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2013年3月13日水曜日

旧暦2/2 母校が消える

垂渓庵です。

わたしの実家のある某市の人口は、わたしが子供のころと比べて二万人近く増えている。しかし、である。高齢化が進んでいるのか、わたしが通っていた保育園と小学校が消えることとなった。統廃合のあおりを受けてのことである。

2012年10月3日水曜日

旧暦8/18 いなかっぺ大将

垂渓庵です。

子供が風邪を引いた時用にいくつかDVDを買ってある。症状がひどくないのにずっと寝ていると、子供は当然手持ちぶさたになる。そんなときの暇つぶしになるようなものを、TSUTAYAの中古DVDのコーナーからチョイスしたものだ。

その中に『いなかっぺ大将』の傑作選がある。

2012年10月1日月曜日

旧暦8/16 法の句

垂渓庵です。

先週の少林寺拳法の話の続きだ。と言っても、武張った話ではない。ちょっと文学的というか、宗教的というか、そんな感じの内容だ。

2012年9月28日金曜日

旧暦8/13 己こそ己のよるべ

垂渓庵です。

昔、少林寺拳法を習っていた。小学校から中学にかけての頃の話だ。

2012年7月26日木曜日

旧暦6/8 小島秀哉さん逝く

垂渓庵です。

小島秀哉さんという演劇人がいた。17日にお亡くなりになった。藤山寛美率いる松竹新喜劇で活躍した人だ。かつて、テレビで「寛美3600秒」なる番組が放映されていた。わたしが小学生の頃だったろうか。その後新喜劇を退団したそうだが、そのあたりはあまり覚えがない。

「寛美3600秒」当時は、二枚目の役所を演じることが多かったように記憶している。三枚目系の小島慶四郎さんとともに、テレビで視聴していて印象に残る俳優さんだった。

2012年4月24日火曜日

旧暦閏3/4 再掲 コンビニとゲームと携帯電話4

垂渓庵です。


昨日は過去記事の紹介ではなく、臨時に新稿を公開した。今日は先週水曜の続きだ。これは2008年12月に公開した。二日後は大晦日というタイミングだ。もういい加減早く終わらしたいなと思ったのがこのころだったか。なかなか終わらない記事にちょっと飽きが来だしたのだったと思う。どうもわたしには持続性が欠けているようだ。


以下本文 

案に相違してなかなかこの記事が終わらず少々あわてている垂渓庵です。

やっとコンビニの話です。

コンビニが一般化しだしたのはいつごろからでしょうか。

地域差があると思いますが、わたしの身近でコンビニがそこここに見られだしたのは、成人する前後ぐらいだったのではないかと思います。

今から二十数年前ですね。

それまではコンビニのような便利なお店屋さんはありませんでした。

夜中にものを買いに行けるなんて、その頃のわたしから見れば、驚き以外の何ものでもなかったはずです。

今ではそんな感覚はなくなってしまってますが。

2012年4月18日水曜日

旧暦3/28 再掲 ゲームとコンビニと携帯電話3

垂渓庵です。

これは2008年12月に公開した。ところでファミコンってもはや死語なんだろうか。気づけば生徒は携帯でゲームをやっていたりする。いや、プロフか何かなのか。まさかフェイスブックってことはあるまい。何にしても、そこらへんの流行り廃りはめまぐるしすぎではあるまいか。

以下本文


垂渓庵です。

さて、わたしたちが小学生の頃はどんな遊びをしていたのでしょうか。

わたしやヒロちゃんたちの例で言うと、基本的には遊びは屋外でした。

裏山を歩きまわったり、ピン球野球に興じたり。

季節によっては山菜採り、虫取り、栗拾いやあけびとりなどなど。

その他にもビー玉、独楽回しやたこ揚げや銀玉鉄砲、火薬で音が鳴る鉄砲、その火薬を先端にセットして投げあげて落とすロケット型の遊具。ザリガニ釣り、えび釣り、沢ガニとり……。

