垂渓庵です。
前回は、わたしがまぬけだったかもしれないというところまで書いたと思う。今回はやっぱりわたしはまぬけだという話だ。
2014年11月19日水曜日
2014年11月18日火曜日
旧暦閏9/26 古文を訳させるには 3
垂渓庵です。
前回は、教材を作るために、マイナーどころの作品を探すのにけっこう苦労した話だった。実家の専門書や資料類を突っ込んである棚をものすごく久しぶりにひっくりがえしたし。
で、いよいよ読ませる作品が決まって、大切なことに気がついた。
前回は、教材を作るために、マイナーどころの作品を探すのにけっこう苦労した話だった。実家の専門書や資料類を突っ込んである棚をものすごく久しぶりにひっくりがえしたし。
で、いよいよ読ませる作品が決まって、大切なことに気がついた。
2014年11月17日月曜日
旧暦閏9/25 古文を訳させるには 2
垂渓庵です。
古文を訳させるには、訳や注などがネット上に存在しないような教材を読ませればいいんだ、そう気づいたところまで書いた。単純と言えば単純な話だ。
で、その単純なアイデアを実行しようとして、えらい目にあった。
古文を訳させるには、訳や注などがネット上に存在しないような教材を読ませればいいんだ、そう気づいたところまで書いた。単純と言えば単純な話だ。
で、その単純なアイデアを実行しようとして、えらい目にあった。
2014年11月16日日曜日
旧暦閏9/24 古文を訳させるには 1
垂渓庵です。
この前バスの中であったという会話。
「古文の予習をしないといけない!」
「そんなのネットで探したら見つかるでしょ?」
「それが、どこにもないのよ」
今はネット社会だ。うまく使えば、多大の恩恵を与えてくれる。が、インターネット依存症なることばがあるごとく、使いようによっては、大きな弊害がある。
ところで、上の会話で予習をしなきゃと言っているのは、たぶんわたしが古文を教えているクラスの生徒だ。どうしてそんなことが分かるのか。
この前バスの中であったという会話。
「古文の予習をしないといけない!」
「そんなのネットで探したら見つかるでしょ?」
「それが、どこにもないのよ」
今はネット社会だ。うまく使えば、多大の恩恵を与えてくれる。が、インターネット依存症なることばがあるごとく、使いようによっては、大きな弊害がある。
ところで、上の会話で予習をしなきゃと言っているのは、たぶんわたしが古文を教えているクラスの生徒だ。どうしてそんなことが分かるのか。
2014年11月15日土曜日
旧暦10/23 医療費を考える
垂渓庵です。
気付けば更新がずいぶん滞っている。
何かと忙しかったのもあるが、ここ2週間ばかりについては、忙しさからというよりも、段差を踏み外して足の指を軽く骨折したのが大きい。まったく、いやはやである。
校内の巡回当番の間の出来事だったので、いわゆる労災扱いになったが、書類が揃うまで自己負担をしていた。
今時の医療費は、十割負担すると、とても大きな金額になることが分かった。軽い骨折──というのも変ないい方のような気もするけれど──程度でも、けっこうな金額になる。これが、大病を患ったらいったいどういうことになるのか。全額自分で負担するとなると、空恐ろしいことになると思われる。
医旅費について、ちょっとまじめに考えてみようかと、冗談ではなく思っている次第だ。
それにしても、骨折ってのは痛いものだ。
気付けば更新がずいぶん滞っている。
何かと忙しかったのもあるが、ここ2週間ばかりについては、忙しさからというよりも、段差を踏み外して足の指を軽く骨折したのが大きい。まったく、いやはやである。
校内の巡回当番の間の出来事だったので、いわゆる労災扱いになったが、書類が揃うまで自己負担をしていた。
今時の医療費は、十割負担すると、とても大きな金額になることが分かった。軽い骨折──というのも変ないい方のような気もするけれど──程度でも、けっこうな金額になる。これが、大病を患ったらいったいどういうことになるのか。全額自分で負担するとなると、空恐ろしいことになると思われる。
医旅費について、ちょっとまじめに考えてみようかと、冗談ではなく思っている次第だ。
それにしても、骨折ってのは痛いものだ。
2014年9月29日月曜日
旧暦9/6 大阪府立高:「開かずの図書館」2割
垂渓庵です。
今回は本来なら「図書館開館祝詞」の本文を紹介するはずだったけれど、前回のエントリーを投稿してから、毎日新聞電子版に今回のタイトルを冠した記事があることを知った。22日付けの記事である。
いったいどうしてそんなことになるのか。学校の怪談? 都市伝説? そんなものが新聞でとりあげられたりしないだろう。記事にするのは「恐怖新聞」ぐらいのものだ。
殺人事件や不審死が重なった? 名探偵○ナンや金○一少年が過労死で倒れるに違いない。何か出るのか? 妖怪ウ○ッチじゃあるまいし。じゃあなんだ。
何はともあれ、記事の一部を引用してみる。
今回は本来なら「図書館開館祝詞」の本文を紹介するはずだったけれど、前回のエントリーを投稿してから、毎日新聞電子版に今回のタイトルを冠した記事があることを知った。22日付けの記事である。
いったいどうしてそんなことになるのか。学校の怪談? 都市伝説? そんなものが新聞でとりあげられたりしないだろう。記事にするのは「恐怖新聞」ぐらいのものだ。
殺人事件や不審死が重なった? 名探偵○ナンや金○一少年が過労死で倒れるに違いない。何か出るのか? 妖怪ウ○ッチじゃあるまいし。じゃあなんだ。
何はともあれ、記事の一部を引用してみる。
大阪の府立高校の約2割にあたる24校の図書館が、昼休みや放課後などに生徒が利用できない「開かず」の状態にあり、府監査委員が改善を求めるこ とが分かった。近く監査結果を公表する。2009年に行政改革で専任の学校司書が廃止され、業務を割り振られた教職員の手が回らないのが理由。府教委は司 書の代わりに全教職員が協力して図書館業務をカバーするため、各校に運営組織の設置を指示したが、約4分の1にあたる34校で未設置となっている。
2009年に行われた行政改革…。みなさん、学校図書館で何が起こったか、なんとなく想像がついたんじゃないか。記事の先の方を見てみよう。
2014年9月26日金曜日
旧暦9/3 図書館の開館に際して配慮すべきこと
垂渓庵です。
せっかくだから、「祝詞大祓全集」に載っている祝詞を紹介してみよう。
どうせなら、珍しいところをいってみよう。
今回は、「図書館開館祝詞」だ。今時、会館に際してそんなものをとなえたりはしないだろう。
祝詞の独特の文体は入力が少し面倒なので、今回は、祝詞の前に着いている著者のコメントをまず紹介しよう。
せっかくだから、「祝詞大祓全集」に載っている祝詞を紹介してみよう。
どうせなら、珍しいところをいってみよう。
今回は、「図書館開館祝詞」だ。今時、会館に際してそんなものをとなえたりはしないだろう。
祝詞の独特の文体は入力が少し面倒なので、今回は、祝詞の前に着いている著者のコメントをまず紹介しよう。
2014年9月24日水曜日
旧暦9/1 祝詞いろいろ
垂渓庵です。
祝詞(のりと)というものがある。七五三の折などに、神社で神主さんがむにゃむにゃと唱えるあれだ。他にも地鎮祭や神前の結婚式などでも唱えられることがある。
あの祝詞にはある程度定型がある。子供の幸せを祈ったり、工事の無事や結婚の祝福などを祈願したりするために、パターンに則って神様に語りかけるのだ。
手紙文が、拝啓で始まって、時候の挨拶、本題、敬具で止め、場合によっては追伸に続くのと似たようなものだ。
本の部屋の整理をしていて、そのパターン集が出てきた。書名は「神道大祓全集と解説」。著者は「阪井正卿」。表紙には、「興風書院蔵版」と印刷されているが、奥付を見ると、発行所は「仏教新聞社」とある。業界紙だろうか。昭和十四年に出版されたものものだ。
だいぶ前に古本屋さんで買ったものだが、すっかり忘れていた。
祝詞(のりと)というものがある。七五三の折などに、神社で神主さんがむにゃむにゃと唱えるあれだ。他にも地鎮祭や神前の結婚式などでも唱えられることがある。
あの祝詞にはある程度定型がある。子供の幸せを祈ったり、工事の無事や結婚の祝福などを祈願したりするために、パターンに則って神様に語りかけるのだ。
手紙文が、拝啓で始まって、時候の挨拶、本題、敬具で止め、場合によっては追伸に続くのと似たようなものだ。
本の部屋の整理をしていて、そのパターン集が出てきた。書名は「神道大祓全集と解説」。著者は「阪井正卿」。表紙には、「興風書院蔵版」と印刷されているが、奥付を見ると、発行所は「仏教新聞社」とある。業界紙だろうか。昭和十四年に出版されたものものだ。
だいぶ前に古本屋さんで買ったものだが、すっかり忘れていた。
2014年9月22日月曜日
旧暦8/29 むすんでひらいて壊れました
垂渓庵です。
今日の内容は、世の中的には周知の事柄なのかも知れない。が、わたしは、ちょっと「へえ」と思ったので書いてみる。
『むすんでひらいて』という歌がある。誰もが知っている歌とメロディーだと思う。
あの歌には、別の歌詞があるのだと大学時代の先輩のニシさんから聞いたことがある。
ものすごく曖昧なのだけれど、「むすんでひらいて」の部分が、「見渡せば春柳(はるやなぎ)」となっていたように思う。
なぜそんなことになるのか、忘れてしまった。
今日はそれが本題ではない。今日の本題は…
今日の内容は、世の中的には周知の事柄なのかも知れない。が、わたしは、ちょっと「へえ」と思ったので書いてみる。
