2021年10月20日水曜日

旧暦9/15 記憶

垂渓庵です。

特になんということもない場面がなぜだかわからないけれどいつまでも記憶に残っていることがある。ほんとうに何でもないシーンで、なぜ覚えているのか分からない。

もううん十年も前、高校生の頃のこと。わたしは電車通学をしていた。その帰り、夕方から夜にかけてのことだったと思う。最寄り駅の一つ手前の駅で電車が停まった。ごく普通に乗り降りの人があったはずだ。わたしは窓の外のスーパーマーケットの出入り口を見ていた。そこにはちょうどスーパーを出ようとしている人が一人いた。スーパーの照明が逆光のようになってその人影はシルエットのようになっていた。それだけだ。そこから何が起こったわけでも、その情景に特別な感懐を抱いたわけでもない。けれどもその情景がただただ頭に残って離れない。

記憶に残るにはそれだけの理由があると思うのだけれど。記憶とは時にこういういたずらをするものなのだろうか。


2021年10月18日月曜日

旧暦9/13 鶯童さんの本のこと

垂渓庵です。

とある方から段ボール箱で2箱分ほどの本をもらい受けた。不要の本が一切合切で2箱分あるというのではなく、不要になる蔵書から選ばせてもらった2箱だ。もともと欲しかった本が結構入っている。それはそれとして、たまたま本を選ばせてもらいに行っている時に目についたのが浪曲師の梅中軒鶯童さんの自伝だ。鶯童さんは、「紀文の船出」などを持ちネタにしている。喉の故障で大きな声は出なくなったらしいが、台詞回しや節回しに工夫を凝らし、聞くものを魅了する「鶯童節」を作り上げたと言われている。「紀文の船出」を聞いていると、思わず楽しくなって、船で旅に出たくなってくる。紀伊国屋文左衛門たちはミカンを積んでの嵐の中の決死の船出なんだけれど。

とは言ってもわたしも直接鶯童さんの高座を見たことはない。何せ彼は昭和59年に亡くなっている。今からざっと40年近くも前だ。当時私は大学生だったけれど、浪曲のろの字も目に入っていない頃で、鶯童さんの名前も当然知らなかった。当時浪曲師で知っていたのは「広沢虎造」か「広沢瓢右衛門」さんぐらいのものだ。「虎造」はさすがにビッグネームだし、「瓢右衛門」さんは、テレビ番組でちょっとブレイクしていて、浪曲師というよりも面白いおじいさんとして認識していた。私に浪曲体験はほとんどなかったのだ。しかし、その後いろいろあって浪曲を聞くようになり、鶯童さんのうまさを知ったというわけだ。

その鶯童さんの自伝だ。とても興味がある。で、ぜひにと譲り受けた訳だ。中身は鶯童さんの芸談や思い出話で、今は詳細は省く。今では想像すべくもない芸能の話が色々出てきてとても面白いので、興味のある人は大きい図書館で探してみてください。

というような本が他にもいくつもある。また追々紹介していくことに仕様。

2021年10月15日金曜日

旧暦9/10 探せない

 垂形案です。

自宅に置ききれない本は職場や実家に逃がしている。 ということはいつかどこかで書いた。そうしていると、いざ必要な本が見つからないという困ったことになってしまう、というのはどこかに書いたことがあったものか。

つい先日も、必要に迫られて萩原広道の源氏物語評釈という本を見ないといけなくなった。家には、ない。職場に置いた覚えもないのだけれど念のために探した。が、やはりない。となると実家に置いたままになっている段ボール箱のどれかに入っているのだろう。で、箱の外側に「和歌の注釈書」とか「国語学関係」とか大まかな内容を書いてあったのを頼りに、送ったままになっている本の段ボール箱を開けてみた。しかし、「源氏関係」とか「注釈書色々」とか書いてある箱を開けた限りでは、「源氏物語評釈」はなかった。

多分、スペースの関係で、「注釈書」などではない箱に入れたのだと思う。が、全然記憶がない。片っ端から箱を開けようかとも思ったが、時間がなかったので断念した。というわけで、まだ必要な本は行方不明のままだけれど、そうやって段ボール箱の山と取り組んでみると、「ゴーゴリ」だの「ラテンアメリカ」だの「タルコフスキー」だのと書いた箱があることに気づく。そうか。そういやその辺の本も送ってたのだった。またいつか暇な時に取り出して見ることにしようかと思い、その日は実家を後にした。

後で気づいたのだけれど、ゴーゴリやラテンアメリカやタルコフスキー関係の本など、そもそもおれはたくさん持ってはいない。ゴーゴリは河出書房版の全集ぐらい。ラテンアメリカはたぶん集英社版の「ラテンアメリカの文学」+幾ばくかの単行本だろう。タルコフスキーに至っては、二冊本の日記と「映像のポエジア」ぐらいなものだ。つまり、それらの箱にはその他の本が紛れ込んでいる可能性が高く、「源氏物語評釈」もそこにあったかもしれないのだ。 ばかなの、おれ。

