垂渓庵です。
生徒が本を貸してくれる。貸してくれるままに借りていると、ちょっとやそっとでは読み切れない量になってきた。とりあえず読んでいかないといけない。がんばろう。
これが近況か。どうも非生産的というか、耽読も翫市もしていない気がしないではないが、やむをえない。
というわけで、まずはすぐにでも返さないといけないミステリー1冊、ラノベ4冊を読み上げなければ。
とはいうものの、雑務も溜まっている。こうなりゃ運動会の当日、仕事が入っている以外の時間は図書館にでも籠もろうか。
と書いて思い出した。図書館で調べ物をしないといけないのだった。
2015年9月25日金曜日
2015年8月28日金曜日
旧暦7/15 またもや勉強&ヒロタさん追悼
垂渓庵です。
またもや自分で教材を作るべく四苦八苦している。よっぽど暇なんだな。おれ。
というわけで、今回も「、仏教がらみの説話をせっせとワープロ入力→簡単な注を作成」という作業にいそしんでいる。
またもや自分で教材を作るべく四苦八苦している。よっぽど暇なんだな。おれ。
というわけで、今回も「、仏教がらみの説話をせっせとワープロ入力→簡単な注を作成」という作業にいそしんでいる。
2015年8月10日月曜日
旧暦6/26 ラノベと星新一 3
垂渓庵です。
暑い。けど、明け方は少し風が吹き、気持ちいい。太陽が顔を覗かせると、すぐに暑くなるけれど。
ラノベにはミステリー風の作品もこれまたたくさんある。殺人事件だけではなく、日常の謎を追いかけるものも含めれば、ランダムにラノベを手に取れば、何回かに一回は何らかの謎を解くものを手にすることになるだろう。
それらは、主人公が高校生~20代前半で、なおかつユーモアや恋愛で味付けされたものも多い。想定される読者にとっては、やはり身近なものとなっている。と思われる。
さて、一方、1960、70年代はどうか。アガサ・クリスティやエラリー・クイーン、松本清張、横溝正史などなど、読まれたであろうミステリ作家はいくらも思い浮かべられる。どれも面白いものである。が、想定される読者はやはり一般人だろう。
当時の中高生はミステリを読むにあたっても、多かれ少なかれ背伸びをしていたんじゃないかと考えることができる。
以上のように考えてみると、現代の中高生は、無理せず身の丈に合った読書をするという意味では恵まれていると言えそうだ。が、その状況を喜んでばかりもいられないような気がする。成長期に背伸びをしたからといって、物理的に背は伸びない。けれども、精神的な背伸びは、心の成長に何がしかの影響を与えずにはおかないように思う。
また、手に入る喜びの大きさも異なるんじゃないか。もちろん、ラノベによっても、思いもかけなかった世界の姿に気付くこともできる。痛切な感情を追体験することも可能だ。その結果、結構な満足感を抱けたりもする。が、それを何らかのハードルを乗り越えた末に手に入れるという要素は、あまりない。やっぱり苦労した方が達成感や喜びは大きいと思うのである。
精神的な成長、手に入る喜びの大きさ、そこらあたりで、今の中高生とかつての中高生の読書のありようが異なってきているように思うわけである。
暑い。けど、明け方は少し風が吹き、気持ちいい。太陽が顔を覗かせると、すぐに暑くなるけれど。
ラノベにはミステリー風の作品もこれまたたくさんある。殺人事件だけではなく、日常の謎を追いかけるものも含めれば、ランダムにラノベを手に取れば、何回かに一回は何らかの謎を解くものを手にすることになるだろう。
それらは、主人公が高校生~20代前半で、なおかつユーモアや恋愛で味付けされたものも多い。想定される読者にとっては、やはり身近なものとなっている。と思われる。
さて、一方、1960、70年代はどうか。アガサ・クリスティやエラリー・クイーン、松本清張、横溝正史などなど、読まれたであろうミステリ作家はいくらも思い浮かべられる。どれも面白いものである。が、想定される読者はやはり一般人だろう。