『むすんでひらいて』という歌がある。誰もが知っている歌とメロディーだと思う。
あの歌には、別の歌詞があるのだと大学時代の先輩のニシさんから聞いたことがある。
ものすごく曖昧なのだけれど、「むすんでひらいて」の部分が、「見渡せば春柳(はるやなぎ)」となっていたように思う。
なぜそんなことになるのか、忘れてしまった。
今日はそれが本題ではない。今日の本題は…
2014年9月20日土曜日
旧暦8/27 しませんでした
垂渓庵です。
スコットランド、独立しませんでした。
独立賛成派、反対派の割合は、依然として伯仲しているけれど、事前調査よりも差が開いた形で独立反対派が上回った。
わたしの予想は外れてしまった。 やはり、百年以上前のたった二つの小説を基にしたぐらいでは、当たるはずがなかったか。
よーし、次は何を予想するかな。あれか。大阪都は実現するかどうかか。あるいはイスラム国の今後か。集団的自衛権の今後か。AKBの次のセンターか。
確実に言えるのは、これだけ雑多なレベルのものを並べている時点で、確度の高い予想などムリなのは目に見えているということだな。つるかめつるかめ。
スコットランド、独立しませんでした。
独立賛成派、反対派の割合は、依然として伯仲しているけれど、事前調査よりも差が開いた形で独立反対派が上回った。
わたしの予想は外れてしまった。 やはり、百年以上前のたった二つの小説を基にしたぐらいでは、当たるはずがなかったか。
よーし、次は何を予想するかな。あれか。大阪都は実現するかどうかか。あるいはイスラム国の今後か。集団的自衛権の今後か。AKBの次のセンターか。
確実に言えるのは、これだけ雑多なレベルのものを並べている時点で、確度の高い予想などムリなのは目に見えているということだな。つるかめつるかめ。
2014年9月18日木曜日
旧暦8/25 独立するのか
垂渓庵です。
このところ、ちょっとばたばたしていて、あまり丁寧にニュースや新聞を見ていない。というわけで、スコットランドが独立することになるのか、よく分からない。最近のアンケート調査によると、僅差で反対派が有利だということだったように思うけれど。
文学の世界に目を向けると、スコットランドとイングランドの対立が窺える作品が目につく。
と言うほどいろんな作品を読んでいるわけではないけれど、思いつくものがないこともない。
このところ、ちょっとばたばたしていて、あまり丁寧にニュースや新聞を見ていない。というわけで、スコットランドが独立することになるのか、よく分からない。最近のアンケート調査によると、僅差で反対派が有利だということだったように思うけれど。
文学の世界に目を向けると、スコットランドとイングランドの対立が窺える作品が目につく。
と言うほどいろんな作品を読んでいるわけではないけれど、思いつくものがないこともない。
2014年9月16日火曜日
旧暦8/23 ダブル吉田と珊瑚礁
垂渓庵です。
前回の「朝日新聞の往生際」には、実はまだ続きがある。はっきりしないので、曖昧にぼかして書いたけれど、「吉田調書」にしても「吉田発言」にしても、確信犯的に嘘を書いたのではないかという疑いがあるらしいのだ。
前回の「朝日新聞の往生際」には、実はまだ続きがある。はっきりしないので、曖昧にぼかして書いたけれど、「吉田調書」にしても「吉田発言」にしても、確信犯的に嘘を書いたのではないかという疑いがあるらしいのだ。
2014年9月13日土曜日
旧暦8/20 朝日新聞の往生際
垂渓庵です。
朝日新聞社社長が、「吉田調書」や「吉田発言」について、記事は嘘でしたと謝罪した。
ニュースステーションでは、朝日新聞の論説委員の方だったかな、その人も謝罪したようだ。
紙面でも「吉田発言」は嘘でしたという検証記事を載せたのだったか。
ま、間違いは誰にでもある。間違ったら訂正すればいいし、迷惑をかけたなら謝ればいい。それだけのことだ。
が、である。朝日新聞の記者も論説委員も社長も──ひょっとして朝日新聞の社員はどいつもこいつもなのか? と思わず疑いたくなってしまう──極めて往生際の悪いというか、見ていてあからさまに不快な物言いをする。
朝日新聞社社長が、「吉田調書」や「吉田発言」について、記事は嘘でしたと謝罪した。
ニュースステーションでは、朝日新聞の論説委員の方だったかな、その人も謝罪したようだ。
紙面でも「吉田発言」は嘘でしたという検証記事を載せたのだったか。
ま、間違いは誰にでもある。間違ったら訂正すればいいし、迷惑をかけたなら謝ればいい。それだけのことだ。
が、である。朝日新聞の記者も論説委員も社長も──ひょっとして朝日新聞の社員はどいつもこいつもなのか? と思わず疑いたくなってしまう──極めて往生際の悪いというか、見ていてあからさまに不快な物言いをする。
2014年9月4日木曜日
旧暦8/10 黒岩涙香のかぎかっこ
垂渓庵です。
黒岩涙香というジャーナリスト、翻訳家がいた。有名な人なので当然ご存じの方も多いことだろう。
先日、その涙香の「血の文字」という翻案小説を読んだ。目科(めしな)という探偵が活躍するものだ。目科の奥さんがワトソン役の語り手と推理を闘わせるというのが、ちょっと変わった趣向だったけれど、今はそれが本題ではない。
この小説、かぎかっこの処理がとても変わっているのだ。kindleで読んでいるので、元々の本の体裁と全く一緒なのか分からないところもあるのだけれど、だいたいこんな感じになっている。
黒岩涙香というジャーナリスト、翻訳家がいた。有名な人なので当然ご存じの方も多いことだろう。
先日、その涙香の「血の文字」という翻案小説を読んだ。目科(めしな)という探偵が活躍するものだ。目科の奥さんがワトソン役の語り手と推理を闘わせるというのが、ちょっと変わった趣向だったけれど、今はそれが本題ではない。
この小説、かぎかっこの処理がとても変わっているのだ。kindleで読んでいるので、元々の本の体裁と全く一緒なのか分からないところもあるのだけれど、だいたいこんな感じになっている。
2014年9月1日月曜日
旧暦8/8 ハウル?
垂渓庵です。
先日、『マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋』という映画を見た。ダスティン・ホフマン、ナタリー・ポートマンが出ている映画である。映画の内容については省略。と言っても、面白くなかったわけではない。ちょっと手抜きしようというわけです。いろいろ紹介しているサイトもたくさんあることだし。
さて、その映画の一シーンで、登場人物がとびらを開けると、目的の場所ではなかったのでとびらを閉め、横の昔のエレベーターの行く先階指示用のレバーみたいなのを回してとびらを開けると、目的の場所になっていた。どこかで見たなと思っていると、子どもが、「ハウルだ」と言う。なるほど、『ハウルの動く城』にそんなシーンがあった。
先日、『マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋』という映画を見た。ダスティン・ホフマン、ナタリー・ポートマンが出ている映画である。映画の内容については省略。と言っても、面白くなかったわけではない。ちょっと手抜きしようというわけです。いろいろ紹介しているサイトもたくさんあることだし。
さて、その映画の一シーンで、登場人物がとびらを開けると、目的の場所ではなかったのでとびらを閉め、横の昔のエレベーターの行く先階指示用のレバーみたいなのを回してとびらを開けると、目的の場所になっていた。どこかで見たなと思っていると、子どもが、「ハウルだ」と言う。なるほど、『ハウルの動く城』にそんなシーンがあった。
2014年8月24日日曜日
旧暦7/29 ゴーストライター
垂渓庵です。
ゴールドライタンではない。と書いて思ったのだが、全体的に社会がタバコ離れに動いていく中、やっぱりこれのリメイクはないのだろう。たぶん発想の元はライターだろうし。わたしの中では、トランスフォーマーなどと同じ位置づけなのだけれど、実写版の新作が公開されているトランスフォーマーとはずいぶん異なる。
というようなことは実はどうでもよく、ゴーストライターの話だった。ウイキペディアの同項目を見ると、え、この人がゴーストライターをやってたのか、という人がたくさんいる。考えてみれば、後には文名が高い人も、最初はかけ出しだったろうから、当然と言えば当然の話なのかも知れない。
野間宏の『文章入門』を読もうとして、ふとこれは野間自身が書いたものか、それとも代作なのかと気になってネットで調べてみると、上記のウイキペディアの項目に行き着いた次第。野間の名誉のために書いておくと、『文章入門』は代作ではないようだ。
そもそも、野間の本を代作かもと思ったのは、川端康成の『新文章読本』が代作だという話を以前読んだことがあったからだ。今回、ウイキペディアにもその旨の記述があった。なんと驚いたことに代作者は伊藤整らしい。すごい取り合わせだ。これは、作者と代作者の名前を併記する形で売ってみたらどうだろう。案外売れるかもしれない。
ゴールドライタンではない。と書いて思ったのだが、全体的に社会がタバコ離れに動いていく中、やっぱりこれのリメイクはないのだろう。たぶん発想の元はライターだろうし。わたしの中では、トランスフォーマーなどと同じ位置づけなのだけれど、実写版の新作が公開されているトランスフォーマーとはずいぶん異なる。
というようなことは実はどうでもよく、ゴーストライターの話だった。ウイキペディアの同項目を見ると、え、この人がゴーストライターをやってたのか、という人がたくさんいる。考えてみれば、後には文名が高い人も、最初はかけ出しだったろうから、当然と言えば当然の話なのかも知れない。
