垂渓庵です。
原発容認か反対か、それが何か踏み絵のようになっているという気がする。
2012年12月28日金曜日
2012年12月26日水曜日
2012年12月24日月曜日
旧暦11/12 選挙結果
垂渓庵です。
すでに旧聞に属するが、自民党の圧倒的勝利で選挙が終わった。ま、自民党が勝つだろうなとは思っていたが、ここまでになるとは思わなかった。インド人もびっくりである、という言い方は今では差別にあたるもののようである。ばかげた気がしないでもないが、それが今回の本旨ではない。
すでに旧聞に属するが、自民党の圧倒的勝利で選挙が終わった。ま、自民党が勝つだろうなとは思っていたが、ここまでになるとは思わなかった。インド人もびっくりである、という言い方は今では差別にあたるもののようである。ばかげた気がしないでもないが、それが今回の本旨ではない。
2012年12月21日金曜日
2012年12月19日水曜日
旧暦11/7 懇談粛々
垂渓庵です。
しばらく更新が滞ってしまった。懇談その他諸々の雑事にかまけていたのである。
いよいよこの学年最後の懇談だ。が、そんな感慨にふける暇もなく、生徒の進学先をどうするかに頭を悩ませる 毎日だ。中にはもっと悩んでいる保護者が何人もいると思うけれど。
しばらく更新が滞ってしまった。懇談その他諸々の雑事にかまけていたのである。
いよいよこの学年最後の懇談だ。が、そんな感慨にふける暇もなく、生徒の進学先をどうするかに頭を悩ませる 毎日だ。中にはもっと悩んでいる保護者が何人もいると思うけれど。
2012年12月5日水曜日
旧暦10/22 追認の足音
垂渓庵です。
前回書いたように、何かと慌ただしい毎日を送っているところだけれど、過年度分の単位をとっていなかったり、今年の単位を落としそうな者は、入試のプレッシャーに加えて単位認定のプレッシャーにも襲われていることだろう。
前回書いたように、何かと慌ただしい毎日を送っているところだけれど、過年度分の単位をとっていなかったり、今年の単位を落としそうな者は、入試のプレッシャーに加えて単位認定のプレッシャーにも襲われていることだろう。
2012年12月3日月曜日
2012年11月30日金曜日
旧暦10/17 邪道の聴き方──DREAM KEEPERの場合
垂渓庵です。
また好きなアルバムを一枚挙げてみよう。ジャズベーシストのチャーリー・ヘイデン(CHARLIE HADEN)のリーダーアルバム、『ドリーム・キーパー(DREAM KEEPER)』だ。
また好きなアルバムを一枚挙げてみよう。ジャズベーシストのチャーリー・ヘイデン(CHARLIE HADEN)のリーダーアルバム、『ドリーム・キーパー(DREAM KEEPER)』だ。
2012年11月28日水曜日
旧暦10/15 ボルヘスなわたし
垂渓庵です。
さて、『ボルヘスとわたし』だ。と書いても、おおかたの人は何のことやら分からないことだろう。話は二ヶ月以上前にさかのぼる。9月中旬にこんな記事を書いていたのだ。今回はその続きということになる。それにしても、どれだけ間があいているのか。いい加減にも程がある。スミマセヌ。スミマセヌ。
さて、『ボルヘスとわたし』だ。と書いても、おおかたの人は何のことやら分からないことだろう。話は二ヶ月以上前にさかのぼる。9月中旬にこんな記事を書いていたのだ。今回はその続きということになる。それにしても、どれだけ間があいているのか。いい加減にも程がある。スミマセヌ。スミマセヌ。
2012年11月26日月曜日
旧暦10/13 周回遅れの真実あるいはたどりつけない村上春樹
垂渓庵です。
今年に入って以下のような本をぼつぼつと買ったり読んだりしている。これらには、ある共通点がある。おわかりだろうか。
宇宙樹・神話・歴史記述
イワーノフ/トポーロフ著
岩波現代選書
あずさ弓
ブラッカー著
岩波現代選書
文化=記号のブラックホール
丸山系三郎著
大修館書店
シンボル形式の哲学
カッシーラー
岩波文庫
探究
柄谷行人
講談社学術文庫
反=日本語論
蓮見重彦
ちくま文庫
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
ウェーバー
岩波文庫
岩波の本が多いですね、というのが答えではもちろんない。また、人文科学系に偏っていますねというのも、正解に近くないわけではないが、違う。
今年に入って以下のような本をぼつぼつと買ったり読んだりしている。これらには、ある共通点がある。おわかりだろうか。
宇宙樹・神話・歴史記述
イワーノフ/トポーロフ著
岩波現代選書
あずさ弓
ブラッカー著
岩波現代選書
文化=記号のブラックホール
丸山系三郎著
大修館書店
シンボル形式の哲学
カッシーラー
岩波文庫
探究
柄谷行人
講談社学術文庫
反=日本語論
蓮見重彦
ちくま文庫
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
ウェーバー
岩波文庫
岩波の本が多いですね、というのが答えではもちろんない。また、人文科学系に偏っていますねというのも、正解に近くないわけではないが、違う。
2012年11月23日金曜日
旧暦10/10 邪道の聴き方──続ルイ・アームストロングの場合
垂渓庵です。
水曜日は未完成版が一時アップされてしまいました。すみませぬすみませぬ。
本題から逸れるが、最近世の中すっかり物騒になってしまっているのではなかろうか。先日妻の実家の近くで強盗事件が起こったそうだ。妻から間接的に聞いたので、詳しい事情はよく分からないけれど、犯人は刃物を持っていたらしいから、穏やかではない。いや、強盗自体が穏やかではないのだけれど。夜はしっかり戸締まりして寝ようと改めて思った次第だ。
さて、サッチモのCDの話に戻ろう。
水曜日は未完成版が一時アップされてしまいました。すみませぬすみませぬ。
本題から逸れるが、最近世の中すっかり物騒になってしまっているのではなかろうか。先日妻の実家の近くで強盗事件が起こったそうだ。妻から間接的に聞いたので、詳しい事情はよく分からないけれど、犯人は刃物を持っていたらしいから、穏やかではない。いや、強盗自体が穏やかではないのだけれど。夜はしっかり戸締まりして寝ようと改めて思った次第だ。
さて、サッチモのCDの話に戻ろう。
2012年11月19日月曜日
旧暦10/6 神津善行の番組推理
垂渓庵です。
都合により、サッチモのCDの話は次回ね。
どうも最近物忘れの度合いが増してきている気がする。古いことも新しいこともぼろぼろと抜け落ちていくような感じだ。髪の毛が抜け落ちるのとどちらのペースが速いのだろう。
都合により、サッチモのCDの話は次回ね。
どうも最近物忘れの度合いが増してきている気がする。古いことも新しいこともぼろぼろと抜け落ちていくような感じだ。髪の毛が抜け落ちるのとどちらのペースが速いのだろう。
2012年11月16日金曜日
旧暦10/3 邪道の聴き方──ルイ・アームストロングの場合
垂渓庵です。
ナボコフの小説読みの作法を音楽聴きにあてはめて一言で言うと、音楽を聴く際は、作曲の妙や演奏の妙を味わい尽くせ、ということになるだろう。これはもっともな意見のように思える。とくにクラシックなどはそういう聴き方をするものなんじゃなかろうか。わたしはクラシックをほとんど聴かないので想像だけれど。ジャズにしても、プレイヤーのアドリブのできや音などが云々されることが多いように思う。
ナボコフの小説読みの作法を音楽聴きにあてはめて一言で言うと、音楽を聴く際は、作曲の妙や演奏の妙を味わい尽くせ、ということになるだろう。これはもっともな意見のように思える。とくにクラシックなどはそういう聴き方をするものなんじゃなかろうか。わたしはクラシックをほとんど聴かないので想像だけれど。ジャズにしても、プレイヤーのアドリブのできや音などが云々されることが多いように思う。
2012年11月14日水曜日
旧暦10/1 邪道への道──ナボコフの読み方
垂渓庵です。
わたしは音楽を聴くのが嫌いではない。とくによく聴くのがジャズだ。というよりも、その他のジャンルはほとんど聴かない。いや、知らない、と言った方がいい。ロックもクラシックもJ-POPもK-POPも、現在ただいま消えてなくなったとしても困らない。知らないし。
ジャズ以外に聴くものといったら、アフリカン、フォルクローレ、マザーグースを少々といったところだ。などと書いていると、きわめてお寒い音楽生活を送っているような気がしてきた。いかんいかん。
ところで、そんな風に、お寒くも偏りのある音楽生活をしているわたしの音楽の聴き方は、これまた偏っているのではないかと思う。今回はその辺を書いてみたいと思うが、それには、少し寄り道をしないといけない。
わたしは音楽を聴くのが嫌いではない。とくによく聴くのがジャズだ。というよりも、その他のジャンルはほとんど聴かない。いや、知らない、と言った方がいい。ロックもクラシックもJ-POPもK-POPも、現在ただいま消えてなくなったとしても困らない。知らないし。
ジャズ以外に聴くものといったら、アフリカン、フォルクローレ、マザーグースを少々といったところだ。などと書いていると、きわめてお寒い音楽生活を送っているような気がしてきた。いかんいかん。
ところで、そんな風に、お寒くも偏りのある音楽生活をしているわたしの音楽の聴き方は、これまた偏っているのではないかと思う。今回はその辺を書いてみたいと思うが、それには、少し寄り道をしないといけない。
2012年11月12日月曜日
旧暦9/29 投げ専門
垂渓庵です。
ああ、すっかりごぶさたになってしまった。諸々の雑務のため、思うように時間がとれなかった。遅れてすみません。わたしはだれに謝っているのか。
今回は柔道の嘉納治五郎の聞き書き最終回だ。引用はこれまでと同じく岩波文庫の『戊辰物語』から。
ああ、すっかりごぶさたになってしまった。諸々の雑務のため、思うように時間がとれなかった。遅れてすみません。わたしはだれに謝っているのか。
今回は柔道の嘉納治五郎の聞き書き最終回だ。引用はこれまでと同じく岩波文庫の『戊辰物語』から。
2012年10月22日月曜日
旧暦9/8 素朴な疑問
垂渓庵です。
本を職場に忘れてきたもので、嘉納治五郎の聞き書きについては次回に紹介したい。
尼崎で異様な連続殺人事件?が起こっていたようで、マスコミ報道を見る限り、その全容が明らかになりつつある。ところで、そのマスコミ──特に大マスコミ──の報道、何かおかしくないだろうか。
本を職場に忘れてきたもので、嘉納治五郎の聞き書きについては次回に紹介したい。
尼崎で異様な連続殺人事件?が起こっていたようで、マスコミ報道を見る限り、その全容が明らかになりつつある。ところで、そのマスコミ──特に大マスコミ──の報道、何かおかしくないだろうか。
