垂渓庵です。
唐突だけれど、ディズニーランドに行ってきた。家族サービスというやつである。春休み中ということもあったのか、えらいこと混んでいた。
知人の助言もあり、ファストパスを活用しながらアトラクションを楽しんだ。その楽しさなどについては書かない。みなさんご存じだろうから。とにかく、楽しかったけれど疲れたと言っておこう。
で、いくつもアトラクションを回っているうちに、何やら聞いたことのある声がする。西一だ。けど、「おなかすいたなあ」とかなんとか、標準語をしゃべっている。それにいなかっぺ大将のころからすると、ずいぶん恰幅もよくなっている。人格もまるっきり変わっているし。彼の人生に何があったんだろう。
さらにキテレツ大百科の八百八さんの声もする。いつの間にかガイドさんみたいな仕事をするようになったらしい。町の小さな八百屋さんだったから、経営的に厳しくなったのかな。近所にスーパーができたりしたのかもしれない。あるいは地上げか。しかし、よくも畑違いの職種に転職したものだ。がんばったんだろうな、八百八さん。
などということを夢想してしまうぐらい夢の国でした。
蛇足。子どもが買ったおもちゃが壊れていたんだけれど、その対応はすばらしいものだった。
2017年4月6日木曜日
2017年3月16日木曜日
旧暦2/18 ほとんど機能していない
垂渓庵です。
何ヶ月ぶりだろう。このブログ、ほとんど機能していない。機能していなくても迷惑をかけるところがあるわけではないけれど、機能させていない自分ががなんとも落ち着かない。
というわけで、最近源氏物語を読んでいる。と前の記事で書いたのかどうかさえ、すでに忘却の彼方だけれど、 とりあえず源氏物語を読んでいる。
学生の頃とは違い、時間も手間もかけていられないけれど、いろんなところが気にかかる。もちろん、注釈書を参看しつつ、マスダ先生や石田穣二さん、清水好子さん、阿部秋生さん、今西裕一郎さんらの諸論考に問題意識を喚起させられながら読むからで、わたしに初手からそんな生産的な読解力が備わっているわけではない。
が、ともかく、非常に興味深く読んでいる。大学の学部生の頃に源氏の講読の授業もとっていたけれど、こんな風に読むことはできなかった。余裕がなく発表に汲々としていた印象がある。何も分からないままにかろうじて見よう見まねで読んでいた。使い方はおろか用途すらよく分からない装置をとにかく動かせと言われていたようなものだ。
今は、使いこなすまでには到底至らないけれど、少なくとも基本の使い方やいちおうの用途ぐらいは分かるようになっているということなのだろう。
学ぶは真似ぶだとはよく言ったものだと思う。真似してやってみて、失敗して、また工夫して……。ということを繰り返してやっと入り口が見えてくる。見えてくるためには、後の努力ももちろんだけれど、最初の真似ぶところで手を抜いてはいけないのだと思う。手を抜いていたら、訳の分からぬ装置が手になじむことはなかった気がする。
そう考えると、就職のことなど四回生になるまで考えず、ひたすら浮き世離れした講読やら演習やらに浸ることができたのは、それはそれで幸運だったのかもしれない。やってる当時は苦痛に感じられることも多々あったのだけれど。
少なくとも学生の頃の延長のようなことをちまちまとやることがおあしを稼ぐことにつながるわたしとしては、何やら実学志向になっているらしい現在の大学で学ばなくてよかった、と思わなくもなくなくなくないわけである。あれ。
何ヶ月ぶりだろう。このブログ、ほとんど機能していない。機能していなくても迷惑をかけるところがあるわけではないけれど、機能させていない自分ががなんとも落ち着かない。
というわけで、最近源氏物語を読んでいる。と前の記事で書いたのかどうかさえ、すでに忘却の彼方だけれど、 とりあえず源氏物語を読んでいる。
