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2022年2月28日月曜日

旧暦1/28 黒い本の楽しみ

 垂渓庵です。

 少し時間ができたので久々に黒い本を読んでみた。黒魔術の本というわけではない。以前書いたことがあると思うが、古本で出回っている専門書とでも言えばいいだろうか。と書いてふと気になったので少しネットで検索をかけてみたが、それらしい言い方が出てこない。黒い本という言い方はおれの勘違いかも知れないが、面倒なのでそういう意味なのだと言うことにしておこう。

 で、その黒い本である。おれの読む本なので、当然国語学や国文学の分野の本だ。それを読んでいると、時に「あなた何を言っていますか?」と言いたくなる部分がある。べつに著者が悪いわけではない。おれの理解力が低くて、著者の言いたいことがすぐには分からないのだ。で、そういう箇所をじっくり読んでみると著者の言いたいことがはっきり分かることがある。黒い本の楽しみの一つである。

2022年2月3日木曜日

旧暦1/3 読書はどこに行ったか

 垂渓庵です。

この間、かなり前に読んであった本を再び読み直す機会があった。復習のようなつもりでいた。しかし、である。前に読んだ時に引いてあった傍線の部分を見ても、琴線に触れるというか、記憶の底を引っかかれるというか、そういうところが全然ない。ものの見事にきれいさっぱり忘れている。いっそ見事と言っていいくらいだ。こんなのは復習と言わないんじゃないか。

おれは思った。これまでに読んだ本が全部こんな調子だったらどうしよう。いささか不安である。というか、それ以前に、こんな状態を「読んだ」と言っちゃいけないだろう。個々の内容は忘れて、エッセンスだけがおれを形作っているとでもいうのか。しかし、読んだ本のエッセンスだけを残すほどおれの頭が優秀だとは思えないし、エッセンスを残して今の状態なのだとすれば、おれの頭はポンコツ過ぎる。

何とも割り切れない話ではある。
 

2021年10月18日月曜日

旧暦9/13 鶯童さんの本のこと

垂渓庵です。

とある方から段ボール箱で2箱分ほどの本をもらい受けた。不要の本が一切合切で2箱分あるというのではなく、不要になる蔵書から選ばせてもらった2箱だ。もともと欲しかった本が結構入っている。それはそれとして、たまたま本を選ばせてもらいに行っている時に目についたのが浪曲師の梅中軒鶯童さんの自伝だ。鶯童さんは、「紀文の船出」などを持ちネタにしている。喉の故障で大きな声は出なくなったらしいが、台詞回しや節回しに工夫を凝らし、聞くものを魅了する「鶯童節」を作り上げたと言われている。「紀文の船出」を聞いていると、思わず楽しくなって、船で旅に出たくなってくる。紀伊国屋文左衛門たちはミカンを積んでの嵐の中の決死の船出なんだけれど。

とは言ってもわたしも直接鶯童さんの高座を見たことはない。何せ彼は昭和59年に亡くなっている。今からざっと40年近くも前だ。当時私は大学生だったけれど、浪曲のろの字も目に入っていない頃で、鶯童さんの名前も当然知らなかった。当時浪曲師で知っていたのは「広沢虎造」か「広沢瓢右衛門」さんぐらいのものだ。「虎造」はさすがにビッグネームだし、「瓢右衛門」さんは、テレビ番組でちょっとブレイクしていて、浪曲師というよりも面白いおじいさんとして認識していた。私に浪曲体験はほとんどなかったのだ。しかし、その後いろいろあって浪曲を聞くようになり、鶯童さんのうまさを知ったというわけだ。

その鶯童さんの自伝だ。とても興味がある。で、ぜひにと譲り受けた訳だ。中身は鶯童さんの芸談や思い出話で、今は詳細は省く。今では想像すべくもない芸能の話が色々出てきてとても面白いので、興味のある人は大きい図書館で探してみてください。