野間宏の『文章入門』を読もうとして、ふとこれは野間自身が書いたものか、それとも代作なのかと気になってネットで調べてみると、上記のウイキペディアの項目に行き着いた次第。野間の名誉のために書いておくと、『文章入門』は代作ではないようだ。
そもそも、野間の本を代作かもと思ったのは、川端康成の『新文章読本』が代作だという話を以前読んだことがあったからだ。今回、ウイキペディアにもその旨の記述があった。なんと驚いたことに代作者は伊藤整らしい。すごい取り合わせだ。これは、作者と代作者の名前を併記する形で売ってみたらどうだろう。案外売れるかもしれない。
2014年8月21日木曜日
旧暦7/26 はげ山
垂渓庵です。
以前は六甲山をよく歩いていた。今は全然だけれど。
登山道の近辺には、いわゆる巨木はない。たぶん、登山道から外れても同じだろう。燃料とする木が切られるなどして、近代に入ってからも六甲山ははげ山だったらしいから、それも当然と言えば当然だ。
その後、生活スタイルが変化したことや植樹などもあって、今の山容になったということだ。
もともと六甲山は花崗岩質の山で、表土層なども乏しいのではなかったか。あの山の木を伐採すれば、簡単に表土層が流れ去って、ごつごつしたはげ山になるということだ。
そのごつごつしたはげ山が、ここ百年ほどでずいぶん姿を変えたことになる。
緑を残そうという運動は、長い目で見れば実に効果的なのではないかと思った次第だ。
以前は六甲山をよく歩いていた。今は全然だけれど。
登山道の近辺には、いわゆる巨木はない。たぶん、登山道から外れても同じだろう。燃料とする木が切られるなどして、近代に入ってからも六甲山ははげ山だったらしいから、それも当然と言えば当然だ。
その後、生活スタイルが変化したことや植樹などもあって、今の山容になったということだ。
もともと六甲山は花崗岩質の山で、表土層なども乏しいのではなかったか。あの山の木を伐採すれば、簡単に表土層が流れ去って、ごつごつしたはげ山になるということだ。
そのごつごつしたはげ山が、ここ百年ほどでずいぶん姿を変えたことになる。
緑を残そうという運動は、長い目で見れば実に効果的なのではないかと思った次第だ。
2014年8月20日水曜日
旧暦7/25 夏休みの課題だけれど…
垂渓庵です。
いまは夏休みで時間に余裕がある。ということはこのまえ書いたのだったか。
余裕はあるが、本の部屋はなかなか整理する気にならない。暑いし。
というわけで、本の部屋がえらいことになりつつある。久々に大量処分といこうか。
まずは、これまで残してきた漢籍関係の処分だ。以前だいぶ片付けたけれど、太平御覧だの、白居易集箋校だの、全唐詩の典故関係の時点だの、かさばるものがまだ残っている。
さすがにその辺まで処分を進めれば、少しはすっきりするだろう。今のままじゃ、書庫じゃなくて倉庫だ。
しかし、紙の本は重い。移動させることを考えると、ついつい億劫になってしまう。
さてさて、この休み中に実行できるだろうか。
いまは夏休みで時間に余裕がある。ということはこのまえ書いたのだったか。
余裕はあるが、本の部屋はなかなか整理する気にならない。暑いし。
というわけで、本の部屋がえらいことになりつつある。久々に大量処分といこうか。
まずは、これまで残してきた漢籍関係の処分だ。以前だいぶ片付けたけれど、太平御覧だの、白居易集箋校だの、全唐詩の典故関係の時点だの、かさばるものがまだ残っている。
さすがにその辺まで処分を進めれば、少しはすっきりするだろう。今のままじゃ、書庫じゃなくて倉庫だ。
しかし、紙の本は重い。移動させることを考えると、ついつい億劫になってしまう。
さてさて、この休み中に実行できるだろうか。
2014年8月18日月曜日
旧暦7/23 やじろべえ
垂渓庵です。
何やら記事のアップが順調だ。これからもこの調子でいきたいところだが、たぶん無理だろう。
このブログを料理にたとえればどうなるか。と考え込むまでもなく、たぶんごった煮だろう。これは多少こましな記事だろう、と内心得意でなくもない記事もある一方、これはいかがなものか、と思われるものもある。というか、そっちの方がはるかに多い。
ちょっと情けない気もするけれど、それはそれでわたしの一面を形作っていることも確かだ。いたずらに嘆いてもつまらない。
ま、気を落とすことなく、気長に更新を続けよう。つるかめつるかめ。
ところで、何やらきな臭い雰囲気の昨今、原爆記念日や終戦記念日を迎えての番組を見ながら、自分の立ち位置は、と考えてみて気付いたことがある。どうやらわたしは、世の中が右傾化すれば左の方に、左傾化すれば右の方に引かれる傾向があるらしい。今はどちらにひかれるか。考えるまでもなく答えははっきりしている。
というわけで、エルトゥールル号については、当面授業で触れないことだろう。ほんとうは読ませたいところだけれど。石牟礼道子さんや原田良純さんの文章は積極的に読ませよう。フチークにも触れるとしよう。所長の言うカナリヤだな。
というわけで、残念ながらソルジェニーツィンには、しばらく触れないようにします、所長。
何やら記事のアップが順調だ。これからもこの調子でいきたいところだが、たぶん無理だろう。
このブログを料理にたとえればどうなるか。と考え込むまでもなく、たぶんごった煮だろう。これは多少こましな記事だろう、と内心得意でなくもない記事もある一方、これはいかがなものか、と思われるものもある。というか、そっちの方がはるかに多い。
ちょっと情けない気もするけれど、それはそれでわたしの一面を形作っていることも確かだ。いたずらに嘆いてもつまらない。
ま、気を落とすことなく、気長に更新を続けよう。つるかめつるかめ。
ところで、何やらきな臭い雰囲気の昨今、原爆記念日や終戦記念日を迎えての番組を見ながら、自分の立ち位置は、と考えてみて気付いたことがある。どうやらわたしは、世の中が右傾化すれば左の方に、左傾化すれば右の方に引かれる傾向があるらしい。今はどちらにひかれるか。考えるまでもなく答えははっきりしている。
というわけで、エルトゥールル号については、当面授業で触れないことだろう。ほんとうは読ませたいところだけれど。石牟礼道子さんや原田良純さんの文章は積極的に読ませよう。フチークにも触れるとしよう。所長の言うカナリヤだな。
というわけで、残念ながらソルジェニーツィンには、しばらく触れないようにします、所長。
2014年8月16日土曜日
旧暦7/21 「市民活動家」のうさんくささ
垂渓庵です。
まず誤解がないように一言。わたしは市民運動を否定する者ではない。むしろ、行政などの行き過ぎを是正するために大切なものだと思っている。とてもではないが為政者や官僚が優れているとは言えない例がそこここに落っこちている以上、それらを監視することは必要だし、そのための大きな力になりうるのが、市民の力だと思う。
が、為政者や官僚が優れているとは限らないということは、一般市民も同様である、ということでもある。むしろ、自分は正義だと信じ込んでいる分、たちが悪いと言うこともできる。
先月起きた佐世保での同級生殺害事件に関する次のようなニュースに気付いた。テレビ朝日のニュースを一部引用しよう。
長崎県佐世保市の女子高生による同級生殺害事件を受け、市民団体などが「刑事裁判にかけることは避けるべき」などとする要望書を最高裁に提出しました。
少年問題ネットワーク・毛利甚八さん:「重大少年事件を裁判員裁判にかけるのは避けて下さい。少年の立ち直りのために多様な処遇の道を用意して下さい」
要望書を提出したのは、少年事件の厳罰化に警鐘を鳴らす団体などです。安易に刑事裁判にかけるのではなく、家庭裁判所での徹底した調査を求めています。 「被害者と司法を考える会」の片山徒有代表は「未成年の少年少女には刑事裁判はふさわしくない。刑罰だけでは語り尽くせない『立ち直り』というテーマがと ても大事だ」などと訴えました。
とある。立ち直りを考えるのも結構だけれど、そもそも、この加害者の女の子が何から立ち直るのかが不分明だ。どうして詳細を知る前から、立ち直るべき何かがこの女の子にあったことが分かるのか? もしそんな「挫折」なり、「鬱屈」なりがあったとして、それが分かるのは、審理が公開されてからのことだろう。予断でものを言うなと言いたい。
それに、だ。高校1年でこんなやつに殺された女の子はどうやって立ち直るのか? その家族の気持ちはどうやって立ち直るのか? この「市民」たちには、そういう視点が欠落している。何が何やら分からないうちに家族を失って、その相手が社会的制裁も受けない、そんな世の中は、わたしはごめんだ。
こんな犯罪を犯した者は、刑事裁判に付して審理を公開し、しかるべき刑事罰を受けさせることが必要だというのは、市民の当たり前の感覚ではないかと思うのだけれど、この「市民」の方々は違う。
被害者の家族の心情を忖度すれば、家裁での審判を、というのは余計なお世話だとしか思えない。他人が押しつけていいことではない。それを予断だと言うのならば、自分の家族がこんな不合理な殺され方をしたと想像してみたらいい。それは、予断ではない。健全な市民の感覚だ。
わたしが「市民」活動家に胡散臭さを感じるのは、こんな時だ。
まず誤解がないように一言。わたしは市民運動を否定する者ではない。むしろ、行政などの行き過ぎを是正するために大切なものだと思っている。とてもではないが為政者や官僚が優れているとは言えない例がそこここに落っこちている以上、それらを監視することは必要だし、そのための大きな力になりうるのが、市民の力だと思う。
