2012年3月31日土曜日

旧暦3/10 再掲 アプライル

垂渓庵です。

これは2008年4月に公開した。そんな学生おるかいと思われるかもしれないが、いたのである。当事者が言うのだから間違いない。わたしが通っていた大学は、関西ではそこそこ名が通っている。と思う。
ところで、明日からは四月になるけれど、紹介していない記事がまだだいぶある。というわけで、明日以降も過去の記事を紹介しつつ、新しい記事も書いていくことにしたい。新しい記事は基本的には木曜更新の予定だ。
 
以下本文

垂渓庵です。

むかしむかしあるところに、思いもよらず大学に合格できた青年がおりました。

彼は合格発表があってからというもの、ひたすら遊びほうけておりました。

遊びにもいろいろあります。彼の遊びは地味なものでした。

ずっと我慢していた読書をし、やはり我慢していたテレビを見ていたのです。

そうそう、旭○書店や紀伊国○書店などにもしょっちゅう出没していました。

どちらもそのころは大阪で指折りの大規模書店でした。

彼は書店を巡り歩いては本を買い込み、それを読む、という生活を送ったのです。

読書に疲れたときはテレビ。どちらも目によくありません。

その後、かれは眼精疲労が原因でとんでもない頭痛に見舞われることになります。

しかし、その話はいまは置いておきましょう。

とにかく彼は存分に羽根をのばしまくりました。

それはそれは楽しい毎日を送ったのです。

そんな彼にも大学生として授業を受ける日がやってきました。

その時……。

旧暦3/10 再掲 I HAVE A DREAM

垂渓庵です。

これは2008年8年5月に公開した。もともと中国でのチベット人や少数民族への非人道的な迫害には反感を持っていたのだけれど、大マスコミには報道されなかった聖火リレー時の破廉恥な振る舞いに対して抗議せねばならないという気持ちになった。初代「耽読翫市」はZ会のサイト内で更新させてもらっており、直接的な表現をとるのは憚られたので、ここに見るように間接的な表現になった。


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垂渓庵です。今日は定期更新以外の臨時便です。

いよいよ暦の上では夏に入ろうとしています。これからどんどん暑くなっていくのでしょうね。

さて、先日長野で聖火リレーが行われました。ネット上にはこんなページがあり、この記述を信用するなら、マスコミで報道される以上に緊張が高まっていたようです。

が、今回の話題は聖火リレーとは直接関係ありません。チベットやモンゴルに関するわたしの夢を巡るお話です。

2012年3月30日金曜日

旧暦3/9 再掲 王様──・エピグラフ

垂渓庵です。

これも2008年3月に公開した。ローレンツには一時はまった。日本で出版された彼の本は、全てとは言わないまでも、かなりのところまで持っている。フリッシュも同じ。ティンバーゲンの本は漏れがいくつかある。今となってはどれも内容的には古いのだろうが、読み物としては面白いと思う。それにしてもエビピラフとは極北級のだじゃれだなあ。

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垂渓庵です。

前回はエピグラフについて少し考えてみました。あまり感心しない例しか作ることができませんでしたが(--)今回は口直しにかっこいいエピグラフをご紹介しましょう。とりあげるのは、コンラート・ローレンツの著作です。

ローレンツは前世紀に活躍した動物行動学者です。今や過去の人になりつつありますから、ご存じない方も多いかも知れません。あるいは、『ソロモンの指環』あたりを懐かしく思い出すとか。二十数年前には、彼の本も何冊も出ていたのですが。

あのころはまだ時おり新刊も出版されていました。それが今ではこんな感じです。などと慨嘆していても仕方がありません。先に進みましょう。彼については、ひよこなどの刷り込みを発見した人と言えば、どんな人か多少はイメージしてもらえるでしょうか。

旧暦3/9 再掲 エピグラフ

垂渓庵です。

これは2008年3月に公開した。我ながら変化球的な内容だと思う。これからもそういうところは変わらないんじゃないか。石毛さんの本はかなり昔に読んだ。自分の中で梅棹忠夫ブームが来ていたころだったか。アナトール・フランスから引用したのは、たまたまこの頃読んでいたから。

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垂渓庵です。

エピグラフとは、小説などの始めに置かれている題辞や引用句を言います。作品全体のはじめに置かれていることもあれば、章のはじめごとに置かれていることもあります。たとえば、堀辰雄の「風立ちぬ」では、作品の冒頭に、

風たちぬ 我生きめやも

というポール・ヴァレリーの詩が原文で掲げられています。堀辰雄はヴァレリーの詩にインスパイアされて『風立ちぬ』を書いたのでしょうか。何やらエピグラフを使うと高級な香りが漂い出しますね。
さっそく試してみましょう。たとえばわたしのこのブログ。言わずもがなのことばかり書いているわけですが、その始めに次のようなエピグラフがあったとしたら…。

旧暦3/9 再掲 ひろあきくん

垂渓庵です。

これは2007年3月に公開したもの。初代「耽読翫市」最初期のころの記事。もともとここに紹介するつもりはなかったのだけれど、次の記事との兼ね合いで載せた。ほんとの名前は「ひろあき」 君ではなかったが、仮名にしたのだった。本欄では時折記事にはそういう虚構を織り交ぜることがある。今日は三本公開予定です。

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中学や高校の教員は教科に関わる研究会に参加することがあります。地方の大会でも、興味のある研究発表が行われるときには、泊まりがけで出かけたりもします。
これは四年ほど前にわたしが出雲・松江方面の大会に出かけたときの話です。

わたしは夕食を食べる場所を探していました。旅行ガイドに載るようなしゃれた店は苦手で、ごく当たり前の居酒屋さんのような店の方が落ちつきます。結局、選んだのは盛り場の端っこにある居酒屋でした。五十代と思しいおかあさんが一人でやっている小さな店です。

お客はわたしも含めて三、四人。カウンターで近くの飲み屋のマスターが飲んでいました。少し話をした後、マスターは店を開けなきゃと言って出て行きました。おかあさんを相手に何やかやと話しているうちに、だれもいなくなりました。

さあ、帰るかと思っていると、小学校二~三年ぐらいの男の子が奥から出てきて、おかあさんと二言三言ことばを交わした後、トイレに入っていきました。

2012年3月29日木曜日

旧暦3/8 また来週と和歌はわからん4

垂渓庵です。

これは元サイトと同日公開だ。くどいようだけれど、あくまでも元のブログの更新が今日で終わりなのであって、今日で本ブログが終わるわけではない。本ブログのみの特典──ほんとうに特典か?──として、「和歌はわからんシリーズ」の新作を併載した。お楽しみいただければ幸いだ。なお、今日は30分刻みで「和歌はわからんシリーズ」全4本をコメント付きで順に公開した。そちらもお楽しみいただければと思う。

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垂渓庵です。

さて、今回でこのブログも最後の更新となった。思えばまる五年、好きなことを書き連ねてきた。時にはZ会的にはいかがなものかと思われる記事もあったことだろうが、思うままに書かせていただき、感謝の言葉もない。

昨日も書いたように、今後は、「耽読翫市─もと太鼓打ちのブログ」に活動の場を移すが、毎週木曜日の記事の更新をめざしたいと思っている。これまで同様ご愛顧を賜ることができれば幸いだ。というわけで、さようならとは書かない。