2012年10月19日金曜日
2012年10月8日月曜日
旧暦8/23 本日休業あるいは推薦入試のことその他
垂渓庵です。
今日は都合により更新をお休みにします。次の更新はあさっての水曜を予定しています。
ただ、それではあまりに愛想がないので、軽く近況を記しておきましょう。
今日は都合により更新をお休みにします。次の更新はあさっての水曜を予定しています。
ただ、それではあまりに愛想がないので、軽く近況を記しておきましょう。
2012年10月5日金曜日
2012年10月3日水曜日
旧暦8/18 いなかっぺ大将
垂渓庵です。
子供が風邪を引いた時用にいくつかDVDを買ってある。症状がひどくないのにずっと寝ていると、子供は当然手持ちぶさたになる。そんなときの暇つぶしになるようなものを、TSUTAYAの中古DVDのコーナーからチョイスしたものだ。
その中に『いなかっぺ大将』の傑作選がある。
子供が風邪を引いた時用にいくつかDVDを買ってある。症状がひどくないのにずっと寝ていると、子供は当然手持ちぶさたになる。そんなときの暇つぶしになるようなものを、TSUTAYAの中古DVDのコーナーからチョイスしたものだ。
その中に『いなかっぺ大将』の傑作選がある。
2012年10月1日月曜日
2012年9月28日金曜日
2012年9月26日水曜日
2012年9月24日月曜日
旧暦8/9 食い合わせ
垂渓庵です。
食い合わせというのがある。有名どころでは、梅干しとうなぎ、天ぷらとスイカなどなどだ。医学的に根拠があるのかどうかは知らないが、よく言われることだと思う。
ところで、一般に言われるものだけではなく、マイ食い合わせというものもあるのではないだろうか。
食い合わせというのがある。有名どころでは、梅干しとうなぎ、天ぷらとスイカなどなどだ。医学的に根拠があるのかどうかは知らないが、よく言われることだと思う。
ところで、一般に言われるものだけではなく、マイ食い合わせというものもあるのではないだろうか。
2012年9月21日金曜日
2012年9月18日火曜日
旧暦8/3 忙中忙あるいはサイバーテロ
垂渓庵です。
このところやたらに忙しい。
高三生の担任をしていると、進路指導その他諸々があって、思うように時間がとれなかったりする。通勤途中も生徒の書いた文章を読んでいる始末だ。というわけで、『ボルヘスとわたし』について書く時間がまったくとれなかったりする。いやはやだ。
だからというわけではないが、最近このブログにサイバーテロ(?)が仕掛けられているっぽいことについて軽く書いてみよう。
このところやたらに忙しい。
高三生の担任をしていると、進路指導その他諸々があって、思うように時間がとれなかったりする。通勤途中も生徒の書いた文章を読んでいる始末だ。というわけで、『ボルヘスとわたし』について書く時間がまったくとれなかったりする。いやはやだ。
だからというわけではないが、最近このブログにサイバーテロ(?)が仕掛けられているっぽいことについて軽く書いてみよう。
2012年9月17日月曜日
旧暦8/2 ボルヘスの私
垂渓庵です。
たぶんあまり一般受けしていない作家にボルヘスという人がいる。いや、いた。アルゼンチン出身の作家だ。フェルディナンド・ホルヘ・ルイス・ボルヘスが正式な名前だったか。あるいは、もっと長かったかもしれない。理知的で幻想的という変わったスタイルの小説を書く人だった。詩人でもあるけれど、スペイン語を解せないわたしには、翻訳で読む彼の詩は正直きついものがある。詩の翻訳は難しい。
たぶんあまり一般受けしていない作家にボルヘスという人がいる。いや、いた。アルゼンチン出身の作家だ。フェルディナンド・ホルヘ・ルイス・ボルヘスが正式な名前だったか。あるいは、もっと長かったかもしれない。理知的で幻想的という変わったスタイルの小説を書く人だった。詩人でもあるけれど、スペイン語を解せないわたしには、翻訳で読む彼の詩は正直きついものがある。詩の翻訳は難しい。
2012年9月14日金曜日
2012年9月12日水曜日
2012年9月10日月曜日
2012年8月31日金曜日
旧暦7/14 授業評価
垂渓庵です。
大阪府では、生徒や保護者にアンケートをとって、授業評価を行うようにするようだ。授業評価は人事評価の一部となるので、アンケートの結果が給料その他に反映されることになるということだ。これはどのように考えたらよいだろうか。
大阪府では、生徒や保護者にアンケートをとって、授業評価を行うようにするようだ。授業評価は人事評価の一部となるので、アンケートの結果が給料その他に反映されることになるということだ。これはどのように考えたらよいだろうか。
2012年8月29日水曜日
旧暦7/12 あんよは上手
垂渓庵です。
小柄でぶいぶいと歩く女の人にあまり美しい人はいない、というのはよく知られた事実だと思うけれど、そんな女の人は、エスカレーターでも、変に上体をぶらすことなく、ダン、ダン、ダン、ダン、と足音高く上っていく、ということはそれほど知られていない。とても美しくない歩き方だと思う。
小柄でぶいぶいと歩く女の人にあまり美しい人はいない、というのはよく知られた事実だと思うけれど、そんな女の人は、エスカレーターでも、変に上体をぶらすことなく、ダン、ダン、ダン、ダン、と足音高く上っていく、ということはそれほど知られていない。とても美しくない歩き方だと思う。
2012年8月27日月曜日
2012年8月24日金曜日
2012年8月22日水曜日
2012年8月20日月曜日
2012年8月17日金曜日
旧暦6/30 蒸発
垂渓庵です。
どこかで忘れたつもりはないのに、どういうわけか本が消えていることがある。聞いたところでは、わたしの職場では、時に教材などがなくなることがあったそうだ。創立当初のことだというから、古い古い話だ。わたしが勤めだしてからは、そんなことはない。手癖の悪い人でも中にいたのだろうか。あるいは同僚間のトラブルか何かが尾を引いたものか。何分当時を知る人がもはや我が職場にはおらず、確かめる術もない。
という話はもちろん今回の記事と何の関係もない。
どこかで忘れたつもりはないのに、どういうわけか本が消えていることがある。聞いたところでは、わたしの職場では、時に教材などがなくなることがあったそうだ。創立当初のことだというから、古い古い話だ。わたしが勤めだしてからは、そんなことはない。手癖の悪い人でも中にいたのだろうか。あるいは同僚間のトラブルか何かが尾を引いたものか。何分当時を知る人がもはや我が職場にはおらず、確かめる術もない。
という話はもちろん今回の記事と何の関係もない。
2012年8月15日水曜日
2012年8月13日月曜日
2012年8月9日木曜日
旧暦6/22 どんだけ──芥子編
垂渓庵です。
おとついは、「あきつのとなめ」を考えるついでに、仏教の空間概念の一端を紹介した。今日は、「劫(こう)」という時間の単位を巡って、時間概念の一端を紹介してみよう。これがまた途方もないものなのである。ところで、おとついの記事には、上底、下底の表記と方位とに誤りがあったので訂正しておいた。すみませぬすみませぬ。
おとついは、「あきつのとなめ」を考えるついでに、仏教の空間概念の一端を紹介した。今日は、「劫(こう)」という時間の単位を巡って、時間概念の一端を紹介してみよう。これがまた途方もないものなのである。ところで、おとついの記事には、上底、下底の表記と方位とに誤りがあったので訂正しておいた。すみませぬすみませぬ。
2012年8月7日火曜日
2012年8月2日木曜日
2012年8月1日水曜日
旧暦6/14 こえぇ
垂渓庵です。
先日、ある飲み会の場で、このブログのコメント欄が記入しにくいという指摘を受けた。確認すると、確かに投稿者の欄が面倒なことになっている。設定をいじってみるとハンドルネームや匿名での投稿も可能になった。というわけで、inaへ。こんな感じになりました。
さて、AO/推薦入試についてもう少し考えてみよう。
先日、ある飲み会の場で、このブログのコメント欄が記入しにくいという指摘を受けた。確認すると、確かに投稿者の欄が面倒なことになっている。設定をいじってみるとハンドルネームや匿名での投稿も可能になった。というわけで、inaへ。こんな感じになりました。
さて、AO/推薦入試についてもう少し考えてみよう。
2012年7月31日火曜日
旧暦6/13 はえぇ
垂渓庵です。
わたしは今の学年を担任して六年目になる。中一から持ち上がりだ。前に担任した学年を世の中に送り出したのは、もう七年も前のことだ。
生徒たちの受験相談をしていて実感しているのは、入試が七年前と様変わりしていることだ。
わたしは今の学年を担任して六年目になる。中一から持ち上がりだ。前に担任した学年を世の中に送り出したのは、もう七年も前のことだ。
生徒たちの受験相談をしていて実感しているのは、入試が七年前と様変わりしていることだ。
2012年7月26日木曜日
旧暦6/8 小島秀哉さん逝く
垂渓庵です。
小島秀哉さんという演劇人がいた。17日にお亡くなりになった。藤山寛美率いる松竹新喜劇で活躍した人だ。かつて、テレビで「寛美3600秒」なる番組が放映されていた。わたしが小学生の頃だったろうか。その後新喜劇を退団したそうだが、そのあたりはあまり覚えがない。
「寛美3600秒」当時は、二枚目の役所を演じることが多かったように記憶している。三枚目系の小島慶四郎さんとともに、テレビで視聴していて印象に残る俳優さんだった。
小島秀哉さんという演劇人がいた。17日にお亡くなりになった。藤山寛美率いる松竹新喜劇で活躍した人だ。かつて、テレビで「寛美3600秒」なる番組が放映されていた。わたしが小学生の頃だったろうか。その後新喜劇を退団したそうだが、そのあたりはあまり覚えがない。
「寛美3600秒」当時は、二枚目の役所を演じることが多かったように記憶している。三枚目系の小島慶四郎さんとともに、テレビで視聴していて印象に残る俳優さんだった。
2012年7月24日火曜日
2012年7月23日月曜日
旧暦6/5 ただいま懇談中
垂渓庵です。
いまはちょうど一学期の懇談の時期だ。当然わたしも懇談を行っている。現在ただいまの在校生に関わる懇談の様子はさすがに差し障りがあるので書けないが、以前担任したことのある卒業生たちを思い出しても、懇談中にはいろいろなことが起こった。
いまはちょうど一学期の懇談の時期だ。当然わたしも懇談を行っている。現在ただいまの在校生に関わる懇談の様子はさすがに差し障りがあるので書けないが、以前担任したことのある卒業生たちを思い出しても、懇談中にはいろいろなことが起こった。
2012年7月19日木曜日
旧暦6/1 キャパシティ
垂渓庵です。
某所で日記を書き綴っている。細々と書き続けて六年近くになる。しかし、ここふた月以上、ほとんど更新をしなかった。
