸枝若さんと言っても浪曲のコアあファン以外はほとんど知らないんじゃないか。初代の京山幸枝若さんは一世を風靡した浪曲師さんだし、当代の幸枝若さんは、初代幸枝若さんの実子で、初代の芸を受け継ぐ浪曲親友協会会長だ。
私は当代の幸枝若さんの芸は実際に見たことがあるけれど、先代は実際に見たことがない。CDや映像を通して知るだけである。が、とても達者だ。
私が聞いたCDの数は約30枚。これが多いのか少ないのか実はよく分からない。何しろ、カセットの時代も含めて幸枝若さんの音源がどれぐらいあるのやらよく分からないからだ。が、浪曲が流行っていた頃ならともかく、今の人間にしてみたら多い方ではないかと思う。というか、そもそも30枚近くのアルバムを聴いたアーティストのアルバムはそんなにない。ジャズのチャールズ・ミンガス、ローランド・カーク、アート・ファーマーぐらいのもんじゃないか。いや、ファーマーはそんなに聴いていないか。
閑話休題。先代の幸枝若さんは、会津の小鉄シリーズ、左甚五郎シリーズをはじめとして、古い外題の作品を演っておられた。「玉砕硫黄島」のような現代物もないではないけれど。河内音頭や江州音頭のCDも複数ある。そんな中で私のお気に入りは、会津の小鉄シリーズでは「花嫁仁義」か「血煙稲荷山」、左甚五郎シリーズでは「竹の水仙」、シリーズでない演目では「武蔵屋新造」河内音頭では「森の石松」だ。
「花嫁仁義」では、小鉄の兄弟分の坊さんが面白い。「血煙稲荷山」では助っ人の登場が胸がすく。「竹の水仙」はお話の完成度が高いように思う。「武蔵屋新造」は新造の啖呵が面白い。二人の曲師による三味線も面白い。「森の石松」は石松のいまわの際の口説きが哀切でいい。
と言っても比較の問題で、幸枝若さんの浪曲や音頭はとても聴きやすいし、バラシと言われる全体の終盤部分での節回しの高揚感が何とも言えず心地よい。
浪曲や音頭はCD自体があまりないけれど、比較的手に入りやすいものもあるので、機会があったら手にとってほしいと思う。
幸枝若さんと言っても浪曲のコアあファン以外はほとんど知らないんじゃないか。初代の京山幸枝若さんは一世を風靡した浪曲師さんだし、当代の幸枝若さんは、初代幸枝若さんの実子で、初代の芸を受け継ぐ浪曲親友協会会長だ。
私は当代の幸枝若さんの芸は実際に見たことがあるけれど、先代は実際に見たことがない。CDや映像を通して知るだけである。が、とても達者だ。
私が聞いたCDの数は約30枚。これが多いのか少ないのか実はよく分からない。何しろ、カセットの時代も含めて幸枝若さんの音源がどれぐらいあるのやらよく分からないからだ。が、浪曲が流行っていた頃ならともかく、今の人間にしてみたら多い方ではないかと思う。というか、そもそも30枚近くのアルバムを聴いたアーティストのアルバムはそんなにない。ジャズのチャールズ・ミンガス、ローランド・カーク、アート・ファーマーぐらいのもんじゃないか。いや、ファーマーはそんなに聴いていないか。
閑話休題。先代の幸枝若さんは、会津の小鉄シリーズ、左甚五郎シリーズをはじめとして、古い外題の作品を演っておられた。「玉砕硫黄島」のような現代物もないではないけれど。河内音頭や江州音頭のCDも複数ある。そんな中で私のお気に入りは、会津の小鉄シリーズでは「花嫁仁義」か「血煙稲荷山」、左甚五郎シリーズでは「竹の水仙」、シリーズでない演目では「武蔵屋新造」河内音頭では「森の石松」だ。
「花嫁仁義」では、小鉄の兄弟分の坊さんが面白い。「血煙稲荷山」では助っ人の登場が胸がすく。「竹の水仙」はお話の完成度が高いように思う。「武蔵屋新造」は新造の啖呵が面白い。二人の曲師による三味線も面白い。「森の石松」は石松のいまわの際の口説きが哀切でいい。
と言っても比較の問題で、幸枝若さんの浪曲や音頭はとても聴きやすいし、バラシと言われる全体の終盤部分での節回しの高揚感が何とも言えず心地よい。
浪曲や音頭はCD自体があまりないけれど、比較的手に入りやすいものもあるので、機会があったら手にとってほしいと思う。