最後にトリッキーな別れの和歌を一首ご紹介しよう。「和歌はわからん4」だ。

旧暦3/8 再掲 和歌はわからん3──続・思ふ人思はぬ人を思ふ人

垂渓庵です。

前回の和歌、解釈はできたかな。

ではさっそく読解、いってみようか。
まずもう一度和歌を見ておこう。

思ふ人侍りける女に物のたうびけれど、
つれなかりければ遣はしける  
思ふ人思はぬ人の思ふ人思はざらなん思ひ知るべく

詞書によれば、好きな男のいる女にアタックしてつれなくされた男が、さらにその女に贈った歌だった。

では、和歌の解釈。

旧暦3/8 再掲 和歌はわからん2──思ふ人思はぬ人の思ふ人

垂渓庵です。

これは2010年8月に公開した。それにしてもわかりにくい歌だ。こういう歌を解釈するのは嫌いではないけれど、時に面倒になる。この時も気持ちが折れそうになった。結局記述を二回に分けることになった。挙げ句の果てに元国語力研究所所長に難しすぎると言われてしまったのだった。むう。

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 垂渓庵です。

満を持して始まった「和歌はわからん」シリーズ。

ちまたの受けはいいのか悪いのか。

今時、和歌なんて流行らないんじゃないかとは思うけれど、自分の興味の赴くままに突っ走るのが快感であったりもする。

というわけで、時代の流れとは無関係に、第二弾、とりあえず、いってみようか。

旧暦3/8 再掲 和歌はわからん1──音にのみきくのしらつゆ


垂渓庵です。

これは2010年7月に公開した。授業でもよく使うきわめて技巧的な歌だ。それにしても、和歌の説明は難しい。意を尽くそうと思うと、どんどん記述が増えてしまう。

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垂渓庵です。

いよいよスタートした「和歌はわからん」。

はたしてどんな塩梅になるのか。

実はわたしが一番心もとなかったりする。

とりあえず、いってみようか。

さて、栄光の第一回はこの歌。

旧暦3/8 再掲 和歌はわからん0──前口上

垂渓庵です。

これは2010年7月に公開した。シリーズを始めるに当たっての前口上だけれど、最初の和歌はわからんの記事が間に合わなかったための苦し紛れだったような気がする。いかぬいかぬ。

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垂渓庵です。


「定信ったら」シリーズで江戸随筆に切り込み、「直球勝負」シリーズで現代文学を鋭くえぐる耽読翫市が、満を持して放つ新シリーズ! その名も「和歌はわからん」。

えーと、いきなり位負けしているようなシリーズ名ですが、文学史の王道たる和歌とがっぷり四つに取り組む本格的な和歌講釈シリーズとなる、はずです。

和歌の解釈はなかなかに難しいもの。そのためか、大学入試でも和歌そのものを正面から取り上げて出題されることはあまりないように思います。せいぜいが紀行文や物語文に出てくる和歌が、本文との関連で問題になるくらいでしょうか。

そんな和歌ですが、江戸時代ぐらいまでは、文学史の第一等の座を占め、連綿と作られ続けてきました。そこには厖大な詩的蓄積があります。それを知らずに終わってしまうのは、あまりにもったいない。マータイさんもがっかりです。

というわけで、和歌の面白さを少しでもお伝えすべく、当ブログでも上記シリーズを始めることにした次第。近々第一回をお送りできるかと思います。

どこまでうまくいくかはわかりませんが、乞うご期待。

あ、ひょっとしてZ会的にはおれにそんな内容のブログを求めてたのか? 気づくのが遅すぎだろ(--)

2012年3月28日水曜日

旧暦3/7 ためらい

垂渓庵です。

これは今日の朝に公開したもの。公開したてほやほやだ。前回は国語の成績を上げるのは可能か検証してみた。結論から言うと可能だと思うが、そのためには授業や補習などもそれ用に調整する必要がある。今のところその形で進めており、生徒の成績も比較的好調だ。しかし、それでいいのかと思わなくもない。今回はそこらへんについて記してみた。

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垂渓庵です。

本欄の更新もあと少し。現在お引っ越しの準備を進めている。とりあえず次の住み処をgoogleのbloggerというサービスを使って構築中だ。とりあえずは、耽読翫市─もと太鼓打ちのブログという名前のブログを立ち上げた。今はミラーサイトのような形で試験運用をしている。ご用とお急ぎでない方はそちらも覗いてみていただきたい。4月以降は、基本的には本欄と同じく毎週木曜の更新を予定している。

旧暦3/7 再掲 直球勝負3 未来の記憶

垂渓庵です。

これは2008年10月に公開した。この文章を最後に本シリーズは中断してしまった。まだまだ書きたい作家さんは何人もいる。今後、本欄で書き継いでいけたらと思う。そういえば、ホーガンも去年亡くなっているのだった。合掌。「わたしの文庫」の記事というのは、今回は省略してある。

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垂渓庵です。

好きな作家の第三弾です。

わたしはSF好きです。

今を去ること三十うん年前、幼少の砌のわたしが通う小学校の図書室には、SFを含む児童書のシリーズがいくつかあったようです。「くいしんぼうのロボット」や「生きている首」「合成怪物」などなどを読んだことを覚えています。

「くいしんぼうのロボット」は、ふるたあかねという少女が妙な世界に迷い込み、「ネカアタルフ」という名前になって活躍するという話でした。「合成怪物」は、脳だけにされた男が実験室で視覚や聴覚を持ったグロテスクな人工生命体を作り、陰謀をめぐらす組織の邪魔をしようとする話です。「生きている首」は「ドウエル教授の首」というベリャーエフの長編のジュブナイル版だったんでしょうか。文字通りドウエル教授の首から上が科学の力で生かされているという話です。

旧暦3/7 再掲 直球勝負2.5 真・ユーモア・抒情

垂渓庵です。

これは2008年5月に公開した。「幻魔大戦」は、平井和正さんの人気シリーズだというのは書くまでもないか。北さんにはユーモアと叙情性を融合した作品をもっと書いてほしかった。改めて冥福を祈りたいと思う。

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垂渓庵です。

前回はとんでもなく長い前振りで終わってしまいました。
本題の北杜夫さんの話に入りましょう。というわけで、バージョン2.5です。ついでに表題に「真」の字をつけてみました。おお、幻魔大戦みたいだな、こりゃ。

では、まいります。

旧暦3/7 再掲 直球勝負2.0 ユーモア・抒情

垂渓庵です。

これは2008年5月に公開した。前振りが長くて、結局次回の分と二回に分けた。いきあたりばったりに記事を書いていると、こういうことがよくある。北杜夫さんは去年亡くなった。最近はあまり北さんの本を読む機会もなかったけれど、やっぱり特別な作家の一人だ。とても残念だ。


以下本文


垂渓庵です。

今回は好きな作家の紹介その2です。

副題は「シーモア・序章」と似ていますが、サリンジャーではありません。
「ライ麦畑でつかまえて」を読んだぐらいですが、
サリンジャーはどちらかというと苦手な作家です。
なぜでしょうか。

あ、また話がいらぬ方向に逸れてしまいそうです。
閑話休題。好きな作家の紹介に戻りましょう。
好きな作家の二人目は、北杜夫さんです。
斎藤茂吉の息子にして、精神科のお医者さん。ついでに患者さん。
お兄さんも精神科のお医者さんで、エッセイストでした。
今は娘さんが文筆家として活躍中です。
ご本人はここ数年は新刊を出しておられないようです。
お加減でもお悪いのでしょうか。

旧暦3/7 再掲 直球勝負1 チェコの良心

垂渓庵です。

これは2008年2月に公開したもの。それまで公開した記事では本について変則的な形で述べるものが多かった。たまにはストレートに好きな作家について書いてみようと思って、「直球勝負」という名前をつけた。シリーズ化してはみたものの、「定信ったら」ほどには回を重ねられなかった。というわけで、今日はシリーズの全四本公開の予定。

以下本文

垂渓庵です。

本に関する話題をいくつか取り上げてきましたが、好きな本や作家をストレートに紹介するということをあまりしていませんでした。ここらでお気に入りの作家を何人か紹介してみることにします。今回はカレル・チャペックです。

