2012年3月30日金曜日

旧暦3/9 再掲 王様──・エピグラフ

垂渓庵です。

これも2008年3月に公開した。ローレンツには一時はまった。日本で出版された彼の本は、全てとは言わないまでも、かなりのところまで持っている。フリッシュも同じ。ティンバーゲンの本は漏れがいくつかある。今となってはどれも内容的には古いのだろうが、読み物としては面白いと思う。それにしてもエビピラフとは極北級のだじゃれだなあ。

以下本文

垂渓庵です。

前回はエピグラフについて少し考えてみました。あまり感心しない例しか作ることができませんでしたが(--)今回は口直しにかっこいいエピグラフをご紹介しましょう。とりあげるのは、コンラート・ローレンツの著作です。

ローレンツは前世紀に活躍した動物行動学者です。今や過去の人になりつつありますから、ご存じない方も多いかも知れません。あるいは、『ソロモンの指環』あたりを懐かしく思い出すとか。二十数年前には、彼の本も何冊も出ていたのですが。

あのころはまだ時おり新刊も出版されていました。それが今ではこんな感じです。などと慨嘆していても仕方がありません。先に進みましょう。彼については、ひよこなどの刷り込みを発見した人と言えば、どんな人か多少はイメージしてもらえるでしょうか。



彼は生物の行動を研究対象としました。フィールドでの徹底した観察と進化論的考察を武器に、フリッシュやティンバーゲンらとともに、動物行動学という学問分野を確立しました。彼らがリチャード・ドーキンスなどの出てくる素地を作ったのです。

ローレンツたち三人は、その研究業績によってノーベル賞を受賞しました。ちなみに、ノーベル賞には生物学賞がありませんので、受賞したのは医学賞です。彼の経歴などについてはこちらを御覧下さい。

さてそのローレンツ、『鏡の背面』という本を書いています。翻訳は思索社から上下二冊本で出版されました。彼はこの本で、人間が物事を認識する能力が進化の過程でどのように獲得されたのか、人間の認識システムの特徴は何か、について多面的に考察をしています。

「鏡」は物事を映し出す認識装置の喩えです。「背面」はその認識装置を操る主体を指しています。認識装置の裏側にいる主体の正体を明らかにすること、それが彼の大きなテーマの一つでした。

彼の人間への言及については、生物学の知見を安易に人間に適用するものだ、という批判があったりもしたようですが、その該博な知識と動物観察とから生まれた独自の考察には、傾聴に値する意見が含まれているように思います。

『鏡の背面』は、彼の認識論的・哲学的著作の第一弾です。その執筆には当然気合いが入っていたと思われます。彼は序章に次のようなエピグラフを掲げました。

眼が太陽にふさわしくないならば
太陽を見ることはできないだろう
ゲーテ

う~ん、かっこよくないですか。ゲーテですよ、ゲーテ。それだけでも、渋い作家を持ってくるよねって感じですが、彼の本の内容との見事な照応ぶりがまた素晴らしい。人間の持つ認識システムが外界に適応していることがとても文学的に、そして説得的に表現されています。

これこそがエピグラフです。キング・オブ・エピグラフです。エビピラフ評論家もきっと高評価を与えるはずです。いや、そんな評論家がいるならの話ですが。それにしても前回のわたしの試みとの差の大きいこと。ちょっと落ち込んでしまいます。

ところで、このゲーテのことばの出典は何でしょうか。それを探るのもエピグラフの楽しみのひとつですが、それはわたしも含めての宿題にしておきましょう。ネットで検索することも可能でしょうが、この機会にゲーテの作品そのものにあたってみるのもいいかもしれませんね。

ちなみに、ローレンツは『攻撃』という著作でもゲーテのことばをいくつかエピグラフとして用いています。それらもあわせて出典を明らかにすれば、ローレンツがゲーテのどんな作品を好んでいたかがわかるかもしれません。

いずれにしても、エピグラフのような小さな部分にも作者は工夫をこらしていて、それを読み解くことも読書の楽しみなのだとお分かりいただけたでしょうか。このエピグラフを活用して破天荒な小説を書いた作家がいます。それは……。長くなりますので、またの機会に。

どうでもいいことですが、エピグラフという文字の並び、エビピラフに似ていませんか。何度もエピグラフと書いているうちに気づきました。試しに一カ所エピグラフをエビピラフに変えてあります。気づきましたか?

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