2016年4月17日日曜日
旧暦3/11 震災寄付
垂渓庵です。
すっかりご無沙汰しています。いつもと同じく、何ということもなく更新をしないままにブログを放置していた。いったん間隔が空いてしまうと、再開するのにはエネルギーが必要だ。その必要なエネルギー量が増えている気がする。これはあれか。老化か。トマトジュース飲もう。
などとのんきなことを言っている場合ではない。熊本では大変なことになっている。九州各地で余震が相次ぎ、南海トラフ地震につながるのではないかとも言われている。本震は阪神淡路大震災規模だったけれど、大都市直下で起こったのではなかったので、死傷者の数が比較的小さい。しかし、避難生活を強いられる人はとても多く、今日の雨で健康を損なう人が多く出ないか心配だ。雨による土砂崩れも多発するのではないか、気がかりなところでもある。
わたしは職場の最寄り駅から職場までのバス乗車区間を歩いて浮いたバス代を東北の地震に寄付しているわけだけれど、当面の間、半分を熊本の地震への寄付に回そうと思う。どちらも日本赤十字や日本財団などで受け付けている。
ちなみに、東北の地震に対する日本赤十字の受付は、いったんこの三月で終了の予定だったが、来年三月末まで何度目かの延長がされている。大規模災害からの復興は容易なことではない。息の長い支援が必要だ。
すっかりご無沙汰しています。いつもと同じく、何ということもなく更新をしないままにブログを放置していた。いったん間隔が空いてしまうと、再開するのにはエネルギーが必要だ。その必要なエネルギー量が増えている気がする。これはあれか。老化か。トマトジュース飲もう。
などとのんきなことを言っている場合ではない。熊本では大変なことになっている。九州各地で余震が相次ぎ、南海トラフ地震につながるのではないかとも言われている。本震は阪神淡路大震災規模だったけれど、大都市直下で起こったのではなかったので、死傷者の数が比較的小さい。しかし、避難生活を強いられる人はとても多く、今日の雨で健康を損なう人が多く出ないか心配だ。雨による土砂崩れも多発するのではないか、気がかりなところでもある。
わたしは職場の最寄り駅から職場までのバス乗車区間を歩いて浮いたバス代を東北の地震に寄付しているわけだけれど、当面の間、半分を熊本の地震への寄付に回そうと思う。どちらも日本赤十字や日本財団などで受け付けている。
ちなみに、東北の地震に対する日本赤十字の受付は、いったんこの三月で終了の予定だったが、来年三月末まで何度目かの延長がされている。大規模災害からの復興は容易なことではない。息の長い支援が必要だ。
2016年2月26日金曜日
旧暦1/18 18才で選挙権
垂渓庵です。今日は旧暦で18日なので、18にちなんで選挙権について考えてみようと思う。
選挙権が18才に引き下げられる。それだけしっかりした若者が増えているというわけだから、この国にとってまことに慶賀の至りだ。旗を揚げてお祝いしたいぐらいである。
しかし、その割には成人式で騒ぎを起こす新成人だの、凶悪犯罪の低年齢化だの、大丈夫か若い衆と言いたくなる出来事に事欠かない。本当に18才はしっかりしているのか。
どうもそんな気はしない。そもそも、中学や高校へ通う学生をしかりした若者にする取り組みが継続的になされてきたという話は聞いたことがない。過程でも同様だろう。18才は一人前であるという前提で子供を遇する家庭はそんなに多いように思えない。大学生の学費もたいていは親におんぶに抱っこなんじゃないか。もちろん例外は認めるが、うちの生徒の状況を見る限りはそうだ。結局18才一人前化プロジェクトの総仕上げが選挙権の18才への引き下げというわけでは全然なさそうだ。
選挙権を引き下げることをきっかけに若者の政治意識を高めるうんぬんという話を聞いたような気もするけれど、本末転倒だろう。政治意識の高まりに対応して選挙権の年齢を引き下げるのなら分かるが、高まることを期待して引き下げてどうするのだろう。
