垂渓庵です。
2009年5月公開。記事を読み直していて、「レイキ」は、ドイツ語で言えば「ライヒ」なんじゃないかと今思いついた。ウイキペディアを見れば、オランダ語では「レイクRijk」。あとは「アーンシーン」と「マクテキ」だな。
以下本文
そろそろこのシリーズに飽きが来ていなくもない垂渓庵です。だからというわけでもないのですが、更新が予定よりも一日遅れてしまいました。
すまん。
というわけで、今回は定信強気です。いや、彼はいつでも強気なわけですが。何というか、いつになく強く主張してます。日本の素晴らしさを。
では、参ります。
p140
広見聞録を引用した後に日本人の気質について次のように述べています。
過ぎし年蛮書中わが邦のことを書いたるを和解させたるうちにも、アーンシ-ンレイキ(尊き)又マクテキレイキ(強大)三カ所あり。日本九州四国をいふとぞ。さて土地の気和にして健、及び人甚だ強し。すべて国中にあるものは多く安堵の国なり。実情剛勇にして応対よく慇懃なり。応対よきは尊敬し、違ふことあれば変ずること激し。人発明にして気臆よく、性質欧羅巴の人に異なりなんどと見えたり。その他地理産物などいと詳しくあげたれど、益なきことなれば記さず。いかにもわが国ぶりの素直なる、異国の対すべきにはあらずなん。異国より渡り来たる器物草木鳥獣見ても、わが国の素直なるには及ばずなん。
アーンシーンレイキとマクテキレイキってのはよくわかりません。「三カ所あり」とあって「日本九州四国」と書いてあるんですから、おそらくは本州と九州と四国を指しているのでしょう。ただし、大きな三つの大きな島があるということなのか、強大な勢力圏が三つあるってことなのかは?です。オランダ語あたりに堪能ならばわかると思うのですが。
以下、蛮書に書いてあったという内容をかいつまんで述べてみます。
1 気候は温和で身体によく、住んでいる人もとても強靱だ。
2 住んでいるものの多くが安心して暮らしていられる国だ。
3 人々は誠実で勇敢で、慇懃な態度で人に接する。
4 よい応対をする人は尊敬し、応対のおかしい人には慇懃な態度から強い態度に変わる。
5 人々は賢く記憶力よく、性質は欧羅巴の人々とは異なる。
1の前半については今の日本にはあてはまりにくいですね。特に都市部での夏の暑さなどは異常です。
後半についてはどうでしょうか。体格面では遙かに改善されていますが、強靱さがあるかというと、どうもそうではなさそうな気がします。生徒の骨もよく折れますしね。
2は徳川幕府のもと、国内で争いらしい争いがなかったわけですから当然だと思います。
いずれ述べますが、定信は幕政を退いてからも何らかの経路を通じて諸外国の状況をそれなりに知っていたようです。ですから、この項目には深くうなずいたのではないでしょうか。
もちろん社会・経済状況に問題がなかったわけではありませんが、出口がないかのような閉塞感というものはなかったのではないでしょうか。
今の日本はどうでしょう。内戦状態に陥っているわけでもなく、治安という面でも先進国中でも比較的安全な方かと思われます。その点では2は現在にもあてはまるもののようにも思えます。けれども、超高齢化の到来、社会保障制度や経済状況の先行きなど不安な要素がいくつもあり、安心して暮らしていられるとは言えない状況に立ち至っています。あまり明るい見通しはありませんしね。
3はこれを見れば古くに日本を訪れた外国人が日本人に対して抱いた印象と一致しているように思います。
対して現在は……。日本を訪れる外国人にこのような印象を持ってもらえるかどうか甚だ心もとない気がします。以下の4や5についても同様です。
4の「応対よきは尊敬」するというのは、当時の日本人が礼儀や礼節というようなものを評価するということを言いたいのでしょう。わたしたちも人に質問されれば「応対よきは尊敬」すべきだと答えるでしょうが、実行できているかどうかは微妙ですね。
わたしがちょっと意外に思ったのは、後半の「違ふことあれば変ずること激し」です。自己主張ができないと言われがちなわたしたちのご先祖様ですよ。礼儀礼節を重んじる裏側に非礼を許さない苛烈さがあったってことになります。大魔神みたいというか何というか。
以上を踏まえて、定信は日本の国風が素朴で穏やかなことを称揚します。外国から渡ってきた「器物草木鳥獣」を見てもそれがわかるだろうと。外国なんざ目じゃないってことですね。定信、自信に満ちています。
無知から来る過信、中華思想的な思いこみといった要素もなくはないのでしょうが、自分の属する社会を自信を持ってストレートに肯定できる定信がちょっとうらやましいような気もします。
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