もちろん、仕事が立て込んでいる時などに、更新しないままになる時がなかったわけではない。が、長くて半月程度だったのではないか。ふた月以上もほとんど更新しないままでいるということはなかったはずだ。
今年は高三の担任なので何かと忙しくはなるが、まだ本格的な忙しさはやってきていない。プライベートで忙しい事情が生じているわけでもない。
某所で日記を書き綴っている。細々と書き続けて六年近くになる。しかし、ここふた月以上、ほとんど更新をしなかった。
もちろん、仕事が立て込んでいる時などに、更新しないままになる時がなかったわけではない。が、長くて半月程度だったのではないか。ふた月以上もほとんど更新しないままでいるということはなかったはずだ。
今年は高三の担任なので何かと忙しくはなるが、まだ本格的な忙しさはやってきていない。プライベートで忙しい事情が生じているわけでもない。
2012年7月18日水曜日
旧暦5/29 闇サイト殺人の判決に思う──ヨゼフ・チャペックと死刑を考える
垂渓庵です。
闇サイト殺人の加害者の一人が無期懲役になった。これで、同事件の犯人は、一人が死刑、二人が無期懲役となった。
わたしはこの判決に激しく疑問を感じている。殺害方法を思い起こすと、被害者の遺族の無念はいかばかりかと思われる。
いつもならリンクを張るだけだが、ウィキペディアから殺害状況を転載してみよう。無期懲役で本当にいいのか、これを見て判断してほしいと思うのである。
闇サイト殺人の加害者の一人が無期懲役になった。これで、同事件の犯人は、一人が死刑、二人が無期懲役となった。
わたしはこの判決に激しく疑問を感じている。殺害方法を思い起こすと、被害者の遺族の無念はいかばかりかと思われる。
いつもならリンクを張るだけだが、ウィキペディアから殺害状況を転載してみよう。無期懲役で本当にいいのか、これを見て判断してほしいと思うのである。
2012年7月17日火曜日
2012年7月9日月曜日
2012年7月7日土曜日
旧暦5/18 国会事故調を支持する──震災を巡る
垂渓庵です。
国会の事故調査委員会が福島第一原発の事故について明確に人災と断じた。喜ばしい限りだ。たぶんこれに対して東電や行政その他は、様々なエクスキューズを試み、テレビを中心とするマスコミにも、それに同情的な論調が見られることになるのだろう。が、大マスコミのニュースやネットの記事などを追いかける限り、あれはやはり人災だろう。
国会の事故調査委員会が福島第一原発の事故について明確に人災と断じた。喜ばしい限りだ。たぶんこれに対して東電や行政その他は、様々なエクスキューズを試み、テレビを中心とするマスコミにも、それに同情的な論調が見られることになるのだろう。が、大マスコミのニュースやネットの記事などを追いかける限り、あれはやはり人災だろう。
2012年7月6日金曜日
旧暦5/17 『戊辰物語』と神仏分離とづら
垂渓庵です。
このところ『戊辰物語』の記事を何度か引用した。読めば読むほど面白い。ある意味ネタの宝庫だと言える。
その中で、今回取り上げるのは、神仏分離令が引き起こした廃仏毀釈の激しさを彷彿とさせるエピソードだ。その場面を想像すると笑ってしまうような話だけれど、大まじめにこんなことが行われていたのかと思うと、ちょっと恐くもある。
このところ『戊辰物語』の記事を何度か引用した。読めば読むほど面白い。ある意味ネタの宝庫だと言える。
その中で、今回取り上げるのは、神仏分離令が引き起こした廃仏毀釈の激しさを彷彿とさせるエピソードだ。その場面を想像すると笑ってしまうような話だけれど、大まじめにこんなことが行われていたのかと思うと、ちょっと恐くもある。
2012年7月4日水曜日
2012年7月3日火曜日
2012年7月2日月曜日
2012年6月28日木曜日
旧暦5/9 精進精進
垂渓庵です。
今も川柳の句作りを続けている。わけが分からぬままに作り続けているところだ。決して川柳の王道に連なる作品ではないけれど、それでいいのではないかと思っている。好むところをちまちまと行く。読書傾向と似ているかもしれない。
と もかく、何かを生み出すのは面白い。受検関連の教材作りをさせてもらうのも、そんな面白さが動機の一つにある。面白くて幾許かの収入にもなるのだから一石 二鳥だ。いや、そこで工夫したことは授業でも応用できるから、一石三鳥かもしれない。と言う割には締め切りが守れずに編集さんにご迷惑をかけてしまうこと があるのはどういうわけだろう。
閑話休題。川柳の話だった。某所に投句したものが今回も何句かとられていた。というわけで、久々に川柳の近作を紹介しよう。
今も川柳の句作りを続けている。わけが分からぬままに作り続けているところだ。決して川柳の王道に連なる作品ではないけれど、それでいいのではないかと思っている。好むところをちまちまと行く。読書傾向と似ているかもしれない。
と もかく、何かを生み出すのは面白い。受検関連の教材作りをさせてもらうのも、そんな面白さが動機の一つにある。面白くて幾許かの収入にもなるのだから一石 二鳥だ。いや、そこで工夫したことは授業でも応用できるから、一石三鳥かもしれない。と言う割には締め切りが守れずに編集さんにご迷惑をかけてしまうこと があるのはどういうわけだろう。
閑話休題。川柳の話だった。某所に投句したものが今回も何句かとられていた。というわけで、久々に川柳の近作を紹介しよう。
2012年6月27日水曜日
旧暦5/8 読まない楽しみ
垂渓庵です。
おとついの日記にわたしの大まかな読書傾向などについて述べてみた。好きな作家については、書くと長くなるので割愛したが、チャペックと北杜夫さんとホーガンさんについては、「直球勝負」シリーズに書いたので、そちらをご覧下さい。
さて、最近読んでいる本を挙げてみよう。
おとついの日記にわたしの大まかな読書傾向などについて述べてみた。好きな作家については、書くと長くなるので割愛したが、チャペックと北杜夫さんとホーガンさんについては、「直球勝負」シリーズに書いたので、そちらをご覧下さい。
さて、最近読んでいる本を挙げてみよう。
2012年6月26日火曜日
旧暦5/7 伊藤博文の英語力
垂渓庵です。
さて、先日大隈重信の乳母車姿を今日に伝えてくれる金子堅太郎の話を紹介した。
今日は、同じく金子堅太郎の伝える、伊藤博文の英語力についての逸話を紹介しよう。やはり、『戊辰物語』からの引用だ。はたして伊藤の英語の実力は如何。
さて、先日大隈重信の乳母車姿を今日に伝えてくれる金子堅太郎の話を紹介した。
今日は、同じく金子堅太郎の伝える、伊藤博文の英語力についての逸話を紹介しよう。やはり、『戊辰物語』からの引用だ。はたして伊藤の英語の実力は如何。
2012年6月25日月曜日
旧暦5/6 何を読む
垂渓庵です。
耽読翫市というブログ名を見ても分かるように、などと断るまでもなくおわかりだろうと思うけれど、わたしは本を読むのが好きだ。SFや時代小説やミステリーなども好きだし、比較的読む方だと思うけれど、どちらかというと一般受けしそうにないものを読むこともよくある。
耽読翫市というブログ名を見ても分かるように、などと断るまでもなくおわかりだろうと思うけれど、わたしは本を読むのが好きだ。SFや時代小説やミステリーなども好きだし、比較的読む方だと思うけれど、どちらかというと一般受けしそうにないものを読むこともよくある。
2012年6月22日金曜日
旧暦5/3 物忘れ
垂渓庵です。
最近物忘れが目立つようになってきた気がする。書類の作成や仕事の予定などをしばしば忘れるのだ。
もともと書類仕事は好きではないので後回しにしがちで、そのまま忘却の淵に沈むこともないではなかった。けれど、それはやはりレアなケースだったように思う。それが今では、後回しにするまでもなく忘れている。いかぬいかぬと反省するが、忘れるのは不可抗力のような気もするので、反省しても仕方がないのではないかと思ってみたりもする。
仕事の予定にしても同じようなことが言える。もともと教材研究などは別として、さまざまな雑務やそれに伴う出張などは好きではないので後回しにしがちで、以下同文。
もちろん、直接生徒の進路などに関わる書類作成や出張などはその限りではない。一大発心して早く片付けることにしている。生徒が困ったりしては、やはりよくないし。
最近物忘れが目立つようになってきた気がする。書類の作成や仕事の予定などをしばしば忘れるのだ。
もともと書類仕事は好きではないので後回しにしがちで、そのまま忘却の淵に沈むこともないではなかった。けれど、それはやはりレアなケースだったように思う。それが今では、後回しにするまでもなく忘れている。いかぬいかぬと反省するが、忘れるのは不可抗力のような気もするので、反省しても仕方がないのではないかと思ってみたりもする。
仕事の予定にしても同じようなことが言える。もともと教材研究などは別として、さまざまな雑務やそれに伴う出張などは好きではないので後回しにしがちで、以下同文。
もちろん、直接生徒の進路などに関わる書類作成や出張などはその限りではない。一大発心して早く片付けることにしている。生徒が困ったりしては、やはりよくないし。
2012年6月14日木曜日
旧暦4/25 馬の引く乳母車──大隈重信の名誉回復か
垂渓庵です。
昨日書いたように、大隈重信が明治維新期に乳母車を乗りまわしていたというのは、どうも確からしい。けれど、ひとつ疑問が残る。おとついの記事を思い出してほしい。金子堅太郎がボストンで見た乳母車は、馬が引いていた。馬の引く乳母車なんて本当にあったのだろうか。ひょっとして金子の聞き違いではないか。
ちょっと気になったので、さらに調べを進めてみた。ひょっとしたら大隈の名誉も回復されるかもしれない。ま、されなくてもわたしとしては余り困らないが、乗りかかった船というやつだ。大隈が乗っていたのは乳母車だけれど…。
昨日書いたように、大隈重信が明治維新期に乳母車を乗りまわしていたというのは、どうも確からしい。けれど、ひとつ疑問が残る。おとついの記事を思い出してほしい。金子堅太郎がボストンで見た乳母車は、馬が引いていた。馬の引く乳母車なんて本当にあったのだろうか。ひょっとして金子の聞き違いではないか。
ちょっと気になったので、さらに調べを進めてみた。ひょっとしたら大隈の名誉も回復されるかもしれない。ま、されなくてもわたしとしては余り困らないが、乗りかかった船というやつだ。大隈が乗っていたのは乳母車だけれど…。
2012年6月13日水曜日
旧暦4/23 濡れ衣?──大隈重信の乳母車
垂渓庵です。
昨日の大隈重信の乳母車姿だが、そもそも本当に大隈は乳母車に乗っていたのだろうか。金子堅太郎の思い違いということはないのだろうか。大隈の姿を見かけたのと、ボストンで乳母車を目にしたのとがずいぶん離れた時点での出来事なら、その線も出てくるのではないかという気もする。