もしも百歩譲って、これから18才を一人前に扱っていくようにしたいなら、大学の先生に担任のまねごとみたいなことをさせたり、休みがちな生徒に連絡をとらせたりなんてことはやめさせなさい。いい大人はそんなことをしてもらわなくても立派に日常生活を送れるはずです。
選挙権が18才に引き下げられる。それだけしっかりした若者が増えているというわけだから、この国にとってまことに慶賀の至りだ。旗を揚げてお祝いしたいぐらいである。
しかし、その割には成人式で騒ぎを起こす新成人だの、凶悪犯罪の低年齢化だの、大丈夫か若い衆と言いたくなる出来事に事欠かない。本当に18才はしっかりしているのか。
どうもそんな気はしない。そもそも、中学や高校へ通う学生をしかりした若者にする取り組みが継続的になされてきたという話は聞いたことがない。過程でも同様だろう。18才は一人前であるという前提で子供を遇する家庭はそんなに多いように思えない。大学生の学費もたいていは親におんぶに抱っこなんじゃないか。もちろん例外は認めるが、うちの生徒の状況を見る限りはそうだ。結局18才一人前化プロジェクトの総仕上げが選挙権の18才への引き下げというわけでは全然なさそうだ。
選挙権を引き下げることをきっかけに若者の政治意識を高めるうんぬんという話を聞いたような気もするけれど、本末転倒だろう。政治意識の高まりに対応して選挙権の年齢を引き下げるのなら分かるが、高まることを期待して引き下げてどうするのだろう。
もしも百歩譲って、これから18才を一人前に扱っていくようにしたいなら、大学の先生に担任のまねごとみたいなことをさせたり、休みがちな生徒に連絡をとらせたりなんてことはやめさせなさい。いい大人はそんなことをしてもらわなくても立派に日常生活を送れるはずです。
2016年2月25日木曜日
旧暦1/18 メルトダウン
垂渓庵です。
昨日のNHKニュースWEBに次のような記事がのった。
もちろん、当時メルトダウンしたと発表したからといって、どこかの誰かの対応が大きく変わることはなかったかもしれない一方、東電に対する風当たりはいっそうきつくなっていたことだろう。が、メルトダウンしているのか、いつするのか、と遠く大阪に住まいするわたしでもやきもきしたことを明瞭に記憶している。この対応はあまりにもひどくないか。
他の新聞の電子版なども参照する限り、東電の広報関係の方たちは、マニュアルのこの記述を見落としていたと言っておられる。本当だとしたらあなたたちに原発の運転資格は無いと言いたいし、嘘だとしたらあまりにも人を馬鹿にした対応だと言える。やっぱり事故は起こるべくして起こった人災だと確信する次第だ。
こんな連中がいる限り、今回の震災を受けた安全対策が仮に十全のもので、原発の再開が科学的に妥当なものだったとしても、諸手を挙げて賛成できないとわたしは思う。世の中、偽装や隠蔽、虚偽の報告があふれている。自動車関連業界でもあったし、食品関連会社でもあった。免震ゴム関係でも教育関係でもだ。政治は言うまでもない。分野は問わないのである。原発関連でもどんな偽装や虚偽の報告、隠蔽がなされるか分かったものではない。今回のニュースでそれがますます確からしくなったとわたしは思っている。ものがものだ。何かあった時の影響が大きすぎる。
東電の方々だけ無垢で純粋である、と判断していい根拠はない。もしもそう判断する人がいたら、おめでたい人だと言われても仕方ないだろう。
昨日のNHKニュースWEBに次のような記事がのった。
わたしたちは科学技術そのものにというよりも、それを運用する人間を警戒する必要があるようだ。新潟県知事の出した以下のコメントからもこの間の東電上層部各位の不誠実さがうかがえる。東京電力は、福島第一原子力発電所の事故発生から2か月たって、核燃料が溶け落ちる、メルトダウンが起 きたことをようやく認め大きな批判を浴びましたが、当時の社内のマニュアルでは事故発生から3日後にはメルトダウンと判断できたことを明らかにし、事故時 の広報の在り方が改めて問われそうです。福島第一原発の事故では1号機から3号機までの3基で原子炉の核燃料が溶け落ちるメルトダウン=炉心溶融が起きましたが、東京電力はメルトダウンとは明言せず、正式に認めたのは発生から2か月後の5月でした。