というような本が他にもいくつもある。また追々紹介していくことに仕様。

2021年10月15日金曜日

旧暦9/10 探せない

 垂形案です。

自宅に置ききれない本は職場や実家に逃がしている。 ということはいつかどこかで書いた。そうしていると、いざ必要な本が見つからないという困ったことになってしまう、というのはどこかに書いたことがあったものか。

つい先日も、必要に迫られて萩原広道の源氏物語評釈という本を見ないといけなくなった。家には、ない。職場に置いた覚えもないのだけれど念のために探した。が、やはりない。となると実家に置いたままになっている段ボール箱のどれかに入っているのだろう。で、箱の外側に「和歌の注釈書」とか「国語学関係」とか大まかな内容を書いてあったのを頼りに、送ったままになっている本の段ボール箱を開けてみた。しかし、「源氏関係」とか「注釈書色々」とか書いてある箱を開けた限りでは、「源氏物語評釈」はなかった。

多分、スペースの関係で、「注釈書」などではない箱に入れたのだと思う。が、全然記憶がない。片っ端から箱を開けようかとも思ったが、時間がなかったので断念した。というわけで、まだ必要な本は行方不明のままだけれど、そうやって段ボール箱の山と取り組んでみると、「ゴーゴリ」だの「ラテンアメリカ」だの「タルコフスキー」だのと書いた箱があることに気づく。そうか。そういやその辺の本も送ってたのだった。またいつか暇な時に取り出して見ることにしようかと思い、その日は実家を後にした。

後で気づいたのだけれど、ゴーゴリやラテンアメリカやタルコフスキー関係の本など、そもそもおれはたくさん持ってはいない。ゴーゴリは河出書房版の全集ぐらい。ラテンアメリカはたぶん集英社版の「ラテンアメリカの文学」+幾ばくかの単行本だろう。タルコフスキーに至っては、二冊本の日記と「映像のポエジア」ぐらいなものだ。つまり、それらの箱にはその他の本が紛れ込んでいる可能性が高く、「源氏物語評釈」もそこにあったかもしれないのだ。 ばかなの、おれ。

さらにさらに。萩原広道の「源氏物語評釈」の本文は、奇特にもPDF化してネット上で無料で公開している方がおられた。それを見れば、とりあえずの問題は片付くのである。

そうではあるが、本のありかが分からないのは気持ち悪いので、また暇を見つけて実家に行って確認してみようと思う次第なのである。

2018年9月4日火曜日

旧暦7/25 中休み

垂渓庵です。

これまでにないほど長く更新を怠ってしまった。余裕がなかったわけではないが、書く気にならなかったと言えばいいか。

今日も台風で臨時休校にならなければ書かなかっただろうということは、ほぼ確実に言える。

さて、蔵書の売り払い計画は着々と進んでいて、家の本棚が2つというところまで減量できた。その分、実家と職場に持って行ったものも結構あるから、蔵書が本棚二つ分になったというわけではない。職員室の机まわりなどひどいことになっている。あれ、何とかしないといけないな。

本棚の減量が進む一方で息子が本を買いだしていて、家にある本の冊数自体は微増といったところだ。少年探偵団のようなものを読んでいるようだ。以前はもっぱら図書館を利用していたけれど、やはり気に入った本は手元に置いておきたいらしい。お小遣いを貯めて買っている。近くに本屋さんがないので、時々電車に乗って中規模書店のある街に出かける。どんな田舎だと思われるかもしらないけれど、れっきとした大都市のベッドタウンだ。以前は近くに小さな本屋さんが2軒あったけれど潰れてしまった。今は焼肉屋さんと薬局になっている。

今日は息子も臨時休校になったことだし、朝のうちに本屋さんに出かけてもいいかもしれない。などと言っている場合ではない。大阪はあまり台風の被害が出ない所だけれど、今回の台風は油断できないし。息子とベランダ周りを片付けるとするかな。