学生の頃とは違い、時間も手間もかけていられないけれど、いろんなところが気にかかる。もちろん、注釈書を参看しつつ、マスダ先生や石田穣二さん、清水好子さん、阿部秋生さん、今西裕一郎さんらの諸論考に問題意識を喚起させられながら読むからで、わたしに初手からそんな生産的な読解力が備わっているわけではない。
が、ともかく、非常に興味深く読んでいる。大学の学部生の頃に源氏の講読の授業もとっていたけれど、こんな風に読むことはできなかった。余裕がなく発表に汲々としていた印象がある。何も分からないままにかろうじて見よう見まねで読んでいた。使い方はおろか用途すらよく分からない装置をとにかく動かせと言われていたようなものだ。
今は、使いこなすまでには到底至らないけれど、少なくとも基本の使い方やいちおうの用途ぐらいは分かるようになっているということなのだろう。
学ぶは真似ぶだとはよく言ったものだと思う。真似してやってみて、失敗して、また工夫して……。ということを繰り返してやっと入り口が見えてくる。見えてくるためには、後の努力ももちろんだけれど、最初の真似ぶところで手を抜いてはいけないのだと思う。手を抜いていたら、訳の分からぬ装置が手になじむことはなかった気がする。
そう考えると、就職のことなど四回生になるまで考えず、ひたすら浮き世離れした講読やら演習やらに浸ることができたのは、それはそれで幸運だったのかもしれない。やってる当時は苦痛に感じられることも多々あったのだけれど。
少なくとも学生の頃の延長のようなことをちまちまとやることがおあしを稼ぐことにつながるわたしとしては、何やら実学志向になっているらしい現在の大学で学ばなくてよかった、と思わなくもなくなくなくないわけである。あれ。
2016年12月6日火曜日
旧暦11/18 またまた
垂渓庵です。
またも更新の間隔が開いてしまった。もはや更新しないのが常態と化しつつある。
近況として変わったところはないと言いたいところだが、ある。何やら片手の指が思うように動かなくなったのである。今回のブログの中断はそのてんやわんやのせいでもある。
医者に行くこと数度。何くれとなく検査した結果、脳から腕に至る神経の途中が圧迫されて手指が動きにくくなったらしいことが分かった。治療法は日にち薬。
さすがにその間パソコンのキーを打つのもおっくうだったこともあり、ブログはおろか、日常必要となる書類仕事も、喫緊のもの以外はうっちゃっておいた次第。いまは復調している。ブログや書類仕事をうっちゃり続ける理由はない。というわけで、ぼちぼち再開しよう。
授業の教材関係は夏休みまでのストックで何とかなったが、さすがにネタ切れだ。源氏物語の校訂と授業プリント作りを再開使用。むにゃむにゃの原稿もとりかからなけりゃならない。
というわけで、まずは採点作業に取り組むこととしよう。
ああ、だらだらしたい。
またも更新の間隔が開いてしまった。もはや更新しないのが常態と化しつつある。
近況として変わったところはないと言いたいところだが、ある。何やら片手の指が思うように動かなくなったのである。今回のブログの中断はそのてんやわんやのせいでもある。
医者に行くこと数度。何くれとなく検査した結果、脳から腕に至る神経の途中が圧迫されて手指が動きにくくなったらしいことが分かった。治療法は日にち薬。
さすがにその間パソコンのキーを打つのもおっくうだったこともあり、ブログはおろか、日常必要となる書類仕事も、喫緊のもの以外はうっちゃっておいた次第。いまは復調している。ブログや書類仕事をうっちゃり続ける理由はない。というわけで、ぼちぼち再開しよう。
授業の教材関係は夏休みまでのストックで何とかなったが、さすがにネタ切れだ。源氏物語の校訂と授業プリント作りを再開使用。むにゃむにゃの原稿もとりかからなけりゃならない。
というわけで、まずは採点作業に取り組むこととしよう。
ああ、だらだらしたい。
2016年9月6日火曜日