気になるので、少し調べてみた。
昨日の大隈重信の乳母車姿だが、そもそも本当に大隈は乳母車に乗っていたのだろうか。金子堅太郎の思い違いということはないのだろうか。大隈の姿を見かけたのと、ボストンで乳母車を目にしたのとがずいぶん離れた時点での出来事なら、その線も出てくるのではないかという気もする。
気になるので、少し調べてみた。
2012年6月12日火曜日
旧暦4/23 乳母車と大隈重信
垂渓庵です。
最近、『戊辰物語』(岩波文庫)という本を読んでいる。明治維新前後を生きた人達の聞き書きのようなもので、東京日々新聞に連載された。佐藤忠男さんの解説にもあるように──と書いたものの、佐藤忠男さんがどんな人なのか実はよく知らないのだけれど──、とても面白い本だ。
その本に次のような一節がある。
最近、『戊辰物語』(岩波文庫)という本を読んでいる。明治維新前後を生きた人達の聞き書きのようなもので、東京日々新聞に連載された。佐藤忠男さんの解説にもあるように──と書いたものの、佐藤忠男さんがどんな人なのか実はよく知らないのだけれど──、とても面白い本だ。
その本に次のような一節がある。
2012年6月11日月曜日
旧暦4/22 査察官の憂鬱(完全版)
垂渓庵です。
先週金曜にアップしてしまった未完成版の完全バージョンです。すまぬすまぬ。
メビウスという作品に気づき、最終話近くの視聴をしていた時に気になったことがある。それは、トリピーことトリヤマ補佐官が「彼は私のかけがえのない部下だ!」と名啖呵を切った相手、メビウス引き渡しを要求する、政府のシキ査察官に関することだ。
先週金曜にアップしてしまった未完成版の完全バージョンです。すまぬすまぬ。
メビウスという作品に気づき、最終話近くの視聴をしていた時に気になったことがある。それは、トリピーことトリヤマ補佐官が「彼は私のかけがえのない部下だ!」と名啖呵を切った相手、メビウス引き渡しを要求する、政府のシキ査察官に関することだ。
2012年6月8日金曜日
旧暦4/19 君の名は
垂渓庵です。
ウルトラマンメビウスの視聴という長い旅に出て、以前から抱いている疑問がまたもや頭をもたげてきた。
まずは、次の一覧をご覧いただきたい。
第 7話 ファントン星人
第16話 マグマ星人・バルキー星人
第23話 アンヘル星人「トーリ」
第32話 メイツ星人「ビオ」
第34話 リフレクト星人
第35話 ババルウ星人
第36話 サイコキノ星人「ピノ」
第39話 サーペント星人
第43話 異次元超人ヤプール
悪質宇宙人メフィラス星人
策謀宇宙人デスレム
冷凍星人グローザム
第48話 エンペラ星人
メビウスに出てくる宇宙人をウィキペディアから抜き出してみた。どうだろう。不思議なことに気づかないだろうか。
ウルトラマンメビウスの視聴という長い旅に出て、以前から抱いている疑問がまたもや頭をもたげてきた。
まずは、次の一覧をご覧いただきたい。
第 7話 ファントン星人
第16話 マグマ星人・バルキー星人
第23話 アンヘル星人「トーリ」
第32話 メイツ星人「ビオ」
第34話 リフレクト星人
第35話 ババルウ星人
第36話 サイコキノ星人「ピノ」
第39話 サーペント星人
第43話 異次元超人ヤプール
悪質宇宙人メフィラス星人
策謀宇宙人デスレム
冷凍星人グローザム
第48話 エンペラ星人
メビウスに出てくる宇宙人をウィキペディアから抜き出してみた。どうだろう。不思議なことに気づかないだろうか。
2012年6月7日木曜日
2012年6月6日水曜日
旧暦4/17 何故にとウルトラファイト(完全版)
垂渓庵です。
わたしは帰ってきたウルトラマン以降の第二期ウルトラシリーズの諸作品よりも、第一期ウルトラシリーズに属するウルトラマンやウルトラセブンの方に滅法思い入れがある。マンやセブンが放映された頃、わたしはこの世に生を受けて幾許も経っていない。一方、帰ってきたウルトラマンの放送は、小学校に上がるか上がらないかの頃だ。当然、世代的にはマンやセブンよりも、帰ってきたウルトラマン以降の作品の方にシンパシーを感じそうなものだ。
どうしてそうじゃないのか。考えてみれば不思議なことだ。なぜなんだろう。
わたしは帰ってきたウルトラマン以降の第二期ウルトラシリーズの諸作品よりも、第一期ウルトラシリーズに属するウルトラマンやウルトラセブンの方に滅法思い入れがある。マンやセブンが放映された頃、わたしはこの世に生を受けて幾許も経っていない。一方、帰ってきたウルトラマンの放送は、小学校に上がるか上がらないかの頃だ。当然、世代的にはマンやセブンよりも、帰ってきたウルトラマン以降の作品の方にシンパシーを感じそうなものだ。
どうしてそうじゃないのか。考えてみれば不思議なことだ。なぜなんだろう。
2012年6月5日火曜日
旧暦4/16 第二期
垂渓庵です。
というわけで、ウルトラマン80登場の回以降、ウルトラマンメビウスの視聴を始めたわけだが、実はメビウスの存在自体はそれ以前から知っていた。
たまたまテレビのチャンネルを変えている時に──むかしならチャンネルを回している時にと書いているところだ──、次回予告でオオトリ・ゲン=ウルトラマンレオが登場するらしいと知って驚いたことがあったのだ。
というわけで、ウルトラマン80登場の回以降、ウルトラマンメビウスの視聴を始めたわけだが、実はメビウスの存在自体はそれ以前から知っていた。
たまたまテレビのチャンネルを変えている時に──むかしならチャンネルを回している時にと書いているところだ──、次回予告でオオトリ・ゲン=ウルトラマンレオが登場するらしいと知って驚いたことがあったのだ。
2012年6月4日月曜日
旧暦4/15 長い旅あるいはウルトラマンメビウス
垂渓庵です。
ここのところウルトラマンメビウスを初回から見直している。きちんと初回から順番通りに見るのは、今回が初めてのことだだ。少しずつ見続けて、やっと35話にたどりついた。最終50話まであと少し。長い旅も終盤にさしかかっている。
メビウスは毎回泣きの演出が行われ、作品が有機的に関連しあっている、とても面白い作品だ。順番通りに見ていなくともそれぐらいは理解できていたけれど、今回、初回から見続けて、あらためてそう感じた。
そもそもメビウスという作品の視聴を始めたのは、本放送時に残り十話足らずとなったころのこと。大学の先輩で、川柳の先輩でもあるchikurinさんに奨められてのことだった。chikurinさんは、本放送終了後も年一回はメビウスを視聴し直すことにしているという剛の者だ。年によっては、一回ではきかないこともあったのではないか。
ここのところウルトラマンメビウスを初回から見直している。きちんと初回から順番通りに見るのは、今回が初めてのことだだ。少しずつ見続けて、やっと35話にたどりついた。最終50話まであと少し。長い旅も終盤にさしかかっている。
メビウスは毎回泣きの演出が行われ、作品が有機的に関連しあっている、とても面白い作品だ。順番通りに見ていなくともそれぐらいは理解できていたけれど、今回、初回から見続けて、あらためてそう感じた。
そもそもメビウスという作品の視聴を始めたのは、本放送時に残り十話足らずとなったころのこと。大学の先輩で、川柳の先輩でもあるchikurinさんに奨められてのことだった。chikurinさんは、本放送終了後も年一回はメビウスを視聴し直すことにしているという剛の者だ。年によっては、一回ではきかないこともあったのではないか。
2012年6月1日金曜日
旧暦4/12 昼夜兼好
垂渓庵です。
『徒然草』を読んでいくと、前後で矛盾していると思えることがけっこうたくさん書かれていることに気づく。たとえば、「子供はない方がいい」(6段)と「子供がないと万のあわれは分からない」(142段)。また、「酒を他人に勧めると罰が当た る」と酒はよくない的なことを言っているかと思うと、「風流の酒はいい」と言ってみたり(175段)などなど。活字本の解説でもたいていその点に触れら れているはずだ。
今週記してきたように、人間の常として、前後で矛盾しているかに思える言動は避けられない。というよりも、それが人間だと考えることができる。そういう意味では、兼好が述べているのはその時々の真実であって、普遍妥当的な真理ではない、と見ることができるだろう。
『徒然草』を読んでいくと、前後で矛盾していると思えることがけっこうたくさん書かれていることに気づく。たとえば、「子供はない方がいい」(6段)と「子供がないと万のあわれは分からない」(142段)。また、「酒を他人に勧めると罰が当た る」と酒はよくない的なことを言っているかと思うと、「風流の酒はいい」と言ってみたり(175段)などなど。活字本の解説でもたいていその点に触れら れているはずだ。
今週記してきたように、人間の常として、前後で矛盾しているかに思える言動は避けられない。というよりも、それが人間だと考えることができる。そういう意味では、兼好が述べているのはその時々の真実であって、普遍妥当的な真理ではない、と見ることができるだろう。
2012年5月31日木曜日
旧暦4/11 むは矛盾のむ
垂渓庵です。
昨日書いたことはこう言い直してもいいだろう。人間は時と場合によって矛盾していると思える言動をするけれど、内面的には、それらが必ずしも矛盾していると感じられるわけではない。その時その時の自分にとって自然な反応だからだ、と。
当然、自分の言動に関しては、よほど注意しておかないと、前後での食い違いに気づかないことになる。外から見た時に自分がどういう風に見えるか、ちゃんと把握するのは案外難しいことなのだ。だから、矛盾を指摘されると心外だったりする。
昨日書いたことはこう言い直してもいいだろう。人間は時と場合によって矛盾していると思える言動をするけれど、内面的には、それらが必ずしも矛盾していると感じられるわけではない。その時その時の自分にとって自然な反応だからだ、と。
当然、自分の言動に関しては、よほど注意しておかないと、前後での食い違いに気づかないことになる。外から見た時に自分がどういう風に見えるか、ちゃんと把握するのは案外難しいことなのだ。だから、矛盾を指摘されると心外だったりする。
2012年5月30日水曜日
旧暦4/10 ある意味自然
垂渓庵です。
車に乗っては歩行者に文句を言い、道を歩いては車を呪詛する。それはある意味人間として自然なことだという気もする。人間というものはあいにく首尾一貫するようにはできていない、とも言えるだろう。
その人の気質や状態と置かれた状況、条件などの無限の組み合わせの中で、その場その場では自然に思えることが、それらの条件などを一切捨象して、言動の方向性だけを取り出すと矛盾して見えるということになるだろうか。外面的には首尾一貫していないようだけれど、その人の内面世界では矛盾してなどいないと言い直してもいいかもしれない。