こ れについて東京電力はこれまで、「メルトダウンを判断する根拠がなかった」と説明していましたが、事故を検証している新潟県の技術委員会の申し入れを受けて調査した結果、社内のマニュアルには炉心損傷割合が5%を超えていれば炉心溶融と判定すると明記されていたことが分かりました。(以下略)
「事故後、5年もの間、このような重要な事実を公表せず、原発の安全対策の検証を続けている県の技術委員会に対しても真摯(しんし)に対応して来なかったことは極めて遺憾。メルトダウンを隠蔽した背景などについて今後の調査で、真実を明らかにしてほしい」
もちろん、当時メルトダウンしたと発表したからといって、どこかの誰かの対応が大きく変わることはなかったかもしれない一方、東電に対する風当たりはいっそうきつくなっていたことだろう。が、メルトダウンしているのか、いつするのか、と遠く大阪に住まいするわたしでもやきもきしたことを明瞭に記憶している。この対応はあまりにもひどくないか。
他の新聞の電子版なども参照する限り、東電の広報関係の方たちは、マニュアルのこの記述を見落としていたと言っておられる。本当だとしたらあなたたちに原発の運転資格は無いと言いたいし、嘘だとしたらあまりにも人を馬鹿にした対応だと言える。やっぱり事故は起こるべくして起こった人災だと確信する次第だ。
こんな連中がいる限り、今回の震災を受けた安全対策が仮に十全のもので、原発の再開が科学的に妥当なものだったとしても、諸手を挙げて賛成できないとわたしは思う。世の中、偽装や隠蔽、虚偽の報告があふれている。自動車関連業界でもあったし、食品関連会社でもあった。免震ゴム関係でも教育関係でもだ。政治は言うまでもない。分野は問わないのである。原発関連でもどんな偽装や虚偽の報告、隠蔽がなされるか分かったものではない。今回のニュースでそれがますます確からしくなったとわたしは思っている。ものがものだ。何かあった時の影響が大きすぎる。
東電の方々だけ無垢で純粋である、と判断していい根拠はない。もしもそう判断する人がいたら、おめでたい人だと言われても仕方ないだろう。
2016年2月24日水曜日
旧暦1/17 法華経の経文。
垂渓庵です。
『仏教漢文の読み方』という本を読んでいる。必要に迫られているわけではない。趣味で、としか言いようがない。面白いかというと、面白い。わたしはためにする読書があまり好きではない。同様に、面白くないものを無理矢理読むというのもやはり好まない。時には我慢して読むこともないではないけれど、そこはそれ、何となく面白くなりそうな予感がしたり、無理くり小難しい本を読んでいる自分に酔うこともあったりで、それなりに読んでいく動機付けというものがある。
ということはここでの本筋ではない。著者の金岡照光さんが挙げている話の中に、漢文のお経をそらんじている人も、内容については和讃など経由の知識が主で、経典の漢文をきちんと読んで理解している人は案外少ないよね、ということが書かれていた。もちろん、こんな砕けた書き方をしておられるわけではない。この本はもっときちんとした本です。
そのくだりを読んでいて思い出した。たしか中学か高校の頃、うちにあった法華経を訓読した形のお経にいったい何が書かれているのか気になった。何らかの真理でも書かれているのかもしれないと思ったんじゃなかったか。で、母に質問してみたところが、あまりはかばかしい答えが返ってこない。なんといい加減なと思わなくもなかったが、答えが返ってこないのだから仕様がない。
