垂渓庵です。
2008年1月公開。実は2008年から表題に旧暦表示を入れている。この記事もそうなのだけれど、「旧暦3/3 旧暦12/21 リヨクトポンプ」などと書いては分かりにくいので元記事の旧暦は外すことにする。以下同じ。さて、この記事は「定信ったら」シリーズ(全12回)の冒頭を飾る。実はナンバリングの際にこの記事に番号を振り忘れたので、通しナンバーは11までしかないのだけれど。
今日、明日、あさって、しあさっては、同シリーズの記事を3つずつ紹介しようと思う。
「怪しい少年少女博物館」は、元記事を書く直前に秘密会合に臨んだ際に所長(前出)と立ち寄ったもの。
以下本文
耽読翫市です。
松平定信という人を知っていますか。そう聞くと、おそらく日本全国でブーイングが湧き起こることでしょう。
「ばかにするんじゃねえ。このほでなす。知らんはずないやろが。なしてそげんこつ言うかね。何とかの改革の人ばい。有名な人のごたる。にしゃももうろくしたんでねが。知らねはずあんめ」……。
う~ん、とても全国ですね。
寛政の改革をおこなった人。田沼意次の対極にいる人。清く正しい人。えらい人。
一般的な彼のイメージとしてはそんなところでしょうか。もう少し詳しく知りたければ、たとえばウイキペディアを見てみましょう。彼の人となりについてこんな風に書かれています。
さてさて、そんな彼ですが、国語という教科的には問題作成の原典として強く意識される人なんじゃないかと思います。整っていて適度に理解しやすい文章を書く人だからです。「花月草紙」あたりは原典としての採用率がかなり高いのではないでしょうか。
今回はそんな定信の記録する怪異(?)、リヨクトポンプについてのお話です。
まずは退閑雑記の本文を引用してみましょう。引用元は吉川弘文館の「続日本随筆大成6」です。表記を少し改めました。
○リヨクトポンプなどいふは、活くるものを死活する器なり。これは予こころみ製したり。万物みな気をうけて生活する。玉壺中へすずめなんどを入れて、その壺中の気をこなたへひきとればたちまち死す。その気を戻し入るればたちまち活す。これまた怪しむべき事もなく、口鼻を覆えば死すると同じ道理なり。風車なるものあり。油をしめ米をつく、その器精巧にあらざれば、風なきほどの日にもいかで回るべき、好事の者は昔より考へものするなり。しかるに今年ロシアへ漂流せし人に尋ねしに、風ある時は回り、風なき時は人その車を転ずと云ひしとぞ。ただ風吹く日に転輪の人休息する事を得るのみなり。ここに至りて信ずるの実に過たるを人々わらふ。(p33)
いきなり冒頭に「リヨクトポンプなどいふは、活くるものを死活する器なり」とあります。どうやら自在に生死を操ることができる装置のようです。怪しげです。何やら魔導師あたりが組み上げた奇怪なからくりという雰囲気です。「怪しい少年少女博物館」にぴったりのような気もします。
それはともかくとして、このリヨクトポンプの正体はなんでしょうか。国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースでは、このように言及されています。要約部分を引用しておきます。
「リヨクトポンプという機械の中に、水を入れて小魚を泳がし、水中の気を抜くと小魚は死に、また気を戻して入れると忽ち生き返るという。」
う~ん、おどろおどろしい感じがします。黒魔術や錬金術のテイストがぷんぷんです。しかし、ちょっと待って下さい。それだと、儒教の正統を重んじる廉潔の士であったはずの定信が、一方で魔術や妖術の実験に励んだことになります。「予こころみ製したり」とあるんですから。
実はこの「リヨクトポンプ」は、「退閑雑記」にもう一箇所言及があります。その部分を次に引用してみましょう。
○リヨクトポンプてふものは、名のみ聞こへてその製見たる者もなく、蛮書中たまたまあれども、製もまたつまびらかならず。ここによりて試みに製するものあれども、理も明らかならざれば、巧思もまた尽くさず、今年その製成就す。気を吹き入れて生物を殺さんとす、故に死活をなす事あたはざるなり。凡そよろづの物、この天地の気を得て生じ、失ひて死するの理は、誰々も知れる事なり。口鼻をおほひて天地の気を絶てば死するも同じ理にして、奇器てふものにはあらざれども、幼童など見ては奇なる事のやうに思ふめり。その器成りてかの忠朝朝臣〈松平下総守〉などへ見せぬれば、ことに驚かれて精巧を誉め給ひけり。水中の魚は水を呼吸するとのみ思ふなり。水中の気を呼吸する成り。これらもその器中へ水を設け、一小魚を入れて気をこなたへ引き取れば、水はありながら水中の気絶 ゆるに従ひて、たちまち魚死するなり。あるひは酒など入れて気を吸へば、酒ことに淡くして水の如くになるなり。その器はことに巧みなる物にはあらず。もとより無益のものにして、もてあそぶべきものにもあらず。(p45)