2018年1月16日火曜日

旧暦11/30 少年陰陽師

垂渓庵です。

久々の更新だ。これ、居酒屋ならキープしたボトルがとっくに流れてるな。いかんいかん。

ここんとこ、少しだけ時間がある。でもしばらくしたら、また忙しくなるだろう。むう。

というわけで、生徒から借りたままになっている少年陰陽師というシリーズを読んでいる。借りてるのは10冊ほど。で、今は4冊目だ。借りている本の帯に「400万部突破!! 大人気シリーズ」とある。ずいぶん売れているのだと思って、Amazonで検索してみて驚いた。このシリーズ40冊以上出てるじゃないか。インド人もびっくりだ。というのは今では禁止フレーズになるのかな。そういえば、大学時代の友人の友人が、何かの時に熱く語っていたそうだ。「おれは差別するやつとインド人は嫌いや!!」……。彼のあまりの気迫に、友人は「それ差別やんけ」とは言えなかったそうだ。

閑話休題。少年陰陽師だ。主人公は安倍晴明の孫で、晴明には自分の後継者と目されている。主人公はもともとはおじいちゃん子だったが、ある件以来晴明にわだかまりを持っている。とはいえ晴明を心底嫌い抜いているかというとそうでもなさそうだ。晴明がよく言われていればうれしそうだし、悪くいわれりゃ、術で相手をびびらせる。ま、ツンデレだ。

そんな主人公の相棒が、十二神将の一人で晴明の式神でもある紅蓮だ。彼は口の悪い相棒という感じで、でも主人公を認めている。そんな紅蓮は同じ十二神将からは疎まれている。そこに道長や彰子や行成やついでに妖異などなどが絡んできて、涙あり笑いありの活劇が始まる。

主人公はそこここで「あれが晴明の孫だ」的な目で見られる。なんかハリーポッターみたいだ。

シリアスな雰囲気の息抜きには憎めない雑妖が出てくる。なんかしゃばけの家鳴みたいだ。今気づいた。家鳴って家鴨に似てるな。

晴明は年老いて衰えた今も絶大な通力を誇る。なんか剣客商売の秋山小兵衛みたいだ。

と、どこかで見たよな、この設定やプロットというようなものが見られはするが、それらの組み合わせ方が絶妙だ。主人公がかたくなすぎるのが何だかなあという感じにならなくはないが、まだ4冊目だ。たぶんゆるゆると成長するのだと思う。40冊もあるんだから。

というわけで、あらためてシリーズをそろえようかと思っている。

2016年2月24日水曜日

旧暦1/17 法華経の経文。

垂渓庵です。

『仏教漢文の読み方』という本を読んでいる。必要に迫られているわけではない。趣味で、としか言いようがない。面白いかというと、面白い。わたしはためにする読書があまり好きではない。同様に、面白くないものを無理矢理読むというのもやはり好まない。時には我慢して読むこともないではないけれど、そこはそれ、何となく面白くなりそうな予感がしたり、無理くり小難しい本を読んでいる自分に酔うこともあったりで、それなりに読んでいく動機付けというものがある。

ということはここでの本筋ではない。著者の金岡照光さんが挙げている話の中に、漢文のお経をそらんじている人も、内容については和讃など経由の知識が主で、経典の漢文をきちんと読んで理解している人は案外少ないよね、ということが書かれていた。もちろん、こんな砕けた書き方をしておられるわけではない。この本はもっときちんとした本です。

そのくだりを読んでいて思い出した。たしか中学か高校の頃、うちにあった法華経を訓読した形のお経にいったい何が書かれているのか気になった。何らかの真理でも書かれているのかもしれないと思ったんじゃなかったか。で、母に質問してみたところが、あまりはかばかしい答えが返ってこない。なんといい加減なと思わなくもなかったが、答えが返ってこないのだから仕様がない。

で、何をしたかというと、岩波文庫の法華経を買って読んだのだ。サンスクリットかパーリ語からの訳と漢訳とが対照されていたのではなかったか。口語訳は厳密な意味での漢訳の翻訳ではなかったので、少し丁寧に対照させて読むとずれが目についたけれど、そんなことは気にせず読んだ。そして、法華経って妙な本だと思った。だって、このお経はすごいぞというようなことが何回も書かれていたのだから。ああ、だから妙法蓮華経なのかと得心した、というのは嘘で、なんでこんな風に書かれているんだろうとは思ったものの、それっきりとなってしまったのだった。