が、為政者や官僚が優れているとは限らないということは、一般市民も同様である、ということでもある。むしろ、自分は正義だと信じ込んでいる分、たちが悪いと言うこともできる。
先月起きた佐世保での同級生殺害事件に関する次のようなニュースに気付いた。テレビ朝日のニュースを一部引用しよう。
長崎県佐世保市の女子高生による同級生殺害事件を受け、市民団体などが「刑事裁判にかけることは避けるべき」などとする要望書を最高裁に提出しました。
少年問題ネットワーク・毛利甚八さん:「重大少年事件を裁判員裁判にかけるのは避けて下さい。少年の立ち直りのために多様な処遇の道を用意して下さい」
要望書を提出したのは、少年事件の厳罰化に警鐘を鳴らす団体などです。安易に刑事裁判にかけるのではなく、家庭裁判所での徹底した調査を求めています。 「被害者と司法を考える会」の片山徒有代表は「未成年の少年少女には刑事裁判はふさわしくない。刑罰だけでは語り尽くせない『立ち直り』というテーマがと ても大事だ」などと訴えました。
とある。立ち直りを考えるのも結構だけれど、そもそも、この加害者の女の子が何から立ち直るのかが不分明だ。どうして詳細を知る前から、立ち直るべき何かがこの女の子にあったことが分かるのか? もしそんな「挫折」なり、「鬱屈」なりがあったとして、それが分かるのは、審理が公開されてからのことだろう。予断でものを言うなと言いたい。
それに、だ。高校1年でこんなやつに殺された女の子はどうやって立ち直るのか? その家族の気持ちはどうやって立ち直るのか? この「市民」たちには、そういう視点が欠落している。何が何やら分からないうちに家族を失って、その相手が社会的制裁も受けない、そんな世の中は、わたしはごめんだ。
こんな犯罪を犯した者は、刑事裁判に付して審理を公開し、しかるべき刑事罰を受けさせることが必要だというのは、市民の当たり前の感覚ではないかと思うのだけれど、この「市民」の方々は違う。
被害者の家族の心情を忖度すれば、家裁での審判を、というのは余計なお世話だとしか思えない。他人が押しつけていいことではない。それを予断だと言うのならば、自分の家族がこんな不合理な殺され方をしたと想像してみたらいい。それは、予断ではない。健全な市民の感覚だ。
わたしが「市民」活動家に胡散臭さを感じるのは、こんな時だ。
2014年8月6日水曜日
旧暦7/11 定本パンセあるいは裏は真っ白
垂渓庵です。
以前に書いた話とかぶるが、前々回のお値段の考察にとりあげた松浪信三郎訳の『定本パンセ』は、見開き2ページの空白ページがとびとびに現れて、計8ページが真っ白だ。盛大な落丁、ではないな。乱丁? 違う気がする。なんと呼んでいいのかよく分からない。
分からないが、そんなことになる仕組みは、なんとなく想像がつく。
うちの職場の機関誌(?)は、外部の印刷屋さんに印刷をお願いしているが、16ページで1単位となっている。大きな一枚の紙に何ページ分かをまとめて両面印刷し、裁断、製本するという流れを考えると、そうなるのだとか。
これが通り相場だとすると、講談社文庫も同じ方式で造られているものと思われる。で、『定本パンセ』だけれど、空白ページが現れるのは、82-83、86-87、90-91、94-95の各ページだ。ノンブルも含めて何も印刷されてないけれど、位置から言うとそうなる。
さっきの16ページがひとまとまりというお約束を適用すると、81ページから96ページまでがひとまとまりだと推測される。空白ページは、両面印刷すべきそのひとまとまりの片面を印刷し忘れたために生まれたものと推測される。
『定本パンセ』は昭和46年の発刊で、まだ活字を組んで印刷していたものと思しい。今では、原稿も失われていることだろう。印刷されなかったページの紙型(しけい)もないかもしれない。
かなりの力作でありながら、不思議と講談社学術文庫に収められることがないのは、そこらあたりが原因なんじゃないかと思ってみたりもする。
河出書房から出ていた『世界の大思想』シリーズに松浪信三郎訳のパンセが入っているが、底本が違う。空白ページは、もはや完全には復元できないんじゃないだろうか。
以前に書いた話とかぶるが、前々回のお値段の考察にとりあげた松浪信三郎訳の『定本パンセ』は、見開き2ページの空白ページがとびとびに現れて、計8ページが真っ白だ。盛大な落丁、ではないな。乱丁? 違う気がする。なんと呼んでいいのかよく分からない。
分からないが、そんなことになる仕組みは、なんとなく想像がつく。
うちの職場の機関誌(?)は、外部の印刷屋さんに印刷をお願いしているが、16ページで1単位となっている。大きな一枚の紙に何ページ分かをまとめて両面印刷し、裁断、製本するという流れを考えると、そうなるのだとか。
これが通り相場だとすると、講談社文庫も同じ方式で造られているものと思われる。で、『定本パンセ』だけれど、空白ページが現れるのは、82-83、86-87、90-91、94-95の各ページだ。ノンブルも含めて何も印刷されてないけれど、位置から言うとそうなる。
さっきの16ページがひとまとまりというお約束を適用すると、81ページから96ページまでがひとまとまりだと推測される。空白ページは、両面印刷すべきそのひとまとまりの片面を印刷し忘れたために生まれたものと推測される。
『定本パンセ』は昭和46年の発刊で、まだ活字を組んで印刷していたものと思しい。今では、原稿も失われていることだろう。印刷されなかったページの紙型(しけい)もないかもしれない。
かなりの力作でありながら、不思議と講談社学術文庫に収められることがないのは、そこらあたりが原因なんじゃないかと思ってみたりもする。
河出書房から出ていた『世界の大思想』シリーズに松浪信三郎訳のパンセが入っているが、底本が違う。空白ページは、もはや完全には復元できないんじゃないだろうか。
2014年8月3日日曜日
旧暦7/8 犯罪ワーストワンの不思議
垂渓庵です。
大阪と東京の街頭犯罪発生件数を比較したグラフを見ていると、素朴な疑問が湧いてくる。
東京の発生件数が2014年にがくんと減っているのだ。大阪府警の隠蔽工作が功を奏して(?)ワーストワンを抜け出て三年目にあたる。
これは警視庁があわてた結果だろう。
で、あわてた結果どうしたのかが気になるのである。徹底的にパトロールや啓発活動などを強化したのか、大阪府と似たようなことをやっていたのか。いったいどちらだろう。
う
大阪に住んでいるからといって、大阪府警をかばうつもりは毛頭無い。が、府警だけが別格だとはとても思えないのだ。官僚組織なんてそんなものではないか。ゴキブリだって、1匹見つかればその家には他に何十匹もいるなんて言われるぐらいだし。
ところで、わたしの想像が外れていた場合、警視庁は本当に地道な活動で発生件数を減らしたことになる。大阪府警本部長は、ぜひ警視総監にほんとのところを教えてもらったらいい。で、地道な活動の結果によると判明した暁には、ぜひ警視庁に研修に行ってもらいたい。
大阪と東京の街頭犯罪発生件数を比較したグラフを見ていると、素朴な疑問が湧いてくる。
東京の発生件数が2014年にがくんと減っているのだ。大阪府警の隠蔽工作が功を奏して(?)ワーストワンを抜け出て三年目にあたる。
これは警視庁があわてた結果だろう。
で、あわてた結果どうしたのかが気になるのである。徹底的にパトロールや啓発活動などを強化したのか、大阪府と似たようなことをやっていたのか。いったいどちらだろう。
う
大阪に住んでいるからといって、大阪府警をかばうつもりは毛頭無い。が、府警だけが別格だとはとても思えないのだ。官僚組織なんてそんなものではないか。ゴキブリだって、1匹見つかればその家には他に何十匹もいるなんて言われるぐらいだし。
ところで、わたしの想像が外れていた場合、警視庁は本当に地道な活動で発生件数を減らしたことになる。大阪府警本部長は、ぜひ警視総監にほんとのところを教えてもらったらいい。で、地道な活動の結果によると判明した暁には、ぜひ警視庁に研修に行ってもらいたい。
2014年7月30日水曜日
旧暦7/4 お値段の考察
垂渓庵です。
昨日の「ふるほん文庫やさん」、文庫本の値段設定はどうだったんだろう。もはや、忘却の彼方でしかないが、実際に購入した本でその片鱗をうかがうことができる。
『春の海』 宮城道雄著 旺文社文庫
『定本 パンセ』上・下 パスカル著 松浪信三郎訳 講談社文庫
それぞれ一冊1280円だ。
旺文社文庫は、わたしが「ふるほん文庫やさん」に行った時点では、すでに枕草子などを除いて、書店から姿を消していた。宮城道雄の『春の海』は、その中でも古書店でほとんど姿を見かけないものだった。たぶんそんなにたくさんは刷られていなかったのだろう。見つけた時には、少し胸が弾んだ。
昨日の「ふるほん文庫やさん」、文庫本の値段設定はどうだったんだろう。もはや、忘却の彼方でしかないが、実際に購入した本でその片鱗をうかがうことができる。
『春の海』 宮城道雄著 旺文社文庫
『定本 パンセ』上・下 パスカル著 松浪信三郎訳 講談社文庫
それぞれ一冊1280円だ。
旺文社文庫は、わたしが「ふるほん文庫やさん」に行った時点では、すでに枕草子などを除いて、書店から姿を消していた。宮城道雄の『春の海』は、その中でも古書店でほとんど姿を見かけないものだった。たぶんそんなにたくさんは刷られていなかったのだろう。見つけた時には、少し胸が弾んだ。