初めてこれを読んだとき、魔術などではないんじゃないかなという印象を受けたのですが、どうでしょうか。語構成を直感的に考えると、この「リヨクトポンプ」は、どうも「ポンプ」の一種なのではないかと思われます。
「リヨクトポンプ」は、気を「吹き入れ」たり「引き取」ったりでき、なおかつ「蛮書」に記載されているものです。ますますポンプっぽくはないでしょうか。わたしは真空ポンプやエアーコンプレッサーのようなものを連想しました。
ここまで考えたところでわたしの考察はいったん止まったのですが、しばらく考えているうちに、はたと気がつきました。「蛮書」に出ていたというのだから、「リヨクトポンプ」はオランダ語に違いない、うまくすれば「リヨクト」の原語がわかるかもしれない、と。
え? どうしてオランダ語か? 根拠はありません。あえて言うなら「蘭学」というぐらいだから、定信の言及しているのもオランダ語の文献だろうというぐらいのものです。が、何らかの仮説を立てなければ学問は進みません。
とりあえずオランダ語であるとして、オランダ語で「真空」は何というのか調べてみました。使ったのはこのサイトです。結果は思わしくありません。ポンプは「pomp」と言うようなのですが、真空は「vacuum」のようです。「リヨクト」ではありません。
そこで次に考えたのが、「気」を出し入れするのだから、「空気ポンプ」ではだめか、というものでした。で、「空気」を検索してみると、オランダ語は 「atmosferische lucht」だそうです。よく見ると、「lucht」とあります。「リヨクト」「lucht」似てないですか。「ヨ」が拗音だとすると「リョクト」とな り、ますます似てきます。
一応念のために蘭和辞典で「lucht」をひいてみると、複合語の形で出てきていてはっきりしないのですが、「空気」と言ってもいい語のようです。
となると、結局「リヨクトポンプ」は「空気ポンプ」ということになり、定信は「蛮書」に出てきた記述をたよりに空気を出し入れする「空気ポンプ」──おそらくは真空ポンプのようなもの──を作ったのだということになります。
真空ポンプで空気を吸い出して魚が死ぬのか、酒のアルコールが抜けるのか、というような疑問が残りますが、とりあえず妖術などではないらしいことはおわかりいただけたのではなでしょうか。
ところで、定信が妖術使いであるという容疑は晴れましたが、こんどは、蘭学を抑圧したはずの彼が、どうしてこのような実験に興じていたのか、という新たな問題が生じてきます。が、その点については、またこんどということにしましょう。
松平定信という人を知っていますか。そう聞くと、おそらく日本全国でブーイングが湧き起こることでしょう。
「ばかにするんじゃねえ。このほでなす。知らんはずないやろが。なしてそげんこつ言うかね。何とかの改革の人ばい。有名な人のごたる。にしゃももうろくしたんでねが。知らねはずあんめ」……。
う~ん、とても全国ですね。
寛政の改革をおこなった人。田沼意次の対極にいる人。清く正しい人。えらい人。
一般的な彼のイメージとしてはそんなところでしょうか。もう少し詳しく知りたければ、たとえばウイキペディアを見てみましょう。彼の人となりについてこんな風に書かれています。
さてさて、そんな彼ですが、国語という教科的には問題作成の原典として強く意識される人なんじゃないかと思います。整っていて適度に理解しやすい文章を書く人だからです。「花月草紙」あたりは原典としての採用率がかなり高いのではないでしょうか。
今回はそんな定信の記録する怪異(?)、リヨクトポンプについてのお話です。
まずは退閑雑記の本文を引用してみましょう。引用元は吉川弘文館の「続日本随筆大成6」です。表記を少し改めました。
○リヨクトポンプなどいふは、活くるものを死活する器なり。これは予こころみ製したり。万物みな気をうけて生活する。玉壺中へすずめなんどを入れて、その壺中の気をこなたへひきとればたちまち死す。その気を戻し入るればたちまち活す。これまた怪しむべき事もなく、口鼻を覆えば死すると同じ道理なり。風車なるものあり。油をしめ米をつく、その器精巧にあらざれば、風なきほどの日にもいかで回るべき、好事の者は昔より考へものするなり。しかるに今年ロシアへ漂流せし人に尋ねしに、風ある時は回り、風なき時は人その車を転ずと云ひしとぞ。ただ風吹く日に転輪の人休息する事を得るのみなり。ここに至りて信ずるの実に過たるを人々わらふ。(p33)
いきなり冒頭に「リヨクトポンプなどいふは、活くるものを死活する器なり」とあります。どうやら自在に生死を操ることができる装置のようです。怪しげです。何やら魔導師あたりが組み上げた奇怪なからくりという雰囲気です。「怪しい少年少女博物館」にぴったりのような気もします。