というようなどうでもいい記憶が金岡さんの本を読んでいて呼び起こされた。他のお経には何が書かれているのか気にならなくもないけれど、もうあの頃のように無理くり長いものを読み通す気力はないだろうなあ。

2015年9月30日水曜日

旧暦8/18 不都合

垂渓庵です。

前にも書いたと思うけれど、本をかなり整理して本棚二つ分減らした。が、みっちみちに本を詰め込んだ本棚がまだ三つ残っている。みっちみちの状態を解消すれば、空になった本棚がすぐにいっぱいになると思う。わたしは本当に古本屋に本棚二つ分の本を売り払ったのだろうか。前の一文にはやたらに「本」という字が多いな。ええと、ともかく、なんか本が減った気がしない…。

しないのに、困ったことが起こっている。それは…。

2015年9月29日火曜日

旧暦8/17 ミステリー

垂渓庵です。

生徒に借りたミステリーを読んでいる。

筋立て、犯人を追う刑事の人物造形、それぞれにとても面白いものだ。なるほど、面白さに自信を持って人に勧められる本だと言える。

が、女子高生が教師に勧めるには、ちょっと問題がなくもない。

2015年9月10日木曜日

旧暦7/28 作文講話及び文範

垂渓庵です。

『作文講話及び文範』という本がある。明治四十五年に出版された。

わたしは大正七年発行の縮刷本を持っている。この本、千ページ以上の大部の本なのだけれど、とても面白い。

2015年9月2日水曜日

旧暦7/20 石田穣二さんすごい

垂渓庵です。

職場の行き帰りに本を読んでいる。何度も書いていると思うけれど。

このところはちょっと硬めの研究書を読んでいる。石田穣二著『源氏物語攷その他』だ。と書こうとして「攷」の字がなかなか出てこなかった。そんなに珍しい文字ではないと思うのだけれど。ワープロソフトの辞書大丈夫か。

さて、石田穣二さんは、わたしが学生のころは、角川文庫の枕草子や新潮日本古典集成の源氏物語の著者として知られていた人だ。などと書くまでもなく、中古文学研究の第一人者だった人だ。十年ほど前に亡くなっておられる。

わたしが学問のまねごとをしていたころは脂の乗った研究者だったはずだけれど、学会などでお見かけしたことはたぶん、ない。ま、研究者の名前や顔にはあまり興味がなかったので、誰かに教えてもらっても、スルーしていただけかもしれないけれど。

2015年6月23日火曜日

旧暦5/8 坊主が上手にボウズの絵を

垂渓庵です。

こないだ、量子とか素粒子とかの本を読んだ。所長のような漁師ではなく、量子ね。量子。

なんでそんな本を読もうと思ったのだろう。暇だからとしか言いようがないのだけれど、それはともかく、なるほど量子の世界は奇妙だ。

粒子がボウズだったり、電子がスピンしてたり、クォークに色がついていたり。なんでそんなことになるのか、一から説明されると、なるほどと思う。思うのだけれど、ばかみたいな疑問がわき起こってくる。

波でもあるものがどうしてくるくる回るんだよ。とか、クォーク、可視光線の波長より小せーよ。色なんかねーよ。とか、素粒子の世代なんてありえねー。細胞分裂しねーよ。てか細胞じゃねーよ。とか、素粒子に味はありません。とか、加速器でむりやり粒子の数と種類増やしてんじゃねーよ。とか。行き当たりばったりなネーミングばっかすんな。とか。

もう一度書くが、それぞれについて言われりゃそうですかと納得できる。その瞬間は。でも、全体の中にすっきりと位置づけられない。つぎはぎ細工のような感じだ。進化をブリコラージュにたとえた生物学者がいたけれど、量子たちを巡る理論にも同じ印象を受けた。もうちょっとこうすっきりとした形にならないのだろうか。