車に乗っては歩行者に文句を言い、道を歩いては車を呪詛する。それはある意味人間として自然なことだという気もする。人間というものはあいにく首尾一貫するようにはできていない、とも言えるだろう。
その人の気質や状態と置かれた状況、条件などの無限の組み合わせの中で、その場その場では自然に思えることが、それらの条件などを一切捨象して、言動の方向性だけを取り出すと矛盾して見えるということになるだろうか。外面的には首尾一貫していないようだけれど、その人の内面世界では矛盾してなどいないと言い直してもいいかもしれない。
2012年5月29日火曜日
旧暦4/9 ボートの三人
垂渓庵です。
『ボートの三人男』という小説がある。作者はジェローム・クラプカ・ジェローム。丸谷才一さんの訳で中公文庫に入っている。テムズ川の川遊びに出かけた三人組プラス犬の出会った経験を描くユーモア小説だ(ったと思う)。丸谷さんの違和感のない翻訳で、すいすいと読んでいける本だ。その作品に、以下のような部分があったと思う。
『ボートの三人男』という小説がある。作者はジェローム・クラプカ・ジェローム。丸谷才一さんの訳で中公文庫に入っている。テムズ川の川遊びに出かけた三人組プラス犬の出会った経験を描くユーモア小説だ(ったと思う)。丸谷さんの違和感のない翻訳で、すいすいと読んでいける本だ。その作品に、以下のような部分があったと思う。
2012年5月28日月曜日
2012年5月25日金曜日
2012年5月24日木曜日
旧暦4/4 スモールイズビューティフル
垂渓庵です。
わたしが子供の頃は、女子プロレスの試合が日曜の午後だったかに放送されていた。国際プロレスの試合なども放送されていたような気もする。金網デスマッチなどをやっていたのではなかったろうか。今はなき昭和の香りがぷんぷんする放送だった。
ところで、女子プロレスの放映時には、毎回だったか時々だったか、もはや記憶が定かではないのだけれど、小人プロレスの試合も放送されていたのではなかったか。低身長症のレスラーたちの試合だ。今ではミゼットプロレスなどとも呼ぶようだ。
わたしが子供の頃は、女子プロレスの試合が日曜の午後だったかに放送されていた。国際プロレスの試合なども放送されていたような気もする。金網デスマッチなどをやっていたのではなかったろうか。今はなき昭和の香りがぷんぷんする放送だった。
ところで、女子プロレスの放映時には、毎回だったか時々だったか、もはや記憶が定かではないのだけれど、小人プロレスの試合も放送されていたのではなかったか。低身長症のレスラーたちの試合だ。今ではミゼットプロレスなどとも呼ぶようだ。
2012年5月23日水曜日
2012年5月22日火曜日
旧暦4/2 上には上
垂渓庵です。
昨日書いた武左衞門、もしも背丈が七尺五寸だったとすると、とんでもない大男だが、『嬉遊笑覧』によると、釈迦嶽雲右衛門も同じく七尺五寸だったようだ。その雲右衛門、朝寝をしている豆腐屋を起こそうと、二回の窓を叩いたという、巨漢っぷりを示す逸話を残している。
随筆類を見ると、その他にも生月鯨太左衛門、鬼勝象之助、丸山権太左衛門など、大男とされる者の名前が幾人も見られる。どれも大きさを意識させる名前ばかりだが、それもそのはず、彼らは力士だったのだ。その背丈を生かした職業としては最適だったということか。あるいは、あまりの背丈ゆえに、一般人に立ち交じっては生きにくかったのかもしれない。
ちなみに、『続飛鳥川』によると、鬼勝象之助は七尺三寸だったようだ。同書には、釈迦嶽の背丈を七尺一寸六分といやに詳しく記している。武左衛門も釈迦嶽も、七尺五寸だったと書かれているのは、概数なのかもしれない。
それにしてもでかい。と思っていると、上には上がいた。
昨日書いた武左衞門、もしも背丈が七尺五寸だったとすると、とんでもない大男だが、『嬉遊笑覧』によると、釈迦嶽雲右衛門も同じく七尺五寸だったようだ。その雲右衛門、朝寝をしている豆腐屋を起こそうと、二回の窓を叩いたという、巨漢っぷりを示す逸話を残している。
随筆類を見ると、その他にも生月鯨太左衛門、鬼勝象之助、丸山権太左衛門など、大男とされる者の名前が幾人も見られる。どれも大きさを意識させる名前ばかりだが、それもそのはず、彼らは力士だったのだ。その背丈を生かした職業としては最適だったということか。あるいは、あまりの背丈ゆえに、一般人に立ち交じっては生きにくかったのかもしれない。
ちなみに、『続飛鳥川』によると、鬼勝象之助は七尺三寸だったようだ。同書には、釈迦嶽の背丈を七尺一寸六分といやに詳しく記している。武左衛門も釈迦嶽も、七尺五寸だったと書かれているのは、概数なのかもしれない。
それにしてもでかい。と思っていると、上には上がいた。
2012年5月21日月曜日
旧暦閏4/1 大男
垂渓庵です。
このところ本にまつわる話題が出てきていない。ここらで一発、古典ネタといこう。江戸時代の大男の話だ。
鈴木棠三という古典と民俗学にわたる研究者がいた。なぞなぞや狂歌などの口承文芸に強かった人だ。その人に「江戸巷談 藤岡屋ばなし」という本がある。研究書というよりも、江戸の末頃に江戸で古本を商っていた藤岡屋の主の日記から、面白そうな記事を抜粋紹介した本だ。藤岡屋自身も面白そうな人なのだが今回は省略して、その本に出てくるエピソードを一つとりあげたい。
このところ本にまつわる話題が出てきていない。ここらで一発、古典ネタといこう。江戸時代の大男の話だ。
鈴木棠三という古典と民俗学にわたる研究者がいた。なぞなぞや狂歌などの口承文芸に強かった人だ。その人に「江戸巷談 藤岡屋ばなし」という本がある。研究書というよりも、江戸の末頃に江戸で古本を商っていた藤岡屋の主の日記から、面白そうな記事を抜粋紹介した本だ。藤岡屋自身も面白そうな人なのだが今回は省略して、その本に出てくるエピソードを一つとりあげたい。
2012年5月18日金曜日
2012年5月17日木曜日
旧暦閏3/27 なぜにと尖閣諸島寄附金
垂渓庵です。
それにしても、どうしてあんな行事があるのだろう。いや、参加したくないという意味で言っているのではない。純粋に不思議なのだ。参観的な行事を意図しているのなら、あれでは中途半端だし、お母さん達の親睦を深めるという意味でなら、何も持ち上がりの学年でやらなくてもいいのではないかと思うからだ。
それにしても、どうしてあんな行事があるのだろう。いや、参加したくないという意味で言っているのではない。純粋に不思議なのだ。参観的な行事を意図しているのなら、あれでは中途半端だし、お母さん達の親睦を深めるという意味でなら、何も持ち上がりの学年でやらなくてもいいのではないかと思うからだ。
2012年5月16日水曜日
旧暦閏3/26 別メニュー
垂渓庵です。
こりゃあ案外楽しいぞ。次は何をやるのだろう。そう思っていると、先生の無情な一言が耳に突き刺さる。「子供たちは別室に行きます。お母さん方は、別メニューでお楽しみください。」
「わたしはお母さんではありません」、「そんなのはやめましょう」などという声の上がるはずもなく、また言えるはずもなく、困惑のうちに取り残されることになった。
こりゃあ案外楽しいぞ。次は何をやるのだろう。そう思っていると、先生の無情な一言が耳に突き刺さる。「子供たちは別室に行きます。お母さん方は、別メニューでお楽しみください。」
「わたしはお母さんではありません」、「そんなのはやめましょう」などという声の上がるはずもなく、また言えるはずもなく、困惑のうちに取り残されることになった。
2012年5月15日火曜日
旧暦閏3/25 親子でダンス
垂渓庵です。
考えてみると、昨日書いた参観は、お母さん同士の親睦を兼ねていたのではないかと思える。子供達は去年からの持ち上がりなので、園での様子を知るという意味は、実はあまりないのである。
それならそうと最初に言っておいてくれればよかったのにと思うが、言ってくれていたとしても、妻の都合がつかない以上、行かないわけにはいかなかったか。何にしても難儀なことだった。
しかし、 はじめにあった親子で楽しむプログラムはなかなか楽しかった。最初は、親子で体を慣らすダンスというかゲームというか、そんなのがあった。
考えてみると、昨日書いた参観は、お母さん同士の親睦を兼ねていたのではないかと思える。子供達は去年からの持ち上がりなので、園での様子を知るという意味は、実はあまりないのである。
それならそうと最初に言っておいてくれればよかったのにと思うが、言ってくれていたとしても、妻の都合がつかない以上、行かないわけにはいかなかったか。何にしても難儀なことだった。
しかし、 はじめにあった親子で楽しむプログラムはなかなか楽しかった。最初は、親子で体を慣らすダンスというかゲームというか、そんなのがあった。
2012年5月14日月曜日
旧暦閏3/24 アウエィ
垂渓庵です。
先日、子供の通っている幼稚園で親子遠足の行事があった。どうしても妻の都合がつかなかったので、わたしが行くことにした。平日の行事なので、教務部に時間割変更をお願いしての出陣だ。
妻の話によると、平日の園の行事でもけっこうお父さんがいるということだったので、あまり何も考えずに出かけた。集合時刻よりも少し早めに園に着くと、お母さん方がちらほらといた。その時点ではあまり気にしなかったが、集合時刻近くになり、人でごった返すようになった時点でとんでもないことに気づいた。
先日、子供の通っている幼稚園で親子遠足の行事があった。どうしても妻の都合がつかなかったので、わたしが行くことにした。平日の行事なので、教務部に時間割変更をお願いしての出陣だ。
妻の話によると、平日の園の行事でもけっこうお父さんがいるということだったので、あまり何も考えずに出かけた。集合時刻よりも少し早めに園に着くと、お母さん方がちらほらといた。その時点ではあまり気にしなかったが、集合時刻近くになり、人でごった返すようになった時点でとんでもないことに気づいた。
2012年5月11日金曜日
旧暦閏3/21 自称ドジョウと青山士と正しくあること
垂渓庵です。
昨日、「震災を巡る」というシリーズの文章を新たに公開した。実はこのシリーズは、旧ブログで去年の東日本の震災直後に三週間ほどほぼ隔日で更新を続けた「臨時便」と、その後折に触れて震災に関連して書いた文章の総称だ。
昨日、「震災を巡る」というシリーズの文章を新たに公開した。実はこのシリーズは、旧ブログで去年の東日本の震災直後に三週間ほどほぼ隔日で更新を続けた「臨時便」と、その後折に触れて震災に関連して書いた文章の総称だ。
2012年5月10日木曜日
旧暦閏3/20 震災を巡る 品切れの秘密
垂渓庵です。
