2012年3月27日火曜日

旧暦3/6 再掲 松平定信と砲術・続き──定信ったら9.5

垂渓庵です。

2009年7月公開。またもよく分からないことだらけの記事だ。砲術の研究書などを見れば分かるのだろうけれど、やはり今のところ時間がない。というか、あまり食指が動かないというのが正直なところだ。専門的な論文を発表するわけじゃなし、それでいいんじゃないかという気もする。


以下本文



やあみんな元気かな。やっぱりちょっとこまめに更新の垂渓庵です。

砲術のことが尻切れトンボで終わってはや一ヵ月。ほんとうに失礼しました。今回は続きです。

とは言っても砲術の技術的問題については調査に限界があります。今回も内容は薄いかもよ。尻切れトンボの尻の肉は薄かったってことか(--)

では、参ります。


まずはもう一度本文を挙げておきましょう。

P173
蛮書中砲術のこと和解したるが、かの国にて専ら用ゆるは夏濃(カノン)てふものなり。木而的而(モルテール)などいふをも用ゆ。モルテールは短き筒なり。かの国にても昔は長きを用ひしが、丸の銃腹中を行くこと長ければ、自ずから火薬の勢ひ衰へぬるが上、銃腹中長ければ空気多く蓄へぬれば、発動の力空気のために減じぬ。この理を発明してより短銃を今専ら用ひぬとは書いたり。この邦にて説ける理とは違へり。

☆装銃の量は弾丸三つ重ねし長さに薬入るるを強とす。海上発銃するには常の五倍に装薬すとぞ。昏夜発銃丸行ひきし故に海上の量の如くす。雨霧の日発銃するもまた同じと。未だ試みず。銃を鋳るには銅百斤、錫十斤、真鍮八斤を用ゆ。或いは錫十斤、真鍮五斤をも用ゆとぞ。軽銃は木革の類をもてす。革をもて作るは銅葉をもて筒とし、革をもて厚封し、鉄箍をほどこすとぞ。この外火薬の力を強くせんには、龍脳を少し加ふるなどの説もあり。試みしがその益なし。なほ詳しくは遠西軍書考に記したれば省きぬ。

前回は触れませんでしたが、砲術、カノン砲、臼砲と大砲系で話が始まっているのですが、途中から銃の話になってます。変な気はしますが、「鉄砲」は銃のはずなのに「砲」と言っていますね。単に定信の勘違いというよりも混用があるようです。一応現代では小火器を銃と言っているようですが。とりあえず今回は区別を曖昧にしておきます。

さて、今回は便宜上改行して☆をつけた部分以降のお話です。

「装銃の量は弾丸三つ重ねし長さに薬入るるを強とす」
弾と火薬を別々に装填するタイプの銃では、装薬を多くしたり少なくしたりして威力の調整をしていたのだろうと思われます。火縄銃の場合にも同様のことがあったようです。ちなみに、こちらでは火縄銃について興味深い実験をされています。現代でも火薬の量を多くしたものを強装弾、少なくしたものを弱装弾と言うのは、江戸時代以来の流れを受けてのことなのでしょう。

「海上発銃するには常の五倍に装薬すとぞ」
何のために海上で発射するには通常の五倍の火薬を使うのかがわかりません。多少火薬が湿気っていても発射できるようにするためかなとも思いますが詳細は不明です。

「昏夜発銃丸行ひきし故に海上の量の如くす」
これはわかりやすいですね。「丸行」はたぶん「弾道」ってぐらいの意味だろうと思います。闇夜に海上と同じく五倍の装薬を行う理由が説明されています。闇夜では弾着の確認ができませんから、長大な発射炎によって弾道の確認を行ったか、多量の火薬のおかげで弾丸の飛跡が曳光弾のように確認できたかしたのでしょう。

「雨霧の日発銃するもまた同じと」
海上と同じく火薬が多少湿気っていても発射できるようにするためでしょうか。定信の頃の銃はおそらく火縄式だったと思いますが、雨覆いというようなものもあったようですから、多少の雨程度なら発射できたのだろうと思います。

このあたり、定信は実験をしていません。「未だ試みず」とありますからね。卵を孵したり、エッチングを試みたりと妙な実験を行っている割には、徳川軍事政権の根幹をなしているはずの武器に関する実験にはあまり食指を動かさないのか(--)そんなことでどうする、定信!

「銃を鋳るには~真鍮五斤をも用ゆとぞ」
斤は重さの単位でだいたい600グラムです。ここの記述から「銃」を製造するには次の二つの配分比率で金属を用いることがわかります。
銅60㎏、錫6㎏、真鍮4.8㎏
銅60㎏、錫6㎏、真鍮3㎏
これ、ほんとにいわゆる銃の製造に必要な量なのでしょうか。どちらも合計70㎏前後になってしまいます。銃身などを鍛造する際のロス──いわゆるかなくそです──も含んでのことなのでしょうか。幕末に入ってきた12ドイム臼砲の重量がちょうど70㎏ということなので、同程度の大きさの砲の製造に必要な量なのかもしれません。ちなみに銅と錫の合金は青銅です。このあたりもウイキペディアの記述と整合性があります。

「軽銃は木革の類をもてす。革をもて作るは銅葉をもて筒とし、革をもて厚封し、鉄箍をほどこすとぞ」
どうもよくわからない記述です。銃身を木や革で作ることができるとは思えません。あるいは銃身を支えるいわゆるのことかとも思うのですが、革で作ることはなさそうですし、「革をもて厚封」するという記述もよくわかりません。短銃のような軽量小型の銃は台の代わりに銃身を革でぐるぐる巻にしていたということなのでしょうか。不審です。

「火薬の力を強くせんには、龍脳を少し加ふるなどの説もあり」
龍脳は香料としても用いられ、線香を作る際にも用いられるようですが、火薬の原料として用いられるのかどうかはちょっと確認できません。クスノキの精油の主成分である樟脳ならば黒色火薬の原料になるようなのですが。翻訳の問題か何かで定信は龍脳と樟脳をとり違えているのかもしれません。
これについては「試みしがその益なし」とありますから、実際に実験をしたようです。してみると、定信は武器に関してもそれなりに実験を行ったってことになりますね。よくやった、定信! ひょっとするとここで言う「銃」は一貫して大砲を指しているのかもしれません。大砲の海上発射実験などはさすがに気軽に行えそうにありませんから、定信が実験していなかったのも当然だということになるでしょうか。

「なほ詳しくは遠西軍書考に記したれば省きぬ」
この「遠西軍書考」については国書総目録にでもあたってみようと思いながら、雑用に追われて果たせていません。が、ネットでざっと検索した限りでは、どんな書物か、誰が書いたのかなどなどについては不明です。

定信は徳川軍事政権を支える幕臣らしく大砲などについても興味を持っていたことがわかります。しかし、海上発射などの大規模な実験を行っていないことからわかるように、彼はあくまでも私的な興味を持って砲術を眺めていたもののようです。結局、彼の好奇心の前にはニワトリの孵化も砲術も香料も同列のもので あったということですね。そうでなくっちゃ、定信!

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