当時の中高生はミステリを読むにあたっても、多かれ少なかれ背伸びをしていたんじゃないかと考えることができる。
以上のように考えてみると、現代の中高生は、無理せず身の丈に合った読書をするという意味では恵まれていると言えそうだ。が、その状況を喜んでばかりもいられないような気がする。成長期に背伸びをしたからといって、物理的に背は伸びない。けれども、精神的な背伸びは、心の成長に何がしかの影響を与えずにはおかないように思う。
また、手に入る喜びの大きさも異なるんじゃないか。もちろん、ラノベによっても、思いもかけなかった世界の姿に気付くこともできる。痛切な感情を追体験することも可能だ。その結果、結構な満足感を抱けたりもする。が、それを何らかのハードルを乗り越えた末に手に入れるという要素は、あまりない。やっぱり苦労した方が達成感や喜びは大きいと思うのである。
精神的な成長、手に入る喜びの大きさ、そこらあたりで、今の中高生とかつての中高生の読書のありようが異なってきているように思うわけである。
2015年8月4日火曜日
旧暦6/20 夏休みを考える
垂渓庵です。
先日ようやっと夏休みに入った。補習やクラブなどでずるずると出校し続けていたのである。
夏休みなんだからしっかり休みましょうと思うのだが、時間があるからさまざまなイベントが気軽につっこまれる。そうしたい気持ちは分からないではないけれど、使えそうな素材文を新規に探したり、少しは教材研究をすることもある身としては、実は迷惑であったりもする。いや、それ以上に、夏の間に生徒にしっかり自学自習の癖をつけさせないといけないんじゃありませんかい、と強く思う。どこまでも学校におんぶに抱っこでは、いざ入試を前にして、やたらに塾予備校に頼り切るってことになってしまう。
もちろん、手のかけなさ過ぎもよくない。かなり前に卒業させた学年のことを思い出してみると、国語と英語は普段の補習もしたけれど、休みはしっかり自分で勉強するように指導していた。一方数学は、普段補習もしないし、特に勉強に取り組む姿勢についてこれといった指導もしていなかった。さんざん横からせっついても頑として動かなかった彼の意図は謎である。そんなことをやってできてもしようがない的なことを言っていたけれど、何のご託だという感じだ。
案の定、高三になって国語や英語で塾予備校に行く者はほとんどいなかった。そりゃそうだろう。そこまでしっかり力をつけてきたのだから、その延長でがんばりゃいいだけだ。一方の数学は、上位クラスでも塾予備校に行く者の嵐である。遅まきながら補習をした彼は、成績が上がってきたのを自慢していたが、そりゃ塾予備校で力をつけてもらったのだ。もちろん、こちらも大人なので、本人に直接指摘してあげた。今は別の学年で補習をやっているみたいだ。
話が逸れた。夏のまとまった休みは貴重だ。生徒にとっても。教員にとっても。どうせだらだらしているだけだ、色々やらせておけと発想する御仁は、自身が無為に夏休みを過ごしてきた、と告白しているも同様だ。
もちろん、だらだら休みが悪いわけではない。むしろ必要な面もある。わたしの場合、まとめて本を読むいい機会でもあり、だらだらできる夏休みは本当にありがたかった。
わたしの勤務校はいちおう進学校なので、勉強させないといけない。が、それは自主的なものである必要があり、学校での拘束時間を長くすればいいというものではない。最低限やるべきことをやって、その上で自分で好きなように時間を使うように生徒を動機づけるのが、学校的にはいちばん望ましいことではないかと思うのだけれど、今や我が勤務先はおろか、世の中全体が逆の方向に向かって突っ走っている気がする。この国はどこへ行こうとしているのだろう。
先日ようやっと夏休みに入った。補習やクラブなどでずるずると出校し続けていたのである。