2014年7月29日火曜日
旧暦7/3 ふるほん文庫やさん
垂渓庵です。
ふるほん文庫やさん、という文庫本専門の古本屋さんがあった。社長の谷口という人が、『ふるほん文庫やさんの奇跡』という本を出していたように思う。
文庫本に特化した古本屋さんで、一時期話題になったのではなかったか。入手の困難度に応じて三段階か四段階ぐらいの値段設定をしていたように思う。
わたしは、古本の検索サイトであるスーパー源氏 が運用を始めた初期の頃に、そこ経由で存在を知ったように思う。いや、ふるほん文庫やさんについては、谷口さんの本を紹介する新聞記事か何かで知ったのだったか。よく覚えていない。
ともかく、わたしがその存在を知った当時は、けっこう世の中の注目を集めていたように思う。amazonその他のサイトもそれほど大きくない頃ではなかったか。。
本拠を九州の小倉かどこかに構え、全国に賛助会員みたいなのを募り、各地の古本屋さんかの棚からめぼしい文庫を抜いてもらい、それを集約して売るってことをやっていたように思う。
わたしは、角川文庫の「宇津保物語」がないかと思い、連絡を取ったことがある。もちろん、なかった。
記憶が定かではないのだけれど、わたしはその本拠に立ち寄ったことがある。九州の久住山への山行帰りのことだ。
小倉(?)の駅からはバスに乗ったように思う。どのバス停だったかは覚えていないけれど、しばらくバスに揺られて、バス停前に店舗はあったと記憶している。
仮店舗と言った趣の店内に文庫本が所狭しと並べられていた。店内を見ることしばし、古典関係や講談社学術文庫、岩波文庫関係はそんなに充実していない印象だった。
ただ、講談社文庫版のパンセがあったのには、びっくりした。即購入を決定。二冊で2500円ほどだったか。あと、宮城道雄の春の海その他何冊かを購入した。
二、三日前に久々にふるほん文庫やさんの存在を思い出し、検索をかけてみたところ、去年閉店し、谷口社長の行方も分からないということを知った。なんか、文庫本だけの図書館を作るとか、意気盛んだったように思うだけに、意外だ。
ネットを活用しようとしたところは、目の付け所がよかったのだろうけれど、その後のネットの急速な発達で、思うに任せない状態が続いたのではなかろうか。今やへたすりゃ文庫本の古本は、amazonで1円で変えてしまう。大規模古書店もあるし、ネットに力を入れる古本屋さんもたくさんある。
まさに往事茫々だ。
ふるほん文庫やさん、という文庫本専門の古本屋さんがあった。社長の谷口という人が、『ふるほん文庫やさんの奇跡』という本を出していたように思う。
文庫本に特化した古本屋さんで、一時期話題になったのではなかったか。入手の困難度に応じて三段階か四段階ぐらいの値段設定をしていたように思う。
わたしは、古本の検索サイトであるスーパー源氏 が運用を始めた初期の頃に、そこ経由で存在を知ったように思う。いや、ふるほん文庫やさんについては、谷口さんの本を紹介する新聞記事か何かで知ったのだったか。よく覚えていない。
ともかく、わたしがその存在を知った当時は、けっこう世の中の注目を集めていたように思う。amazonその他のサイトもそれほど大きくない頃ではなかったか。。
本拠を九州の小倉かどこかに構え、全国に賛助会員みたいなのを募り、各地の古本屋さんかの棚からめぼしい文庫を抜いてもらい、それを集約して売るってことをやっていたように思う。
わたしは、角川文庫の「宇津保物語」がないかと思い、連絡を取ったことがある。もちろん、なかった。
記憶が定かではないのだけれど、わたしはその本拠に立ち寄ったことがある。九州の久住山への山行帰りのことだ。
小倉(?)の駅からはバスに乗ったように思う。どのバス停だったかは覚えていないけれど、しばらくバスに揺られて、バス停前に店舗はあったと記憶している。
仮店舗と言った趣の店内に文庫本が所狭しと並べられていた。店内を見ることしばし、古典関係や講談社学術文庫、岩波文庫関係はそんなに充実していない印象だった。
ただ、講談社文庫版のパンセがあったのには、びっくりした。即購入を決定。二冊で2500円ほどだったか。あと、宮城道雄の春の海その他何冊かを購入した。
二、三日前に久々にふるほん文庫やさんの存在を思い出し、検索をかけてみたところ、去年閉店し、谷口社長の行方も分からないということを知った。なんか、文庫本だけの図書館を作るとか、意気盛んだったように思うだけに、意外だ。
ネットを活用しようとしたところは、目の付け所がよかったのだろうけれど、その後のネットの急速な発達で、思うに任せない状態が続いたのではなかろうか。今やへたすりゃ文庫本の古本は、amazonで1円で変えてしまう。大規模古書店もあるし、ネットに力を入れる古本屋さんもたくさんある。
まさに往事茫々だ。
2014年7月28日月曜日
旧暦7/2 気付けば元号泣県議
垂渓庵です。
セクハラやじのことを書いてしばらくして、号泣県議が一躍スターダムに躍り出た。実はわたしはあまりちゃんと彼の芸を見ていない。ちょうど忙しい頃だったのだ。でも、噂は聞いた。
気付けば、彼も県議に元がついている。週刊誌にインタビュー記事が載っていたりもする。
さて、それはともかく、彼の話から火がついて、政務調査費だったかな、の領収書があるとかないとかいう問題が全国に広がっているようだ。
これは、あれか。高校野球の特待生問題や、ホテル・レストランの食材偽装問題と同じか。
最初に発覚したところがえらいこと厳しい批判にさらされてきついペナルティ、その後、雨後の筍のようにぼこぼこと発覚したところは、なし崩し的にスルーってことになるに違いない。
未履修の問題を思い返すと、高校に勤務するわたしとしては、あまりえらそうなことは言えないのだけれど、なんだかなあ。
セクハラやじのことを書いてしばらくして、号泣県議が一躍スターダムに躍り出た。実はわたしはあまりちゃんと彼の芸を見ていない。ちょうど忙しい頃だったのだ。でも、噂は聞いた。
気付けば、彼も県議に元がついている。週刊誌にインタビュー記事が載っていたりもする。
さて、それはともかく、彼の話から火がついて、政務調査費だったかな、の領収書があるとかないとかいう問題が全国に広がっているようだ。
これは、あれか。高校野球の特待生問題や、ホテル・レストランの食材偽装問題と同じか。
最初に発覚したところがえらいこと厳しい批判にさらされてきついペナルティ、その後、雨後の筍のようにぼこぼこと発覚したところは、なし崩し的にスルーってことになるに違いない。
未履修の問題を思い返すと、高校に勤務するわたしとしては、あまりえらそうなことは言えないのだけれど、なんだかなあ。
2014年6月24日火曜日
旧暦5/27 そこへ直れ! ──セクハラやじ都議の醜聞
垂渓庵です。
セクハラやじということばが踊る今日このごろ。なぜかセクハラおやじと見間違えてしまう。どっちでも同じような気がしないでもない。というか、セクハラおやじの方がぴったりではないか。
そのセクハラおやじ都議が一人判明した。その方の釈明会見というのがふるっている。こんな感じだ、とリンクを張るまでもなく、みなさんご存じのことだろう。
なんというか、恥の上塗りというかバカに付ける薬はないというか…。
所長が指摘していたように、周りは誰がやじっていたか分かりそうなものだ。誰もそういう指摘をしそうにないところを見ると、自民の方々はだんまりを決め込むつもりか。
大物がセクハラおやじに含まれているのかな。それなら鈴木章浩ってやつはスケープゴートなんだろう。もちろん、鈴木某がとことんまでだめだめということもありうる。
何にしても、醜聞の上塗りだ。最初はやじってませんと嘘をついて、しらを切り通せなくなると、思いっきり自己保身に走る。彼は子持ちだそうだけれど、子どもはどう思っているのだろう。こんなやつの心性を受け継いでいないことを祈るばかりだ。わたしが鈴木某なら、子どもに合わす顔がないところだ。
セクハラやじということばが踊る今日このごろ。なぜかセクハラおやじと見間違えてしまう。どっちでも同じような気がしないでもない。というか、セクハラおやじの方がぴったりではないか。
そのセクハラおやじ都議が一人判明した。その方の釈明会見というのがふるっている。こんな感じだ、とリンクを張るまでもなく、みなさんご存じのことだろう。
なんというか、恥の上塗りというかバカに付ける薬はないというか…。
所長が指摘していたように、周りは誰がやじっていたか分かりそうなものだ。誰もそういう指摘をしそうにないところを見ると、自民の方々はだんまりを決め込むつもりか。
大物がセクハラおやじに含まれているのかな。それなら鈴木章浩ってやつはスケープゴートなんだろう。もちろん、鈴木某がとことんまでだめだめということもありうる。
何にしても、醜聞の上塗りだ。最初はやじってませんと嘘をついて、しらを切り通せなくなると、思いっきり自己保身に走る。彼は子持ちだそうだけれど、子どもはどう思っているのだろう。こんなやつの心性を受け継いでいないことを祈るばかりだ。わたしが鈴木某なら、子どもに合わす顔がないところだ。
2014年6月23日月曜日
旧暦5/26 邪魔せんでもらいたい──都議のヤジを考える
垂渓庵です。
女性都議へのヤジ問題が香ばしいことになっている。
総じて議員のヤジが下品なことは今さら驚くにはあたらない。今回問題になっている発言についても、その程度のことしか言えない方が議員になっているということだ。今回の場合は、これだけ問題になっているにも関わらず、発言者は名乗り出ないというおまけまでついているけれど。議会制民主主義の限界が露呈しているどうこうというようなたいそうなことではなく、こういう方々はすこぶる邪魔だ。
