垂渓庵です。
これは2008年8年5月に公開した。もともと中国でのチベット人や少数民族への非人道的な迫害には反感を持っていたのだけれど、大マスコミには報道されなかった聖火リレー時の破廉恥な振る舞いに対して抗議せねばならないという気持ちになった。初代「耽読翫市」はZ会のサイト内で更新させてもらっており、直接的な表現をとるのは憚られたので、ここに見るように間接的な表現になった。
以下本文
垂渓庵です。今日は定期更新以外の臨時便です。
いよいよ暦の上では夏に入ろうとしています。これからどんどん暑くなっていくのでしょうね。
さて、先日長野で聖火リレーが行われました。ネット上にはこんなページがあり、この記述を信用するなら、マスコミで報道される以上に緊張が高まっていたようです。
が、今回の話題は聖火リレーとは直接関係ありません。チベットやモンゴルに関するわたしの夢を巡るお話です。
わたしはいつかはモンゴルやチベットに行ってみたいと思っています。
そもそものきっかけは西川一三さんの『秘境西域八年の潜行 上・中・下』(中公文庫)や木村肥佐生さんの『チベット潜行十年』(中公文庫)を読んだことで
しょうか。いや、それ以前に藤枝静男の『田紳有楽』に出てくる偽ラマの話や、河口慧海の記録を読んだことも、無関係ではないと思います。わたしの元同僚が
チベットに調査旅行に行ったことも影響しているのかもしれません。あ、そうそう、谷甲州さんの山岳小説(?)もチベットが深く関わっていました。
そんなこんなで、いくつもの契機があったと言った方が正確なのかもしれませんが、最初にあげた二書は、戦中戦後の日本人として破天荒な記録であるという点で、強く印象に残っているのです。
どちらも元原稿は1950年代にまとめられたもののようです。ご存じの方も多いと思いますが、彼らは第二次世界大戦中にモンゴル人を装って、モンゴルからチベット方面に潜入し、戦後も数年間チベットに留まり続けました。上の二書はその体験を綴った紀行です。
西川さんの本は残念ながら品切れ状態のようですが、抄出本が『秘境西域八年の潜行 抄 』という表題で中公文庫BIBLIOから出版されています。もとの三冊本は一冊600ページ前後と非常に大部な本なので、むしろ抄出本の方が読みやすいかも知れません。
木村さんの本としては、1980年代後半に聞き書きの形でまとめられた『チベット偽装の十年』(中央公論新社)もありますが、わたしは未見です。前著では割愛されていたことも書かれているということなので、いずれは読んでみたいと思っているのですが。
彼らは北京北方にある張家口でモンゴル語などを習得し、その後、チベット方面の実情と連携の可能性を探るために潜行しました。潜行の際には、チベット仏教(=ラマ教)の僧侶を装いました。何やら映画にでもなりそうな話です。
そうそう、彼ら二人が出発したちょうどその頃に、張家口には梅棹忠夫さんや今西錦司さんがおられました。梅棹さんには『回想のモンゴル』という興味深い本
があります。「文明の生態史観」や「今西進化論」に素人なりに興味を持ってたわたしにとって、梅棹さんの本ということで、モンゴルやチベット方面に興味を
持つ契機の一つになったのでした。
さて、西川さんと木村さんのお二人は、潜行中は基本的には単独行動をとっておられたようです。ただ、カム地方に調査に行くときは行動をともにされました。ろくな装備もない中、雪中を進んでゆく苦しさが、お二人の著書に書き留められています。
その後、潜行中に日本の敗戦を知ったものの、二人ともそのままチベットにとどまり、インドなどへの移動を繰り返されました。そうして終戦後四年を経て、当局に見つかり、日本へ送還されることになったのです。日本の土を踏んだのは昭和二十五年六月のことでした。
彼らがチベットへ向かった目的は、先に述べたようなものでした。東条英機の命令があったようですから、国策の一環ということになるでしょうか。が、彼らと
しては、チベットやモンゴルの人たちの友人として、というよりも現地の人間として彼らに立ち交じって暮らしたかったようです。二著を読む限りでは、お二人
とも心からチベットやモンゴルの人々と一体化しようという気持ちでおられた様子がうかがえます。それは彼らの抱いた大きな夢だったのです。
残念ながら彼らの抱いた夢は叶わなかったわけですが、チベットやモンゴルの人々の生活への密着度は並々ならぬものがあります。特に西川さんの本にはチベットやモンゴルの人々の生活が詳細に生々しく描かれています。
その不思議な活力はとても魅力的なもののように思えます。清潔ではないかもしれません。貞淑ということばをはみ出す部分があるかもしれません。しかし、お
二人の描くラサに、あの混沌としているようで不思議なエネルギーに満ちている空間に、わたしもこの身を置いてみたいと思うのです。
しかし、登山家の野口健さんの公式サイトの記事を信じるならば、ラサをはじめとするチベットの変貌ぶりはすさまじいものがあるようです。朝青龍の話題に関わってテレビで紹介されたモンゴルも同様です。わたしの憧れたチベットやモンゴルはすでに過去のものになりつつあるのかもしれません。
が、一朝一夕に全てががらりと変わることはないとわたしは思っています。日本の社会も明治以後百年間で激変しましたが、過去とつながる要素が現代でもそこ
ここに存在しています。そういう意味ではわたしは心配はしていません。彼の地が発展を続けていっても、チベットはチベットで、モンゴルはモンゴルであり続
けるだろうと思っています。
いつかわたしは、かつて西川さんや木村さんが肌身に感じたチベットをモンゴルを、感じてみたいと思います。その日までモンゴルやチベットが平和のうちに彼ら自身の手で発展を続けることを祈ってやみません。
来週は都合により更新できません。次の更新は5/15(木)の予定です。
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