2012年3月27日火曜日

旧暦3/6 再掲 松平定信の小ネタ──定信ったら11

垂渓庵です。

これは2009年9月に公開したもの。これで曲がりなりにも松平定信の「退閑雑記」から西洋の事物がらみの記事を抜粋したことになる。まだ細かいところでは抜けがないわけではないけれど、大きいものはこれで全てのはずだ。全体を眺め回してみると、やはり定信の知的好奇心にはあなどれないものがある。
最初の「木琴」を「器に水を蓄へ、その上に木を載せて打てば響き出るといふ」定信の記述は、どうやら合っている。『アフリカの音の世界』(塚田賢一著 新書館刊)によると、ギニアなど西アフリカのサバンナ地域には「水太鼓(ウオーター・ドラム)」というものがあるらしい(78-79ページ)。水を入れた大きめの容器にそれより少し小さめの容器をうつぶせに浮かべて叩くものだ。
適当な容器がなかったので、風呂で湯船に風呂桶をうつぶせに浮かべて桶の底を軽く叩いてみた。そうすると、思いのほか低音の音が響いた。一度試してみられたい。


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垂渓庵です。

さあ、いよいよ「定信ったら 蛮書蛮学篇」の最終回です。思えば遠くへ来たもんだ。そもそも、え? 何ですか? 話が違うって? 何の? 「定信ったらシリーズ」は最終回じゃないのかって?



誰がそんなことを言いましたか? 前回の記事にそう書いてあるじゃないか、と。 前回ですか。ふむふむ、最初と最後ね。最終回の予告があるというんですね。ええと、ちゃんと記事を読んで下さい。

最初に「この定信ったらシリーズ」、最後に「今回の定信ったらシリーズ」とちゃんと書いているはずですよ。今回のシリーズすなわち蛮書蛮学篇のことです。おかしいですか。わたしの言い方は間違っていますか。「今回のハリー・ポッターは」というような言い方をしませんか。しますよね。それと同じです。わたしは間違っちゃいません。

勘違いをした人はもっと読解力を磨かなくちゃ。いや、磨かなきゃいけないのは国語力だ。仲人口やオレオレ詐欺や霊感商法などなど。世の中には巧妙に仕組まれたトラップはいくらでもあるのです。

今回勘違いをした人は国語力検定を受けましょう。国語力を磨くには国語力検定が最適です。はいそこ、だまされたのなんのとぶうぶう言わない。いいですか、小さいことを気にしていては立派な大人になれませんよ。今回は小ネタ集ですが。

というわけで、では、参ります。

旧暦3/6 再掲 松平定信、欧州争乱を断じる──定信ったら10

垂渓庵です。

これは2009年8月に公開した。次が最終回とあるが、ほんとは続編がある。というか、もともとこのシリーズは西洋事物編として構成していたので、その他の記事を紹介するにはちょっと具合が悪いので、めぼしい記事を紹介し終えたことでもあり、いったん打ち止めとすることにしたのだ。

以下本文

垂渓庵です。

この定信ったらシリーズもいよいよ次が最終回です。

残り二回、全力で取り組むつもりです。

さて、松平定信、今回は平和を考えます。

では、参ります。

旧暦3/6 再掲 松平定信と砲術・続き──定信ったら9.5

垂渓庵です。

2009年7月公開。またもよく分からないことだらけの記事だ。砲術の研究書などを見れば分かるのだろうけれど、やはり今のところ時間がない。というか、あまり食指が動かないというのが正直なところだ。専門的な論文を発表するわけじゃなし、それでいいんじゃないかという気もする。


以下本文



やあみんな元気かな。やっぱりちょっとこまめに更新の垂渓庵です。

砲術のことが尻切れトンボで終わってはや一ヵ月。ほんとうに失礼しました。今回は続きです。

とは言っても砲術の技術的問題については調査に限界があります。今回も内容は薄いかもよ。尻切れトンボの尻の肉は薄かったってことか(--)

では、参ります。

旧暦3/6 再掲 松平定信と砲術──定信ったら9

垂渓庵です。

2009年6月に公開したもの。「定信ったら」シリーズには、「9.5」があることに今気づいた。というわけで、今日は4本公開します。これで「定信ったら」シリーズは打ち止めです。でも、「続・定信ったら」シリーズが後に控えているのだけれど。それにしても何と駄弁を弄していることか。

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いやあ、すっかりごぶさたしてしまっています。垂渓庵です。

今月は閏月です。わかりますか。閏秒じゃありませんよ。

さて、昔の男の子はすべからく軍艦や戦車が好きでした。わたしも旧日本軍の戦艦や戦車や戦闘機には人並みの興味を持っていました。とは言っても軍事オタクってほどではありません。

金剛型戦艦を艦橋の形で区別することもできないし、飛燕とムスタングのフォルムも区別できるかどうか。重さのわりに五式中戦車がでかいのを実感したのも最近です。

言ってみれば軍艦や戦闘機や戦車にゆるい関心を持ってたってとこです。標準的な由緒正しい少年だったのですね。あ、旧日本軍の戦車ではありませんが、キングタイガーには萌えます。え、それがどうした。早く本題に入れって?

あせっちゃいけません。焦りは禁物、腹に一物、シマチョウセンマイ牛のモツってなもんです。ああ、久々にホルモン中華を食べたくなってきた。所長、今度食いに行きますか。

久しぶりなのでついつい駄弁を駄弁を弄してしまいました。すまん。そろそろ松平定信の退閑雑記の記事を見ていきましょう。

では、参ります。

2012年3月26日月曜日

旧暦3/5 再掲 松平定信と奇薬──定信ったら8

垂渓庵です。

2009年9月公開。私は今も総務部にあたる校務分掌にいる。ここしばらくは来年度導入するとある制度の準備でやたらに慌ただしかった。来年もその制度が順調に動き出すまで同じ部署に残留だ。まだまだ面倒なことが控えている。やれやれだ。というわけで、今回の記事が考証不足なのはスルーしておく。


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職場での新型インフルエンザ防止策に頭を悩ませている垂渓庵です。そういうわけで今日も一日遅れの更新です。

わたしは企業でいうと総務部にあたる部署にいます。教員も授業をするだけじゃなくて全員が何らかの役割が割り振られているのですね。で、総務に当たる部署にいる者として、泥縄でインフルエンザ関連の勉強をしてるわけです。そうすると、いろいろと疑問も出てきます。

シンメトレルという薬はA型インフルエンザに効果があるそうですが、新型インフルエンザに聞効くのだろうか、マスクは本当に予防に効果があるのだろうか、などなど。何かの機会に校医さんにでも聞いてみようかな。

さて、前回お知らせした通り、今回松平定信は西欧渡来の薬に焦点を当てます。それも「奇薬」に。定信の好奇心はいったいどこまで広がるのでしょう。

では、参ります。

旧暦3/5 再掲 松平定信、日本人の気質を語る──定信ったら7

垂渓庵です。

2009年5月公開。記事を読み直していて、「レイキ」は、ドイツ語で言えば「ライヒ」なんじゃないかと今思いついた。ウイキペディアを見れば、オランダ語では「レイクRijk」。あとは「アーンシーン」と「マクテキ」だな。

以下本文

そろそろこのシリーズに飽きが来ていなくもない垂渓庵です。だからというわけでもないのですが、更新が予定よりも一日遅れてしまいました。

すまん。

というわけで、今回は定信強気です。いや、彼はいつでも強気なわけですが。何というか、いつになく強く主張してます。日本の素晴らしさを。

では、参ります。

旧暦3/5 再掲 松平定信、蛮書蛮学を考える──定信ったら 6

垂渓庵です。

これは2009年5月公開。「エコエコアザラク」か。Z会ブログの読者である受験生はたぶん知らない。いったどういう層を狙って書いていたんだろう。編集さんもチェックしようと思わなかったのだろうか。不思議だ。


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垂渓庵です。

GWはいかがお過ごしだったでしょうか。高速道路の料金が千円ですからね、車で遠征された方も多かったことでしょう。エコの時代なのに。レジャーは例外というのならエコエコ言うのはやめなさい。

だいたい、エコエコ言う人ほど自分勝手です。黒井ミサを見てもわかるでしょう。黒魔術やったりなんかして。基本的にエコイストなんですよ(ー_ー)

ええと、黒井ミサ、わかりますか。三十年以上前に少年チャンピオンに連載されていた漫画の主人公です。呪文はエコエコアザラク。

さて、軽く毒を吐いたところで、毎度おなじみ無用の記事をお届けします。とは言え、排ガスは出さないけどね。

では、参ります。

2012年3月25日日曜日

旧暦3/4 再掲 松平定信とサフランの効用──定信ったら 5

垂渓庵です。

これまでの例からもわかるように、定信は好奇心のおもむくままにさまざまなものごとに関心を示します。

まるで好奇心のデパート。疑惑のデパートじゃないよ。

さて、そんな定信、香辛料にも魔の手を伸ばします。

今回の哀れな被害者(?)は番紅花(蕃紅花)。

え、番紅花って何だって?