今回の件で迷惑を感じている、あるいは過去にこれに類した騒動で迷惑を感じていた教師や親は、きわめて多いのではないか。
何しろ、普段から、嘘を言っちゃいけません、正直でないといけません、乱暴な口をきいてはいけません、ってなことを子どもに言い、実際にそう願い、多少なりともその範を示そうとしているのに、今回のような馬鹿な手合いが全てをぶちこわしてくれるのだから。
こういうバカ──あえてそう呼ばせていただく──を目の当たりにして、子どもがどうして正直でいようと思うだろう。どうして人に丁寧に接さないといけないと思うようになるだろう。議員というのはこういうバカのなるものだから、まねしちゃだめとでも言えばいいのだろうか。そりゃ議会制民主主義の否定だ。
個人的には、こういう方々にはほんとうに口チャックをつけてさしあげればいいのではないかと思う。もちろん鍵つきのやつで、議会に出ている間は鍵をかけてあげるのだ。それでは発言できない? 発言したあげくがこのていたらくだ。発言などしない方がいいのではないか。
維○の会の方々も含め、教育制度にあれこれと注文を付けいじくり回す方々は、こういうどうしようもない手合い退治にもぜひ熱心に取り組んでもらいたいものだ。
女性都議へのヤジ問題が香ばしいことになっている。
総じて議員のヤジが下品なことは今さら驚くにはあたらない。今回問題になっている発言についても、その程度のことしか言えない方が議員になっているということだ。今回の場合は、これだけ問題になっているにも関わらず、発言者は名乗り出ないというおまけまでついているけれど。議会制民主主義の限界が露呈しているどうこうというようなたいそうなことではなく、こういう方々はすこぶる邪魔だ。
今回の件で迷惑を感じている、あるいは過去にこれに類した騒動で迷惑を感じていた教師や親は、きわめて多いのではないか。
何しろ、普段から、嘘を言っちゃいけません、正直でないといけません、乱暴な口をきいてはいけません、ってなことを子どもに言い、実際にそう願い、多少なりともその範を示そうとしているのに、今回のような馬鹿な手合いが全てをぶちこわしてくれるのだから。
こういうバカ──あえてそう呼ばせていただく──を目の当たりにして、子どもがどうして正直でいようと思うだろう。どうして人に丁寧に接さないといけないと思うようになるだろう。議員というのはこういうバカのなるものだから、まねしちゃだめとでも言えばいいのだろうか。そりゃ議会制民主主義の否定だ。
個人的には、こういう方々にはほんとうに口チャックをつけてさしあげればいいのではないかと思う。もちろん鍵つきのやつで、議会に出ている間は鍵をかけてあげるのだ。それでは発言できない? 発言したあげくがこのていたらくだ。発言などしない方がいいのではないか。
維○の会の方々も含め、教育制度にあれこれと注文を付けいじくり回す方々は、こういうどうしようもない手合い退治にもぜひ熱心に取り組んでもらいたいものだ。
2014年6月10日火曜日
旧暦5/13 本を売るならBOOK・〇FF
垂渓庵です。
最近、時々ブックオフや古本市場などに行く。昔風に言うなら、黒い本を見かけることはないけれど、白い本はとてもよく揃っている。
それこそ、都心にある大規模な支店などは、とてもあなどれない品揃えだ。というわけで、しばしば利用することになる。
もちろん、そこそこ名前の通っている作家でない限り、満足のいく品揃えとは限らない。また、岩波文庫や講談社学術文庫など、白い本なんだけれども、黒い本的な動きをするものも歯抜け状態だ。
というわけで、大規模な古本屋さんには、そこそこ名前が通っていて、最近読み出した作家さんの本を探しに行くという感じになる。
たとえば舞城王太郎さんだな。これからは、清涼院流水さんや西尾維新さんの本も探していこうと思う。伊藤計劃さんの本も探してみよう。
新刊の売り上げにも作家さんの収入にもまったく反映していないけれど、生徒に紹介するという形で貢献するということにしておこう。
最近、時々ブックオフや古本市場などに行く。昔風に言うなら、黒い本を見かけることはないけれど、白い本はとてもよく揃っている。
それこそ、都心にある大規模な支店などは、とてもあなどれない品揃えだ。というわけで、しばしば利用することになる。
もちろん、そこそこ名前の通っている作家でない限り、満足のいく品揃えとは限らない。また、岩波文庫や講談社学術文庫など、白い本なんだけれども、黒い本的な動きをするものも歯抜け状態だ。
というわけで、大規模な古本屋さんには、そこそこ名前が通っていて、最近読み出した作家さんの本を探しに行くという感じになる。
たとえば舞城王太郎さんだな。これからは、清涼院流水さんや西尾維新さんの本も探していこうと思う。伊藤計劃さんの本も探してみよう。
新刊の売り上げにも作家さんの収入にもまったく反映していないけれど、生徒に紹介するという形で貢献するということにしておこう。
2014年6月9日月曜日
旧暦5/12 句を作らせる(改訂版)
垂渓庵です。
以前から機会があるごとに生徒に川柳を作らせている。国民文化祭や全日本川柳大会などだ。
今年の国民文化祭にも生徒に作らせ句を出句することにした。小中学生の事前投句の題は、「米」「渡り鳥」「自由に作る」だ。
以前からの傾向を見るに、ご当地の名物とからませた題が出されることが多いように思われる。しかし、米離れの言われる中での「米」という題は、生徒には厳しいものとなったようだ。
というか、ご当地にちなむ題だというので、無理矢理「田園風景のなつかしさ」だの、「米の飯のすばらしさ」だのを詠む句が多かったように思われる。生徒に聞くまでもなく、あからさまに嘘だ。
ま、虚構は人間にしか作り出せないわけで、そういう意味では彼らは人間的に振る舞っているといえるわけだ。とへりくつをこねてみたところで、やっぱり彼らに嘘を強要しているわけで、こんなことでいいのかと思わないでもない。
以前から機会があるごとに生徒に川柳を作らせている。国民文化祭や全日本川柳大会などだ。
今年の国民文化祭にも生徒に作らせ句を出句することにした。小中学生の事前投句の題は、「米」「渡り鳥」「自由に作る」だ。
以前からの傾向を見るに、ご当地の名物とからませた題が出されることが多いように思われる。しかし、米離れの言われる中での「米」という題は、生徒には厳しいものとなったようだ。
というか、ご当地にちなむ題だというので、無理矢理「田園風景のなつかしさ」だの、「米の飯のすばらしさ」だのを詠む句が多かったように思われる。生徒に聞くまでもなく、あからさまに嘘だ。
ま、虚構は人間にしか作り出せないわけで、そういう意味では彼らは人間的に振る舞っているといえるわけだ。とへりくつをこねてみたところで、やっぱり彼らに嘘を強要しているわけで、こんなことでいいのかと思わないでもない。
2014年5月26日月曜日
旧暦4/28 ログインできない
垂渓庵です。
昼休みを使ってブログの記事を書くときがある。職場的にセーフなのかアウトなのか微妙なところだけれど。
しかし、最近めっきりブログの管理画面を開くこともなくなった。雑用が多いというのもあるけれど、どうしたことか、管理画面がなかなか開かないのだ。gmailにもログインしにくくなっているし、職場のネット環境に問題があるのか。あるいは、そんなことがしにくいように、何らかの形でブロックされているのか。詳細はわからない。
ま、ブログの管理画面云々はいいとして、困るのはgmailだ。職場の仕事関係でメールがくることも当然ながらあるわけで、それを見ることができないのはすこぶる困る。なんとかならないものか。
この記事は、かろうじてログインできたすきをついて(?)書いている。次にログインできるのはいつのことなんだろう。むう。
昼休みを使ってブログの記事を書くときがある。職場的にセーフなのかアウトなのか微妙なところだけれど。
しかし、最近めっきりブログの管理画面を開くこともなくなった。雑用が多いというのもあるけれど、どうしたことか、管理画面がなかなか開かないのだ。gmailにもログインしにくくなっているし、職場のネット環境に問題があるのか。あるいは、そんなことがしにくいように、何らかの形でブロックされているのか。詳細はわからない。
ま、ブログの管理画面云々はいいとして、困るのはgmailだ。職場の仕事関係でメールがくることも当然ながらあるわけで、それを見ることができないのはすこぶる困る。なんとかならないものか。
この記事は、かろうじてログインできたすきをついて(?)書いている。次にログインできるのはいつのことなんだろう。むう。
2014年5月17日土曜日
旧暦4/19 全然できぬ
垂渓庵です。
どうも雑用やら何やらで、なかなか更新できない。
この状態はもう少し続きそうだ。やれやれ。
本も思うように読むことができない。ますますやれやれだ。
せっかく横田順弥さんの「日本SF古典集成」を手に入れたというのに。
どうも雑用やら何やらで、なかなか更新できない。
この状態はもう少し続きそうだ。やれやれ。
本も思うように読むことができない。ますますやれやれだ。
せっかく横田順弥さんの「日本SF古典集成」を手に入れたというのに。
2014年4月18日金曜日
旧暦3/19 マルケスが死んだ
垂渓庵です。
さっきガルシア=マルケスが死んだという記事を見た。17日のことらしい。
最初に読んだのは、集英社文庫の「大佐に手紙はこない」だったか。高校生の頃だった。その後、「落ち葉」、「悪い時」、「エレンディラ」と読み進めたのだった。