放射能汚染の実態がよくわからない。人によって言うことが全く違っているし、実際のところ食物にどれほどの放射性物質が付着しているのやらいないのやら、政府や自治体は詳細に発表しようとしない。放射能を心配する声が上がると、風評被害などということばで応じる方々もいる。
風評被害というのは、根も葉もない評判を立てられて、その結果被害を被ることを言う。放射性物質がくっついているかいないかはリアルな問題だ。もしもくっついているのだったら風評被害もくそもない。
低線量被爆が実際に健康にどれほどの害を与えるかはよく分からないところもあるようだ。あるようだが、分からないということは、イコール無害なのではない。今後データが蓄積されて疫学的にこれだけの害を与えることが分かりました、となった時には手遅れだ。特に子を持つ親にしてみれば、切実な問題だと言える。
放射能汚染の実態がよくわからない。人によって言うことが全く違っているし、実際のところ食物にどれほどの放射性物質が付着しているのやらいないのやら、政府や自治体は詳細に発表しようとしない。放射能を心配する声が上がると、風評被害などということばで応じる方々もいる。
風評被害というのは、根も葉もない評判を立てられて、その結果被害を被ることを言う。放射性物質がくっついているかいないかはリアルな問題だ。もしもくっついているのだったら風評被害もくそもない。
低線量被爆が実際に健康にどれほどの害を与えるかはよく分からないところもあるようだ。あるようだが、分からないということは、イコール無害なのではない。今後データが蓄積されて疫学的にこれだけの害を与えることが分かりました、となった時には手遅れだ。特に子を持つ親にしてみれば、切実な問題だと言える。
2012年5月9日水曜日
旧暦閏3/19 現役生
垂渓庵です。
GWも終わってしまった。世の中休日モードでいささか浮かれていたようだが、生徒はさすがに勉強モードだった。と思いたい。思いたいのだけれど、そうではなかったのではないかという懸念もなくなくなくない。あれ。
GWも終わってしまった。世の中休日モードでいささか浮かれていたようだが、生徒はさすがに勉強モードだった。と思いたい。思いたいのだけれど、そうではなかったのではないかという懸念もなくなくなくない。あれ。
2012年5月8日火曜日
旧暦閏3/18 ウルトラマン№6
垂渓庵です。
太郎君がはまっていたウルトラマンタロウは第二期ウルトラシリーズに属する作品だ。ウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブンが第一期ウルトラシリーズを構成し、帰ってきたウルトラマン、ウルトラマンエース、ウルトラマンタロウ、ウルトラマンレオが第二期ウルトラシリーズの作品だ。
太郎君がはまっていたウルトラマンタロウは第二期ウルトラシリーズに属する作品だ。ウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブンが第一期ウルトラシリーズを構成し、帰ってきたウルトラマン、ウルトラマンエース、ウルトラマンタロウ、ウルトラマンレオが第二期ウルトラシリーズの作品だ。
2012年5月7日月曜日
旧暦閏3/17 タロウ君
垂渓庵です。
昨日ウルトラマンタロウの替え歌(?)をうちの子と歌っていると書いた。もちろん、うちの子はウルトラマンタロウの世代ではない。タロウの世代はもう四十歳を超えているんじゃないか。それなら親は六十を超えているだろう。主題歌の替え歌など親子で歌っている場合ではない。
昨日ウルトラマンタロウの替え歌(?)をうちの子と歌っていると書いた。もちろん、うちの子はウルトラマンタロウの世代ではない。タロウの世代はもう四十歳を超えているんじゃないか。それなら親は六十を超えているだろう。主題歌の替え歌など親子で歌っている場合ではない。
2012年5月6日日曜日
旧暦閏3/16 非戦とタロウ
垂渓庵です。
ゴールデンウイーク後半戦も終わろうとしている。わたしも子供につきあって、あちこち出かけた。とは言っても近場ばかりだ。これはわたしの計画性のなさも影響しているが、ゴールデンウイークの人出を避けたいという気持ちもある。渋滞もひどいだろうし。
だからと言って、家で遊んでばかりいるというのも芸はない。というわけで、穴場を狙って遊びに行く。昨日は、少し遅くなってから出かけてにもかかわらず、渋滞に巻き込まれることもなく、駐車場にも空きがあり、広々と開放的なロケーションの中、敷物を広げ荷物を広げ、散策をしたり虫を捕ったりしながら家族でのんびりと過ごしてきた。その場所は…。
ゴールデンウイーク後半戦も終わろうとしている。わたしも子供につきあって、あちこち出かけた。とは言っても近場ばかりだ。これはわたしの計画性のなさも影響しているが、ゴールデンウイークの人出を避けたいという気持ちもある。渋滞もひどいだろうし。
だからと言って、家で遊んでばかりいるというのも芸はない。というわけで、穴場を狙って遊びに行く。昨日は、少し遅くなってから出かけてにもかかわらず、渋滞に巻き込まれることもなく、駐車場にも空きがあり、広々と開放的なロケーションの中、敷物を広げ荷物を広げ、散策をしたり虫を捕ったりしながら家族でのんびりと過ごしてきた。その場所は…。
2012年5月2日水曜日
旧暦閏3/12 赤外線異常あるいはプリントアウト
垂渓庵です。
昨日で現代の世相を斬るシリーズの再掲は一段落だ。柄にもないことはよしにしようと思うが、昨日も少し書いたように、情報通信機器の進化には目を瞠るものがある。
昨日、十年以上前に卒業した生徒がやってきた。幸いなことに顔を合わせて程なく名前を思い出すことができた。今は心理学、認知科学、工学の境界領域のようなところで研究をしているらしい。ダマシオやラマチャンドランあたりとやっていることが重なるのか今度聞いてみようと思うが、なかなかに興味深い研究分野のような気がする。
昨日で現代の世相を斬るシリーズの再掲は一段落だ。柄にもないことはよしにしようと思うが、昨日も少し書いたように、情報通信機器の進化には目を瞠るものがある。
昨日、十年以上前に卒業した生徒がやってきた。幸いなことに顔を合わせて程なく名前を思い出すことができた。今は心理学、認知科学、工学の境界領域のようなところで研究をしているらしい。ダマシオやラマチャンドランあたりとやっていることが重なるのか今度聞いてみようと思うが、なかなかに興味深い研究分野のような気がする。
2012年5月1日火曜日
旧暦閏3/11 再掲 ゲームとコンビニと携帯電話6
垂渓庵です。
これは2009年1月に公開した。これでようやっとこのシリーズも終わりだ。分量はそれほど多くはないが、書くのに苦労した。無理に今の世相を斬ろうと考えたのが間違いだったか。やはり身の丈に合ったことをしないといけないと肝に銘じた次第だ。それにしても、この記事を書いたころは、世の中アイフォンだのアンドロイドだの言っちゃいなかったんじゃないか。ますます変化のスピードが加速している感じだ。
以下本文
今回がこのシリーズの最終回になるように努力しようと決意している垂渓庵です。
携帯電話は前の二つと比べると、最も遅く登場しました。
もちろん、わたしの身近には、です。
ポケットにも収まる端末を周りの人間が使い出したのは、今の職場に来てからのこと。
かれこれ十二、三年前か。
いや、もう少し前かもしれないけれど、二十年前ってことはありません。
その携帯電話。
今さらわたしが言うまでもなく、極めて便利です。
わたしのような職種の者でも、もしもこの世から携帯電話がなくなってしまったら、いささか不便さを感じます。
これは2009年1月に公開した。これでようやっとこのシリーズも終わりだ。分量はそれほど多くはないが、書くのに苦労した。無理に今の世相を斬ろうと考えたのが間違いだったか。やはり身の丈に合ったことをしないといけないと肝に銘じた次第だ。それにしても、この記事を書いたころは、世の中アイフォンだのアンドロイドだの言っちゃいなかったんじゃないか。ますます変化のスピードが加速している感じだ。
以下本文
今回がこのシリーズの最終回になるように努力しようと決意している垂渓庵です。
携帯電話は前の二つと比べると、最も遅く登場しました。
もちろん、わたしの身近には、です。
ポケットにも収まる端末を周りの人間が使い出したのは、今の職場に来てからのこと。
かれこれ十二、三年前か。
いや、もう少し前かもしれないけれど、二十年前ってことはありません。
その携帯電話。
今さらわたしが言うまでもなく、極めて便利です。
わたしのような職種の者でも、もしもこの世から携帯電話がなくなってしまったら、いささか不便さを感じます。
2012年4月27日金曜日
旧暦閏3/7 教師の仕事
垂渓庵です。
このところ何かと忙しい。ルーチンワークに加えて、降ってわいたようないくつもの案件を並行して進めている。
一つは今年からスクールカウンセラーを導入したのに伴うもの。初年度ということもあり、手探りでの運用が続いている。おかげで何かと用事があるのだ。
このところ何かと忙しい。ルーチンワークに加えて、降ってわいたようないくつもの案件を並行して進めている。
一つは今年からスクールカウンセラーを導入したのに伴うもの。初年度ということもあり、手探りでの運用が続いている。おかげで何かと用事があるのだ。
2012年4月26日木曜日
旧暦閏3/6 同じ風景
垂渓庵です。
ここ大阪では桜の季節も終わり、暖かい日が続くようになった。勤務校の桜の木もすっかり葉桜となっている。八重桜は今を盛りと咲き誇っているけれど。
どこかに書いたように、今年は担任している学年も高3だ。生徒たちも受験勉強に本腰を入れている。
ここ大阪では桜の季節も終わり、暖かい日が続くようになった。勤務校の桜の木もすっかり葉桜となっている。八重桜は今を盛りと咲き誇っているけれど。
どこかに書いたように、今年は担任している学年も高3だ。生徒たちも受験勉強に本腰を入れている。
2012年4月25日水曜日
旧暦閏3/5 再掲 ゲームとコンビニと携帯電話5
垂渓庵です。
これは2009年1月に公開した。記事がずるずると続くうちにとうとう年をまたいでしまった。無計画に書き始めるとこういうことになる。最近いちばん近所のコンビニで気さくなおばちゃんが働くようになった。大手チェーン店にはあるまじき昭和の店に変わっていくのだろうか。今後の展開が注目されるところだ。
以下本文
ああ、とうとう記事が年をまたいでしまった、と慨嘆している垂渓庵です。
あと少しこの記事におつきあい下さい。
あ、今年もよろしくお願いします。
さてさて、前回とりあげたコンビニ、最初は二十四時間営業ではなかったように思います。
朝から夜九時や十時ぐらいまでの営業じゃなかったでしょうか。
それが徐々に時間が延びて、気づけば二十四時間営業。