それは以下を読んでください。

では参ります。
p58
サフランの主治、血症にのみ用ゆるやうに思ふ者多し。蛮書中にあるところをもて、和解したるを見るに、胸及び諸臓を治すること最妙なり。ゆへに咳嗽呼吸促迫、或いは脇痛、癆○、咽喉不利、心悸●◎、四肢顫掉、眩暈、心志鬱結憂悶等の症を治、その他、疝癪、腹痛、血痢、諸臓の閉塞、黄疸、石淋、臓腑に堅癖を結成したる、血液凝沍、経閉難産、諸熱症に用ひいと効あり。殊に天行疫疾を治す。また痔疾を治す。外傷の病にも多く用ひ、諸腫瘍のたぐひ、水を含みて腫をなすものを治し、すべて痛みを和し、嘔吐を定む。船暈には小袋に入れて心下にかくれば患ひなしとぞ。

○●◎は、表示できない文字です。○は「やまいだれの中に祭」、●は「りっしんべんに正」、◎は「りっしんべん」に中です。

サフラン強し。

蛮書というのは前回出てきた「ショメール」か何かだと思います。

ウイキペディアのサフランの項目に も上の薬効につながる効能が記されていますが、それどころではありません。のど、呼吸逼迫、心悸亢進、四肢のふるえ、腹痛、めまい、血便、黄疸、腎臓や膀 胱の結石、内臓のしこり、血液凝固、難産、発熱、流感のような流行病、痔、外傷、できもの、痛み、吐き気、船酔い。内服してよし、外用薬としてもよし。

すごいじゃありませんか。そして、そんなサフランに注目する定信もすごいなあと思います。彼はサフランそのものを試したのでしょうか。それとも文字による知識にとどまるのでしょうか。実際にさまざまな道具を自作する彼のこだわりから推して、サフランを手に入れていくつかの効能を確認したものではないかと思うのですが、いかがでしょう。しかつめらしい顔をしながらサフランライスを食べていたりして。

旧暦3/4 再掲 松平定信、卵を孵す──定信ったら 4

垂渓庵です。

2009年4月公開。「定信ったら」シリーズだけじゃなくって、江戸時代の随筆を紹介しようと思うと、ものによったら中味の考証を行わなければいけないことに、このあたりから気づきだした。考証自体は面白いのだけれど、時間がかかるのが難点だ。この回はまだ楽な方だった。というわけで、考証しかけてほったらかしてあることが随分ある。

以下本文

この定信シリーズ、いったい何回まで行くのか。きちんと記事のメモをとっていなかったので、わたしにもわかりません。この先いつまで面倒な古文を打ち続けねばならないのか。不吉な予感に震えが走っている垂渓庵です。

ともかく乗りかかった舟です。あとはこれが沈み行く箱舟でないことを祈るのみ。

では、参ります。

旧暦3/4 再掲 松平定信、銅板鏤刻を試みる──定信ったら 3

垂渓庵です。

これは2009年9月に公開した。今回採録するに辺り読み直してみたけれど、あらためて松平定信は面白い人だという印象を持った。ただの堅物じゃなかったわけだ。いっそそういう面を表に出した方が、同僚諸氏や将軍の受けもよかったんじゃないかと思わなくもない。


以下本文

垂渓庵です。

いよいよ新年度がスタートしました。

わたしもビビッドでフレッシュな話題をお届けしたいと思っています。

でも今回も埃をかぶったような古い話……(--)

時代にだけではなく時節にも逆らう耽読翫市をどうぞよろしく。

今回は銅板鏤刻についてです。

2012年3月24日土曜日

旧暦3/3 再掲 松平定信とエレキテル──定信ったら 2

垂渓庵です。

これは2009年3月に公開した。エレキテルといえば平賀源内だけれど、定信もしっかり興味を示しているわけだ。コメントの「いかのぼりの~」の部分について、元記事に訂正を加えた。たぶんこっちの方が適切なんじゃないかと思う。


以下本文

何やら面倒な考証の世界に足を踏み入れねばならない予感に震えている垂渓庵です。

というわけで──どういうわけだ?──今日は先週の木曜にアップするはずだった記事を少し遅れてお届けします。お題はエレキング、もとい、エレキテルです。

旧暦3/3 再掲 松平定信、びいどろ板を切る──定信ったら 1

垂渓庵です。

2009年3月に公開したもの。「リヨクトポンプ」の記事から実に一年以上空いている。いかに気ままに更新を続けていたかが分かる。この「定信ったら」シリーズは、蘭学と定信に焦点を絞って記事を紹介し続けた。知的好奇心を持って西洋種の知識を吸収していたという、定信の意外な一面が分かるんじゃないかと思う。
ペンチ・イライザは、「銀河漂流バイファム」に登場するメインキャラクターの一人。

以下本文

垂渓庵です。

遠い遠いケンタウルスよりも遠いお星さま byペンチ・イライザ

じゃなかった。遠い遠い昔、松平定信の『退閑雑記』という日記に出てくるリヨクトポンプについて書きました。退閑雑記を拾い読みしていると、あのリヨクトポンプに限らず、蘭学や蘭書由来と思われる記事がいくつかあることに気がつきます。

定信というと、寛政異学の禁で幕府の官学である朱子学を称揚し、同時に処士横断の禁によって蘭学者などに抑圧的に臨んだことで知られています。そんな彼の姿と、退閑雑記に見られる舶来の文物までも知的好奇心の対象としているかのような姿とはどうもうまく重ならないような気がします。

旧暦3/3 再掲 リヨクトポンプ

耽読翫市です。

松平定信という人を知っていますか。そう聞くと、おそらく日本全国でブーイングが湧き起こることでしょう。

「ばかにするんじゃねえ。このほでなす。知らんはずないやろが。なしてそげんこつ言うかね。何とかの改革の人ばい。有名な人のごたる。にしゃももうろくしたんでねが。知らねはずあんめ」……。

う~ん、とても全国ですね。

寛政の改革をおこなった人。田沼意次の対極にいる人。清く正しい人。えらい人。
一般的な彼のイメージとしてはそんなところでしょうか。もう少し詳しく知りたければ、たとえばウイキペディアを見てみましょう。彼の人となりについてこんな風に書かれています。

2012年3月23日金曜日

旧暦3/2 再掲 ベニスの商人

垂渓庵です。

2007年12月公開。学生の頃は近世文学を敬して遠ざけていたところがあるが、ここ数年、近世の随筆や森銑三の本を時々ひもといている。そんな関係でこの記事も書いた。それにしても、この記事では柳北についてほとんど説明していない。我ながらちょっとどうかと思わないでもない。