で、何をしたかというと、岩波文庫の法華経を買って読んだのだ。サンスクリットかパーリ語からの訳と漢訳とが対照されていたのではなかったか。口語訳は厳密な意味での漢訳の翻訳ではなかったので、少し丁寧に対照させて読むとずれが目についたけれど、そんなことは気にせず読んだ。そして、法華経って妙な本だと思った。だって、このお経はすごいぞというようなことが何回も書かれていたのだから。ああ、だから妙法蓮華経なのかと得心した、というのは嘘で、なんでこんな風に書かれているんだろうとは思ったものの、それっきりとなってしまったのだった。
というようなどうでもいい記憶が金岡さんの本を読んでいて呼び起こされた。他のお経には何が書かれているのか気にならなくもないけれど、もうあの頃のように無理くり長いものを読み通す気力はないだろうなあ。
『仏教漢文の読み方』という本を読んでいる。必要に迫られているわけではない。趣味で、としか言いようがない。面白いかというと、面白い。わたしはためにする読書があまり好きではない。同様に、面白くないものを無理矢理読むというのもやはり好まない。時には我慢して読むこともないではないけれど、そこはそれ、何となく面白くなりそうな予感がしたり、無理くり小難しい本を読んでいる自分に酔うこともあったりで、それなりに読んでいく動機付けというものがある。
ということはここでの本筋ではない。著者の金岡照光さんが挙げている話の中に、漢文のお経をそらんじている人も、内容については和讃など経由の知識が主で、経典の漢文をきちんと読んで理解している人は案外少ないよね、ということが書かれていた。もちろん、こんな砕けた書き方をしておられるわけではない。この本はもっときちんとした本です。
そのくだりを読んでいて思い出した。たしか中学か高校の頃、うちにあった法華経を訓読した形のお経にいったい何が書かれているのか気になった。何らかの真理でも書かれているのかもしれないと思ったんじゃなかったか。で、母に質問してみたところが、あまりはかばかしい答えが返ってこない。なんといい加減なと思わなくもなかったが、答えが返ってこないのだから仕様がない。
で、何をしたかというと、岩波文庫の法華経を買って読んだのだ。サンスクリットかパーリ語からの訳と漢訳とが対照されていたのではなかったか。口語訳は厳密な意味での漢訳の翻訳ではなかったので、少し丁寧に対照させて読むとずれが目についたけれど、そんなことは気にせず読んだ。そして、法華経って妙な本だと思った。だって、このお経はすごいぞというようなことが何回も書かれていたのだから。ああ、だから妙法蓮華経なのかと得心した、というのは嘘で、なんでこんな風に書かれているんだろうとは思ったものの、それっきりとなってしまったのだった。
というようなどうでもいい記憶が金岡さんの本を読んでいて呼び起こされた。他のお経には何が書かれているのか気にならなくもないけれど、もうあの頃のように無理くり長いものを読み通す気力はないだろうなあ。
2016年2月23日火曜日
旧暦1/16 調べもの
垂渓庵です。
最近、時々ではあるけれど、図書館に調べものに行っている。何を調べているのかは内緒。というか、もやーっと気になることはあるけれど、まだ形になっていない。漠然と気になること関連の調べものをしているという感じだ。わかりにくくていすみません。
職場の時間割変更の関係で、わりと早い時間に図書館に行けることもある。それで気づいたのだけれど、自習をしている学生の数が減っている気がする。昼寝しに来てるんですかと言いたくなるようなおっちゃんたちは相変わらず多いのだけれど。この変化は何を意味するのだろうと思っていたら、公立の図書館で自習禁止を打ち出すところが増えてきているとかいう話を聞いた。
確かに自習学生があまりにも幅をきかせているのも迷惑な話だけれど、全面禁止というのもの何だかなあ、である。ま、座席数の少ない分館などでは仕様がないかもしれないが、座席数に余裕のある本館などでは、一定の自習スペースがあってもいいんじゃないかとも思う。旧府立中之島図書館などはそうしていたのではなかったかな。
