2012年3月29日木曜日
旧暦3/8 再掲 和歌はわからん1──音にのみきくのしらつゆ
垂渓庵です。
これは2010年7月に公開した。授業でもよく使うきわめて技巧的な歌だ。それにしても、和歌の説明は難しい。意を尽くそうと思うと、どんどん記述が増えてしまう。
以下本文
垂渓庵です。
いよいよスタートした「和歌はわからん」。
はたしてどんな塩梅になるのか。
実はわたしが一番心もとなかったりする。
とりあえず、いってみようか。
さて、栄光の第一回はこの歌。
おとにのみきくのしらつゆよるはおきてひるはおもひにあへずけぬべし
この歌は古今和歌集の「巻第十一」に収められています。巻第十一は恋の歌を集めた部分の先頭の巻で、「恋歌一」という部立て名を持っています。作者は素性法師。古今和歌集の成立以前から活躍していた歌人です。
今回はあえて平仮名ばかりで表記しました。古い写本類はこんな形で表記されている場合が多いのです。ということは、こういう形で受容すべきものだったのだと考えられます。これに漢字を当てながら理解してみましょう。
「音にのみ聞く」、ここまでは問題なさそうです。噂で聞くだけだって事ですね。が、その先がうまくつながりません。「音にのみ聞くの」。何やら急に現代口語の香りがぷんぷんしてくる。「音にのみ聞くのし」。どこの在所の人間だ。
ここは「音にのみ聞く」はとりあえず棚上げにして、別線を考えてみるべきでしょう。そうすると、「菊の白露」ってつながりが見えてきます。
これはいけそうじゃん。さらに先を見ましょう。「よるはおきて」。知っているでしょうか、「夜露」は「置く」のです。これは現代語でも同じ。ということで、この部分は、「夜は置きて」と漢字を当てられそうです。
さらに先。「ひるはおもひに」。「昼は」は問題なさそうだ。その先がちょっと詰まってしまいます。どう考えても「思ひに」っぽい。というわけで、さらに「菊の白露」の線を棚上げにしておいて別線を考えてみましょう。
残りの部分、ちょっと長いですよ。「ひるはおもひにあへずけぬべし」。これは、「昼は思ひに敢へず消ぬべし」と理解できそうです。「昼はあなたのことを思い、その気持ちに堪えきれずに消え入ってしまいそうです」と、相手を思う気持ちの切実さを訴えていると考えることができます。この部分、「音にのみ聞く」と関連させて考えてみると、どうやらまだ見ぬ人への切ない恋心を歌ったもののようです。
さらに読み取りを重ねるなら、昼との対比で「よるはおきて」の部分は、「夜は起きて」と読むことができそうです。
以上を総合してみると、「噂できくばかりだけれど──「しらつゆ」の部分に「知らず」が重ね合わされているとも言われます。もしもそうなら、噂で聞くばかりで直接的には知らないけれど、と読み解けることになります──そんなあなたのことを思って夜は眠れずにずっと起きていて、昼は、その思いに堪えきれずに消え入ってしまいそうです」という流れで理解することができます。徹夜で物思いにふけってふらふらになっているってわけですね。
え、見たことがない人のことがそんなに恋しいのかですって? そんなに恋しいのです。古今和歌集が作られた時期は、男女の関係のあり方が現代と少し違っていました。噂の主に恋をすることも、声だけ聞いた相手に惹かれることも、流麗な筆跡に胸がときめくこともありえた、と思っておいて下さい。
一昔前なら文通相手に抱く好意がそれに近いものだったと言えるでしょうか。今なら、ネットの掲示板などで知り合った相手が好きになるって感じ。いずれにしても、現代でも直接姿形を目にしなくとも好きになることはあり得ます。噂にしか聞いたことがないというのとでは、近しさがだいぶ違う気はしますが。
さて、本題の和歌に戻りましょう。いったい、棚上げにした菊の文脈はどうなっているのでしょうか。ここで種明かしをしておくと、「ひるはおもひに」の部分、「おも」を括弧に入れて無視すると、「昼は(おも)日に」となり、「昼はお日様の光に」と理解できます。で、「敢へず消ぬべし」ですから、「日の光に当たって(蒸発して)消えちゃう」となります。
こちらの線だと、「菊の花に置く白露は夜に置く。そして、昼はお日様の光に堪えきれずに蒸発して消えちゃう」という文脈で理解していくことが可能となります。
結局この歌は、二つの線で理解していくことができるというわけです。まだ見ぬ恋の切なさを歌い上げる文脈と、菊の花に置くはかない白露のイメージをもたらす文脈と。どちらが正しいというのではありません。両方を重ね合わせて理解すべきなのです。おそらくは、「菊の花」に相手の美しいイメージを、白露のはかなさに絶え入りそうな自分の姿をだぶらせているのでしょう。「白露」は「涙」をたとえるものでもあります。
そのように複雑な内容を一首の歌に込めて、謎解きのように丁寧な理解を求めるのが古今和歌集時代の和歌である、と言うことができると思います。正岡子規には評判の悪い古今和歌集の歌ですが、わたしはこんな風に恋心を表現するのもありなのではないか、と思ってみたりもするのです。
次に無粋は承知で重ね描きの読み取り結果を示しておきましょう。
音にのみ 聞く (知らず)
おとにのみきくのしらつゆよるはおきて
菊の 白露 夜は置きて
昼は思ひに 敢へず消ぬべし
ひるはおもひにあへずけぬべし
昼は 日に敢へず消ぬべし
ところで、素性、法師の癖にこんな歌を詠んでいていいのか。
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