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2012年7月26日木曜日

旧暦6/8 小島秀哉さん逝く

垂渓庵です。

小島秀哉さんという演劇人がいた。17日にお亡くなりになった。藤山寛美率いる松竹新喜劇で活躍した人だ。かつて、テレビで「寛美3600秒」なる番組が放映されていた。わたしが小学生の頃だったろうか。その後新喜劇を退団したそうだが、そのあたりはあまり覚えがない。

「寛美3600秒」当時は、二枚目の役所を演じることが多かったように記憶している。三枚目系の小島慶四郎さんとともに、テレビで視聴していて印象に残る俳優さんだった。

2012年3月30日金曜日

旧暦3/9 再掲 ひろあきくん

垂渓庵です。

これは2007年3月に公開したもの。初代「耽読翫市」最初期のころの記事。もともとここに紹介するつもりはなかったのだけれど、次の記事との兼ね合いで載せた。ほんとの名前は「ひろあき」 君ではなかったが、仮名にしたのだった。本欄では時折記事にはそういう虚構を織り交ぜることがある。今日は三本公開予定です。

以下本文

中学や高校の教員は教科に関わる研究会に参加することがあります。地方の大会でも、興味のある研究発表が行われるときには、泊まりがけで出かけたりもします。
これは四年ほど前にわたしが出雲・松江方面の大会に出かけたときの話です。

わたしは夕食を食べる場所を探していました。旅行ガイドに載るようなしゃれた店は苦手で、ごく当たり前の居酒屋さんのような店の方が落ちつきます。結局、選んだのは盛り場の端っこにある居酒屋でした。五十代と思しいおかあさんが一人でやっている小さな店です。

お客はわたしも含めて三、四人。カウンターで近くの飲み屋のマスターが飲んでいました。少し話をした後、マスターは店を開けなきゃと言って出て行きました。おかあさんを相手に何やかやと話しているうちに、だれもいなくなりました。

さあ、帰るかと思っていると、小学校二~三年ぐらいの男の子が奥から出てきて、おかあさんと二言三言ことばを交わした後、トイレに入っていきました。

2012年3月22日木曜日

旧暦3/1 再掲 パリと通天閣と国語力

垂渓庵です。

前の記事のパリ編にあたる。2007年12月に公開したもの。パリでは妻は残念ながら体調不良でほとんど見物をできなかった。初日にツアーのオプションでざっとあちこち見たぐらいだったと思う。「所長」は、国語力検定を主催するZ会国語力研究所前所長。何かとお世話になっている。

以下本文


垂渓庵です。

所長、また表題をお借りしました。

ロンドンのホテルのフロントのお兄さんと固い絆を結んだ後、わたしと妻はユーロスターでパリに向かいました。フランスは農業国だということが実感できる車窓風景を満喫した後、パリに到着しました。

二人とも体調を崩し、思うように観光ができなかったのですが、町中を歩き、パサージュに迷い込み、移民の子たちっぽい小さな子に取り巻かれ、メトロの駅を出ようとして壊れた改札を前に立ち往生していると、黒人のおっちゃんが一緒に強引に出てくれたりして、
少しは雰囲気を味わうことができました。

結論から言うと、パリはよい町です。そのパリでこんな経験をしました。

旧暦3/1 再掲 セイフティボックスと国語力

垂渓庵です。

これも旅行ネタ。こちらは妻とロンドン→パリと駆け足旅行した時のことを書いたもの。2007年11月に公開した。この時は行きに私の体調がすぐれず、旅行途中で妻の体調が崩れる、というけっこう厳しい旅行となった。が、美術館などを回れて、それなりに充実したものでもあった。所長は、国語力研究所元所長のこと。

以下本文

垂渓庵です。

所長。また表題パクってしまいましたすいません

以前妻とロンドンに行ったときのことです。現地のツアコンの方に空港からホテルまで案内されて、日程などの説明を受けました。その際に、各部屋に金庫はあるけれども、安全のためには、フロントでセイフティボックスを借りて預ける方が確実ですよと言われました。