以下本文


垂渓庵です。

明治期にジャーナリストとして活躍した成島柳北は、幕末期の幕臣でした。彼は、やはり幕末期の幕臣で明治期にジャーナリストとして活躍した福地桜痴に、「これはさて世はさかさまとなりにけり乗った人より馬は丸顔」とひやかされたほどの面長でした。確かにその写真を見ると明らさまに面長です。

この面長はよほど人に強烈な印象を与えるらしく、いずれご紹介する内田百閒にも「馬は丸顔」という随筆で枕に使われています。その他にもネット上でいくつも彼の面長をネタにした文章が書かれているようです。が、今回の話は彼の面長とは全く関係ありません。

旧暦3/2 再掲 碩学


垂渓庵です。

2007年12月に公開したもの。それにしても、どうしてこの本を読もうと思ったのだろうか。ムラタ先生が紹介しておられたという気もするのだけれど、どうもはっきりしない。宮崎市定、倉田卓次、狐という可能性もある。どうだったのかな。



垂渓庵です。

二十世紀の中国を代表する歴史家に顧頡剛という人がいます。中国版ウイキペディアには、こんな風な説明がなされています。

国文学関係の人には、史記をはじめとする中国の正史の点校本でおなじみなのではないでしょうか。一般の読書好きの方には、「ある歴史家の生い立ち」(岩波文庫)という自伝で知られているのではないかと思います。

2012年3月22日木曜日

旧暦3/1 再掲 パリと通天閣と国語力

垂渓庵です。

前の記事のパリ編にあたる。2007年12月に公開したもの。パリでは妻は残念ながら体調不良でほとんど見物をできなかった。初日にツアーのオプションでざっとあちこち見たぐらいだったと思う。「所長」は、国語力検定を主催するZ会国語力研究所前所長。何かとお世話になっている。

以下本文


垂渓庵です。

所長、また表題をお借りしました。

ロンドンのホテルのフロントのお兄さんと固い絆を結んだ後、わたしと妻はユーロスターでパリに向かいました。フランスは農業国だということが実感できる車窓風景を満喫した後、パリに到着しました。

二人とも体調を崩し、思うように観光ができなかったのですが、町中を歩き、パサージュに迷い込み、移民の子たちっぽい小さな子に取り巻かれ、メトロの駅を出ようとして壊れた改札を前に立ち往生していると、黒人のおっちゃんが一緒に強引に出てくれたりして、
少しは雰囲気を味わうことができました。

結論から言うと、パリはよい町です。そのパリでこんな経験をしました。

旧暦3/1 再掲 セイフティボックスと国語力

垂渓庵です。

これも旅行ネタ。こちらは妻とロンドン→パリと駆け足旅行した時のことを書いたもの。2007年11月に公開した。この時は行きに私の体調がすぐれず、旅行途中で妻の体調が崩れる、というけっこう厳しい旅行となった。が、美術館などを回れて、それなりに充実したものでもあった。所長は、国語力研究所元所長のこと。

以下本文

垂渓庵です。

所長。また表題パクってしまいましたすいません

以前妻とロンドンに行ったときのことです。現地のツアコンの方に空港からホテルまで案内されて、日程などの説明を受けました。その際に、各部屋に金庫はあるけれども、安全のためには、フロントでセイフティボックスを借りて預ける方が確実ですよと言われました。

旧暦3/1 再掲 セマウル号で

垂渓庵です。

これは2007年9月に公開したもの。たぶん初の旅行ネタじゃないかと思う。ブログにも書いたことがあるけれど、大学・大学院で過ごした時間は濃密なものだった。しんどいこともあったけれど、いろんな意味で面白かったと今にして思う。この旅行には、裵さんの他に、ニシさん、ミズタニ夫妻が参加した。裵さんが手配した宿が連れ込み宿っぽかったりしたのも今では楽しい思い出だ。今日は他に2本公開予定です。

以下本文

セマウル号は、韓国の特急列車です。

20年前、まだ大学院の学生だった頃、大学の先輩たちと韓国に行きました。韓国からの留学生だった裵さんが案内をして下さいました。もともとは指導教官である増田先生の研究室一同で行くはずだったのですが、先生だけご都合でいらっしゃれませんでした。

新幹線、フェリー、セマウル号、在来線、バスその他を乗り継いでの旅行でした。記憶を頼りに行程を記すと、

フェリーで釜山へ→セマウル号でソウルへ→景福宮などソウル市内見学→
ソウル泊→急行でテジョンへ→裵さんの先輩にケリョン山などを案内してもらう→
テジョン泊→バスでプヨへ→テジョンへ戻り、急行でキョンジュへ→
キョンジュ見学→キョンジュ泊→釜山へ→飛行機で日本へ

2012年3月21日水曜日

旧暦2/29 再掲 マニアック・バージョン

垂渓庵です。

2007年11月に公開したもの。実はこういうリストを作るのは嫌いではない。いま担任している学年に向けても、中一、中三、高一あたりでより大規模なリストを作成している。高二向けにもリストを改訂しようとしたのだけれど、時間がなくて果たせなかった。「国語力検定のブログ」は、今では名前が「奥駿河湾釣り日記」に変わっている。変わりすぎだろ。

以下本文

垂渓庵です。

高校生向けの推薦図書を選び、毎月一冊で一年間、計十二作品の紹介文を書くという機会がありました。選書の段階では、編集さんのアドバイスを受けたので、それなりに妥当なリストができたのではないかと思っています。

その完成版のリストについてはいずれ機会あがれば触れることにして、ここでは完成版に至る過程で日の目を見なかったリストをご紹介したいと思います。題してマニアック・バージョンです。

普通、推薦図書の選書というと、一般性が高く、かつ読み応えがあるものが中心になるのですが、このマニアック・バージョンでは、一般性という基準はかなぐり捨てました。基準は、わたしが高校生だったとして、面白がるかどうかです。

「わたしが高校生だったら、これぐらいは探し出してきて読むよ。世の読書好きの高校生の諸君、君たちはただの読書好きか? それとも知的好奇心を持った読書好きか?」という問いかけというか、挑発をしてみたくて作ったリストです。

実際の書目は以下の通りです。

旧暦2/29 再掲 偶然と必然

垂渓庵です。

2007年11月に公開した。結局図書館に出向くこともなく、未だに偶然の一致なのかそうじゃないのかわからないままだけれど、実はかなり気になっている。他の案件とあわせて図書館に早く行かなきゃと思いながら、まだ果たせていない。


以下本文

垂渓庵です。

表題からジャック・モノーの本を連想された方、残念ですが全然関係ありません落ち込み

岩波文庫の『朝鮮童謡選』(金素運 編訳)に次のような一篇が収められています。

曲り媼(ばあ)さん  曲り杖ついて
曲り山に行き 曲り糞垂れりゃ
曲り犬奴(め) 曲り糞なめて
曲り杖に打(ぶ)たれ 曲りキャンキャン

あまり上品とは言いかねる童謡ですね落ち込み でも、ここではそれを指摘したいのではありません。次の英詩と較べてもらいたいのです。

2012年3月20日火曜日

旧暦2/28 再掲 母には二たび会ひたれども・クイズの解説

垂渓庵です。

これは2007年11月に公開したもの。答えを示してから半月以上経っている。なかなか記事を書き上げることができなかったのだろうと思う。お母さんはパパだっただなんて、ちょっと衝撃的ではあるまいか。

以下本文

垂渓庵です。

遅れに遅れまくりましたが、ようやっとクイズの解説です。
まずクイズのおさらいをしておきましょう。

母には二たび会ひたれども父には一度も会はず
さてさてそれはいったい何でしょう?