2015年2月24日火曜日

旧暦1/6 吉川英治と呪法

垂渓庵です。

ぼやぼやしているうちに、旧暦でも年が変わってしまった。いいかげん図書館祝詞についてコメントしないといけないところだけれど、今回はちょっとパスして、少し軽めのネタをお届けしよう。

ちょっと前にわたしのkindleが代替わりしたと書いた。で、その代替わりしたkindleで、吉川英治の「神州天馬侠」を読んでいる。表現などを見ていると、「三国志演義」などを下敷きにしている印象を受ける。吉川版「三国志」の序文によると、少年期に邦訳「三国志」の愛読者だったらしいから、あたりまえなのかもしれないけれど。

2015年1月21日水曜日

旧暦12/2 勉強した!

垂渓庵です。

大学を出てはや20年以上。今や根を詰めて勉強することはない。よくないことだとは思いつつも、要領よく授業準備をやり、その時々に思いついたことを少し掘り下げる、というような感じで日々を過ごしている。

例外的に少し手間をかけて勉強したのが、「古文を訳させるにはシリーズ」の授業のための予習だ。もはや去年のことになる。

今回は、次の段階として予定している「歌物語を読ませるシリーズ」「和歌を読ませるシリーズ」のための勉強だ。

2015年1月15日木曜日

旧暦11/25 図書館祝詞

垂渓庵です。

去年、現代の祝詞を紹介する企画を立ち上げた。この記事だ。でも、その後頓挫した。本欄にはよくあることだ。が、一回も本題に入らなかったことはない。このままではあんまりなので、とりあえず、予告だけしていた「図書館開館祝詞」を紹介してみよう。

原文は宣命体で書かれているが、入力がとても面倒だ。というわけで、『神道大祓全集と解説』の著者である阪井正卿自身の記した「読方」に拠る形で引用してみたい。適宜漢字を仮名に直した。また旧字は現行の字体に改め、一部残したフリガナは、カッコに入れる形で示した。

2015年1月13日火曜日

旧暦11/23 kindleを買い換えた

垂渓庵です。

kindleを使っていると以前書いたことがあると思う。初代のペーパーホワイトだ。

去年末にvoyageというハイエンド機種が出た。ペーパーホワイトがだいたい1万円前後で変えていたのに対して2万円を超えてくるというものだ。

それまで使っていた初代kindleでも、文字を読むにはあまり不自由しなかったのだけれど、容量が1Gと少ない。voyageは4Gある。もはや容量一杯近くまでさまざまな文書を入れている。今後のことを考えると、そろそろ買い換えの時期かなという気もした。

2015年1月6日火曜日

旧暦11/16 古文を訳させるには5

垂渓庵です。

前回はわたしはまぬけだという話だった。今回は、わたしはこれからもまぬけだろうという話だ。

生徒に訳させるために、ネットでマイナーどころの作品を選んでしまったために、本文を整えるためにえらいこと苦労したところまで書いた。

それだけでは終わらないのである。生徒に話をする以上、自分が内容についてきちんと理解できていないといけない。本文の解釈ももちろんだけれど、出て来る人名や事項などについてもきちんと押さえる。必要がある。これがまた面倒だった。

2014年11月19日水曜日

旧暦閏9/27 古文を訳させるには 4

垂渓庵です。

前回は、わたしがまぬけだったかもしれないというところまで書いたと思う。今回はやっぱりわたしはまぬけだという話だ。

2014年11月18日火曜日

旧暦閏9/26 古文を訳させるには 3

垂渓庵です。

前回は、教材を作るために、マイナーどころの作品を探すのにけっこう苦労した話だった。実家の専門書や資料類を突っ込んである棚をものすごく久しぶりにひっくりがえしたし。

で、いよいよ読ませる作品が決まって、大切なことに気がついた。

2014年11月17日月曜日

旧暦閏9/25 古文を訳させるには 2

垂渓庵です。

古文を訳させるには、訳や注などがネット上に存在しないような教材を読ませればいいんだ、そう気づいたところまで書いた。単純と言えば単純な話だ。

で、その単純なアイデアを実行しようとして、えらい目にあった。