垂渓庵です。試験のために一日遅れの更新となった。
SFが好きだ。本欄の古い読者ならご存じのことだろう。
小学生のころに学習雑誌に掲載されていたジュブナイルSFを読んで以来のことで、SF大会などに参加したことはないけれど、愛読歴だけはすでにうん十年だ。
けれど、最近のおすすめは? と聞かれると少し困る。 目についたものをぽつぽつ読むぐらいで、最近のSF事情がとんと分からないからだ。
何かで読んだけれど、フェミニストSFなるサブジャンルもあるそうで、サイバーパンクの後あたりから、もう何が何だか分からない。スチームパンクはお気に入りだった。ウイリアム・ギブスンも、ブルース・スターリングも好きだ。ティプトリーも好きだ。ソウヤーも好きだが、ホミニッドの前あたりまでしかフォローしていない。その後が続かないのだ。
と言っていてもしようがない。とにかく、もう少しSFを詠む頻度を高めようかな。
さて、ラファティだ。彼は額の飛び出た異相の持ち主と言っていいかもしれない。知らない人は知らないが、知っている人のファン率は高いというSF作家だ。その頭でさりげなく頭突きを繰り出すだけではなく、奇想をさりげなく盛り込んだ作品をたくさん書いている。実はとんでもない才能の持ち主だったのではないかと思われる人だ。惜しくも十年ほど前に亡くなっているけれど。
どんなサブジャンルにも属さない。ラファティそのものが一つのサブジャンルだというようなことを書いている人もいたような気がする。SFの中にラファティというサブジャンルがあるのだ。どうだろう。うまく想像がつくだろうか。きっと、この人の前額には奇想の元が詰まっていたのだろう。
さて、そんなラファティの新刊が、気付かぬうちに去年から今年にかけて三冊も出版されている。いったいこれはどうしたわけだ。いよいよ時代がラファティに追いついたのか? どうも違うような気がする。時代が追いつきたい方向にラファティはいない。では、いったいなぜ。
時代の本流は追いつきたくなくても、本流が妙な方向に行けば行くほど、カウンターウエイトのようにラファティの重みが増してくるのか。いや、少し違う。時代の本流とは無関係な方向に勝手に点っている光が、本流に身を投じきれない者を惹きつけると言えばいいのか。ラファティ自身は知ったことではないだろうけれど。
しかし、もう新しいラファティの作品を読むことはないのかもしれないと思っていただけに、つい先日この新刊ラッシュ(?)を知った時の嬉しかったこと。これからこの数冊の本を拳々服膺するのである。ヴォネガットの死の前後に出たエッセー集、スタニスワフ・レムの作品集と同じだな。わたしはこれらを時折ちびちび読むのを楽しみとしているのである。
ともかく、ラファティの野放図さを味わいたければ、ハヤカワ文庫の「九百人のお祖母さん」と「次の岩に続く」を読んで下さい。訳の分からない楽しさを味わえるから。
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