垂渓庵です。
好きな作家ネタはいくつか書いていると思う。これは、その手の記事の中で一番古いもの。2007年4月に公開している。実はヴォネガットの作品のうち、「国のない男」と「追憶のハルマゲドン」は読まずにとってある。少しずつ少しずつ読むつもりでいる。和本についての記事の続きは明日公開します。
以下、本文
カート・ヴォネガットという作家を知っていますか? 最近では、爆笑問題の太田光さんがファンであるということで話題になりました。SF作家として出発 し、後にはSF色の薄い作品もいくつか書いています。1960年代以降、アメリカで一時カルト的な人気を誇りました。そのカート・ヴォネガットが先日、4月11日に84才で亡くなりました。
何を隠そう、太田光さんがファンであるということで話題になる遙か以前から、わたしもヴォネガットのファンでした。ヴォネガットの存在を知ったのは高校生の終わりころでしたから、かれこれファン歴25年近くです。
彼の存在を知った当初はすでに何冊か文庫本で出版されていましたので、それを順番に読み進めていきました。大学生になるころには、すでに翻訳が出版されていた分は読み尽くしてしまい、新しい翻訳が出るのを楽しみに待っているという状態でした。
その頃に新たに単行本で出版されたのが『チャンピオンたちの朝食』です。早速買って読みました。それ以降は単行本が出版される度に、買い求めては読んでいったのでしたか。ほぼ日本での紹介をリアルタイムで追いかけていった作家です。
そうそう、ヴォネガットの複数の作品に出てくるキルゴア・トラウトというSF作家 もちろんヴォネガットの創り出した人物です。 名 義で発表された、『貝殻の上のヴィーナス』という小説も苦労して探しだして読んだのでした。これはヴォネガットの作品ではなく、フィリップ・ホセ・ファーマーというSF作家がトラウトの名を借りて発表したものです。ヴォネガットは、自分の愛着を持っているトラウトの名前を勝手に使われたことにかなり腹を立 てたという逸話が残っています。
そのせいかどうか、日本での翻訳も当時すでに絶版か品切れになっていました。読みたいなあと思いながら何年経ったでしょうか。ある日古本屋さんの百円均一のコーナーで、カバーもなく少しよれよれになった『貝殻の上のヴィーナス』を見つけたのです。
あの時の喜びは、角川文庫の『宇津保物語』の上巻と中巻を、古本屋さんのやはり百円均一本の入ったカゴの中から見つけ出したのと同じぐらい大きなものでし た。え、それがどれぐらいの喜びかわからないですか。えーと、大学で平安朝の文学で卒論を書いた人に角川文庫版の『宇津保物語』の価値を聞いてみてください。下巻は欠けているものの、百円均一のカゴに入っていたのは、まあ、奇跡のようなものです。
ヴォネガットは、人間が不幸せな状態になりうること、あまりにも多くの人が実際に不幸せな状態に陥っていることに本気で心を痛めていたと言っていいでしょ う。長編第一作の『プレイヤー・ピアノ』以来、一貫して彼の作品には不幸な状況にある登場人物の「失意」が描かれます。ヴォネガット自身が失意の人だったのかもしれません。
彼は第二次世界大戦中に、捕虜となっていたドレスデンで連合国の空爆を経験します。数万~十数万人の死者が出たとされる猛烈な空爆です。彼はその経験を基 に『スローターハウス5』という作品を書きますが、時間を自在に前後させる手法を用い、空爆も全体の物語の枠組みの中で断片的に語るという形をとっています。正面からドレスデン空爆を見据え、その愚かしさ、恐ろしさを強く訴えるというよりは、強烈な体験を自身の中で扱いかねているという印象を受けます。
『スローターハウス5』に頻出する「そういうものだ」というセリフは、そんなヴォネガットの心情にぴったりくることばだったのでしょう。このことばは、ドレスデンで限界を越えてしまったヴォネガットの「失意」、「諦念」を表しているもののように思うのです。
ヴォネガットは作品を書き続け、人類の愚行に異議を唱え続けました。ですから、文字通り「諦め」ていたわけではありません。しかし、彼の作品を読んでいると、どうもどこかドレスデンの空爆で止まってしまった時間が彼の中にはあるように感じられます。
先にも書いたように、彼は人間が不幸せな状態になりうること、あまりにも多くの人が実際に不幸せな状態に陥っていることに本気で心を痛めていました。そこには彼のドレスデンで止まってしまった時間が何か影響を与えているのだと思います。
人類の愚行に「良心の痛み」を感じ続けたヴォネガットは死んでしまいました。残念ながら人類の愚行はいまだに続いています。彼がおそらく夢に見ていただろ う、「そういうものだ」と口にしなくてもいい世界は、いつ現実のものとなるのでしょうか。ドレスデンで止まってしまった彼の時間はまだ止まったままです。
