2012年3月26日月曜日

旧暦3/5 再掲 松平定信、蛮書蛮学を考える──定信ったら 6

垂渓庵です。

これは2009年5月公開。「エコエコアザラク」か。Z会ブログの読者である受験生はたぶん知らない。いったどういう層を狙って書いていたんだろう。編集さんもチェックしようと思わなかったのだろうか。不思議だ。


以下本文

垂渓庵です。

GWはいかがお過ごしだったでしょうか。高速道路の料金が千円ですからね、車で遠征された方も多かったことでしょう。エコの時代なのに。レジャーは例外というのならエコエコ言うのはやめなさい。

だいたい、エコエコ言う人ほど自分勝手です。黒井ミサを見てもわかるでしょう。黒魔術やったりなんかして。基本的にエコイストなんですよ(ー_ー)

ええと、黒井ミサ、わかりますか。三十年以上前に少年チャンピオンに連載されていた漫画の主人公です。呪文はエコエコアザラク。

さて、軽く毒を吐いたところで、毎度おなじみ無用の記事をお届けします。とは言え、排ガスは出さないけどね。

では、参ります。


p72
蛮書てふものは、さして国用に足るものにもあらず。ただ好奇の者のすることなり。予も過ぎし頃、蛮学てふことはせざれども、このことを和解させ、この品を 製しなんど思ひて試みしこともありしが、便なることあれどもまた彼方に損あり。利害損益半ばするは天地の道なり。それが中に、一輪車もて土石運ぶは人力を 省きて利あり。天文医療物産などのことは利少なからじ。たばこ禁ありても従ひかねぬる人情になりもて行くも、画といふも近き頃は蛮画の意になしぬる、また は蛮学など携はりぬるの多きも、好ましからぬことにはありけんかし。されどかく言へば遠慮過ぎたるやうにやあらんか。知識優れたる人は、いかが思ふらん。 なほ聞かまほし。

定信は、蛮書などは国の大事に役立つものではないと考えています。物好きの取り組むものだと。

で、蛮学を学んだわけではないけれど、蛮書の翻訳をさせ、そこに出てくる物を作ってみようとしたことがあると過去の行状を告白しています。自分も物好きだと告白したようなものですね(笑)

実際に試してみた結果、便利な面もあるし、そうでない面もあるって結論に達しています。

しかし、その便利さの例としてあがっているのが一輪車──いわゆる「ねこぐるま」です。かつてドトウの笹口組では単に「ねこ」って呼ばれてました──ってのが何とも……。もうちょっと何かなかったのか、定信。

当時の最先端を走る趣味の持ち主だったはずなのに。その結論が「ねこ」でいいのか。そうなのか。それが定信なのか。

いやいや、先をよく見れば、「天文医療物産などのことは利少なからじ」って書いてあります。何も一輪車にだけ価値を見出していたんじゃなかったんだ。定信。

でも、蛮書は国の大事に役に立つものではないと考えていたのは、やはり目にしていたのが家庭百科的なショメールなどに限られていたからでしょうか。

次の「たばこ~ありけんかし」までの部分は少し文意がとりにくいところです。単純化すると、次のような係り受けの関係になるかと思います。

「たばこ~行くも」→好ましからぬことにはありけんかし
「画といふも~なしぬる」のと「蛮学など~多きも」→好ましからぬことにはありけんかし

「たばこが禁止されても人々が従わなくなったのも、絵というと西洋画を指すようになったのも、また蛮学に携わる者が多くなっていたのも、好ましくないことではあったろう」って言っているわけです。

しかし、一方でそんな風に考えるのを「遠慮過ぎたる」のではないかとも自答しています。要は「考えすぎ」「気を回しすぎ」ではないのかと思っているのですね。

政治的には「寛政異学の禁」や「処士横断の禁」などの政策を断行したわけですから、かつては「遠慮」が「過ぎ」ているとは考えてはいなかったはずです。

その後考え方が変わったのでしょうか。それを知る手がかりは彼の著作の中にあります。答えが見つかるかどうかはわかりませんが、これもまたこれまでの宿題と同じく今後の課題です。

ひとつ考えられることは、かつて幕政を預かっていた頃は「蛮書」や「蛮学」を危険視、過大視していたけれど、今になってみると、便利な部分もあるしそうでない部分もあるというように、それなりに冷静に見ることができるようになったってことなのかもしれません。

いずれにしても、この項目は彼の西洋の文物に対する考え方を知る上で、外せないものであることに間違いはなさそうです。

彼が言うように、優れた見識の持ち主に「蛮書」「蛮学」ひいては「西洋」について率直に意見を質していたとしたら、その答えはいったいどのようなものだったのか。また、それに対する反応は。歴史小説になりそうな魅力的な題材ですね。

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