垂渓庵です。
これも2007年3月の記事。前回の考察の続きだ。ブログの記事を更新しているうちに、わたしはこういうことをちまちまと考えるのが好きなんだなということに改めて気づいた。
以下、本文
前回とりあげた、ボランティア団体を「立ち上げる」という言い方について、わたしは次のように考えています。
「あのピッチャーは立ち上がりがいい」などのような言い方が存在。
↓
そこからの類推で、「boot」などの訳語として
「パソコンが立ち上がる」「パソコンの立ち上がりが早い」という言い方が成立した。
↓
「パソコンが立ち上がるような状態にさせる」という、
他動詞的な意味内容を表す表現が求められた。
↓
「パソコンが立ち上がる」の「上がる」を「上げる」に変化させ、
「立ち上げる」という他動詞形が作られた。
↓
パソコン関連で用いられる「立ち上げる」がある程度一般化し、
そこからの類推として会社などの団体の設立を表す表現として転用された。
わたしが右のように考えるきっかけになったのは、「売り切る」―「売り切れる」というセットの存在です。
「売り切れる」は、「売る」+「切れる」で、「他動詞」+「自動詞」の形になっています。「立ち上げる」とはちょうど逆ですね。
この「売り切れる」も、「撃ち殺す」などとは違うタイプのように思えます。
売ることが切れる
変ですよね。おまけに、具体的な例文を考えると、たとえば「はんぺんが売 り切れる」というように、「売る」という動詞の主語に売られる「はんぺん」がきています。その点でも、「立つ」という動詞が目的語をとるかのような「会社 を立ち上げる」と同じく、やはりちょっと違和感が残ります。つまり、「立ち上げる」と自他の順番こそ逆ですが、語の成り立ちも、構文的な振る舞いも、同じように違和感をもたらす形になっているということなのです。
この「売り切れる」には「売り切る」という他動詞形が存在します。こちらは自然な表現です。まずはじめに不自然なものがあったとは考えにくいですから、自 然な「売り切る」がもともと存在していたのじゃないかと推測できます。そして、「商品が、売り切った状態になって全部なくなってしまった」という意味を表す表現が求められた。そこで、「切る→切れる」という変化によって、落ちついて考えると違和感の生まれる「売り切れる」が生みだされた、と考えると「売り 切れる」ということばの存在が無理なく説明できます。
同じことが自他の順が逆になっている「立ち上げる」でも起こったのじゃないかと思ったわけです。「立ち上げる」は、さらにその後、「ボランティア団体を立ち上げる」のように意味が拡張して用いられたという点が、「売り切れる」とは異なっていますが。
これはあくまでも予想です。この予想が妥当かどうかを確認するためには、「立ち上がる」「立ち上げる」の使用例を広く求めて、両者の使用時期に差があるか どうかを確認してみなければなりません。できれば、「売り切れる」「売り切れ」─「売り切る」「売り切り」についても同じ検証が必要です。
ですが、「立ち上がる」と「立ち上げる」の成立時期の差も、「売り切る」と「売り切れる」の成立時期の差も、そんなに大きくないかもしれないという気もし ています。それぞれIT関連、日常の商品売買の分野で基本的な用語です。日々の必要の中でほぼ同時期に使われ出した可能性が大きいと思うのです。
実はそれも検証してみなければわからないのですが、例を広く求めるのはちょっとわたしの手には余ります。わたしの考察の妥当性も含めて、みなさんのご意見をうかがいたいなと思います。
これも2007年3月の記事。前回の考察の続きだ。ブログの記事を更新しているうちに、わたしはこういうことをちまちまと考えるのが好きなんだなということに改めて気づいた。
以下、本文
前回とりあげた、ボランティア団体を「立ち上げる」という言い方について、わたしは次のように考えています。
「あのピッチャーは立ち上がりがいい」などのような言い方が存在。
↓
そこからの類推で、「boot」などの訳語として
「パソコンが立ち上がる」「パソコンの立ち上がりが早い」という言い方が成立した。
↓
「パソコンが立ち上がるような状態にさせる」という、
他動詞的な意味内容を表す表現が求められた。
↓
「パソコンが立ち上がる」の「上がる」を「上げる」に変化させ、
「立ち上げる」という他動詞形が作られた。
↓
パソコン関連で用いられる「立ち上げる」がある程度一般化し、
そこからの類推として会社などの団体の設立を表す表現として転用された。
わたしが右のように考えるきっかけになったのは、「売り切る」―「売り切れる」というセットの存在です。
「売り切れる」は、「売る」+「切れる」で、「他動詞」+「自動詞」の形になっています。「立ち上げる」とはちょうど逆ですね。
この「売り切れる」も、「撃ち殺す」などとは違うタイプのように思えます。
売ることが切れる
変ですよね。おまけに、具体的な例文を考えると、たとえば「はんぺんが売 り切れる」というように、「売る」という動詞の主語に売られる「はんぺん」がきています。その点でも、「立つ」という動詞が目的語をとるかのような「会社 を立ち上げる」と同じく、やはりちょっと違和感が残ります。つまり、「立ち上げる」と自他の順番こそ逆ですが、語の成り立ちも、構文的な振る舞いも、同じように違和感をもたらす形になっているということなのです。
この「売り切れる」には「売り切る」という他動詞形が存在します。こちらは自然な表現です。まずはじめに不自然なものがあったとは考えにくいですから、自 然な「売り切る」がもともと存在していたのじゃないかと推測できます。そして、「商品が、売り切った状態になって全部なくなってしまった」という意味を表す表現が求められた。そこで、「切る→切れる」という変化によって、落ちついて考えると違和感の生まれる「売り切れる」が生みだされた、と考えると「売り 切れる」ということばの存在が無理なく説明できます。
同じことが自他の順が逆になっている「立ち上げる」でも起こったのじゃないかと思ったわけです。「立ち上げる」は、さらにその後、「ボランティア団体を立ち上げる」のように意味が拡張して用いられたという点が、「売り切れる」とは異なっていますが。
これはあくまでも予想です。この予想が妥当かどうかを確認するためには、「立ち上がる」「立ち上げる」の使用例を広く求めて、両者の使用時期に差があるか どうかを確認してみなければなりません。できれば、「売り切れる」「売り切れ」─「売り切る」「売り切り」についても同じ検証が必要です。
ですが、「立ち上がる」と「立ち上げる」の成立時期の差も、「売り切る」と「売り切れる」の成立時期の差も、そんなに大きくないかもしれないという気もし ています。それぞれIT関連、日常の商品売買の分野で基本的な用語です。日々の必要の中でほぼ同時期に使われ出した可能性が大きいと思うのです。
実はそれも検証してみなければわからないのですが、例を広く求めるのはちょっとわたしの手には余ります。わたしの考察の妥当性も含めて、みなさんのご意見をうかがいたいなと思います。
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