さらにさらに。萩原広道の「源氏物語評釈」の本文は、奇特にもPDF化してネット上で無料で公開している方がおられた。それを見れば、とりあえずの問題は片付くのである。

そうではあるが、本のありかが分からないのは気持ち悪いので、また暇を見つけて実家に行って確認してみようと思う次第なのである。

2021年10月14日木曜日

旧暦9/9 アニメを考える

垂渓庵です。

秋スタートのアニメの新番組が始まっている。ということは、夏スタートのアニメの多くは終わったということだ。このワンクールごとにどんどん作品が入れ替わっていく形式にはやっぱり慣れない。サザエさんやドラえもんといった超長寿のお化け番組は別として、やっぱり1年からせめて半年ぐらいのサイクルで作品が入れ替わってほしいと思う。全体の構成云々というような難しい話からそう思うのではなくて、単に作品名や登場人物名が覚えられないのだ。いや、そもそもどんな話なのかもあやふやになってしまう。記憶力の劣化というやつである。

そのうち劣化したおれの頭の中では、たぶんあり得ない組み合わせの冒険者のパーティーや、登場人物や舞台設定その他がどこかおかしい作品が生み出されていくことだろう。登場人物が死ぬと人型の穴ぼこができる異世界の話や、スライム狩ってチートな力が身についた魔女が薬屋を営む話などなど、今でも油断するとあれはなんだっけと存在しないはずの作品について考えていないとは言い切れないのがつらいところだ。

しかし、である。12、3話で完結する作品を多く見続けていると、4クールの作品など長すぎて視聴する気にならないのも確かだ。1~2クールを定期的あるいは不定期に積み上げる作品が望ましいと思わなくもないが、上記のおれの記憶の劣化が壁になる。外部記憶装置がほしくなるのはこんな時だ。そういや、外部記憶も含めて全身を義体化した消防士の主人公が活躍する作品があったなあ。あれはなんだっけ。

2021年9月30日木曜日

旧暦8/24 新総裁誕生

 垂渓庵です。

 アニメを見たり国文学関係の本を眺めたり、世の中の動きとあまり関係ないところで時間を費やしているうちに、気づけば自民党の総裁が岸田さんに変わっている。写真を見る限り、岸田さんの顔が以前より大きく平たくなっている気がしないでもないが、石破さんに近づいていっている気がしないでもないが、コロナ対策でえらいこと不評だった菅さんからの交代は、世の中的には歓迎されているのではなかろうかと思う。

 わたしは岸田さんについてはほとんど知るところがないのではっきりと論評することはできないが、河野さんや高市さん、野田さんの処遇を見れば岸田内閣が強権的な政治を行うのか、そうではなく党内の批判的な勢力も取り込んで、コロナ対策や経済対策に粘り強く取り組んでいこうとしているのかが分かるのではないかと思う。

  安倍さんや菅さんの石破外しは見ていて気持ちのいいものではなかった。そしてそれが安倍さんや菅さんの政治姿勢を表していたと思うのだ。石破さんの顔があまり気持ちいくないということはあるにしても、である。

 というようなことを書くのがわたしに似合っていないことは百も承知だ。でも、ブログの本格的な再開に向けて多少は保守点検しようかと思った時、これぐらいしか思い浮かばなかったのだ。池袋の暴走事故の被告の話や幼児に熱湯をかけて殺したやつの話は、あまりにも悲惨すぎるし、はらわたが煮えくり返る。こんなやつは死刑でいいという乱暴なことしか欠けない気がしたので避けたのである。ああ、疲れた。 

 しかし、気づけば石○さんの顔が気持ち悪いとしか言っていないような気がするな、このブログ。

2021年8月25日水曜日

旧暦7/18 近況そして合掌

垂渓庵です。

先日コロナのワクチンも2回目を打ち終わって、今のところ元気にやってます。ところで、2019年以降長らく中断していたこのブログを一度再開しようとしたことがある。次のような書き出しで始まる。

以下、引用

 

 何日ぶりの更新か、思い出すすべもない。 そして再開早々、コロナを話題とせざるを得ない。すこぶる残念だ。
あれよあれよという間に休校措置がとられ、あれよあれよという間に3か月近くが過ぎた。なんということだろう。日常がこんなに簡単に崩れるなんて。というか、新型コロナのいる毎日が日常になりつつある。これは、あれだ。平安時代ならきっと御霊信仰の対象になったことだろう。


 
以上、引用終わり。

この記事を書こうと試みた時からもすでに1年以上経つ。ブログの記録では、2020年5月18日に書こうとしたようだ。

あの頃から見てコロナの状況は相変わらずというか、かえってひどくなっている。感染者数は桁違い。学校こそ休校にはなってないものの、相変わらずの自粛で、学校行事は規模縮小か延期か中止。このまま感染者数を抑え込めなければ、またぞろ休校ということにもなりかねない。なんということか。