夏休みなんだからしっかり休みましょうと思うのだが、時間があるからさまざまなイベントが気軽につっこまれる。そうしたい気持ちは分からないではないけれど、使えそうな素材文を新規に探したり、少しは教材研究をすることもある身としては、実は迷惑であったりもする。いや、それ以上に、夏の間に生徒にしっかり自学自習の癖をつけさせないといけないんじゃありませんかい、と強く思う。どこまでも学校におんぶに抱っこでは、いざ入試を前にして、やたらに塾予備校に頼り切るってことになってしまう。
もちろん、手のかけなさ過ぎもよくない。かなり前に卒業させた学年のことを思い出してみると、国語と英語は普段の補習もしたけれど、休みはしっかり自分で勉強するように指導していた。一方数学は、普段補習もしないし、特に勉強に取り組む姿勢についてこれといった指導もしていなかった。さんざん横からせっついても頑として動かなかった彼の意図は謎である。そんなことをやってできてもしようがない的なことを言っていたけれど、何のご託だという感じだ。
案の定、高三になって国語や英語で塾予備校に行く者はほとんどいなかった。そりゃそうだろう。そこまでしっかり力をつけてきたのだから、その延長でがんばりゃいいだけだ。一方の数学は、上位クラスでも塾予備校に行く者の嵐である。遅まきながら補習をした彼は、成績が上がってきたのを自慢していたが、そりゃ塾予備校で力をつけてもらったのだ。もちろん、こちらも大人なので、本人に直接指摘してあげた。今は別の学年で補習をやっているみたいだ。
話が逸れた。夏のまとまった休みは貴重だ。生徒にとっても。教員にとっても。どうせだらだらしているだけだ、色々やらせておけと発想する御仁は、自身が無為に夏休みを過ごしてきた、と告白しているも同様だ。
もちろん、だらだら休みが悪いわけではない。むしろ必要な面もある。わたしの場合、まとめて本を読むいい機会でもあり、だらだらできる夏休みは本当にありがたかった。
わたしの勤務校はいちおう進学校なので、勉強させないといけない。が、それは自主的なものである必要があり、学校での拘束時間を長くすればいいというものではない。最低限やるべきことをやって、その上で自分で好きなように時間を使うように生徒を動機づけるのが、学校的にはいちばん望ましいことではないかと思うのだけれど、今や我が勤務先はおろか、世の中全体が逆の方向に向かって突っ走っている気がする。この国はどこへ行こうとしているのだろう。
2015年1月6日火曜日
旧暦11/16 古文を訳させるには5
垂渓庵です。
前回はわたしはまぬけだという話だった。今回は、わたしはこれからもまぬけだろうという話だ。
生徒に訳させるために、ネットでマイナーどころの作品を選んでしまったために、本文を整えるためにえらいこと苦労したところまで書いた。
それだけでは終わらないのである。生徒に話をする以上、自分が内容についてきちんと理解できていないといけない。本文の解釈ももちろんだけれど、出て来る人名や事項などについてもきちんと押さえる。必要がある。これがまた面倒だった。
前回はわたしはまぬけだという話だった。今回は、わたしはこれからもまぬけだろうという話だ。
生徒に訳させるために、ネットでマイナーどころの作品を選んでしまったために、本文を整えるためにえらいこと苦労したところまで書いた。
それだけでは終わらないのである。生徒に話をする以上、自分が内容についてきちんと理解できていないといけない。本文の解釈ももちろんだけれど、出て来る人名や事項などについてもきちんと押さえる。必要がある。これがまた面倒だった。
2014年11月19日水曜日
2014年11月18日火曜日
旧暦閏9/26 古文を訳させるには 3
垂渓庵です。
前回は、教材を作るために、マイナーどころの作品を探すのにけっこう苦労した話だった。実家の専門書や資料類を突っ込んである棚をものすごく久しぶりにひっくりがえしたし。
で、いよいよ読ませる作品が決まって、大切なことに気がついた。