いかん、調べものから話がそれてしまった。調べものについては、めどがついたらまた書くことにしよう。
最近、時々ではあるけれど、図書館に調べものに行っている。何を調べているのかは内緒。というか、もやーっと気になることはあるけれど、まだ形になっていない。漠然と気になること関連の調べものをしているという感じだ。わかりにくくていすみません。
職場の時間割変更の関係で、わりと早い時間に図書館に行けることもある。それで気づいたのだけれど、自習をしている学生の数が減っている気がする。昼寝しに来てるんですかと言いたくなるようなおっちゃんたちは相変わらず多いのだけれど。この変化は何を意味するのだろうと思っていたら、公立の図書館で自習禁止を打ち出すところが増えてきているとかいう話を聞いた。
確かに自習学生があまりにも幅をきかせているのも迷惑な話だけれど、全面禁止というのもの何だかなあ、である。ま、座席数の少ない分館などでは仕様がないかもしれないが、座席数に余裕のある本館などでは、一定の自習スペースがあってもいいんじゃないかとも思う。旧府立中之島図書館などはそうしていたのではなかったかな。
いかん、調べものから話がそれてしまった。調べものについては、めどがついたらまた書くことにしよう。
2016年2月21日日曜日
旧暦1/14 ガルパン
垂渓庵です。
アマゾンでkindleファイヤーを買ったことは、この欄に書いたのだったか。無料でテレビ番組や映画を見ることができるのだけれど、あまりタイトル数は多くない。そして少し古いものが目立つ気がする。が、普段あまりテレビや映画を視聴することがないので、それでもけっこう重宝している。
その中で、こりゃあいいと思ったものがいくつかある。その筆頭格がガールズ&パンツァーだ。世の中的にはガルパンと呼ばれているものらしい。
女子のたしなみとして戦車道というものが推奨されている世界。華道や茶道などと並んで戦車道が高校の選択科目みたいななのの中に存在している。そしてその高校が、それを含む街ごと巨大な空母みたいな艦船の上に作られているという、聞いただけではかなりトンデモな設定のアニメだ。
男子っ気ゼロでひたすら戦車道に邁進する女子高生たちが活躍するアニメなのであるが、これが案外面白い。いやめっぽう面白いのである。あまり詳しく書かないが、スポ根ドラマの要素あり、群像劇の要素あり、主人公らの成長物語の要素あり、で要所要所では泣きの演出も入る。おまけに、戦車のきちんと動いている。というか、描きこみがえらいこと細かい。見る者を引きつける要素が多いのである。
とわたしが書かずとも、知っている人は多いことだろう。世の中にファンが多いのか、作品の質がそうさせるのか、去年の11月に劇場版が公開されて、今でもまだ上映されている様子だ。わたしも時間を見つけて行こうと思っている。
アマゾンでkindleファイヤーを買ったことは、この欄に書いたのだったか。無料でテレビ番組や映画を見ることができるのだけれど、あまりタイトル数は多くない。そして少し古いものが目立つ気がする。が、普段あまりテレビや映画を視聴することがないので、それでもけっこう重宝している。
その中で、こりゃあいいと思ったものがいくつかある。その筆頭格がガールズ&パンツァーだ。世の中的にはガルパンと呼ばれているものらしい。
女子のたしなみとして戦車道というものが推奨されている世界。華道や茶道などと並んで戦車道が高校の選択科目みたいななのの中に存在している。そしてその高校が、それを含む街ごと巨大な空母みたいな艦船の上に作られているという、聞いただけではかなりトンデモな設定のアニメだ。
男子っ気ゼロでひたすら戦車道に邁進する女子高生たちが活躍するアニメなのであるが、これが案外面白い。いやめっぽう面白いのである。あまり詳しく書かないが、スポ根ドラマの要素あり、群像劇の要素あり、主人公らの成長物語の要素あり、で要所要所では泣きの演出も入る。おまけに、戦車のきちんと動いている。というか、描きこみがえらいこと細かい。見る者を引きつける要素が多いのである。
