2012年8月17日金曜日

旧暦6/30 蒸発

垂渓庵です。

どこかで忘れたつもりはないのに、どういうわけか本が消えていることがある。聞いたところでは、わたしの職場では、時に教材などがなくなることがあったそうだ。創立当初のことだというから、古い古い話だ。わたしが勤めだしてからは、そんなことはない。手癖の悪い人でも中にいたのだろうか。あるいは同僚間のトラブルか何かが尾を引いたものか。何分当時を知る人がもはや我が職場にはおらず、確かめる術もない。

という話はもちろん今回の記事と何の関係もない。

話を戻そう。本棚の所定の場所にあるはずの本が、いつの間にやらいなくなってしまっているということが、ごくごく稀にではあるけれど、起きることがある。もちろん外部から侵入者があったわけではない。家族が持ち出している訳でもない。

結局のところは、自分では自覚がないけれど、うっかりどこかに置いてきてしまったためなのだろうと思う。が、全く心当たりがないというのも気持ちの悪い話だ。電車などに傘を忘れるのは時々やるけれど、後で気がつく。時には降りた電車にあわてて取りに戻ったりすることもある。

けれど、いつの間にやらいなくなってしまった本の場合、とんと覚えがない。読みかけの本をなくしたのなら、いくらなんでもすぐに分かる。探すか買い直すかするだろう。しかし、全く身に覚えのないままに、なくなってしまっている本があるのだ。キャトルミューチレーションが話題になっていた頃、宇宙人に連れ去られて頭かどこかに手術されて記憶を消されて戻されてきた、という人たちのことがやはり話題になっていたと記憶しているが、それとはたぶん関係ない。

読んだ記憶はあるので、誰かに貸して忘れたものか、何かの都合で持ち出して置き忘れたかしたものだろう。とは言っても、その間の記憶がすっぽりと欠落しているのが何とも気持ち悪い。わたしとしては、自分が置き忘れたり貸したのを忘れたりしたというよりも、本が家出をしてしまったというのが、いちばんすんなりと腑に落ちる。たくさん本があれば、何冊かそんなことをしでかすものがいても不思議ではないと思っても見たり。

ともかく、そんな風にしていなくなってしまった本の名前を以下に書いておこう。

シュテンプケ『鼻行類』
サバテール『父が子に語る人間の生き方1』
ヴェルコール『海の沈黙』

他にもあるかもしれないが、今ではそれすら忘却の彼方になっている。

次は来週月曜の更新予定です。

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