垂渓庵です。
2009年6月に公開したもの。「定信ったら」シリーズには、「9.5」があることに今気づいた。というわけで、今日は4本公開します。これで「定信ったら」シリーズは打ち止めです。でも、「続・定信ったら」シリーズが後に控えているのだけれど。それにしても何と駄弁を弄していることか。
以下本文
いやあ、すっかりごぶさたしてしまっています。垂渓庵です。
今月は閏月です。わかりますか。閏秒じゃありませんよ。
さて、昔の男の子はすべからく軍艦や戦車が好きでした。わたしも旧日本軍の戦艦や戦車や戦闘機には人並みの興味を持っていました。とは言っても軍事オタクってほどではありません。
金剛型戦艦を艦橋の形で区別することもできないし、飛燕とムスタングのフォルムも区別できるかどうか。重さのわりに五式中戦車がでかいのを実感したのも最近です。
言ってみれば軍艦や戦闘機や戦車にゆるい関心を持ってたってとこです。標準的な由緒正しい少年だったのですね。あ、旧日本軍の戦車ではありませんが、キングタイガーには萌えます。え、それがどうした。早く本題に入れって?
あせっちゃいけません。焦りは禁物、腹に一物、シマチョウセンマイ牛のモツってなもんです。ああ、久々にホルモン中華を食べたくなってきた。所長、今度食いに行きますか。
久しぶりなのでついつい駄弁を駄弁を弄してしまいました。すまん。そろそろ松平定信の退閑雑記の記事を見ていきましょう。
では、参ります。
P173
蛮書中砲術のこと和解したるが、かの国にて専ら用ゆるは夏濃(カノン)てふものなり。木而的而(モルテール)などいふをも用ゆ。モルテールは短き筒なり。かの国にても昔は長きを用ひしが、丸の銃腹中を行くこと長ければ、自ずから火薬の勢ひ衰へぬるが上、銃腹中長ければ空気多く蓄へぬれば、発動の力空気のために減じぬ。この理を発明してより短銃を今専ら用ひぬとは書いたり。この邦にて説ける理とは違へり。装銃の量は弾丸三つ重ねし長さに薬入るるを強とす。海上発銃するには常の五倍に装薬すとぞ。昏夜発銃丸行ひきし故に海上の量の如くす。雨霧の日発銃するもまた同じと。未だ試みず。銃を鋳るには銅百斤、錫十斤、真鍮八斤を用ゆ。或いは錫十斤、真鍮五斤をも用ゆとぞ。軽銃は木革の類をもてす。革をもて作るは銅葉をもて筒とし、革をもて厚封し、鉄箍をほどこ
すとぞ。この外火薬の力を強くせんには、龍脳を少し加ふるなどの説もあり。試みしがその益なし。なほ詳しくは遠西軍書考に記したれば省きぬ。
カノンというのは、いわゆる「カノン砲」のことです。高初速長射程を特徴とする大砲だと思って下さい。砲身は長いめになるようです。
モルテールってのは臼砲と訳される大砲のようです。とあるサイトに「砲身が口径に比して極端に短く、射角の大きい大砲」だとあります。そういや、旧日本軍にも臼砲があったはず。口径の大きさをドイムと言うのではなかったでしょうか。12ドイム臼砲とかいうように思います。
と思って調べてみると、なんとわたしのイメージしていた臼砲は、幕末にオランダから日本にもたらされたもののようです。ということは、第二次大戦を戦った日本陸軍にはドイムなんて単位の臼砲は使われていなかったのか。びっくりだ。
いずれにしても、臼砲は砲身が短いので弾着が安定しません。比較的近距離で攻城戦や遮蔽物のかげの敵を攻撃するのに使うもののようです。
あ、加農はカノンの、木而的而というのはモルテールの漢字音での表記です。可口可楽と同じですね。
西洋で臼砲が使われるようになった理由と、日本における砲術理論で説くところとは異なる旨が書かれていますが、わたしは砲術には(も?)詳しくありませんので、何ともコメントをしかねます。
以下、もう少し考察を加えねばならないのですが、いらぬ前振りに時間をかけすぎてしまいました。学校の行事との兼ね合いがあり、今日はここまでにします。続きは次回ということでご容赦ください。すまん、みんな。
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