2012年3月21日水曜日

旧暦2/29 再掲 偶然と必然

垂渓庵です。

2007年11月に公開した。結局図書館に出向くこともなく、未だに偶然の一致なのかそうじゃないのかわからないままだけれど、実はかなり気になっている。他の案件とあわせて図書館に早く行かなきゃと思いながら、まだ果たせていない。


以下本文

垂渓庵です。

表題からジャック・モノーの本を連想された方、残念ですが全然関係ありません落ち込み

岩波文庫の『朝鮮童謡選』(金素運 編訳)に次のような一篇が収められています。

曲り媼(ばあ)さん  曲り杖ついて
曲り山に行き 曲り糞垂れりゃ
曲り犬奴(め) 曲り糞なめて
曲り杖に打(ぶ)たれ 曲りキャンキャン

あまり上品とは言いかねる童謡ですね落ち込み でも、ここではそれを指摘したいのではありません。次の英詩と較べてもらいたいのです。


There was a crooked man and he walked a crooked mile,
He found a crooked sixpence upon a crooked stile.
He bought a crooked cat, which caught a crooked mouse.
And they all lived together in a little crooked house.

易しい英語なので訳すまでもないと思いますが、念のために「crooked」の意味だけ記しておきます。「曲がった」「ねじれた」という意味の形容詞です。

なんとも奇妙な一致だと思いませんか。これを見つけたときは「ほほう、なんともすげえ偶然の一致じゃねえか。えれえもんだなあ、ええ、八」と思ったものです。わたしは根っからの関西人ですし、親分でもありませんが。

しかし、『朝鮮童謡選』の解説まで読んでいって、この場合も以前紹介したヴォネガットと斉藤緑雨の場合と同じように考えていいのかどうか疑問に思いました。

というのも、『朝鮮童謡選』の解説を北原白秋が書いていたからです。どうして白秋が解説を書いていると問題があるのかというと、実は上の英詩はいわゆるマザーグースの一篇で、白秋にはマザーグースの翻訳があるのです。

角川文庫の北原白秋訳『まざあ・ぐうす』の解説によると、白秋が「赤い鳥」誌上にマザーグースの翻訳を発表し出すのが大正九年(1920年)。以後、順次発表した訳詩をまとめて『まざあ・ぐうす』の名の下に刊行するのが大正十年(1921年)。

一方、金素運が『朝鮮童謡選』の元になった『朝鮮民謡集を』出版したのは、昭和四年(1929年)です。年次だけを見ると、白秋の訳業が金素運の先の童謡の翻訳に影響を与えた可能性が出てきます。

ただし、そう断じるには少し問題があります。まず、金素運の訳したもとの童謡がどのようなものであったのかという問題。それと、白秋の「THERE WAS A CROOKED MAN」の翻訳では、[crooked」の訳が「背骨曲がり」となっている点です。

白秋の訳詩は以下のようなものでした。

背骨曲がり
背骨曲がりのあまのじゃく、 背骨曲がりの旅をして、
背骨曲がりの石段で、    背骨曲がりの六ペンスひろい、
背骨曲がりのねこを買い、  背骨曲がりのねずみをとらせ、
背骨曲がりの豆んちょの家に、背骨まげまげおさまった。
(原注) あちらでは、つむじまがりのことを背骨まがりと申します。

言葉の調子も若干違いますし、直接白秋の訳詩の影響下にあるというわけでもなさそうですが、金素運が白秋の訳詩にインスパイアされて翻訳の際に上に見たような形に整えた、という可能性は残るような気がします。

金素運の『朝鮮童謡選』、そのもとになった『朝鮮民謡集』は、『諺文朝鮮口伝民謡集』を底本としていますので、そこまで遡れば、白秋の訳詩の影響の程度が判断できるのではないかと思います。

金素運の訳詩が原詩の直訳に近い形なら、あえて白秋の訳詩の影響を云々する必要はないでしょう。それこそ、朝鮮の童謡とマザー・グースの一篇との偶然の一致を面白がればいいということになります。

もしも原詩の形が金素運の訳詩と異なっているならば、白秋の詩が念頭にあった金素運の改変という線が出てくるでしょう。そうなると、ことは訳詩者同士の影響関係の問題、金素運の訳の性格の問題、といった話になってきます。

わたしはハングルを満足に読めませんから、これ以上の追究はできません。が、いずれ機会を作って『諺文朝鮮口伝民謡集』を図書館ででも探して繙いてみるぐ らいのことはしてみようかと思っています。そして、この一致が偶然なのか必然なのかを確かめてみようと思うのです。

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