旧暦8/6 久しぶりとGメール
垂渓庵です。
すっかりごぶさたしている。みなさん、お変わりないだろうか。
何やら雑務に取り紛れているうちに、更新の間隔がすさまじく空いてしまった。
相変わらず浪曲生活を送っている。最近は、講談にも手を伸ばしだしている。
さて、わたしはGメールを利用しているのだけれど、先日全然覚えのない業者から商品の発送に関わるメールが来た。これが詐欺メールかと思ったが、少し変だ。ただの商品を発送する云々という内容の連絡メールに過ぎない。どうも不思議なので、ネットで検索してみると住所も電話番号もメールの通りのちゃんとした会社のようだった。
これはあれか、カード情報が漏れたのかとも思ったが、連絡メールを信じるなら三千円程度の品物でしかない。カード情報が漏れたのなら、そんな小さな額ではすまない気もする。メールが間違ってきているのかもしれないと思いついた。しかし、天下のGoogleがそんな初歩的なことをするとも思えない。
あれやこれやと考えたが埒があかない。思い切ってその会社に非通知で電話してみた。メールの内容と心当たりがないむねを伝えると、向こうでも分からない様子。というか、最初はこちらが電話した用件自体を理解できないようだった。だろうな。おれも会社の中の人だったらそう思う。こちらも?あちらも?である。で、あれこれ話し合った後、商品を購入した人に直接連絡してくれることとなった。その結果を伝えてもらうこととし、こちらの電話番号を言っておいた。
後刻会社の人から電話があり、どうやら注文した人がメルアドの入力をミスしたようだ。わたしのアドレスの後に番号を入れなきゃいけなかったらしい。
そこで気がついた。わたしのアドレスは今のGメールの利用者状況からすると、珍しい部類に入るのかも知れない。おれのアドレスは
名字ドット名前の頭文字@gmail.com
という形になっている。くだんの注文主は名前の頭文字の後に3だか4だかの数字を入れ忘れていたそうだ。
つまりわたしと「名字」「名前の頭文字」が同じ人が少なくとも3人か4人いるわけだ。わたしが数字なしのアドレスを持っているので、同じような構成のアドレスにしたい人は前後に何らかの数字や記号を入れるしかないわけだ。オリジナルはわたしで、他の人たちはクローン。クローンが劣化することは聞いたことがあるけれど、オリジナルが劣化しているのは珍しい。……。
ところで、情報弱者のわたしがどうしてこんなアドレスを持つにいたったのかというと、Gメールの使用時期が2006年まで遡るからだ。その頃はまだベータ版だったのではないか。おまけに中の人から紹介されないとアドレスをもらえなかった。おそらく利用者は桁違いに少なかったのだろう。そんなわけで、思った通りのアドレスにすることができたのだ。当時はフリーメールで容量1Gというのは驚異だった。10年経った現在もその半分も使っていない。
と書いていてふと気になった。ネットがらみの詐欺や犯罪がそこここで起こっている。こんな単純なメルアドはいけないのかもしれない。やっぱりわたしは情報弱者だったのか。
すっかりごぶさたしている。みなさん、お変わりないだろうか。
何やら雑務に取り紛れているうちに、更新の間隔がすさまじく空いてしまった。
相変わらず浪曲生活を送っている。最近は、講談にも手を伸ばしだしている。
さて、わたしはGメールを利用しているのだけれど、先日全然覚えのない業者から商品の発送に関わるメールが来た。これが詐欺メールかと思ったが、少し変だ。ただの商品を発送する云々という内容の連絡メールに過ぎない。どうも不思議なので、ネットで検索してみると住所も電話番号もメールの通りのちゃんとした会社のようだった。
これはあれか、カード情報が漏れたのかとも思ったが、連絡メールを信じるなら三千円程度の品物でしかない。カード情報が漏れたのなら、そんな小さな額ではすまない気もする。メールが間違ってきているのかもしれないと思いついた。しかし、天下のGoogleがそんな初歩的なことをするとも思えない。
