今回も古い本ネタ。これは2007年5月に公開した。やはり作品の内容ではなく、本の表記という外形部分をとりあげている。こういうのは読まされる側にとって面白いのだろうか。そんな風な記事がいくつもある。
以下、本文
前々回に、明治時代のアダムとイブの挿絵などを紹介しながら、和本 日本で和紙を用いて作られていた本のことです を巡る話題をお届けしました。
今回はその続きで、明治時代に西洋の技術を導入して作られた洋装本 今の文庫本や単行本の形を想像してください を中心に、本の歴史の一端に触れてもらいましょう。前と同じように、画像で紹介するのはわたしの持っている本たちです。
まずひとつ目。
これは「校正古今和歌集講義(上・下)」という表題の本の一部を撮ったものです。明治26年に出版されました。この本は、いまの単行本に近い大きさの本で すが、表紙は固くありません。中学や高校の教科書のようなものを想像してもらうとよいでしょうか。洋装本という外形に合わせるように、中身も活字を用いて印刷されています。
画像が見にくくて申し訳ありませんが、よく見ると、今では使われていない仮名が使われていることがわかります。参考までに中央の大字の三行を現行の表記で書いて見ます。どこが違うかさがしてみて下さい。
ば、かゝるべくなむあらぬ、いにしへのよゝのみか
の月の夜ごとにさむらふ人々をめしてことにつけ
らしめたまふ。
本の一部を拡大して撮っていますので、文意が通じません
それはともかく、どの部分が違うかわかりますか?
そうです。「人々を」の「を」の部分、「ことにつけ」の「こと」の部分、「しめたまふ」の「し」の部分です。これらはそれぞれ、漢字の「越」を少し崩したもの、「こと」をくっつけて書いたもの、漢字の「志」を少し崩したものになっています。
今わたしたちは五十音それぞれについてひとつの仮名を使っています。が、歴史的な経緯をふり返ってみると、そんな風に仮名が整理されたのはごく最近のことです。一音一表記の原則が示されたのは明治23年(1900年)に公布された小学校令でのことでした。
それ以前は いえ、それ以後もかなりの期間は 、 一つの音を示す仮名は複数存在していました。たとえば、「あ」を表す仮名は、「安」「阿」「愛」「亜」「悪」などを崩したものが用いられていました。 「か」を表す仮名などは、「加」「賀」「駕」「家」「可」など十種類あまりもあったのです。その他の音を表す仮名も、多かれ少なかれおなじように複数存在していました。これらの仮名を変体仮名と呼びます。注意しておきますが、「変態」ではありません。
もちろん、生活に密着した習慣性の高い事象が、ひとつの法令によってすぐに改まるわけもありません。小学校令公布後徐々にその方向に向かって整理が進みま すが、一音一表記の仮名の原則が基本的に貫かれるようになるのは、かなり時代が降ってからのことです。ちなみに、現行の現代仮名遣いの体系への移行は、実に第二次世界大戦後のことなのです。
この「校正古今和歌集講義」も、小学校令公布の三年後に出版されていますが、やはり一音一表記の原則は守られていないわけですね。少なくとも小学校令公布後数年は、一音に複数の仮名が用いられたことがわかります。ここにも近世から近代への変化の跡を見ることができます。
今回はその続きで、明治時代に西洋の技術を導入して作られた洋装本 今の文庫本や単行本の形を想像してください を中心に、本の歴史の一端に触れてもらいましょう。前と同じように、画像で紹介するのはわたしの持っている本たちです。
まずひとつ目。
これは「校正古今和歌集講義(上・下)」という表題の本の一部を撮ったものです。明治26年に出版されました。この本は、いまの単行本に近い大きさの本で すが、表紙は固くありません。中学や高校の教科書のようなものを想像してもらうとよいでしょうか。洋装本という外形に合わせるように、中身も活字を用いて印刷されています。
画像が見にくくて申し訳ありませんが、よく見ると、今では使われていない仮名が使われていることがわかります。参考までに中央の大字の三行を現行の表記で書いて見ます。どこが違うかさがしてみて下さい。
ば、かゝるべくなむあらぬ、いにしへのよゝのみか
の月の夜ごとにさむらふ人々をめしてことにつけ
らしめたまふ。
本の一部を拡大して撮っていますので、文意が通じません

そうです。「人々を」の「を」の部分、「ことにつけ」の「こと」の部分、「しめたまふ」の「し」の部分です。これらはそれぞれ、漢字の「越」を少し崩したもの、「こと」をくっつけて書いたもの、漢字の「志」を少し崩したものになっています。
今わたしたちは五十音それぞれについてひとつの仮名を使っています。が、歴史的な経緯をふり返ってみると、そんな風に仮名が整理されたのはごく最近のことです。一音一表記の原則が示されたのは明治23年(1900年)に公布された小学校令でのことでした。
それ以前は いえ、それ以後もかなりの期間は 、 一つの音を示す仮名は複数存在していました。たとえば、「あ」を表す仮名は、「安」「阿」「愛」「亜」「悪」などを崩したものが用いられていました。 「か」を表す仮名などは、「加」「賀」「駕」「家」「可」など十種類あまりもあったのです。その他の音を表す仮名も、多かれ少なかれおなじように複数存在していました。これらの仮名を変体仮名と呼びます。注意しておきますが、「変態」ではありません。
もちろん、生活に密着した習慣性の高い事象が、ひとつの法令によってすぐに改まるわけもありません。小学校令公布後徐々にその方向に向かって整理が進みま すが、一音一表記の仮名の原則が基本的に貫かれるようになるのは、かなり時代が降ってからのことです。ちなみに、現行の現代仮名遣いの体系への移行は、実に第二次世界大戦後のことなのです。
この「校正古今和歌集講義」も、小学校令公布の三年後に出版されていますが、やはり一音一表記の原則は守られていないわけですね。少なくとも小学校令公布後数年は、一音に複数の仮名が用いられたことがわかります。ここにも近世から近代への変化の跡を見ることができます。
0 件のコメント:
コメントを投稿