というものでした。答えは、そう、「唇(くちびる)」です。

このクイズを解くためには、日本語の発音の変化──とくにハ行音の変化──を考える必要があります。

旧暦2/28 再掲 母には二たび会ひたれども 答え

垂渓庵です。



公開は2007年10月。たったこれだけの内容の回はほとんどない。これも月四回の縛りをクリアするための苦し紛れの公開だったんじゃないか。あるいは、解説を書ききれなかったか。どっちだったかはよく覚えていない。このあたりの記事から、記事冒頭を「垂渓庵です。」ということばで始めている。どうしてだったっけ。

以下本文

垂渓庵です。

雑事煩多でなかなか前々回のクイズの解答・解説を書けません。

とりあえず解答だけを示しておきます。

いちおう念のために、前々回のなぞなぞは、

「母には二たび会ひたれども父には一度も会はず」

さてさてそれはいったい何でしょう? というものでした。

答えは「唇(くちびる)」です。

答えを知っている人はともかく、そうでない人はこの答えはまず思い浮かばなかったことでしょう。なぜ唇なのか。その答えを解く鍵は日本語の発音の変化──特にハ行音の発音の変化──にあります。

2012年3月19日月曜日

旧暦2/27 再掲 クイズ・母には二たび会ひたれども

垂渓庵です。

2007年10月公開。最初のクイズは、何日か前に紹介したSF作家の漢字表記に関するもの。半年以上開いてのクイズということになる。以下にも記したように、今回のネタはわりと有名な話のような気もするけれど、どうだろう。 答えの回は、明日アップします。

以下本文

久しぶりにクイズを出題しようかと思います。国語の教師が古文の時間に話すネタだろうと思いますので、ご存じの方も多いかもしれません。

母には二たび会ひたれども父には一度も会はず

それはいったい何でしょう?

これは『体源抄』という室町時代の雅楽書に出てくるなぞなぞです。当時の人でなければ、答えは絶対わからないこと請け合いのなぞなぞです。いや、答えを聞いても現代人にはわけがわからないこと請け合いの、と言った方がいいでしょうね。

その解説をする前に、もう少し簡単なのを答えつきで紹介してみます。わかるでしょうか。

旧暦2/27 再掲 科学的ということ

垂渓庵です。

2007年9月に公開したもの。

昨日も書いたように大学の一般教養で論理学をとった。ナカザエ先生の語りは軽妙でなおかつ明快だった。論理学というと味も素っ気も潤いもなさそうな印象を与えるが、面白い授業だった。その後、独学で様相論理に首を突っ込むほどに影響を受けた。もちろん自爆したけれど。

以下本文

わたしは大学在学時から論理学に興味を持つようになりました。大学一回生の時、一般教養の科目として開講されていた「論理学」の授業に出席したことがきっかけです。大学時代にはそれ以後も折に触れて論理学の入門書めいたものを読んでいました。

と言っても、アリストテレスのような古典的な本を読むことはありませんでした。読んだのは主に記号論理学関係の本です。命題論理や述語論理と言われるものですね。今となっては記号の意味もはっきりとは覚えていませんが。

今回はその論理学の話です、と言いたいところですが、とても無理です。ここではそんな興味からはじまっていくつかの著作を読んだことのある哲学者、沢田允茂のことばを紹介したいと思うのです。

2012年3月18日日曜日

旧暦2/26 再掲 数学教育

垂渓庵です。

これも公開は2007年8月。学生時代数学がだめだったわたしの書いた唯一の数学ネタ。大学の一般教養でとったナカザエ先生の論理学の授業が面白く、そこから記号論理学経由で数学の本をたまにひもとくようになった。ローマ帝国云々は、今回は省略した記事と関わる。

以下本文

わたしは数学は得意ではありません。はっきり言うと不得意です。が、そんなわたしにも数学的才能がありました。と言い切っていいのかどうか少し心許ないですが、たぶんあったのだと思います。今日はそのわたしの数学的才能が、どのようにして伸ばされずに終わったかの顛末を書きたいと思います。

わたしの数学的才能はおそらく小学校5、6年のころにピークを迎え、以後衰退の一途をたどりました。山にたとえるなら、ないも同じのピークとだらだら続く裾野という、曰わく言い難い姿になります。大阪の天保山に変に長い尾根がくっついているようなものですね。あまりの情けなさに、ローマ帝国にたとえる気にもなれません(涙)

旧暦2/26 再掲 ヴォネガットと斎藤緑雨

垂渓庵です。

これは2007年8月に公開したもの。ヴォネガットと斎藤緑雨。ちょっと意外な取り合わせだと思う。本を読んでいてこういう偶然の一致というか奇妙な暗合というかを見つけると、とても嬉しくなる。 これ以外にもいくつか見つけたことがあると思うのだけれど、メモをとる習慣がないものだから、忘れてしまった。ちょっと残念だ。

以下本文

先日ヴォネガットという作家についてご紹介しました。1960年代以降、主にSFの分野で活動を続け、一時期はアメリカの大学生を中心にカルト的な人気を誇った作家で、最近では爆笑問題の太田光さんが彼のファンだということが話題になっていて…、というような話を書いたように思います。

今回はそのヴォネガットの作品の一節と奇妙に符合する斎藤緑雨の寸言を紹介したいと思います。

2012年3月17日土曜日

旧暦2/25 再掲 一川誠さんのメッセージに思うこと

垂渓庵です。

一川は「世界で一番受けたい授業」 に出て以降、同じような情報番組にいくつも出演している。「世界で~」にも三、四回出演したのではなかったか。確かに彼のやっている研究は、ビジュアル面でも興味深いものがある。これからも活躍することを期待している。

以下本文

前回、前々回にメッセージを紹介した、「世界で一番受けたい授業」の一川誠さんは、わたしの大学の同期で、実は顔を合わせる機会があれば、お互いに名字を呼び捨てにする間柄です。大学の学部、大学院と七~八年間同じキャンパスで過ごしていました。そういうわけで、彼にまつわる思い出を少し書いてみようと思います。この項目では一川さんのことを一川君と書きたいと思います。

旧暦2/25 再掲 続・千葉大学准教授 一川誠先生に聞く

垂渓庵です。

次の記事にも記したように、大学院生の頃、彼は反転眼鏡をかけて生活する被験者をやっていたように思う。大学の研究室に泊まり込みだったのではないか。遊びに行って眼鏡をかけさせてもらったことがある。視野がグラグラして気持ち悪かったのを覚えている。

以下本文 

前回に続いて「世界一受けたい授業」でおなじみの一川誠さんへのインタビューです。
自分の進路、お子さんの進路についてあれこれ考えるきっかけになるのではないかと思います。


旧暦2/25 再掲 千葉大学准教授 一川誠先生に聞く

垂渓庵です。

これは2007年の7月に公開したもの。後の記事にも書いたように、一川誠は大学時代の友人だ。テレビだけでは分かりにくい彼の人柄が以下の質疑からなんとなく分かるんじゃないか。彼も含む他の友人達と一緒に京都や岡山に行ったのは、もう十年近く前になるだろうか。今日は3本公開予定です。

以下本文

千葉大学准教授の一川誠さんが、中学生・高校生に向けてのメッセージを一問一答の形式で寄せてくださいました。一川さんは、先日(7月14日)の「世界一受けたい授業」(日本テレビ)に登場された先生です。2005年5月の同番組にも登場しておられますから、二回目の登場ということになります。両回とも人間の時間感覚や知覚の処理についての興味深い映像や現象が紹介されていました。

その他にも2003年に日本科学未来館などで行われた「時間旅行」展‐TIME! TIME! TIME!のナビゲーターをつとめておられました。昨年暮れにはジャーナリストの池上彰さんとの共著『大人になると、なぜ1年が短くなるのか? 』(宝島社)を出版されるなど多彩な活躍をしておられる気鋭の研究者です。