あれやこれやと考えたが埒があかない。思い切ってその会社に非通知で電話してみた。メールの内容と心当たりがないむねを伝えると、向こうでも分からない様子。というか、最初はこちらが電話した用件自体を理解できないようだった。だろうな。おれも会社の中の人だったらそう思う。こちらも?あちらも?である。で、あれこれ話し合った後、商品を購入した人に直接連絡してくれることとなった。その結果を伝えてもらうこととし、こちらの電話番号を言っておいた。
後刻会社の人から電話があり、どうやら注文した人がメルアドの入力をミスしたようだ。わたしのアドレスの後に番号を入れなきゃいけなかったらしい。
そこで気がついた。わたしのアドレスは今のGメールの利用者状況からすると、珍しい部類に入るのかも知れない。おれのアドレスは
名字ドット名前の頭文字@gmail.com
という形になっている。くだんの注文主は名前の頭文字の後に3だか4だかの数字を入れ忘れていたそうだ。
つまりわたしと「名字」「名前の頭文字」が同じ人が少なくとも3人か4人いるわけだ。わたしが数字なしのアドレスを持っているので、同じような構成のアドレスにしたい人は前後に何らかの数字や記号を入れるしかないわけだ。オリジナルはわたしで、他の人たちはクローン。クローンが劣化することは聞いたことがあるけれど、オリジナルが劣化しているのは珍しい。……。
ところで、情報弱者のわたしがどうしてこんなアドレスを持つにいたったのかというと、Gメールの使用時期が2006年まで遡るからだ。その頃はまだベータ版だったのではないか。おまけに中の人から紹介されないとアドレスをもらえなかった。おそらく利用者は桁違いに少なかったのだろう。そんなわけで、思った通りのアドレスにすることができたのだ。当時はフリーメールで容量1Gというのは驚異だった。10年経った現在もその半分も使っていない。
と書いていてふと気になった。ネットがらみの詐欺や犯罪がそこここで起こっている。こんな単純なメルアドはいけないのかもしれない。やっぱりわたしは情報弱者だったのか。
2016年6月24日金曜日
旧暦5/19 浪曲生活
垂渓庵です。
すっかりご無沙汰しています。お元気ですか。おれは誰にあいさつしているのだろう。
さて、前回の更新から二ヶ月近く経っている訳だけれども、わたしは相変わらずの生活を送っている。これ、独り言になっていないか、ちょっと不安だ。大丈夫だろうか。
そんな懐疑に押しつぶされそうになる昨今だけれど、まったく変化がなかったわけでもない。職場への行き帰りに歩く頻度が少し減りました。梅雨だし。でも、雨間をついては、行きだけとか、帰りだけとか、できるだけ歩くようにしている。それで寄付する額が少しでも増えればというのもあるが、歩くのが習慣化しているからでもある。
ま、かわりばえしない毎日と言えば言えるのだけれど、しつこく幸枝若さんのCDだけは聞き続けている。過去に何集か発売された幸枝若さんのCDもぼちぼちと買い集めている。残るは、蔵出し浪曲傑作集と河内音頭のシリーズとの二つぐらいか。もちろん、単発で売られていたものは別だ。さすがにそこまではフォローしきれていない。
というわけで、いま、うちにある初代幸枝若さんのCDは四十枚ぐらい。朝夕に歩く間はそれを聞いている。今は会津の小鉄シリーズの内、「賀茂の河原」がお気に入りだ。これは去年の年末に当代の幸枝若さんが演ったのを聞いたことがある。聴き応えがあった。あれがあったから、わたしは浪曲を聴き続けるようになったと言っても過言ではない。当代の幸枝若師匠は、2月ぐらいから腰を痛めて入院しておられたけれど、今は元気に浪曲の会などに復帰しておられる。先代はすでに亡くなられて久しいので、その芸を見ることはできないが、当代の幸枝若さんの芸は見ることができる。面白いこと請け合いだ。みなさんも機会があれば見てほしいと思う。