とわたしが書かずとも、知っている人は多いことだろう。世の中にファンが多いのか、作品の質がそうさせるのか、去年の11月に劇場版が公開されて、今でもまだ上映されている様子だ。わたしも時間を見つけて行こうと思っている。
2016年2月19日金曜日
旧暦1/12 浪曲
垂渓庵です。
すごく久しぶりの更新だ。この前が旧暦8月なので、5ヶ月ぶりということになる。その間、とくに何があったというわけではないが、なんとなく気ぜわしい毎日だった。年末から年の初めにかけて多少体調を崩したけれど、それ意外は息災に過ごしていた。
生活に大きな変化もないけれど、このひと月ばかり、浪曲を聴くようになった。もとは同僚に浪曲の会のチケットをもらったのがきっかけだ。浪曲というと、テレビ経由で玉川良一か広沢瓢右衛門ぐらいしか知らなかった。その二人もどっちかというと、タレント的な姿を知っていたぐらいで、浪曲師としての姿は知らない。
そんなわたしだけれど、去年の暮れ、四郎若さんの熱演にホウとなり、小圓嬢さんに泣き、幸枝若さんのテンポの良さに心地よくなった。これは、もうちょっと聴くしかないでしょう、ということで、初代の幸枝若や梅鶯、東家浦太郎、寿々木米若、松平国十郎、日吉川秋斎、吉田奈良丸、広沢虎造、国本武春などなどのCDを図書館で借りてきては聴いている。
なぜ図書館か。そもそも浪曲のCDはあまりCDショップで売られていない。人気がないのか。そうかもしれない。わたしも実際に聴く機会がなかったら、浪曲を聴こうなどと思わなかっただろう。ともかく、CDショップにない以上、Amazonなどの通販ということになるが、さすがにどんなものとも分からずにいろいろ買うのはためらわれる。というわけで、視聴覚資料も案外そろっている図書館の出番ということになる。CD聴くのに図書館へというのも変な感じだけれど、手っ取り早く色々聴こうと思うと、結局図書館がいちばん便利だということになる。
というわけで、最近は職場の最寄り駅から職場までの間の往復で浪曲を聴いている。お気に入りは初代幸枝若の武蔵屋新造だ。と言ってもだれも知らないだろうな。
すごく久しぶりの更新だ。この前が旧暦8月なので、5ヶ月ぶりということになる。その間、とくに何があったというわけではないが、なんとなく気ぜわしい毎日だった。年末から年の初めにかけて多少体調を崩したけれど、それ意外は息災に過ごしていた。
生活に大きな変化もないけれど、このひと月ばかり、浪曲を聴くようになった。もとは同僚に浪曲の会のチケットをもらったのがきっかけだ。浪曲というと、テレビ経由で玉川良一か広沢瓢右衛門ぐらいしか知らなかった。その二人もどっちかというと、タレント的な姿を知っていたぐらいで、浪曲師としての姿は知らない。
そんなわたしだけれど、去年の暮れ、四郎若さんの熱演にホウとなり、小圓嬢さんに泣き、幸枝若さんのテンポの良さに心地よくなった。これは、もうちょっと聴くしかないでしょう、ということで、初代の幸枝若や梅鶯、東家浦太郎、寿々木米若、松平国十郎、日吉川秋斎、吉田奈良丸、広沢虎造、国本武春などなどのCDを図書館で借りてきては聴いている。
なぜ図書館か。そもそも浪曲のCDはあまりCDショップで売られていない。人気がないのか。そうかもしれない。わたしも実際に聴く機会がなかったら、浪曲を聴こうなどと思わなかっただろう。ともかく、CDショップにない以上、Amazonなどの通販ということになるが、さすがにどんなものとも分からずにいろいろ買うのはためらわれる。というわけで、視聴覚資料も案外そろっている図書館の出番ということになる。CD聴くのに図書館へというのも変な感じだけれど、手っ取り早く色々聴こうと思うと、結局図書館がいちばん便利だということになる。
というわけで、最近は職場の最寄り駅から職場までの間の往復で浪曲を聴いている。お気に入りは初代幸枝若の武蔵屋新造だ。と言ってもだれも知らないだろうな。
登録:
コメント (Atom)