アパートの近所には、おそらく個人営業と思しきコンビニもどきの店もあったりしました。
が、いつの間にかなくなってしまいました。
店員さんがアットホームでわたしは一番好きだったんですが。
これは2009年1月に公開した。記事がずるずると続くうちにとうとう年をまたいでしまった。無計画に書き始めるとこういうことになる。最近いちばん近所のコンビニで気さくなおばちゃんが働くようになった。大手チェーン店にはあるまじき昭和の店に変わっていくのだろうか。今後の展開が注目されるところだ。
以下本文
ああ、とうとう記事が年をまたいでしまった、と慨嘆している垂渓庵です。
あと少しこの記事におつきあい下さい。
あ、今年もよろしくお願いします。
さてさて、前回とりあげたコンビニ、最初は二十四時間営業ではなかったように思います。
朝から夜九時や十時ぐらいまでの営業じゃなかったでしょうか。
それが徐々に時間が延びて、気づけば二十四時間営業。
アパートの近所には、おそらく個人営業と思しきコンビニもどきの店もあったりしました。
が、いつの間にかなくなってしまいました。
店員さんがアットホームでわたしは一番好きだったんですが。
2012年4月24日火曜日
旧暦閏3/4 再掲 コンビニとゲームと携帯電話4
垂渓庵です。
昨日は過去記事の紹介ではなく、臨時に新稿を公開した。今日は先週水曜の続きだ。これは2008年12月に公開した。二日後は大晦日というタイミングだ。もういい加減早く終わらしたいなと思ったのがこのころだったか。なかなか終わらない記事にちょっと飽きが来だしたのだったと思う。どうもわたしには持続性が欠けているようだ。
以下本文
案に相違してなかなかこの記事が終わらず少々あわてている垂渓庵です。
やっとコンビニの話です。
コンビニが一般化しだしたのはいつごろからでしょうか。
地域差があると思いますが、わたしの身近でコンビニがそこここに見られだしたのは、成人する前後ぐらいだったのではないかと思います。
今から二十数年前ですね。
それまではコンビニのような便利なお店屋さんはありませんでした。
夜中にものを買いに行けるなんて、その頃のわたしから見れば、驚き以外の何ものでもなかったはずです。
今ではそんな感覚はなくなってしまってますが。
昨日は過去記事の紹介ではなく、臨時に新稿を公開した。今日は先週水曜の続きだ。これは2008年12月に公開した。二日後は大晦日というタイミングだ。もういい加減早く終わらしたいなと思ったのがこのころだったか。なかなか終わらない記事にちょっと飽きが来だしたのだったと思う。どうもわたしには持続性が欠けているようだ。
以下本文
案に相違してなかなかこの記事が終わらず少々あわてている垂渓庵です。
やっとコンビニの話です。
コンビニが一般化しだしたのはいつごろからでしょうか。
地域差があると思いますが、わたしの身近でコンビニがそこここに見られだしたのは、成人する前後ぐらいだったのではないかと思います。
今から二十数年前ですね。
それまではコンビニのような便利なお店屋さんはありませんでした。
夜中にものを買いに行けるなんて、その頃のわたしから見れば、驚き以外の何ものでもなかったはずです。
今ではそんな感覚はなくなってしまってますが。
2012年4月23日月曜日
旧暦閏3/3 始業式と入園式
垂渓庵です。
先週末、金曜日は記事の更新を忘れてしまった。すまぬすまぬ。
わたしの子供が通う幼稚園では、始業式の数日後に入園式をやることになっているようだ。ふつう、小学校~大学では、入学式をやった後に始業式がくるものだと思うのだが、子供が通っている幼稚園ではそんな日程になっている。
ネットで検索をしてみると、そんな感じの幼稚園は、どうやら他にもありそうだ。それらの幼稚園的にはその順序で式を行うことにそれなりの合理性があるということなのか。始業式で全員揃っていないのは、ちょっと気持ちが悪いんじゃないかという気がしなくはないけれど、全員揃って園長先生の講話を聞くなんてことはないのかもしれない。幼児だし。
先週末、金曜日は記事の更新を忘れてしまった。すまぬすまぬ。
わたしの子供が通う幼稚園では、始業式の数日後に入園式をやることになっているようだ。ふつう、小学校~大学では、入学式をやった後に始業式がくるものだと思うのだが、子供が通っている幼稚園ではそんな日程になっている。
ネットで検索をしてみると、そんな感じの幼稚園は、どうやら他にもありそうだ。それらの幼稚園的にはその順序で式を行うことにそれなりの合理性があるということなのか。始業式で全員揃っていないのは、ちょっと気持ちが悪いんじゃないかという気がしなくはないけれど、全員揃って園長先生の講話を聞くなんてことはないのかもしれない。幼児だし。
2012年4月19日木曜日
旧暦3/29 仏教語
垂渓庵です。
現在わたし達が話す日本語には、とてもたくさんの漢語が含まれている。西洋の進んだ文明を取り入れるために、江戸時代末から明治時代にかけて作られた和製漢語も含めて、その数は膨大なものになる。日常の基本的な語彙は、さすがにもともとの日本語──「やまとことば」あるいは「和語」──が大きな割合を占めているけれど、それでもその全てではない。
「両親」と「ふたおや」、「兄弟」と「あにおとうと」のように、どちらかというと漢語で表す方が自然な概念も多い。また、「愛情」、「家族」のように、対応する「やまとことば」を思い浮かべにくい例も数多くある。漢語を抜きにしては日常生活は成立しないと言っていいだろう。
そんな漢語の中には、仏教用語として日本語に入ってきて、そのまま日常語として用いられるようになったものがいくつもある。「彼岸」や「お盆」、「供養」、「地獄」などはすぐに思いつく。「金輪際」や「有頂天」なども、ある程度仏教に関する知識を持っていれば、仏教用語だと分かるだろう。しかし、次のような場合はどうか。
現在わたし達が話す日本語には、とてもたくさんの漢語が含まれている。西洋の進んだ文明を取り入れるために、江戸時代末から明治時代にかけて作られた和製漢語も含めて、その数は膨大なものになる。日常の基本的な語彙は、さすがにもともとの日本語──「やまとことば」あるいは「和語」──が大きな割合を占めているけれど、それでもその全てではない。
「両親」と「ふたおや」、「兄弟」と「あにおとうと」のように、どちらかというと漢語で表す方が自然な概念も多い。また、「愛情」、「家族」のように、対応する「やまとことば」を思い浮かべにくい例も数多くある。漢語を抜きにしては日常生活は成立しないと言っていいだろう。
そんな漢語の中には、仏教用語として日本語に入ってきて、そのまま日常語として用いられるようになったものがいくつもある。「彼岸」や「お盆」、「供養」、「地獄」などはすぐに思いつく。「金輪際」や「有頂天」なども、ある程度仏教に関する知識を持っていれば、仏教用語だと分かるだろう。しかし、次のような場合はどうか。
2012年4月18日水曜日
旧暦3/28 再掲 ゲームとコンビニと携帯電話3
垂渓庵です。
これは2008年12月に公開した。ところでファミコンってもはや死語なんだろうか。気づけば生徒は携帯でゲームをやっていたりする。いや、プロフか何かなのか。まさかフェイスブックってことはあるまい。何にしても、そこらへんの流行り廃りはめまぐるしすぎではあるまいか。
以下本文
垂渓庵です。
さて、わたしたちが小学生の頃はどんな遊びをしていたのでしょうか。
わたしやヒロちゃんたちの例で言うと、基本的には遊びは屋外でした。
裏山を歩きまわったり、ピン球野球に興じたり。
季節によっては山菜採り、虫取り、栗拾いやあけびとりなどなど。
その他にもビー玉、独楽回しやたこ揚げや銀玉鉄砲、火薬で音が鳴る鉄砲、その火薬を先端にセットして投げあげて落とすロケット型の遊具。ザリガニ釣り、えび釣り、沢ガニとり……。
挙げだすときりがありません。
要は、安い玩具や身の回りのもので遊んでいたのです。
これは2008年12月に公開した。ところでファミコンってもはや死語なんだろうか。気づけば生徒は携帯でゲームをやっていたりする。いや、プロフか何かなのか。まさかフェイスブックってことはあるまい。何にしても、そこらへんの流行り廃りはめまぐるしすぎではあるまいか。
以下本文
垂渓庵です。
さて、わたしたちが小学生の頃はどんな遊びをしていたのでしょうか。
わたしやヒロちゃんたちの例で言うと、基本的には遊びは屋外でした。
裏山を歩きまわったり、ピン球野球に興じたり。
季節によっては山菜採り、虫取り、栗拾いやあけびとりなどなど。
その他にもビー玉、独楽回しやたこ揚げや銀玉鉄砲、火薬で音が鳴る鉄砲、その火薬を先端にセットして投げあげて落とすロケット型の遊具。ザリガニ釣り、えび釣り、沢ガニとり……。
挙げだすときりがありません。
要は、安い玩具や身の回りのもので遊んでいたのです。
2012年4月17日火曜日
旧暦3/27 再掲 ゲームとコンビニと携帯電話2
垂渓庵です。
これは2008年12月に公開した。ヒロちゃんというのは幼なじみだ。コウちゃんやタクと一緒によく遊んだ。その頃の思い出をいくつかブログに書いてある。今は省略するけれど、いつか機会があれば紹介したいと思う。
以下本文
垂渓庵です。
まずひとつめのゲーム。
いわゆるボードゲームじゃありません。
人生ゲームとかモノポリーとか。
消える魔球の野球ゲームもありました。
小さな鉄球か何かを魚雷に見立てる水雷戦のゲームなんてのも。
こんなことやあんなこと、ともに死線を乗り越えてきたヒロちゃんの家で遊び興じたものでした。
ピーコックだとかなんとかいう名前の登場人物たちが出てくる推理ゲームみたいなのもあったような気が…。
しかし、この辺は少し記憶が曖昧です。
何にしても、何もかもがみな懐かしい……。
ああ、いけない。沖田艦長になってしまった。
これは2008年12月に公開した。ヒロちゃんというのは幼なじみだ。コウちゃんやタクと一緒によく遊んだ。その頃の思い出をいくつかブログに書いてある。今は省略するけれど、いつか機会があれば紹介したいと思う。
以下本文
垂渓庵です。
まずひとつめのゲーム。
いわゆるボードゲームじゃありません。
人生ゲームとかモノポリーとか。
消える魔球の野球ゲームもありました。
小さな鉄球か何かを魚雷に見立てる水雷戦のゲームなんてのも。
こんなことやあんなこと、ともに死線を乗り越えてきたヒロちゃんの家で遊び興じたものでした。
ピーコックだとかなんとかいう名前の登場人物たちが出てくる推理ゲームみたいなのもあったような気が…。
しかし、この辺は少し記憶が曖昧です。
何にしても、何もかもがみな懐かしい……。
ああ、いけない。沖田艦長になってしまった。
2012年4月16日月曜日
旧暦3/26 再掲 ゲームとコンビニと携帯電話1
垂渓庵です。