すっかりご無沙汰しています。お元気ですか。おれは誰にあいさつしているのだろう。
さて、前回の更新から二ヶ月近く経っている訳だけれども、わたしは相変わらずの生活を送っている。これ、独り言になっていないか、ちょっと不安だ。大丈夫だろうか。
そんな懐疑に押しつぶされそうになる昨今だけれど、まったく変化がなかったわけでもない。職場への行き帰りに歩く頻度が少し減りました。梅雨だし。でも、雨間をついては、行きだけとか、帰りだけとか、できるだけ歩くようにしている。それで寄付する額が少しでも増えればというのもあるが、歩くのが習慣化しているからでもある。
ま、かわりばえしない毎日と言えば言えるのだけれど、しつこく幸枝若さんのCDだけは聞き続けている。過去に何集か発売された幸枝若さんのCDもぼちぼちと買い集めている。残るは、蔵出し浪曲傑作集と河内音頭のシリーズとの二つぐらいか。もちろん、単発で売られていたものは別だ。さすがにそこまではフォローしきれていない。
というわけで、いま、うちにある初代幸枝若さんのCDは四十枚ぐらい。朝夕に歩く間はそれを聞いている。今は会津の小鉄シリーズの内、「賀茂の河原」がお気に入りだ。これは去年の年末に当代の幸枝若さんが演ったのを聞いたことがある。聴き応えがあった。あれがあったから、わたしは浪曲を聴き続けるようになったと言っても過言ではない。当代の幸枝若師匠は、2月ぐらいから腰を痛めて入院しておられたけれど、今は元気に浪曲の会などに復帰しておられる。先代はすでに亡くなられて久しいので、その芸を見ることはできないが、当代の幸枝若さんの芸は見ることができる。面白いこと請け合いだ。みなさんも機会があれば見てほしいと思う。
2016年5月1日日曜日
旧暦3/25 偽装
垂渓庵です。
ワーゲンだけかと思っていたら、三菱もやってました。偽装。
最近では、耐震ゴムのデータ偽装もあった。食品関係でもなんかあったな。冷凍食品関係だったか。車関係では、エアバッグの欠陥てのもあった。原発関係でもデータ隠しや事故隠しなんてのは昔からあった。カトリック教会の性的虐待というのも問題になっていたな。
以 前も書いたと思うが、科学的に安全であるとか妥当であるとかいう以前に、人間は基本的に下らないこと、愚劣なことをやりかねない存在であるということを頭 に入れておく必要がある。そんな人間が、あまりにも巨大なシステムを管理するというのは、すこぶる危険なことなんだろうな。
ば れなきゃいいという風潮を改めるためにはどうすればいいか。ばれた時の罰をとんでもなく重くするのも一つの方法だ。もちろん、現職だけではなく、過去に 遡って罰してやるのである。三菱も25年以上の長きにわたって偽装していたそうだから、その間に要路にいた人間を全て罰してやればいい、と個人的には思 う。財産没収、ついでに矯正施設にでも入ってもらう。こんなものに時効などいらないだろう。カトリックの性的虐待も同様だ。
それはひどすぎる、という人は彼らを許しておやりなさい。偽装の種類によっては多くの人が死ぬ。人が死ぬ偽装だからだめ、死なない偽装だからいいというものではないだろう。人が死なない偽装でも、長期にわたれば誰にどんな影響が及ぶか分かったものではない。
たぶんこういうことをやる連中は、嘘をついてはいけません、と教わらなかったんだろう。しつけがなっちゃいないわけだ。親の顔が見てみたいものだ。「本人の顔と親の顔もさらしてやってはいいのではないか」、と提案されたとしたら、わたしはそれを拒否できる気がしない。
ワーゲンだけかと思っていたら、三菱もやってました。偽装。