前回は、教材を作るために、マイナーどころの作品を探すのにけっこう苦労した話だった。実家の専門書や資料類を突っ込んである棚をものすごく久しぶりにひっくりがえしたし。
で、いよいよ読ませる作品が決まって、大切なことに気がついた。
2014年11月17日月曜日
旧暦閏9/25 古文を訳させるには 2
垂渓庵です。
古文を訳させるには、訳や注などがネット上に存在しないような教材を読ませればいいんだ、そう気づいたところまで書いた。単純と言えば単純な話だ。
で、その単純なアイデアを実行しようとして、えらい目にあった。
古文を訳させるには、訳や注などがネット上に存在しないような教材を読ませればいいんだ、そう気づいたところまで書いた。単純と言えば単純な話だ。
で、その単純なアイデアを実行しようとして、えらい目にあった。
2014年11月16日日曜日
旧暦閏9/24 古文を訳させるには 1
垂渓庵です。
この前バスの中であったという会話。
「古文の予習をしないといけない!」
「そんなのネットで探したら見つかるでしょ?」
「それが、どこにもないのよ」
今はネット社会だ。うまく使えば、多大の恩恵を与えてくれる。が、インターネット依存症なることばがあるごとく、使いようによっては、大きな弊害がある。
ところで、上の会話で予習をしなきゃと言っているのは、たぶんわたしが古文を教えているクラスの生徒だ。どうしてそんなことが分かるのか。
この前バスの中であったという会話。
「古文の予習をしないといけない!」
「そんなのネットで探したら見つかるでしょ?」
「それが、どこにもないのよ」
今はネット社会だ。うまく使えば、多大の恩恵を与えてくれる。が、インターネット依存症なることばがあるごとく、使いようによっては、大きな弊害がある。
ところで、上の会話で予習をしなきゃと言っているのは、たぶんわたしが古文を教えているクラスの生徒だ。どうしてそんなことが分かるのか。
2013年9月2日月曜日
2013年1月16日水曜日
旧暦12/5 新学期始動
垂渓庵です。
先週は臨時に震災関係の記事を入れた。というわけで、本来の年明けの記事を今日公開することにする。
いよいよ新学期が始まった。生徒たちは受験本番に臨むこととなる。結果がどうなるかは何とも言えないが、卒業に際しては、それぞれに満足のいく進路に進んでもらいたいものだ。
と書いていて思い出した。前回書いた大人の事情による原稿がまだ完成していない。正確には、思い出したというよりも考えないようにしていたのだけれど。どうしよう。むう。
先週は臨時に震災関係の記事を入れた。というわけで、本来の年明けの記事を今日公開することにする。
いよいよ新学期が始まった。生徒たちは受験本番に臨むこととなる。結果がどうなるかは何とも言えないが、卒業に際しては、それぞれに満足のいく進路に進んでもらいたいものだ。
と書いていて思い出した。前回書いた大人の事情による原稿がまだ完成していない。正確には、思い出したというよりも考えないようにしていたのだけれど。どうしよう。むう。
2012年12月5日水曜日
旧暦10/22 追認の足音
垂渓庵です。
前回書いたように、何かと慌ただしい毎日を送っているところだけれど、過年度分の単位をとっていなかったり、今年の単位を落としそうな者は、入試のプレッシャーに加えて単位認定のプレッシャーにも襲われていることだろう。
前回書いたように、何かと慌ただしい毎日を送っているところだけれど、過年度分の単位をとっていなかったり、今年の単位を落としそうな者は、入試のプレッシャーに加えて単位認定のプレッシャーにも襲われていることだろう。
2012年3月28日水曜日
旧暦3/7 ためらい
垂渓庵です。
これは今日の朝に公開したもの。公開したてほやほやだ。前回は国語の成績を上げるのは可能か検証してみた。結論から言うと可能だと思うが、そのためには授業や補習などもそれ用に調整する必要がある。今のところその形で進めており、生徒の成績も比較的好調だ。しかし、それでいいのかと思わなくもない。今回はそこらへんについて記してみた。