決して理解できたわけではなかった。いわゆる背伸びというやつである。「百年の孤独」、「族長の秋」と読んでいってすごさがなんとなく分かったというところだったか。
それ以後も新刊が出るたびに読み進めていった。その縁でボルヘスやカルペンティエール、リョサなどなども読むようになった。結局集英社版の「ラテンアメリカの文学」を買うことになったのだった。
マルケスは、やはり「族長の秋」や「百年の孤独」にとどめをさすと思われるけれど、ルポルタージュにも面白い作品がいくつかある。「戒厳令下チリ潜入記」は、 特に印象に残っている。これも読んだのは高校生か大学生の頃だ。
ああ、往事茫々だな。
あの世では、かつてのマジック・レアリズムばりばりの作品をまた書いてほしいと思う。
さっきガルシア=マルケスが死んだという記事を見た。17日のことらしい。
最初に読んだのは、集英社文庫の「大佐に手紙はこない」だったか。高校生の頃だった。その後、「落ち葉」、「悪い時」、「エレンディラ」と読み進めたのだった。
決して理解できたわけではなかった。いわゆる背伸びというやつである。「百年の孤独」、「族長の秋」と読んでいってすごさがなんとなく分かったというところだったか。
それ以後も新刊が出るたびに読み進めていった。その縁でボルヘスやカルペンティエール、リョサなどなども読むようになった。結局集英社版の「ラテンアメリカの文学」を買うことになったのだった。
マルケスは、やはり「族長の秋」や「百年の孤独」にとどめをさすと思われるけれど、ルポルタージュにも面白い作品がいくつかある。「戒厳令下チリ潜入記」は、 特に印象に残っている。これも読んだのは高校生か大学生の頃だ。
ああ、往事茫々だな。
あの世では、かつてのマジック・レアリズムばりばりの作品をまた書いてほしいと思う。
2014年4月7日月曜日
旧暦3/8 殺人鬼
垂渓庵です。
表題は、現実にあった凶悪犯罪の犯人を指しているのではない。浜尾四郎の長編小説の題名だ。
わたしは、例によってkindleで読んだので、紙の本の厚さは分からないけれど、中編ということはないと思う。読み終わるまでに六時間近くかかったので、けっこう分厚い本になるのではなかろうか。
戦前の発表なので、人物設定や風俗描写などは古いところがある。が、犯人当てという点では、読んでいて十分に面白い作品だった。たぶん大方の人は犯人を当てられないのではないかと思う。当然わたしも当てられなかった。
表題は、現実にあった凶悪犯罪の犯人を指しているのではない。浜尾四郎の長編小説の題名だ。
わたしは、例によってkindleで読んだので、紙の本の厚さは分からないけれど、中編ということはないと思う。読み終わるまでに六時間近くかかったので、けっこう分厚い本になるのではなかろうか。
戦前の発表なので、人物設定や風俗描写などは古いところがある。が、犯人当てという点では、読んでいて十分に面白い作品だった。たぶん大方の人は犯人を当てられないのではないかと思う。当然わたしも当てられなかった。
2014年3月31日月曜日
旧暦3/1 シュールな光景
垂渓庵です。
わたしは電車で通勤している。普段は梅田で地下鉄御堂筋線に乗り換える。
二年ほど前だったか、よんどころない事情で遅刻せねばならなかったことがあった。よりによってちょうどその日、地下鉄御堂筋線の梅田駅でぼや騒ぎがあった。覚えておいでの方もいることだろう。
間の悪いこと、この上ない。回り道をせねばならず、とても閉口した。おまけに携帯の充電も忘れていたので、職場に連絡するのも一苦労だった。ホームの倉庫で誰やらが隠れて吸っていたタバコの火の不始末が原因だったらしい。いい加減にしてくれという感じだ。
おかげで他の線を利用し、さらに他社路線にも乗り継がねばならず、普段よりも大幅に時間がかかってしまった。
わたしは電車で通勤している。普段は梅田で地下鉄御堂筋線に乗り換える。
二年ほど前だったか、よんどころない事情で遅刻せねばならなかったことがあった。よりによってちょうどその日、地下鉄御堂筋線の梅田駅でぼや騒ぎがあった。覚えておいでの方もいることだろう。
間の悪いこと、この上ない。回り道をせねばならず、とても閉口した。おまけに携帯の充電も忘れていたので、職場に連絡するのも一苦労だった。ホームの倉庫で誰やらが隠れて吸っていたタバコの火の不始末が原因だったらしい。いい加減にしてくれという感じだ。
おかげで他の線を利用し、さらに他社路線にも乗り継がねばならず、普段よりも大幅に時間がかかってしまった。
2014年3月30日日曜日
旧暦2/30 小休止と追悼
垂渓庵です。
この春は子供とずいぶん出歩いた。
今日は雨が降っている。これ幸いと小休止にする次第。
さて、昨年から今年にかけて、わたしの世代が慣れ親しんだ声の持ち主の方たちが何人も亡くなっている。
この春は子供とずいぶん出歩いた。
今日は雨が降っている。これ幸いと小休止にする次第。
さて、昨年から今年にかけて、わたしの世代が慣れ親しんだ声の持ち主の方たちが何人も亡くなっている。
2014年3月27日木曜日
旧暦2/27 理想気体とラング
垂渓庵です。
理想気体というものがある。いや、実在はしていないから、「ある」というのは適当ではないかも知れない。が、とにかく理想気体というものが、物理学や化学の世界では考えられている。
高校生の頃のおぼろげな記憶によれば、気体分子の体積や質量などをゼロと仮定したものを言うのではなかったか。仮にそのような存在を考えることで、気体の物理的振る舞いを法則化しようということなのではなかったかと思う。
質量や体積がゼロという仮想の存在故に、たとえば、絶対零度では体積がゼロになるという、常識的には考えにくい帰結も招くのだけれど、理想気体というモデルを導入することで、実際のさまざまな質量や体積を持った気体分子の振る舞いを、統一的に理解できるようにもなる。
このモデル化というものが、西洋科学の発想の源というか、基層にあると考えていいのではないかと思う。もちろん、神話や伝説なでも一種のモデル化と言えなくもないと思うけれど、科学との違いを考え出すと面倒なので割愛する。大森荘蔵あたりの議論を参考にしてもらえればよいのではなかろうか。
理想気体というものがある。いや、実在はしていないから、「ある」というのは適当ではないかも知れない。が、とにかく理想気体というものが、物理学や化学の世界では考えられている。
高校生の頃のおぼろげな記憶によれば、気体分子の体積や質量などをゼロと仮定したものを言うのではなかったか。仮にそのような存在を考えることで、気体の物理的振る舞いを法則化しようということなのではなかったかと思う。
質量や体積がゼロという仮想の存在故に、たとえば、絶対零度では体積がゼロになるという、常識的には考えにくい帰結も招くのだけれど、理想気体というモデルを導入することで、実際のさまざまな質量や体積を持った気体分子の振る舞いを、統一的に理解できるようにもなる。
このモデル化というものが、西洋科学の発想の源というか、基層にあると考えていいのではないかと思う。もちろん、神話や伝説なでも一種のモデル化と言えなくもないと思うけれど、科学との違いを考え出すと面倒なので割愛する。大森荘蔵あたりの議論を参考にしてもらえればよいのではなかろうか。
2014年3月24日月曜日
旧暦2/24 三国伝記とカタカナ
垂渓庵です。
月日の経つのは早い。というか、いったんブログの更新を滞らせてしまうと、どんどん更新間隔が開いてしまう。ずいずいのんのんと毎日が過ぎていく。
そんなこんなでもう春休みに入った。いやはや、である。
さて、最近、故あって古い説話集などを見ていた。一般的なものだけではなくて、あまり一般的でないようなものも見ていた。といっても、岩波新古典文学大系で手軽に見ることができるものだけれど。
月日の経つのは早い。というか、いったんブログの更新を滞らせてしまうと、どんどん更新間隔が開いてしまう。ずいずいのんのんと毎日が過ぎていく。
そんなこんなでもう春休みに入った。いやはや、である。
さて、最近、故あって古い説話集などを見ていた。一般的なものだけではなくて、あまり一般的でないようなものも見ていた。といっても、岩波新古典文学大系で手軽に見ることができるものだけれど。
2014年3月14日金曜日
旧暦2/14 右門の変身
垂渓庵です。
たまたま佐々木味津三の「右門捕物帖」が青空文庫に入っていたので、続けて読んでいる。それほど好んでいるのかと言われると、実はちょっと自信がなかったりする。惰性による所が大きいのではないかという気がしなくもなくなくなくない。あれ。
が、さすがに四十編近く読み進めてくると、それなりに愛着も湧いてくる。右門はもちろんだが、右門の手下の伝六などもまあお気に入りにと言っていいかもしれない。
ところで、 そうやって続けて読んできたことで気付いたことがある。
たまたま佐々木味津三の「右門捕物帖」が青空文庫に入っていたので、続けて読んでいる。それほど好んでいるのかと言われると、実はちょっと自信がなかったりする。惰性による所が大きいのではないかという気がしなくもなくなくなくない。あれ。
が、さすがに四十編近く読み進めてくると、それなりに愛着も湧いてくる。右門はもちろんだが、右門の手下の伝六などもまあお気に入りにと言っていいかもしれない。
ところで、 そうやって続けて読んできたことで気付いたことがある。
2014年3月11日火曜日
旧暦2/11 アンパンマンと共産主義
垂渓庵です。