好きな作家ネタはいくつか書いていると思う。これは、その手の記事の中で一番古いもの。2007年4月に公開している。実はヴォネガットの作品のうち、「国のない男」と「追憶のハルマゲドン」は読まずにとってある。少しずつ少しずつ読むつもりでいる。和本についての記事の続きは明日公開します。
以下、本文
カート・ヴォネガットという作家を知っていますか? 最近では、爆笑問題の太田光さんがファンであるということで話題になりました。SF作家として出発 し、後にはSF色の薄い作品もいくつか書いています。1960年代以降、アメリカで一時カルト的な人気を誇りました。そのカート・ヴォネガットが先日、4月11日に84才で亡くなりました。
何を隠そう、太田光さんがファンであるということで話題になる遙か以前から、わたしもヴォネガットのファンでした。ヴォネガットの存在を知ったのは高校生の終わりころでしたから、かれこれファン歴25年近くです。
彼の存在を知った当初はすでに何冊か文庫本で出版されていましたので、それを順番に読み進めていきました。大学生になるころには、すでに翻訳が出版されていた分は読み尽くしてしまい、新しい翻訳が出るのを楽しみに待っているという状態でした。
その頃に新たに単行本で出版されたのが『チャンピオンたちの朝食』です。早速買って読みました。それ以降は単行本が出版される度に、買い求めては読んでいったのでしたか。ほぼ日本での紹介をリアルタイムで追いかけていった作家です。
そうそう、ヴォネガットの複数の作品に出てくるキルゴア・トラウトというSF作家 もちろんヴォネガットの創り出した人物です。 名 義で発表された、『貝殻の上のヴィーナス』という小説も苦労して探しだして読んだのでした。これはヴォネガットの作品ではなく、フィリップ・ホセ・ファーマーというSF作家がトラウトの名を借りて発表したものです。ヴォネガットは、自分の愛着を持っているトラウトの名前を勝手に使われたことにかなり腹を立 てたという逸話が残っています。
そのせいかどうか、日本での翻訳も当時すでに絶版か品切れになっていました。読みたいなあと思いながら何年経ったでしょうか。ある日古本屋さんの百円均一のコーナーで、カバーもなく少しよれよれになった『貝殻の上のヴィーナス』を見つけたのです。
あの時の喜びは、角川文庫の『宇津保物語』の上巻と中巻を、古本屋さんのやはり百円均一本の入ったカゴの中から見つけ出したのと同じぐらい大きなものでし た。え、それがどれぐらいの喜びかわからないですか。えーと、大学で平安朝の文学で卒論を書いた人に角川文庫版の『宇津保物語』の価値を聞いてみてください。下巻は欠けているものの、百円均一のカゴに入っていたのは、まあ、奇跡のようなものです。
ヴォネガットは、人間が不幸せな状態になりうること、あまりにも多くの人が実際に不幸せな状態に陥っていることに本気で心を痛めていたと言っていいでしょ う。長編第一作の『プレイヤー・ピアノ』以来、一貫して彼の作品には不幸な状況にある登場人物の「失意」が描かれます。ヴォネガット自身が失意の人だったのかもしれません。
彼は第二次世界大戦中に、捕虜となっていたドレスデンで連合国の空爆を経験します。数万~十数万人の死者が出たとされる猛烈な空爆です。彼はその経験を基 に『スローターハウス5』という作品を書きますが、時間を自在に前後させる手法を用い、空爆も全体の物語の枠組みの中で断片的に語るという形をとっています。正面からドレスデン空爆を見据え、その愚かしさ、恐ろしさを強く訴えるというよりは、強烈な体験を自身の中で扱いかねているという印象を受けます。
『スローターハウス5』に頻出する「そういうものだ」というセリフは、そんなヴォネガットの心情にぴったりくることばだったのでしょう。このことばは、ドレスデンで限界を越えてしまったヴォネガットの「失意」、「諦念」を表しているもののように思うのです。
ヴォネガットは作品を書き続け、人類の愚行に異議を唱え続けました。ですから、文字通り「諦め」ていたわけではありません。しかし、彼の作品を読んでいると、どうもどこかドレスデンの空爆で止まってしまった時間が彼の中にはあるように感じられます。
先にも書いたように、彼は人間が不幸せな状態になりうること、あまりにも多くの人が実際に不幸せな状態に陥っていることに本気で心を痛めていました。そこには彼のドレスデンで止まってしまった時間が何か影響を与えているのだと思います。
人類の愚行に「良心の痛み」を感じ続けたヴォネガットは死んでしまいました。残念ながら人類の愚行はいまだに続いています。彼がおそらく夢に見ていただろ う、「そういうものだ」と口にしなくてもいい世界は、いつ現実のものとなるのでしょうか。ドレスデンで止まってしまった彼の時間はまだ止まったままです。
0 件のコメント:
コメントを投稿