垂渓庵です。
これも2007年3月の記事。 漢詩ネタだ。気に入っている作品について書くだけだから、もっとこの手の記事を更新できそうなものだけれど、結果として、漢詩ネタはあまり書いてこなかった。漢字を打つのが面倒だというのが大きいかもしれない。
以下、本文
一昨日はわたしの自宅近くの小学校の卒業式でした。卒業生が送り出される光景があちこちで見受けられたことと思います。そこここに、写真を撮るのに夢中のお父さん、お母さんがいたことでしょう
教職に就いていると毎年卒業生との別れがあります。もちろんそれだけではなく、退職する方との別れもあります。時が流れ続ける以上、それは避けられないことですが、いささか寂しい気持ちがします。
そんな別れに際してわたしがよく思い出す漢詩が二つあります。ひとつめは、陶淵明の「贈長沙公(長沙公に贈る)」という詩 正確にはその一節 です。
陶淵明は、中国の六朝期(唐の少し前の時代を言います)の詩人です。彼の「帰りなんいざ、田園まさに蕪(あ)れなんとす」という詩句や、高校の漢文の教材の定番である「桃花源記」などは、聞き覚えのある方がいるのではないでしょうか。
長沙公は陶淵明と同じ陶一族の陶延寿であろうと言われています。序によると、彼が陶淵明の住む地を通った際に、陶淵明はこの「贈長沙公」詩を贈りました。わたしがよく思い出すのは、その第四節です。原文、書き下し文、口語訳の順に挙げてみましょう。
*原文は岩波文庫「陶淵明全集(上)」からの引用です。
*書き下し文と口語訳は岩波文庫のものに少し手を加えました。
何 以 写 心 貽 此 話 言
進 簣 雖 微 終 焉 為 山
敬 哉 離 人 臨 路 悽 然
款 襟 或 遼 音 問 其 先
何を以て心を写さん
此(こ)の話言を貽(おく)る
簣(き)を進むること微なりと雖(いえど)も
終(つい)には山と為(な)る
敬(つつし)めよや 離人
路に臨んで悽然(せいぜん)たり
款襟(かんきん) 或(ある)いは遼(はる)かなれども
音問 其れ先にせよ
別れに際してわたしの気持ちをどう表現したらいいでしょう。今はこのことばを贈ります。「もっこで運ぶ土はわずかであっても、ついには山を築き上げる」。 どうか御身を大切に、旅立つ人。別れに臨んで寂しい気持ちでいっぱいです。またこのようにうちとけて語り合えるのは、いつになるか分かりませんが、折々に音信だけでも寄せて下さい。
相手に対する惜別の情とこれからへの期待が感じられるのではないでしょうか。わたしは天の邪鬼ですので、卒業していく生徒に「音問其れ先にせよ」と言った りはしませんが、たまに学校に遊びに来てくれるとやはり嬉しいものです。卒業する生徒を送り出す教師の心情を代弁するような詩句だと思っています。
もうひとつの詩は、次回にご紹介しましょう。井伏鱒二がその詩を訳し、「さよならだけが人生だ」という名フレーズを生みだしたことで有名な詩です。

教職に就いていると毎年卒業生との別れがあります。もちろんそれだけではなく、退職する方との別れもあります。時が流れ続ける以上、それは避けられないことですが、いささか寂しい気持ちがします。
そんな別れに際してわたしがよく思い出す漢詩が二つあります。ひとつめは、陶淵明の「贈長沙公(長沙公に贈る)」という詩 正確にはその一節 です。
陶淵明は、中国の六朝期(唐の少し前の時代を言います)の詩人です。彼の「帰りなんいざ、田園まさに蕪(あ)れなんとす」という詩句や、高校の漢文の教材の定番である「桃花源記」などは、聞き覚えのある方がいるのではないでしょうか。
長沙公は陶淵明と同じ陶一族の陶延寿であろうと言われています。序によると、彼が陶淵明の住む地を通った際に、陶淵明はこの「贈長沙公」詩を贈りました。わたしがよく思い出すのは、その第四節です。原文、書き下し文、口語訳の順に挙げてみましょう。
*原文は岩波文庫「陶淵明全集(上)」からの引用です。
*書き下し文と口語訳は岩波文庫のものに少し手を加えました。
何 以 写 心 貽 此 話 言
進 簣 雖 微 終 焉 為 山
敬 哉 離 人 臨 路 悽 然
款 襟 或 遼 音 問 其 先
何を以て心を写さん
此(こ)の話言を貽(おく)る
簣(き)を進むること微なりと雖(いえど)も
終(つい)には山と為(な)る
敬(つつし)めよや 離人
路に臨んで悽然(せいぜん)たり
款襟(かんきん) 或(ある)いは遼(はる)かなれども
音問 其れ先にせよ
別れに際してわたしの気持ちをどう表現したらいいでしょう。今はこのことばを贈ります。「もっこで運ぶ土はわずかであっても、ついには山を築き上げる」。 どうか御身を大切に、旅立つ人。別れに臨んで寂しい気持ちでいっぱいです。またこのようにうちとけて語り合えるのは、いつになるか分かりませんが、折々に音信だけでも寄せて下さい。
相手に対する惜別の情とこれからへの期待が感じられるのではないでしょうか。わたしは天の邪鬼ですので、卒業していく生徒に「音問其れ先にせよ」と言った りはしませんが、たまに学校に遊びに来てくれるとやはり嬉しいものです。卒業する生徒を送り出す教師の心情を代弁するような詩句だと思っています。
もうひとつの詩は、次回にご紹介しましょう。井伏鱒二がその詩を訳し、「さよならだけが人生だ」という名フレーズを生みだしたことで有名な詩です。
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