子供が時々アンパンマンを見る。以前は頻繁に見ていたが、今はそれほどではない。たまに気が向いたら見るという感じだ。
で、先日、一緒に見ていてふと気付いた。かばおくんやねこみ、ちびぞうたち、あるいは、西部の人達などなどは、いつもジャムおじさんのパンをもらったり、鉄火のマキちゃんやナポリタンロールちゃん、どんぶりまんトリオなどに食べ物をもらっている。
彼らのなりわいはいったい何だ。かばおくんたちは子供だからまあいいとして、彼らのお父さんお母さんの仕事はいったい何だろう。そのほか、町のみなさんの仕事も気になるところだ。
一方にジャムおじさんたち、さまざまなものの供給をする人達がいて、一方に無為徒食、供給者に寄生をするがごとくに生きる人達がいる、ある意味悪夢のような世界がアンパンマンの世界なんだろうか。わたしの直感は違うと告げている。あの世界はあれだ、もっと牧歌的なもののような気がする。
では、どう考えればいいのだろう。
子供が時々アンパンマンを見る。以前は頻繁に見ていたが、今はそれほどではない。たまに気が向いたら見るという感じだ。
で、先日、一緒に見ていてふと気付いた。かばおくんやねこみ、ちびぞうたち、あるいは、西部の人達などなどは、いつもジャムおじさんのパンをもらったり、鉄火のマキちゃんやナポリタンロールちゃん、どんぶりまんトリオなどに食べ物をもらっている。
彼らのなりわいはいったい何だ。かばおくんたちは子供だからまあいいとして、彼らのお父さんお母さんの仕事はいったい何だろう。そのほか、町のみなさんの仕事も気になるところだ。
一方にジャムおじさんたち、さまざまなものの供給をする人達がいて、一方に無為徒食、供給者に寄生をするがごとくに生きる人達がいる、ある意味悪夢のような世界がアンパンマンの世界なんだろうか。わたしの直感は違うと告げている。あの世界はあれだ、もっと牧歌的なもののような気がする。
では、どう考えればいいのだろう。
2014年2月10日月曜日
旧暦1/11 身軽に・続き
垂渓庵です。
以前、本を処分しつつあるという話を書いたような気がする。処分を思い切るまでは、逡巡もしたけれど、いったん決めると、あれもこれもという感じでどんどん処分したくなってくる。
先日も専門書を中心にけっこう売っぱらった。いちばんの大物は、池田亀鑑の『古典の批判的処置に関する研究』 だ。ぜんぶまとめていくらって感じ値段が付くので、これだけでいくらになったのかは、分からない。が、あまり高くないのだろうなということは想像がつく。古文関係の専門書は本当に安くなった。
以前、本を処分しつつあるという話を書いたような気がする。処分を思い切るまでは、逡巡もしたけれど、いったん決めると、あれもこれもという感じでどんどん処分したくなってくる。
先日も専門書を中心にけっこう売っぱらった。いちばんの大物は、池田亀鑑の『古典の批判的処置に関する研究』 だ。ぜんぶまとめていくらって感じ値段が付くので、これだけでいくらになったのかは、分からない。が、あまり高くないのだろうなということは想像がつく。古文関係の専門書は本当に安くなった。
2014年2月6日木曜日
旧暦1/7 佐村河内守の勘違い
垂渓庵です。
今回たいへん香ばしい騒動になるまで、佐村河内守なる人のことは全然知らなかった。ゴーストライターの会見が行われるということだから、ここまで世間を欺き続けてきた経緯についても明らかになっていくことだろう。
何にしても、この佐村河内なる人は、逆境に立ち向かう刻苦精励の人に対する漠然とした不信感を、世の中の人に植え付けたのではなかろうかと思われる。ある意味、彼のやったことは、普通にものを盗ったとか喧嘩したとかいうような行為よりも最低だと言えるのではないか。本人の説明をとっくりと聞きたいところだ。
さて、その佐村河内守なる人の名前を文字で始めてみた時、わたしは全然読み方を間違っていた。
今回たいへん香ばしい騒動になるまで、佐村河内守なる人のことは全然知らなかった。ゴーストライターの会見が行われるということだから、ここまで世間を欺き続けてきた経緯についても明らかになっていくことだろう。
何にしても、この佐村河内なる人は、逆境に立ち向かう刻苦精励の人に対する漠然とした不信感を、世の中の人に植え付けたのではなかろうかと思われる。ある意味、彼のやったことは、普通にものを盗ったとか喧嘩したとかいうような行為よりも最低だと言えるのではないか。本人の説明をとっくりと聞きたいところだ。
さて、その佐村河内守なる人の名前を文字で始めてみた時、わたしは全然読み方を間違っていた。
2014年1月26日日曜日
旧暦12/26 火田七瀬を考える 2
垂渓庵です。
筒井康隆さんの七瀬シリーズについてその2だ。もっとも、第三作の『エディプスの恋人』は読まないままなんだけれど。
ざっくりと前回を振り返ると、『家族八景』の七瀬に違和感を感じるのはなぜなのだろう、という話だった。
その原因の一つとしては、当時のSF周辺のメディアでの七瀬評自体が、そもそも『家族八景』の七瀬像とは少しずれてたんじゃないか、ってことを指摘した。今回はその続き。
筒井康隆さんの七瀬シリーズについてその2だ。もっとも、第三作の『エディプスの恋人』は読まないままなんだけれど。
ざっくりと前回を振り返ると、『家族八景』の七瀬に違和感を感じるのはなぜなのだろう、という話だった。
その原因の一つとしては、当時のSF周辺のメディアでの七瀬評自体が、そもそも『家族八景』の七瀬像とは少しずれてたんじゃないか、ってことを指摘した。今回はその続き。
2014年1月21日火曜日
旧暦12/21 火田七瀬を考える 1
垂渓庵です。久方ぶりの更新だけれど、もういちいち触れるのも面倒になってきた。ちょっと忙しかったのです。
この何日かで筒井康隆さんの『家族八景』と『七瀬ふたたび』を読んだ。再読ではない。初読だ。おまえはそれでSFファンをよく名乗っているなと言われそうだが、わたしの未読SFをリストにしたら、おまえなんかSFファンじゃないと言われるところだろう。が、何と言われようが、わたしはSFファンだ。どうしても納得できないという方が多ければ、心のSFファンと言ってもいい。
さて、『家族八景』と『七瀬ふたたび』を読んで思ったことを少し書いてみよう。ほんとうは、『エディプスの恋人』も含めて三部作なのだけれど、まだ読んでない。読むとしてももう少し先になりそうだ。というわけで、印象がはっきりしているうちに書いておく次第。記憶力が劣化しているしね。
この何日かで筒井康隆さんの『家族八景』と『七瀬ふたたび』を読んだ。再読ではない。初読だ。おまえはそれでSFファンをよく名乗っているなと言われそうだが、わたしの未読SFをリストにしたら、おまえなんかSFファンじゃないと言われるところだろう。が、何と言われようが、わたしはSFファンだ。どうしても納得できないという方が多ければ、心のSFファンと言ってもいい。
さて、『家族八景』と『七瀬ふたたび』を読んで思ったことを少し書いてみよう。ほんとうは、『エディプスの恋人』も含めて三部作なのだけれど、まだ読んでない。読むとしてももう少し先になりそうだ。というわけで、印象がはっきりしているうちに書いておく次第。記憶力が劣化しているしね。
2014年1月12日日曜日
旧暦12/12 いったい…
垂渓庵です。
以前このブログで田中啓文さんに触れたことがあると思う。『蹴りたい田中』や『銀河帝国の弘法も筆の誤り』『異形家の食卓』などの作者である、大阪在住の気鋭のSF・ホラー・ミステリー作家だ。また、ジャズサックス奏者でもある。
で、その田中さんの小説を冬休み前後に何冊か読んだ。ここでは、その一冊、『こなもん屋馬子』に仕込まれた小ネタを紹介したいと思う。ま、一種のネタ晴らしだけれども、一瞬で終わるもので、なおかつ作品の展開には少しも触れるところがない、というものだ。
小ネタを紹介する前に、作品について触れるべきなのかもしれないが、面倒なので割愛。詳しくは、これあたりを参考にして下さい。なんというか、いかにも田中さんらしい作品だ。
以前このブログで田中啓文さんに触れたことがあると思う。『蹴りたい田中』や『銀河帝国の弘法も筆の誤り』『異形家の食卓』などの作者である、大阪在住の気鋭のSF・ホラー・ミステリー作家だ。また、ジャズサックス奏者でもある。
で、その田中さんの小説を冬休み前後に何冊か読んだ。ここでは、その一冊、『こなもん屋馬子』に仕込まれた小ネタを紹介したいと思う。ま、一種のネタ晴らしだけれども、一瞬で終わるもので、なおかつ作品の展開には少しも触れるところがない、というものだ。
小ネタを紹介する前に、作品について触れるべきなのかもしれないが、面倒なので割愛。詳しくは、これあたりを参考にして下さい。なんというか、いかにも田中さんらしい作品だ。
2014年1月2日木曜日
旧暦12/2 西岡棟梁と上武豊太郎校長
少しは更新頻度を上げようと思っている垂渓庵です。今年もよろしくお願いします。
前々回触れた西岡常一棟梁のCDブックの話題を続けよう。
CDブックの1巻目は、「法隆寺棟梁の家に生まれて」という副題がついている。棟梁の前半生について聞くというものだ。その中に、当時の上武豊太郎校長の話が出てくる。
前々回触れた西岡常一棟梁のCDブックの話題を続けよう。
CDブックの1巻目は、「法隆寺棟梁の家に生まれて」という副題がついている。棟梁の前半生について聞くというものだ。その中に、当時の上武豊太郎校長の話が出てくる。
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