2012年3月16日金曜日

旧暦2/24 再掲 字余り その3の2─謎解き

垂渓庵です。

この記事の公開も2007年7月。最近の記事ではここまで手間をかけて調べ物をしていなかった気がする。いかんいかんう。字余りについてはまだ書きたいことがあるけれど、もう一度例にあたりなおしてきっちり仕上げる時間がなかなかとれない。

和歌の句中に単独母音が表れる場合も同様の傾向というか原理というかが働くのだと考えれば、特に古い和歌において字余りを生じている場合には高い確率で句中に単独母音が含まれているわけも理解できるのではないかと思います。さらに言うと、字余りが生じていても母音が一つ消えるわけですから、口に出して発音する場合には、字余りになっているけれども、音余りにはなっていないのではないかと考えることができます。



ところで、この母音同士の接触を避けるという傾向のために、古代の日本語では、途中や末尾に単独母音を含む単語は存在しませんでした。現代では発音の体系なども変化してしまっていますので、そうはなっていませんが。古語辞典をお持ちの方は一度パラパラとめくってみて下さい。漢語由来のものででも無ければ、語中や語尾に単独母音を含む語は存在しないことがわかるはずです。

ところで、万葉集でこの字余りについて調べてみると面白いことがわかります。万葉集歌全部はとても紹介しきれませんので、巻一の短歌の例を次に書き出してみます。便宜上、句中に単独母音があって字余りが生じている場合は赤字で、句中に単独母音があるけれども字余りが生じていない場合を青字で表します。引用元は塙書房の『萬葉集 本文編』、番号は旧国歌大観の番号です。

たまきはる うちのほのに
うまなめて あさふますらむ そのくさぶかの 4
やまごしの かぜをときじみ
ぬるよちず いへなるもを かけてしのひつ 6
あきののの みくさかりふき
やどれりし うぢのみやこの かりほしもほゆ 7
にきたつに ふなのりせむと
つきまてば しほもかなひぬ いまはこぎでな 8
わがせこは かりほつくらす
かやなくは こまつがもとの かやをからさね 11
みわやまを しかもかくすか
くもだにも こころらなも かくさふべしや 18
むらさきの にほへるもを
にくくらば ひとづまゆゑに あれこひめやも 21
かはのへの ゆつはむらに
くさむさず つねにもがもな とこをとめにて 22
うちそを  をみのほきみ
あまなれや いらごのしまの たまもかります 23
よきひとの よしとよくみて
よしとひし よしのよくみよ よきひとよくみ 27
ささなみの しがのからさき
さきくれど おほみやひとの ふねまちかねつ 30
ささなみの しがのほわだ
よどむとも むかしのひとに またもはめやも 31
いにしへの ひとにわれれや
ささなみの ふるきみやこを みればかなしき 32
これやこの やまとにしては
あがこふる きぢにりとふ なにふせのやま 35
みれどかぬ よしののかはの
とこなめの たゆることなく またかへりみむ 37  
あみのらに ふなのりすらむ
をとめらが たまものすそに しほみつらむか 40
あきののに やどるたびひと
うちなびき いもねらめやも いにしへもふに 46
まくさかる あらのにはれど
もみちばの すぎにしきみが かたみとそこし 47
かはのへの つらつらつばき
つらつらに みれどもかず こせのはるのは 56
よひにひて あしたもなみ
なばりにか けながきもが いほりせりけむ 60
あしへゆく かものはがひに
しもふりて さむきゆふへは やまとしもほゆ 64
あられつ あられまつばら
すみのえの おとひをとめと みれどかぬかも 65
おほともの みつのはまなる
わすれがひ いへなるもを わすれてもへや 68
みよしのの やまのらしの
さむけくに はたやこよひも あがひとりねむ 74
うぢまやま あさかぜさむし
たびにして ころもかすべき いももらなくに 75
ますらをの とものとすなり
もののふの おほまへつきみ たてたつらしも 76
わがほきみ ものなもほし
すめかみの つぎてたまへる わがなけなくに 77
とぶとりの あすかのさとを
おきてなば きみがたりは みえずかもらむ 78
あをによし ならのへには
よろづよに われもかよはむ わするともふな 80
うらさぶる こころさまねし
ひさかたの あめのしぐれの ながれふみれば 82
わたのそこ おきつしらなみ
たつたやま いつかこえなむ いもがたりみむ 83

一見してわかるように(わかりにくいかもしれませんが落ち込み)、第一、三、五句の句中に単独母音が出現するときはほぼ百パーセント字余りを生じています。一方、第二、四句の句中に単独母音が出現するときは、字余りになる例もありますが、半数以上は字余りを生じていません。このことはいったい何を物語るのでしょうか。

わたしが学生だった頃の知識で言うと、それは和歌の唱詠法──節回しや抑揚などと考えればいいでしょうか──の差ではないかと説明されていました。単純化して言うと、第一、三、五句は、単独母音の接触を避けるという日本語の特徴と一致する唱え方で、第二、四句は、それぞれの文字をひとつひとつ独立して発音するような唱え方だったということです。

具体的な唱詠法自体は残念ながらわかりませんが、字余りという現象から、既に失われてしまった唱詠法を考察する手がかりが導き出されるなんて面白いと思いませんか?

0 件のコメント:

コメントを投稿