挙げだすときりがありません。

要は、安い玩具や身の回りのもので遊んでいたのです。

2012年4月17日火曜日

旧暦3/27 再掲 ゲームとコンビニと携帯電話2

垂渓庵です。

これは2008年12月に公開した。ヒロちゃんというのは幼なじみだ。コウちゃんやタクと一緒によく遊んだ。その頃の思い出をいくつかブログに書いてある。今は省略するけれど、いつか機会があれば紹介したいと思う。

以下本文

垂渓庵です。

まずひとつめのゲーム。

いわゆるボードゲームじゃありません。

人生ゲームとかモノポリーとか。

消える魔球の野球ゲームもありました。

小さな鉄球か何かを魚雷に見立てる水雷戦のゲームなんてのも。

こんなことやあんなこと、ともに死線を乗り越えてきたヒロちゃんの家で遊び興じたものでした。

ピーコックだとかなんとかいう名前の登場人物たちが出てくる推理ゲームみたいなのもあったような気が…。

しかし、この辺は少し記憶が曖昧です。

何にしても、何もかもがみな懐かしい……。

ああ、いけない。沖田艦長になってしまった。

2012年4月2日月曜日

旧暦3/12 再掲 灯りまたたく黒門町に

垂渓庵です。

これは2008年7月に公開した。ニイミという友人はこういう古いものに強い。ごくたまに顔を合わせた時は、この手の古い話題で盛り上がることになる。何年か前にコンビニでウルトラマンのフィギュアが売られていると教えてくれたのも彼だ。それからせっせと買い求め、ダブっているものを交換したりしたのだったか。得難い友人の一人である。

以下本文

垂渓庵です。

わたしは昭和四十年代に少年時代を送りました。外で遊び回ることが多かったですが、テレビも嫌いではありませんでした。印象に残っている番組やテレビCMもいくつかあります。たとえば次のようなの。みなさんはご存じでしょうか。

2012年3月19日月曜日

旧暦2/27 再掲 科学的ということ

垂渓庵です。

2007年9月に公開したもの。

昨日も書いたように大学の一般教養で論理学をとった。ナカザエ先生の語りは軽妙でなおかつ明快だった。論理学というと味も素っ気も潤いもなさそうな印象を与えるが、面白い授業だった。その後、独学で様相論理に首を突っ込むほどに影響を受けた。もちろん自爆したけれど。

以下本文

わたしは大学在学時から論理学に興味を持つようになりました。大学一回生の時、一般教養の科目として開講されていた「論理学」の授業に出席したことがきっかけです。大学時代にはそれ以後も折に触れて論理学の入門書めいたものを読んでいました。

と言っても、アリストテレスのような古典的な本を読むことはありませんでした。読んだのは主に記号論理学関係の本です。命題論理や述語論理と言われるものですね。今となっては記号の意味もはっきりとは覚えていませんが。

今回はその論理学の話です、と言いたいところですが、とても無理です。ここではそんな興味からはじまっていくつかの著作を読んだことのある哲学者、沢田允茂のことばを紹介したいと思うのです。

2012年3月18日日曜日

旧暦2/26 再掲 数学教育

垂渓庵です。

これも公開は2007年8月。学生時代数学がだめだったわたしの書いた唯一の数学ネタ。大学の一般教養でとったナカザエ先生の論理学の授業が面白く、そこから記号論理学経由で数学の本をたまにひもとくようになった。ローマ帝国云々は、今回は省略した記事と関わる。

以下本文

わたしは数学は得意ではありません。はっきり言うと不得意です。が、そんなわたしにも数学的才能がありました。と言い切っていいのかどうか少し心許ないですが、たぶんあったのだと思います。今日はそのわたしの数学的才能が、どのようにして伸ばされずに終わったかの顛末を書きたいと思います。

わたしの数学的才能はおそらく小学校5、6年のころにピークを迎え、以後衰退の一途をたどりました。山にたとえるなら、ないも同じのピークとだらだら続く裾野という、曰わく言い難い姿になります。大阪の天保山に変に長い尾根がくっついているようなものですね。あまりの情けなさに、ローマ帝国にたとえる気にもなれません(涙)