垂渓庵です。
2009年9月公開。私は今も総務部にあたる校務分掌にいる。ここしばらくは来年度導入するとある制度の準備でやたらに慌ただしかった。来年もその制度が順調に動き出すまで同じ部署に残留だ。まだまだ面倒なことが控えている。やれやれだ。というわけで、今回の記事が考証不足なのはスルーしておく。
以下本文
職場での新型インフルエンザ防止策に頭を悩ませている垂渓庵です。そういうわけで今日も一日遅れの更新です。
わたしは企業でいうと総務部にあたる部署にいます。教員も授業をするだけじゃなくて全員が何らかの役割が割り振られているのですね。で、総務に当たる部署にいる者として、泥縄でインフルエンザ関連の勉強をしてるわけです。そうすると、いろいろと疑問も出てきます。
シンメトレルという薬はA型インフルエンザに効果があるそうですが、新型インフルエンザに聞効くのだろうか、マスクは本当に予防に効果があるのだろうか、などなど。何かの機会に校医さんにでも聞いてみようかな。
さて、前回お知らせした通り、今回松平定信は西欧渡来の薬に焦点を当てます。それも「奇薬」に。定信の好奇心はいったいどこまで広がるのでしょう。
では、参ります。
P157
蛮書中、奇薬なんどの事あり。人をもて和解させたるを、ここに略写す。
a蝋燭の風雨にあたりて消えざるは、黄蝋百二十目、硫黄二文目、石炭二文目もて製す。
b火口(ほくち)を製するには、炭火を焼酎にて消す。
c癲癇、歳の三月に烏の巣にある子を黒焼きにし、少しずつ用ゆれば治す。
d歯の痛むにはアヘンを付くる。腹中へ入るれば害あり。
e長寿を保つには、エイケンホーム(楢の樹をいふ)の大きなるを秋分日夜等分なる節に根を掘り、錐にて所々穴し、壺をその下に埋め、壺へ入らざるやうによ
く土を覆ひ、春になりて出だせば、壺中に樹の汁満ちあるをランビキにて精水をとり、朝々匙にて一つずつ服すれば、人健にして長寿なり。
f歯の痛むには、雀の子巣より出でざるうちにとり、黒焼きにして酢にて用ゆ。
g頭の禿げたるには、鰻の油を塗るべし。
h疵を早く癒すには、塩豚を焼き、蜜と大麦の粉に和し、二時ほど置きて疵に付くべし。いかなる疵も二日のうちに癒ゆ。
何をどうコメントしたものやら。黒焼きだなんて漢方薬じゃん。蛮書ってんだからもっと何かないのかよとも思いますが、化学的に薬が合成されるのはもう少し後のことでしょうから、案外西欧の医薬品もこんなものだったのかなという気もします。
ネットで検索すると現在も定信の書いている通りの薬効が記されているものもあります。もちろん確認できないものも。とりあえずコメントを加えておきましょう。
aについてはまだよくわかりません。黄蝋ってのは櫨の実からとった蝋や蜜蝋を指すようです。aの場合はどちらなのか、製法も含めてもう少し調べないわかりません。
b実際に火口(ほくち)を作る際に焼酎を用いることが辞書などにも載っています。たとえばこちらを参照して下さい。
cほんまかいなと思うところですが、こんな説明が。ただ、漢方薬って趣ですね。弥次さん喜多さんが知っているぐらいですから。蘭法医の知識が漢方の世界に反映されたのでしょうか。あるいは漢方蘭法両方の世界でたまたま知識が共通していたのか。ひょっとすると「和解」に問題があるのかもしれません。このあたりは後でもう一度考えることにします。
dこれは何となくわからないではありません。鎮痛剤として広く用いられていたようです。「腹中へ入るれば害あり」ってのは、アヘン中毒になってしまうってことなのでしょうか。
eエイケンホームというのはおそらくは「eikenhout」ではないかと思います。いわゆる「オーク」のことで、楢の木や樫の木を指すもののようのです。しかし、根から樹液をとって精製して喫するということについては未見です。ランビキは「alembic」から転じたことばで蒸留器のことです。
f雀の黒焼きは強壮・強精・風邪・脚気などに薬効があるそうですが、歯痛に効くというのは未見です。それに上記の薬効も漢方由来か蘭法由来かはよくわかりません。それはともかく、そんなものまで黒焼きにしていたのか。イモリぐらいかと思っていたのに。
gこのページの下の方、ビタミンB2の項目を見ていただくと一応「禿げ」に効くらしいことがわかります。しかし、ビタミンB2は水溶性ですので、なぜ鰻の油──脂肪分のことでしょうね──なのかは不明です。
h塩豚が傷薬になるなんて不思議な感じがします。塩豚を焼くってほとんどベーコンじゃないかと思わなくもありません。塗るより食えと言いたいところです。油分をとりだそうとしたってことなのでしょうが、豚脂に馬油のような効能でもあるのかはたまた軟膏のベースとして用いたのか。
ちなみに、この奇薬について詳細は不明なのですが、ひょっとすると華岡青州が開発したという傷薬の「紫雲膏」に豚脂が用いられているのと無関係ではないのではないかと思われます。「紫雲膏」は漢方薬の「潤肌膏」をもとに豚脂などを加えて青州が作ったといわれています。青州は漢方の知識と蘭法の知識とを併用して「紫雲膏」を作ったのではないかという可能性が出てきます。
さて、調べが不十分でいまいちよくわからないものだらけだったのですが、その中でもネットで検索して容易に薬効が確認できるものがあります。漢方薬として扱われているものも。これは蘭法の知識が江戸時代に入り込み、それが一般化したものではないかと一応考えることができます。
ただし、膝栗毛に出てくるものもあるぐらいですから、もともと西洋医学と漢方とで共通して薬効が認められていたものもあったのかもしれません。あるいは和解の際に逐語訳ではなく意訳や超訳が行われて、その結果もとの蛮書の記述とずれたものが含まれている可能性もあります。いずれにしてももう少し本格的な調べが必要です。
ここにあげられた薬のリストが何によっているのかも気になるところです。定信は奇薬を「略写す」ると書いています。どういう基準で薬がとりあげられているのでしょうか。定信の興味のありどころがどんなところなのか分かれば面白いと思います。
しかし、松平定信という人の興味の幅はいったいどういうことになっているのでしょうか。そもそもホントに彼は寛政の改革を進めた定信と同じ人なのでしょうか。不思議な人です。
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