2012年3月17日土曜日

旧暦2/25 再掲 一川誠さんのメッセージに思うこと

垂渓庵です。

一川は「世界で一番受けたい授業」 に出て以降、同じような情報番組にいくつも出演している。「世界で~」にも三、四回出演したのではなかったか。確かに彼のやっている研究は、ビジュアル面でも興味深いものがある。これからも活躍することを期待している。

以下本文

前回、前々回にメッセージを紹介した、「世界で一番受けたい授業」の一川誠さんは、わたしの大学の同期で、実は顔を合わせる機会があれば、お互いに名字を呼び捨てにする間柄です。大学の学部、大学院と七~八年間同じキャンパスで過ごしていました。そういうわけで、彼にまつわる思い出を少し書いてみようと思います。この項目では一川さんのことを一川君と書きたいと思います。



のそっとした風貌(失礼!)の一川君とは「酒話の会」と称して月に1回ぐらい飲んでいました。メンバーは他に日置、新見の両君です。主に日置君の下宿で四人で酒宴を開いていたのが確か学部の四回生の頃でしたか。時には「呑海」という安い居酒屋も利用していました。

学部生時代の一川君は、山行会に所属する山男でした。と言っても大学キャンパスでいっこうに顔を見ないというようなことはありませんでした。長期休暇を利用して山行に出かけていたのだと思います。研究室にはよく顔を出していたように思います。反転眼鏡をかける実験に参加していたこともありました。いや、彼ではなく天ケ瀬君や高田君だったかな。ちょっとここの部分の記憶は曖昧です。

前回紹介したように、彼は今では押しも押されぬ気鋭の研究者ですが、学生の頃はそれなりに青春期の試行錯誤を経験していました。学部のコンパで飲みつぶれて「価値観が崩壊した」と言っていたこともあります(--)何に衝撃を受けたのかは定かではありません(笑)このあたりの事情は彼のメッセージにも何ほどか反映しているようですね。

先ほど書いた酒話の会で、うだうだと夜中まで話し続けていたりもしたのですが、いったい何を話していたのでしょう。心理学科の一川、国史の日置、地理学科の新見、国文のわたしと学科の違う四人がなぜ集まることになったのかもさだかには覚えていません。縁としか言いようがありません。

学部卒業後もしばらくは集まっていたと思いますが、その後、それぞれに忙しくなり、顔を合わせることもなくなっていきましたが、日置君が一川君の近況を知ったのをきっかけに、数年前からまたやりとりが復活し、現在に至っています。先日も久しぶりに四人で顔を合わせたところです。

ちなみに、このブログの写真は、数年前に一川、日置の両君と三人で京都を回ったときに撮った写真で、左が日置君、右が一川君です。場所は南禅寺の水路閣横でした。

先日、日置君が関東に転勤になりましたから、酒話の会メンバーは関西と関東に二人ずつということになります。またいずれ四人で顔を合わせる機会を持ちたいなと思いますが、それぞれに仕事を持つ身です。いつになることやらわかりません。当面は関西と関東に分かれて酒話の会活動をすることになりそうです。

さて、思い出話はこれくらいにして、一川君のメッセージを読んで感じたことを書いてみましょう。

わたしが感じたのは、教養の大事さです。難しい本でも少し背伸びして読む、いろいろなことに開かれた興味を抱く、そうして蓄積していったことが、直接仕事に役立つことはなくとも、何かしらその人を形作っていくのだなあと改めて思いました。

一川君を大学のころから知るわたしとしては、彼がメッセージに書かれてある経験を経てきた人物だということがとてもすんなりと腑に落ちました。彼という人と彼の経験とは分かちがたく結びついていると思うのです。

法律をやるのだから文学なんてどうでもいい、医療に携わるのだからそれ以外のことは必要ない、理数系だから文系のことは知らない、文学をやっているんだから自然科学は知らなくて当然だ…。今の世の中はとかく効率を優先しますから、そんな風に考えてしまいがちですが、それではやはりよくないのではないか、と彼のメッセージを読んで思いました。

実際、生物学者や物理学者の書くものにも驚くほど多くの文学作品への言及がある場合があります。動物行動学者のK・ローレンツ、同じくカール・フォン・フリッシュ、生物学者のジャコブしかりです。裁判官であった倉田卓次、物理学者の寺田寅彦や中谷宇吉郎も、文筆家としての業績を抜きにしてはその人を語れないだろうと思います。作家にして社会科学や理系の素養を身につけておられる方もたくさんおられます。

それらはそれぞれの人の人間の幅、人間性を増す働きをしていて、その結果、その人自身や著作ににじみ出る人間的魅力を増しているように思います。

自分の専門分野が決まれば、当然その分野の最先端の知識をフォローしたり、技術を磨いたりしなければなりません。分野によっては幼い頃からの研鑽が必要になることもあるでしょう。しかし、中学から高校、大学にかけては、やはりさまざまなことに関心を持って、さまざまなことを考えることが必要なのではないかと思います。一川君のメッセージはそのことを如実に示しているのではないでしょうか。

というわけで耽読翫市を標榜する者にふさわしく、背伸びした読書へのいざないをしつつこの項を終えたいと思います(笑)

最後に一川へ。メッセージをありがとう。また会おう!

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