2012年3月16日金曜日

旧暦2/24 再掲 字余り その3の2─謎解き

垂渓庵です。

この記事の公開も2007年7月。最近の記事ではここまで手間をかけて調べ物をしていなかった気がする。いかんいかんう。字余りについてはまだ書きたいことがあるけれど、もう一度例にあたりなおしてきっちり仕上げる時間がなかなかとれない。

和歌の句中に単独母音が表れる場合も同様の傾向というか原理というかが働くのだと考えれば、特に古い和歌において字余りを生じている場合には高い確率で句中に単独母音が含まれているわけも理解できるのではないかと思います。さらに言うと、字余りが生じていても母音が一つ消えるわけですから、口に出して発音する場合には、字余りになっているけれども、音余りにはなっていないのではないかと考えることができます。

旧暦2/24 再掲 字余り その3の1─謎解き

垂渓庵です。

これは2007年6月に公開した。字余りが規則的に生じる理由を説明したものだ。こういうことを考えるのはやっぱり面白いと思う。このへんは大学院でモウリ先生の授業に出て勉強したのだった。そうだ、宿題が残ったままなのを思い出した。むう。

時間がとれず意外に手間取ってしまいましたが、やっと解説までたどりつけました。

古い和歌で字余りが生じている場合、句の途中に「あ」「い」「う」「お」があるという点まで書いていたかと思います。もう一度いくつか百人一首の例歌を確認しておきましょう。

旧暦2/24 再掲 字余りの答え

試験期間前でなかなか更新のためのまとまった時間をとれません。とりあえず答えをアップしておきます。その意味づけなどについては近日中に書きたいと思いますすいません

詳しく述べようと思うと、日本語の音韻の歴史などについても触れないといけなくなり、いずれにしても手に余ることになりそうです。でも、答えだけを示してそれで終わりというのではあんあんまりですよね。わたしが読み手なら消化不良でとても気持ちが悪くなります落ち込み試験終了後にがんばってみます笑顔

さて、正解は以下の通りです。

旧暦2/24 再掲 クイズ─字余り

垂渓庵です。今日は4本公開の予定です。

学生の頃は比較的真面目に勉強していた。 ここに紹介する記事もその頃仕入れた知識がもとになっている。あわただしいとどうしても更新が不定期になるのは今も同じだ。できるだけなくしていきたいと思っているのだけれど。

以下、本文

和歌には字余りという現象があります。五七五七七の五句、計三十一文字で形作られるのが普通の和歌。それが時に六七五七七や五八五七七のように、五文字の句が六文字に、七文字の句が八文字になったりします。
たとえばこんな具合です。

2012年3月15日木曜日

旧暦2/23 再掲 ちぎれる本─和本の話の続きの2

垂渓庵です。

これも本の外形部分をとりあげたもの。やはり画像を多用するも、華やかさはない。が、古い酸性紙の本の劣化の激しさについては、画像を見てもらうとよく分かるのではないかと思う。

和本を巡る話をさらに続けましょう。

旧暦9/23 再掲 ちぎれる本─和本の話の続きの1

垂渓庵です。

今回も古い本ネタ。これは2007年5月に公開した。やはり作品の内容ではなく、本の表記という外形部分をとりあげている。こういうのは読まされる側にとって面白いのだろうか。そんな風な記事がいくつもある。

以下、本文

前々回に、明治時代のアダムとイブの挿絵などを紹介しながら、和本  日本で和紙を用いて作られていた本のことです  を巡る話題をお届けしました。

今回はその続きで、明治時代に西洋の技術を導入して作られた洋装本  今の文庫本や単行本の形を想像してください  を中心に、本の歴史の一端に触れてもらいましょう。前と同じように、画像で紹介するのはわたしの持っている本たちです。

まずひとつ目。

2012年3月14日水曜日

旧暦2/22 再掲 良心の痛み─ヴォネガットを悼む

垂渓庵です。

 好きな作家ネタはいくつか書いていると思う。これは、その手の記事の中で一番古いもの。2007年4月に公開している。実はヴォネガットの作品のうち、「国のない男」と「追憶のハルマゲドン」は読まずにとってある。少しずつ少しずつ読むつもりでいる。和本についての記事の続きは明日公開します。

以下、本文

カート・ヴォネガットという作家を知っていますか? 最近では、爆笑問題の太田光さんがファンであるということで話題になりました。SF作家として出発 し、後にはSF色の薄い作品もいくつか書いています。1960年代以降、アメリカで一時カルト的な人気を誇りました。そのカート・ヴォネガットが先日、4月11日に84才で亡くなりました。

何を隠そう、太田光さんがファンであるということで話題になる遙か以前から、わたしもヴォネガットのファンでした。ヴォネガットの存在を知ったのは高校生の終わりころでしたから、かれこれファン歴25年近くです。

旧暦2/22 再掲 和本へのいざない

垂渓庵です。

これは古典ネタと言えばいいのだろうか。内容についてではなく、古い和本について書いたものなんだけれど。ここでは画像を多用している。華やかさのかけらもないものばかりだけれど。

以下、本文。

耽読翫市というブログ名を標榜しておきながら、考えてみれば、あまり、というかほとんど本の話を書いていません。まさに看板に偽りあり状態です。
それではあんまりなので、今回はわたしの持っている本を紹介していきながら、和本の話をしましょう。

和本というのは、今わたしたちが単行本や文庫本として目にしている本ではなく、日本で古くから作られていた伝統的な本のことを言います。和紙と墨と糸と少量の布で作られます。例をあげましょう。こんな感じのものですね。

2012年3月13日火曜日

旧暦2/21 再掲 ウルトラマン!─卒業生に贈ったことば

垂渓庵です。

前回のメビウスに引き続いて特撮ネタ。これは2007年4月に公開したもの。あまり何も考えずに卒業生に贈ることばにウルトラマンのことを書いてしまったのだけれど、学校的にはよろしくなかったんではないかと思わなくもなくない。

以下、本文

わたしはウルトラマンメビウスという作品が大好きですが、いちばん好きなのは初代ウルトラマンです。なぜ好きなのかは、ドクターフェルを嫌いな人がその理由をうまく言 えないのと同様にうまく言えませんが、あえて説明をするならどうなるだろうなと思いながら、卒業生に送ることばとして校内誌に書いたことがあります。

以下はその一文です。校内誌に書いたものですので、普段の本欄の文体と違っていますが、これを読めば、なぜ初代ウルトラマンが好きなのか、何となくわかっていただけると思います。    

旧暦2/21 再掲 ウルトラマンメビウス!

垂渓庵です。

今回は特撮ネタだ。わたしは特撮がけっこう好きだ。とくに第一期ウルトラシリーズ。たまたまメビウスには旧シリーズのアクターが時々出演していることを知った。そして見事にはまってしまった。

以下、本文

ここ二回ほど、本欄は、マンガや「萌え」などZ会的にどうなんだろうという方向に向かっていました。ついでです。ウルトラマンメビウスについても書いちゃおうと思います。わたしは特撮ファンです。

残念ながらメビウスは先日最終回を迎えてしまいました。涙涙の最終回です。エンドロールを見ながらわたしは激しく泣いてしまいました。あまりテレビ番組で 泣いたりしないのですが、メビウスはだめでした。欠かさず見だしたのが約二ヶ月前から。最終回までうるうるきっぱなしでした悲しい

実はわたしが見たのはこの一年間放映されたうちの十数回にすぎません。ほんとは全部を見た上でコメントすべきなのですが、何かを書かずにはいられない気分 になっています。それぐらいメビウスは面白かったのです。わたしが変わっているわけじゃないですよ。わたしの大学の先輩であるウルトラ大先生は、去年から すでに涙腺ゆるみ状態が続いていたのです。さすがウルトラ大先生!拍手
わたしたちは二人とも不惑を越えています落ち込みいい年こいて何をやっているのかと思われる向きも多いかもしれません困った妻などはその急先鋒でしょう悲しいいったいメビウスの何がわたしたち二人を夢中にさせたのでしょうか。