 という暗い話題はこれぐらいにしよう。あとは近況報告だ。コロナの醸し出すえもいわれぬ圧迫感の中、わたしはすこぶるのんきな毎日を送っている。

 テレビを見ないと決めたので、オリンピックについてもニュースサイトのヘッドラインを読むぐらいで、開会式、閉会式も見ていない。当然コロナ関連のニュースも同じ。

 本は読んでいる。いま読んでいる本は、佐竹昭広、片桐洋一、今西裕一郎などの錚々たる研究者の研究書だ。あと、それにI先生、M先生の本も入る。どれも今の時代に合ってはいないような気もしなくはなくなくないけど。あれ。

アニメも見ている。なぜならア○ゾンプライムで見られるから。テレビを見ないと時間があるから。有料チャンネルも利用しつつ過去作品にも手を伸ばしてみたり。今見ているのは『精霊幻想記』『転スラ』『赤髪の白雪姫』など。あと『ボトムズ』をちびちびと見返そうと思う。

と書いていて俳優の二瓶正也さんがお亡くなりになったことを知る。ウルトラマンのイデ隊員と言えば通りがいいだろうか。お調子者ではあるが、ジャミラやピグモンの死を心から傷むイデ隊員、ブルトンの攻撃にうろたえるおちゃめなイデ隊員。猪突猛進のアラシ隊員との好対照が印象的だった。一度見たら忘れられないウルトラ俳優の一人と言えるだろう。謹んで哀悼の意を表します。ああ、追悼の意味を込めて『ウルトラマン』を見直そう。

コロナはいてもコロナ以前と変わらない日常を生きられる。アニメを見たり本を読んだりしているわたしがいい見本だ。みなさんもいろんな状況に負けないでください。さて、この記事、ブログ再開ののろしとなるか、あだ花として消えるか、どっちだろう。

2019年1月21日月曜日

旧暦12/16 訃報 横田順彌

垂渓庵です。

すっかりごぶさたしてしまった。というのが常態となっている。ということも何度も書いた。変わりがないわけではないが、書く時間もない、ということでさくっと省略。

さて、SF作家の森下一仁さんのブログを見て、横田順彌さんが亡くなっていたことを知る。

そうか。お亡くなりになったのか。ここんとこ調子がずっとすぐれないということを何かで読んでいたので、驚愕したというわけでもないのだけれど、ショックがなかったわけでもない。

横田さんの作品を最初に読んだのは、ユーモアSFのアンソロジーの一編、「脱線<たいむ・ましん>奇譚」だったのではなかったか。内容についてはすでに忘却の彼方だ。たぶん読んだのは中学生のころ。もはや40年近く前のこととなる。

それ以後もつかず離れずという形で横田さんの本は読んでいったはずだ。「日本SFこてん古典」(1~3)をお出しになり、押川春浪をはじめとする明治ものをいくつもお出しになるあたりまでは、読み継いでいったように思う。ウィキペディアの著作一覧を見渡す限りでは、1990年ごろまではフォローしていたようだ。それ以後は、わたしも専門の研究やアフリカンのパーカッションにのめりこんでいき、そちらに多くの時間を割くようになったのだったか。

90年代以降は横田さんの新刊を手に取ることもなくなっていった──というか、SFそのものを手に取ることもなくなっていった。海外SFで言うとサイバーパンクあたりまでか──のだけれど、「第一種失禁遭遇」だの「アレ・オランガナ姫」だの「ルーム・スカイランナー」「オオ・バッカ」「ゼン・ソロ」「アカン・ベーダ―」「スター坊主」などなどのくだらなくもステキなダジャレは今でもいくらでも諳んじられる。田中啓文さんが好きなのも確実に横田さんがいたからだと言える。

一方で古典SFの研究にも興味をひかれた。最近はそちらの方面に傾斜しておられたようだけれども、そうなる以前から主流文学から外れたところの作品の面白さを横田さんを通して知っていったように思う。「日本SFこてん古典」を単行本3冊揃いで持っているのは私のひそかな自慢だ。一時期古書価がべらぼうに高かったと記憶している。

横田さんの前にこんな研究分野はなかったし、現在でも横田さんの研究は一級の価値を持っている。たぶん。書誌的なデータをおろそかにせず、しかも面白おかしくSF前史を語る人だった。横田さんがいなければ、中山忠直の「地球を弔ふ」などはきっと知らないままだったろう。

こうやって見てくると、横田さんはおれの人格形成期に少なからぬ影響を与えているようだ。北杜夫然り。星新一然り。カート・ヴォネガット然り。みんな鬼籍に入ってしまった。

改めて横田さんの冥福を祈る。今日は久しぶりに「日本SF古典集成」でも拾い読みしてみようか。