以下本文
垂渓庵です。
本欄の更新もあと少し。現在お引っ越しの準備を進めている。とりあえず次の住み処をgoogleのbloggerというサービスを使って構築中だ。とりあえずは、耽読翫市─もと太鼓打ちのブログという名前のブログを立ち上げた。今はミラーサイトのような形で試験運用をしている。ご用とお急ぎでない方はそちらも覗いてみていただきたい。4月以降は、基本的には本欄と同じく毎週木曜の更新を予定している。
これは今日の朝に公開したもの。公開したてほやほやだ。前回は国語の成績を上げるのは可能か検証してみた。結論から言うと可能だと思うが、そのためには授業や補習などもそれ用に調整する必要がある。今のところその形で進めており、生徒の成績も比較的好調だ。しかし、それでいいのかと思わなくもない。今回はそこらへんについて記してみた。
以下本文
垂渓庵です。
本欄の更新もあと少し。現在お引っ越しの準備を進めている。とりあえず次の住み処をgoogleのbloggerというサービスを使って構築中だ。とりあえずは、耽読翫市─もと太鼓打ちのブログという名前のブログを立ち上げた。今はミラーサイトのような形で試験運用をしている。ご用とお急ぎでない方はそちらも覗いてみていただきたい。4月以降は、基本的には本欄と同じく毎週木曜の更新を予定している。
2012年3月21日水曜日
旧暦2/29 再掲 マニアック・バージョン
垂渓庵です。
2007年11月に公開したもの。実はこういうリストを作るのは嫌いではない。いま担任している学年に向けても、中一、中三、高一あたりでより大規模なリストを作成している。高二向けにもリストを改訂しようとしたのだけれど、時間がなくて果たせなかった。「国語力検定のブログ」は、今では名前が「奥駿河湾釣り日記」に変わっている。変わりすぎだろ。
以下本文
2007年11月に公開したもの。実はこういうリストを作るのは嫌いではない。いま担任している学年に向けても、中一、中三、高一あたりでより大規模なリストを作成している。高二向けにもリストを改訂しようとしたのだけれど、時間がなくて果たせなかった。「国語力検定のブログ」は、今では名前が「奥駿河湾釣り日記」に変わっている。変わりすぎだろ。
以下本文
垂渓庵です。
高校生向けの推薦図書を選び、毎月一冊で一年間、計十二作品の紹介文を書くという機会がありました。選書の段階では、編集さんのアドバイスを受けたので、それなりに妥当なリストができたのではないかと思っています。
その完成版のリストについてはいずれ機会あがれば触れることにして、ここでは完成版に至る過程で日の目を見なかったリストをご紹介したいと思います。題してマニアック・バージョンです。
普通、推薦図書の選書というと、一般性が高く、かつ読み応えがあるものが中心になるのですが、このマニアック・バージョンでは、一般性という基準はかなぐり捨てました。基準は、わたしが高校生だったとして、面白がるかどうかです。
「わたしが高校生だったら、これぐらいは探し出してきて読むよ。世の読書好きの高校生の諸君、君たちはただの読書好きか? それとも知的好奇心を持った読書好きか?」という問いかけというか、挑発をしてみたくて作ったリストです。
実際の書目は以下の通りです。
高校生向けの推薦図書を選び、毎月一冊で一年間、計十二作品の紹介文を書くという機会がありました。選書の段階では、編集さんのアドバイスを受けたので、それなりに妥当なリストができたのではないかと思っています。
その完成版のリストについてはいずれ機会あがれば触れることにして、ここでは完成版に至る過程で日の目を見なかったリストをご紹介したいと思います。題してマニアック・バージョンです。