2012年3月12日月曜日

旧暦2/20 再掲 「萌え」と国語力─続・少女マンガのヒロインは

垂渓庵です。

今回の記事は前回の記事に続いてマンガネタ。前回の記事に紹介した論文の方法で少年マンガを分析してみた。というほど大げさなものではなく、そのさわりの部分と言った方がいいかもしれない。

以下、本文

今回のタイトルは、さすらいの編集人カワフチさんに敬意を表してつけてみました笑顔

前回紹介した秋月さんの論文を授業で読み終わってから、ふと、男の子たちの好むヒロイン像も、秋月さんの指摘する女性の変化の影響を受けているのだろう か、と気になりました。秋月さんと同じ手法を少年マンガに用いて分析すれば何かわかるかもしれないと思うのですが、わたしは最近の少年マンガの事情がわかりません。

そこで思い出したのが、毎年必ずいるオタッキーな生徒の存在です。彼らの言う「萌え」を分析することで何かわかるんじゃないか、と思ったわけです。国語力の一つ、文章をもとにした発展的想像力ですね笑顔そこで、彼らに質問をする一方、ネットで検索を試みました。

旧暦2/20 再掲 少女マンガのヒロインは

垂渓庵です。

この時は少女マンガをとりあげた。ちなみにわたしは男なのだけれど、この記事を読んで女だと誤解した人がいる。やはり男と少女マンガとは意外なとりあわせなのだろう。

以下、本文

陸奥A子や小椋冬美など、きら星の如く並んでいた先生たちのマンガを愛好しておられたお母さん方もきっと多いと思います。わたしはお母さんではありません が、やはり少女マンガをいくつか愛好していました。その辺の話を書きだすと長くなりますので、またの機会に譲るとして、今回は授業で取り上げたある論文をご紹介したいと思います。とは言ってもかたい話ではありませんのでご安心を。

2012年3月11日日曜日

旧暦2/19 さよならだけが人生だ─別れの詩の続き

垂渓庵です。

これも2007年3月に公開した。前回の漢詩ネタの続きのようなもの。前回と今回の二つの記事を書いて、漢籍ネタは打つのが面倒だと痛感した。歴史的仮名遣いで古文を打つのも面倒そうだが、そちらは、ワープロソフト一太郎に「文語モード」があるので、それほど苦痛ではない。


以下、本文

さて、前回に引き続き、わたしが生徒や同僚たちとの別れに際して思い出すもうひとつの詩を紹介しましょう。

井伏鱒二が「さよならだけが人生だ」と訳したのは、晩唐の詩人、于武陵の「勧酒(酒を勧む)」の結句です。「勧酒」は、「唐詩選」に収められています。平 易な詩ですので、現代の注釈書ではなく、荻生徂徠(おぎゅうそらい)門下の詩人、服部南郭(なんかく)の「唐詩選国字解」を引用してみましょうか。

旧暦2/19 別れの詩

垂渓庵です。
これも2007年3月の記事。 漢詩ネタだ。気に入っている作品について書くだけだから、もっとこの手の記事を更新できそうなものだけれど、結果として、漢詩ネタはあまり書いてこなかった。漢字を打つのが面倒だというのが大きいかもしれない。
以下、本文
一昨日はわたしの自宅近くの小学校の卒業式でした。卒業生が送り出される光景があちこちで見受けられたことと思います。そこここに、写真を撮るのに夢中のお父さん、お母さんがいたことでしょう笑顔
教職に就いていると毎年卒業生との別れがあります。もちろんそれだけではなく、退職する方との別れもあります。時が流れ続ける以上、それは避けられないことですが、いささか寂しい気持ちがします。

そんな別れに際してわたしがよく思い出す漢詩が二つあります。ひとつめは、陶淵明の「贈長沙公(長沙公に贈る)」という詩  正確にはその一節  です。

2012年3月10日土曜日

旧暦2/18「立ち上げる」の謎解き

垂渓庵です。

これも2007年3月の記事。前回の考察の続きだ。ブログの記事を更新しているうちに、わたしはこういうことをちまちまと考えるのが好きなんだなということに改めて気づいた。

以下、本文

前回とりあげた、ボランティア団体を「立ち上げる」という言い方について、わたしは次のように考えています。

旧暦2/18 立ち上げる

これも2007年3月に公開したもの。ことばのネタだ。その後、類例をいくつか見つけていて、ちょっと訂正しないといけないかなと思うところがあるのだけれど、今はとりあえずそのまま載せておく。

以下、本文

「ボランティア団体を立ち上げる」という言い方があります。
普段何気なく使っていますが、変な感じがしませんか?
ドロロンえん魔くんのエンディングの歌が聞こえてきそうです。

2012年3月9日金曜日

旧暦2/17 可口可楽の答え


昨日の記事に、Z会ブログでブログをやっておられる野中すみれさん(野中さんのブログ)からコメントを寄せていただき、このブログをお読みいただいている方の中に、SF者がいるということがわかりました。心強い限りです笑い野中さん、コメントを返しておきました笑顔

ちなみに野中さんのお好きなグィンの漢字表記は「娥蘇拉;勒瑰恩」です困った

旧暦2/17可口可楽

有名なので読める人も多いでしょうね。答えはコカコーラ。
他にも、「麦当労(マクドナルド)」「肯徳基(ケンタッキー)」のように、中国では漢字を組み合わせて外来語の音を表すことがあります。

また、「微軟(マイクロソフト)」「視窓(ウィンドウズ)」のように意訳をする場合もあります。

ただし、人名は前の方法で表記されるようです。

旧暦2/17 はじめまして

垂渓庵です。

Z会ブログからここに引っ越してくることになりました。週一回の更新をめざしています。本格的な更新は四月からの予定です。当面は、過去の記事を紹介していこうと思っています。

2012年3月8日木曜日

旧暦2/16 再掲 カウントダウンあるいは社会人に必要な国語力

垂渓庵です。

これは最近アップしたものだ。最近の文体はこんな感じ。あさって以降に順次公開していく過去の記事とはだいぶ文体が違う。明日の「はじめまして」の後に公開すればよかったのだけれど、うっかりしていた。ブログを始めたとたん終わるというわけではない。

先日、本欄の担当さんからメールがあって、この3月いっぱいで本欄を終了することとなった。スペースをいただいて書いてきた身に否やはない。残念だけれどね。

直球勝負
和歌はわからん
続・定信ったら
旲の近く
震災を巡る

など、書きかけのままで中断しているシリーズがあるのが心残りだけれど、内田百閒風に言うなら、やむを得ないものはすなわち仕方がない。というわけで、木 曜のレギュラー更新としては、残り4回となった。何を書こうかと少し考えたけれど、あまりいい考えが浮かばない。というわけで、今のところ、これまで通りの更新をうだうだと続けていくことにしている。何かいいアイデアを思いついたら別だけれど。

2012年3月5日月曜日

旧暦2/13 再掲震災臨時便 祈り

2011.3.21初出

垂渓庵です。

イギリスに、ポール・ジョンソンという歴史家がいる。もともとは、新聞雑誌の記者や編集に携わっていた人らしい。「キリスト教の二〇〇〇年 上・下」や 「ユダヤ人の歴史 上・下」、「近代の誕生 1~3」、「現代史 上・下」、「アメリカ人の歴史 Ⅰ~Ⅲ」、「インテレクチュアルズ」、「ルネサンスを生 きた人々」、「ナポレオン」、「ピカソなんてぷっとばせ」などなど、とにかく幅広い話題に通じていて、興味深いものを書く人だ。

分冊になっているものは、どれも一冊単行本で500ページになるんじゃないかな。「現代史」なんぞは、一冊あたり上下二段組で一冊600ページを超える。どれも読めばおなかいっぱいになること請け合いだ。