それはともかくとして、このリヨクトポンプの正体はなんでしょうか。国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースでは、このように言及されています。要約部分を引用しておきます。
「リヨクトポンプという機械の中に、水を入れて小魚を泳がし、水中の気を抜くと小魚は死に、また気を戻して入れると忽ち生き返るという。」
う~ん、おどろおどろしい感じがします。黒魔術や錬金術のテイストがぷんぷんです。しかし、ちょっと待って下さい。それだと、儒教の正統を重んじる廉潔の士であったはずの定信が、一方で魔術や妖術の実験に励んだことになります。「予こころみ製したり」とあるんですから。
実はこの「リヨクトポンプ」は、「退閑雑記」にもう一箇所言及があります。その部分を次に引用してみましょう。
○リヨクトポンプてふものは、名のみ聞こへてその製見たる者もなく、蛮書中たまたまあれども、製もまたつまびらかならず。ここによりて試みに製するものあれども、理も明らかならざれば、巧思もまた尽くさず、今年その製成就す。気を吹き入れて生物を殺さんとす、故に死活をなす事あたはざるなり。凡そよろづの物、この天地の気を得て生じ、失ひて死するの理は、誰々も知れる事なり。口鼻をおほひて天地の気を絶てば死するも同じ理にして、奇器てふものにはあらざれども、幼童など見ては奇なる事のやうに思ふめり。その器成りてかの忠朝朝臣〈松平下総守〉などへ見せぬれば、ことに驚かれて精巧を誉め給ひけり。水中の魚は水を呼吸するとのみ思ふなり。水中の気を呼吸する成り。これらもその器中へ水を設け、一小魚を入れて気をこなたへ引き取れば、水はありながら水中の気絶 ゆるに従ひて、たちまち魚死するなり。あるひは酒など入れて気を吸へば、酒ことに淡くして水の如くになるなり。その器はことに巧みなる物にはあらず。もとより無益のものにして、もてあそぶべきものにもあらず。(p45)
初めてこれを読んだとき、魔術などではないんじゃないかなという印象を受けたのですが、どうでしょうか。語構成を直感的に考えると、この「リヨクトポンプ」は、どうも「ポンプ」の一種なのではないかと思われます。
「リヨクトポンプ」は、気を「吹き入れ」たり「引き取」ったりでき、なおかつ「蛮書」に記載されているものです。ますますポンプっぽくはないでしょうか。わたしは真空ポンプやエアーコンプレッサーのようなものを連想しました。
ここまで考えたところでわたしの考察はいったん止まったのですが、しばらく考えているうちに、はたと気がつきました。「蛮書」に出ていたというのだから、「リヨクトポンプ」はオランダ語に違いない、うまくすれば「リヨクト」の原語がわかるかもしれない、と。
え? どうしてオランダ語か? 根拠はありません。あえて言うなら「蘭学」というぐらいだから、定信の言及しているのもオランダ語の文献だろうというぐらいのものです。が、何らかの仮説を立てなければ学問は進みません。
とりあえずオランダ語であるとして、オランダ語で「真空」は何というのか調べてみました。使ったのはこのサイトです。結果は思わしくありません。ポンプは「pomp」と言うようなのですが、真空は「vacuum」のようです。「リヨクト」ではありません。
そこで次に考えたのが、「気」を出し入れするのだから、「空気ポンプ」ではだめか、というものでした。で、「空気」を検索してみると、オランダ語は 「atmosferische lucht」だそうです。よく見ると、「lucht」とあります。「リヨクト」「lucht」似てないですか。「ヨ」が拗音だとすると「リョクト」とな り、ますます似てきます。
一応念のために蘭和辞典で「lucht」をひいてみると、複合語の形で出てきていてはっきりしないのですが、「空気」と言ってもいい語のようです。
となると、結局「リヨクトポンプ」は「空気ポンプ」ということになり、定信は「蛮書」に出てきた記述をたよりに空気を出し入れする「空気ポンプ」──おそらくは真空ポンプのようなもの──を作ったのだということになります。
真空ポンプで空気を吸い出して魚が死ぬのか、酒のアルコールが抜けるのか、というような疑問が残りますが、とりあえず妖術などではないらしいことはおわかりいただけたのではなでしょうか。
ところで、定信が妖術使いであるという容疑は晴れましたが、こんどは、蘭学を抑圧したはずの彼が、どうしてこのような実験に興じていたのか、という新たな問題が生じてきます。が、その点については、またこんどということにしましょう。
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