最近では、耐震ゴムのデータ偽装もあった。食品関係でもなんかあったな。冷凍食品関係だったか。車関係では、エアバッグの欠陥てのもあった。原発関係でもデータ隠しや事故隠しなんてのは昔からあった。カトリック教会の性的虐待というのも問題になっていたな。
以 前も書いたと思うが、科学的に安全であるとか妥当であるとかいう以前に、人間は基本的に下らないこと、愚劣なことをやりかねない存在であるということを頭 に入れておく必要がある。そんな人間が、あまりにも巨大なシステムを管理するというのは、すこぶる危険なことなんだろうな。
ば れなきゃいいという風潮を改めるためにはどうすればいいか。ばれた時の罰をとんでもなく重くするのも一つの方法だ。もちろん、現職だけではなく、過去に 遡って罰してやるのである。三菱も25年以上の長きにわたって偽装していたそうだから、その間に要路にいた人間を全て罰してやればいい、と個人的には思 う。財産没収、ついでに矯正施設にでも入ってもらう。こんなものに時効などいらないだろう。カトリックの性的虐待も同様だ。
それはひどすぎる、という人は彼らを許しておやりなさい。偽装の種類によっては多くの人が死ぬ。人が死ぬ偽装だからだめ、死なない偽装だからいいというものではないだろう。人が死なない偽装でも、長期にわたれば誰にどんな影響が及ぶか分かったものではない。
たぶんこういうことをやる連中は、嘘をついてはいけません、と教わらなかったんだろう。しつけがなっちゃいないわけだ。親の顔が見てみたいものだ。「本人の顔と親の顔もさらしてやってはいいのではないか」、と提案されたとしたら、わたしはそれを拒否できる気がしない。
2016年4月25日月曜日
旧暦3/19 航空宇宙軍史
垂渓庵です。
SF作家の谷甲州さんに「航空宇宙軍史」なるシリーズがある。ガチガチのハードSFで、航空宇宙軍の確立~外惑星動乱~氾銀河文明との争いという大きな枠の中で様々な時点の話がとりあげられる。20年以上前に一応の完結を見たシリーズだ。
主にハヤカワSF文庫で刊行されていた。確かシリーズ最後の「終わりなき索敵」はハードカバーで出されたように記憶している。その後文庫化したのだったか。
宇宙空間の圧倒的な距離感や航宙艦の息詰まるような閉塞感、戦闘行動の緊張感などがたまらないシリーズだった。下手をすれば死と隣り合うハードで乾いた世界が好きな人にお勧めだ。
長らく読み返していなかったけれど、気付けばシリーズが再開している。というか、「新・航空宇宙軍史」という角書きを持った単行本が出ているじゃないか。しかも今年のSF大賞を受賞したときたもんだ。こりゃあ買うしかない。と思っていたら、なんと過去のシリーズも改稿されて電子書籍として発売されているというじゃないか。買おうかどうしようか激しく迷っているところだ。
SF作家の谷甲州さんに「航空宇宙軍史」なるシリーズがある。ガチガチのハードSFで、航空宇宙軍の確立~外惑星動乱~氾銀河文明との争いという大きな枠の中で様々な時点の話がとりあげられる。20年以上前に一応の完結を見たシリーズだ。
主にハヤカワSF文庫で刊行されていた。確かシリーズ最後の「終わりなき索敵」はハードカバーで出されたように記憶している。その後文庫化したのだったか。
宇宙空間の圧倒的な距離感や航宙艦の息詰まるような閉塞感、戦闘行動の緊張感などがたまらないシリーズだった。下手をすれば死と隣り合うハードで乾いた世界が好きな人にお勧めだ。
長らく読み返していなかったけれど、気付けばシリーズが再開している。というか、「新・航空宇宙軍史」という角書きを持った単行本が出ているじゃないか。しかも今年のSF大賞を受賞したときたもんだ。こりゃあ買うしかない。と思っていたら、なんと過去のシリーズも改稿されて電子書籍として発売されているというじゃないか。買おうかどうしようか激しく迷っているところだ。
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