垂渓庵です。
今も川柳の句作りを続けている。わけが分からぬままに作り続けているところだ。決して川柳の王道に連なる作品ではないけれど、それでいいのではないかと思っている。好むところをちまちまと行く。読書傾向と似ているかもしれない。
と
もかく、何かを生み出すのは面白い。受検関連の教材作りをさせてもらうのも、そんな面白さが動機の一つにある。面白くて幾許かの収入にもなるのだから一石
二鳥だ。いや、そこで工夫したことは授業でも応用できるから、一石三鳥かもしれない。と言う割には締め切りが守れずに編集さんにご迷惑をかけてしまうこと
があるのはどういうわけだろう。
閑話休題。川柳の話だった。某所に投句したものが今回も何句かとられていた。というわけで、久々に川柳の近作を紹介しよう。
終電車入定したる人多し
棒となり立ちつくしいて昼静か
感情を殺してかぶる笑い顔
壊れたる心のままにぎくしゃくと
まあ、何というか、分かりやすい句なのではないかと思うが、後ろ二句については、読んだ方の印象と、作った自分の心持ちとにずれが生じる句になってしまっているのではないか、と誌面で見た時に思った。
どうも句そのものを見た場合、二句とも自分の状態を句に表現している、と解するのが自然な気がするように思うのだ。けれど、実はどちらも違う。句作りの核になっているのは、どちらもわたしの同僚の様子だ。
「感
情を~」の句は、保護者からのクレームに、何とか穏便に対応しようとしている同僚の様子が、句を作るそもそものきっかけとなっている。こんな感じなんだろ
うなあ、というのがそもそものスタートだ。もちろん、自分がそんな心持ちになっている、という場面もありうるだろうし、そういうことを考えなくもなかった
かもしれないが、主には、無茶な難癖をつけられているその同僚への同情といった意味合いが大きい。
「壊れたる~」の
方は、動作がどうもぎくしゃくしているというか、ちぐはぐな感じを与える同僚がいるのが、句作りのヒントになっている。もちろん、実際にその同僚の心が壊
れているというわけではない。いや、壊れているのかもしれないけれど、実際のところは分からない。むしろ、その同僚からの連想で、中学高校時代のとある友
人のことを思い出して、そこから作った句だ。
しかし、こうやって改めて眺めてみると、句の形としてはそんな風にはなっていないような気がする。これは完全に表現力不足と言っていいのではないか。今回のいちばんの反省材料だと思う。精進精進。
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