普通、推薦図書の選書というと、一般性が高く、かつ読み応えがあるものが中心になるのですが、このマニアック・バージョンでは、一般性という基準はかなぐり捨てました。基準は、わたしが高校生だったとして、面白がるかどうかです。
「わたしが高校生だったら、これぐらいは探し出してきて読むよ。世の読書好きの高校生の諸君、君たちはただの読書好きか? それとも知的好奇心を持った読書好きか?」という問いかけというか、挑発をしてみたくて作ったリストです。
実際の書目は以下の通りです。
2012年3月12日月曜日
旧暦2/20 再掲 「萌え」と国語力─続・少女マンガのヒロインは
垂渓庵です。
今回の記事は前回の記事に続いてマンガネタ。前回の記事に紹介した論文の方法で少年マンガを分析してみた。というほど大げさなものではなく、そのさわりの部分と言った方がいいかもしれない。
以下、本文
今回のタイトルは、さすらいの編集人カワフチさんに敬意を表してつけてみました
前回紹介した秋月さんの論文を授業で読み終わってから、ふと、男の子たちの好むヒロイン像も、秋月さんの指摘する女性の変化の影響を受けているのだろう か、と気になりました。秋月さんと同じ手法を少年マンガに用いて分析すれば何かわかるかもしれないと思うのですが、わたしは最近の少年マンガの事情がわかりません。
そこで思い出したのが、毎年必ずいるオタッキーな生徒の存在です。彼らの言う「萌え」を分析することで何かわかるんじゃないか、と思ったわけです。国語力の一つ、文章をもとにした発展的想像力ですね
そこで、彼らに質問をする一方、ネットで検索を試みました。
今回の記事は前回の記事に続いてマンガネタ。前回の記事に紹介した論文の方法で少年マンガを分析してみた。というほど大げさなものではなく、そのさわりの部分と言った方がいいかもしれない。
以下、本文
今回のタイトルは、さすらいの編集人カワフチさんに敬意を表してつけてみました
前回紹介した秋月さんの論文を授業で読み終わってから、ふと、男の子たちの好むヒロイン像も、秋月さんの指摘する女性の変化の影響を受けているのだろう か、と気になりました。秋月さんと同じ手法を少年マンガに用いて分析すれば何かわかるかもしれないと思うのですが、わたしは最近の少年マンガの事情がわかりません。
そこで思い出したのが、毎年必ずいるオタッキーな生徒の存在です。彼らの言う「萌え」を分析することで何かわかるんじゃないか、と思ったわけです。国語力の一つ、文章をもとにした発展的想像力ですね
旧暦2/20 再掲 少女マンガのヒロインは
垂渓庵です。
この時は少女マンガをとりあげた。ちなみにわたしは男なのだけれど、この記事を読んで女だと誤解した人がいる。やはり男と少女マンガとは意外なとりあわせなのだろう。
以下、本文
陸奥A子や小椋冬美など、きら星の如く並んでいた先生たちのマンガを愛好しておられたお母さん方もきっと多いと思います。わたしはお母さんではありません が、やはり少女マンガをいくつか愛好していました。その辺の話を書きだすと長くなりますので、またの機会に譲るとして、今回は授業で取り上げたある論文をご紹介したいと思います。とは言ってもかたい話ではありませんのでご安心を。
この時は少女マンガをとりあげた。ちなみにわたしは男なのだけれど、この記事を読んで女だと誤解した人がいる。やはり男と少女マンガとは意外なとりあわせなのだろう。
以下、本文
陸奥A子や小椋冬美など、きら星の如く並んでいた先生たちのマンガを愛好しておられたお母さん方もきっと多いと思います。わたしはお母さんではありません が、やはり少女マンガをいくつか愛好していました。その辺の話を書きだすと長くなりますので、またの機会に譲るとして、今回は授業で取り上げたある論文をご紹介したいと思います。とは言ってもかたい話ではありませんのでご安心を。
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