これは2008年12月に公開した。最初は一回で書ききるつもりでいたのだけれど、結局シリーズ化した。一回分のボリュームはそれほど大きくないので、耽読翫士の中では中ネタといったところか。中身はありきたりの分析のような気がしなくもなくなくなかったりする。 初回は導入的な部分で終わっている。それにしても、サブプライムローンか。遠い昔の気がする。
以下本文
すっかりごぶさたしてしまっています。垂渓庵です。何やらばたばたと慌ただしいことが続き、更新を怠ってしまいました。世界に散らばる耽読翫市ファンの皆さん、申し訳ありません。年内はできれば週二の更新を目指して精進したいと思います。と言っても今週は今日だけですけどね。
さて、わたしは、わたしの世代は世の中の猛烈な変化を身を以て直接的に体験した世代ではないかと思っています。
これは2008年12月に公開した。最初は一回で書ききるつもりでいたのだけれど、結局シリーズ化した。一回分のボリュームはそれほど大きくないので、耽読翫士の中では中ネタといったところか。中身はありきたりの分析のような気がしなくもなくなくなかったりする。 初回は導入的な部分で終わっている。それにしても、サブプライムローンか。遠い昔の気がする。
以下本文
すっかりごぶさたしてしまっています。垂渓庵です。何やらばたばたと慌ただしいことが続き、更新を怠ってしまいました。世界に散らばる耽読翫市ファンの皆さん、申し訳ありません。年内はできれば週二の更新を目指して精進したいと思います。と言っても今週は今日だけですけどね。
さて、わたしは、わたしの世代は世の中の猛烈な変化を身を以て直接的に体験した世代ではないかと思っています。
2012年4月13日金曜日
旧暦3/23 再掲 先日脱糞
垂渓庵です。
これは2008年11月に公開した。自分としては面白く思っている記事だ。しかし、Z会の中の人も含めて不快に思う人もいるだろうな。担当さんには好意的なコメントをもらったけれど。そういえば宮下訳の第五巻がなかなか出ないなと思って検索をかけたら、なんと来月発売予定だ。これは忘れずに買わないと。週末は更新を休みます。次は月曜の予定です。
以下本文
かぐわしいタイトルですみません。垂渓庵です。
今日は先日わたしが思わず脱糞してしまった話です。
……。
……。
これは2008年11月に公開した。自分としては面白く思っている記事だ。しかし、Z会の中の人も含めて不快に思う人もいるだろうな。担当さんには好意的なコメントをもらったけれど。そういえば宮下訳の第五巻がなかなか出ないなと思って検索をかけたら、なんと来月発売予定だ。これは忘れずに買わないと。週末は更新を休みます。次は月曜の予定です。
以下本文
かぐわしいタイトルですみません。垂渓庵です。
今日は先日わたしが思わず脱糞してしまった話です。
……。
……。
2012年4月12日木曜日
2012年4月11日水曜日
旧暦3/21 再掲 大学授業星取り表
垂渓庵です。
これは2008年10月に公開した。鈍感なのかもしれないが、わたしは平板で淡々とした話しっぷりの方の話でも、結構面白く聞くことができる。さすがに講演や授業がそうだとちょっときついけれど、中身に興味を持てればわりと平気だったりする。イデ先生やマスダ先生のお話は決して聞かせるものではなかったけれど、中身はすごかった。そんなことを思い出した。講義ノートを探してみようかな。
以下本文
垂渓庵です。
遊びにやってきた卒業生がたまに大学の授業が面白くないとこぼすことがあります。極端な場合には、大学をやめて受験をし直すと言い出すことも。いや、言い出すだけじゃなく実際に大学をやめてしまった者もいます。
自分の学生時代を思い出してみる限り、それなりに面白い授業がいくつもあったんじゃないのかなあという印象があるのですが、実際はどうだったのでしょうか。ガタがきかけている記憶を総動員して検証してみたいと思います。
これは2008年10月に公開した。鈍感なのかもしれないが、わたしは平板で淡々とした話しっぷりの方の話でも、結構面白く聞くことができる。さすがに講演や授業がそうだとちょっときついけれど、中身に興味を持てればわりと平気だったりする。イデ先生やマスダ先生のお話は決して聞かせるものではなかったけれど、中身はすごかった。そんなことを思い出した。講義ノートを探してみようかな。
以下本文
垂渓庵です。
遊びにやってきた卒業生がたまに大学の授業が面白くないとこぼすことがあります。極端な場合には、大学をやめて受験をし直すと言い出すことも。いや、言い出すだけじゃなく実際に大学をやめてしまった者もいます。
自分の学生時代を思い出してみる限り、それなりに面白い授業がいくつもあったんじゃないのかなあという印象があるのですが、実際はどうだったのでしょうか。ガタがきかけている記憶を総動員して検証してみたいと思います。
2012年4月10日火曜日
旧暦3/20 再掲 将棋指し
垂渓庵です。
これは2008年3月に公開した。新年度のばたばたで再掲記事がしばらく途絶えてしまった。これからは、日に一本に減るかもしれないけれど、できるだけ途切れないようにしよう。そうしないと再掲記事がいつまでたっても終わらない。ところで、将棋を指さなくなって何年経つだろう。もう定跡もほとんど忘れてしまった。雁木囲いなんて今でも使われているのだろうか。舟囲いとかも。
以下本文
垂渓庵です。
みなさんは小さなころに何になりたかったですか。
わたしは科特隊の隊員になりたかったです。
いや、ホシノ少年になりたかったような気もします。
いずれにしても、あの胸の流星バッジにはひどく憧れました。
これは2008年3月に公開した。新年度のばたばたで再掲記事がしばらく途絶えてしまった。これからは、日に一本に減るかもしれないけれど、できるだけ途切れないようにしよう。そうしないと再掲記事がいつまでたっても終わらない。ところで、将棋を指さなくなって何年経つだろう。もう定跡もほとんど忘れてしまった。雁木囲いなんて今でも使われているのだろうか。舟囲いとかも。
以下本文
垂渓庵です。
みなさんは小さなころに何になりたかったですか。
わたしは科特隊の隊員になりたかったです。
いや、ホシノ少年になりたかったような気もします。
いずれにしても、あの胸の流星バッジにはひどく憧れました。
2012年4月7日土曜日
旧暦3/17 再掲 ハーディと源氏物語
垂渓庵です。
これは2008年9月に公開した。最初に一川誠の番宣をしていたのだけれど、今回は省略した。本文が妙な出だしになっているのはそういうわけだ。
さて、この記事は以前に紹介した「ヴォネガットと斎藤緑雨」に通じるものがあるのではないかと思う。割と自信を持っているネタの一つだ。源氏物語を授業で取り上げる際にも触れたいところだけれど、ハーディの存在自体を知らない生徒に説明するのが結構難しい。というわけで、残念ながら授業中に話すことはほとんどない。年度初めで忙しくなってきた。とりあえず今日の更新はこの一本のみ。
以下本文
これは2008年9月に公開した。最初に一川誠の番宣をしていたのだけれど、今回は省略した。本文が妙な出だしになっているのはそういうわけだ。
さて、この記事は以前に紹介した「ヴォネガットと斎藤緑雨」に通じるものがあるのではないかと思う。割と自信を持っているネタの一つだ。源氏物語を授業で取り上げる際にも触れたいところだけれど、ハーディの存在自体を知らない生徒に説明するのが結構難しい。というわけで、残念ながら授業中に話すことはほとんどない。年度初めで忙しくなってきた。とりあえず今日の更新はこの一本のみ。
以下本文
垂渓庵です。
さてさて、本題に戻りましょう。どうもここんとこ耽読も翫市もしていないっぽい話が続いてしまいました。またもや看板に偽りありってことになってます。ここらで本のネタをひとつ。
以前から気になっているのですが、19世紀イギリスの小説家トマス・ハーディの小説は昨今どれぐらい読まれているのでしょうか。そう、「テス」や「ジュード」の作者のハーディです。ハイディハイディフレハイディホウの○大ハンバーグじゃありません。
……。ええと、ちょっと気になったので検索をかけてみました。結果はこんな感じです。
この中には英語の教科書版がかなり含まれているようです。英語学習の教材としては別として、今ではあまり読まれなくなっているということでしょうか。かく言うわたしもハーディの小説は短編集をいくつか読んだだけ。実は「テス」も「ジュード」も読んでません。
さてさて、本題に戻りましょう。どうもここんとこ耽読も翫市もしていないっぽい話が続いてしまいました。またもや看板に偽りありってことになってます。ここらで本のネタをひとつ。
以前から気になっているのですが、19世紀イギリスの小説家トマス・ハーディの小説は昨今どれぐらい読まれているのでしょうか。そう、「テス」や「ジュード」の作者のハーディです。ハイディハイディフレハイディホウの○大ハンバーグじゃありません。
……。ええと、ちょっと気になったので検索をかけてみました。結果はこんな感じです。
この中には英語の教科書版がかなり含まれているようです。英語学習の教材としては別として、今ではあまり読まれなくなっているということでしょうか。かく言うわたしもハーディの小説は短編集をいくつか読んだだけ。実は「テス」も「ジュード」も読んでません。
2012年4月6日金曜日
旧暦3/16 再掲 ハンニバル
垂渓庵です。
これは2007年12月に公開した。マヘリア・ジャクソンを紹介したついでに、音楽つながりで過去にさかのぼって記事を拾ってみた。さっきアマゾンで検索した限りでは、ハンニバルのCDはあまり売られていないようだ。特にここに紹介した2枚はともに中古での取り扱いとなっている。手軽に手に入らいだろうけれど、機会があったら聴いてみてください。
以下本文
これは2007年12月に公開した。マヘリア・ジャクソンを紹介したついでに、音楽つながりで過去にさかのぼって記事を拾ってみた。さっきアマゾンで検索した限りでは、ハンニバルのCDはあまり売られていないようだ。特にここに紹介した2枚はともに中古での取り扱いとなっている。手軽に手に入らいだろうけれど、機会があったら聴いてみてください。
以下本文
垂渓庵です。
世の中には、怒濤のごとき迫力を感じさせる人がいます。あなたの身の回りにもきっといることでしょう。奔流のような活力の人が。歴史的人物にもそのような人がたくさんいます。
たとえばワグナーやマーラーやオルフなど。わたしは彼らにこの上ない迫力を感じます。もっとも、あまり熱心にクラシックを聴くわけではないのですが。小説家で言うなら、小松左京、バルザック、デュマあたり。哲学者ならニーチェ。
こう書くと、次のような異論がホウハイと湧き起こってくるかも知れません。「ベートーベンの立場はどうなる」とか、「音楽に迫力があるのと作曲家自身に迫力があるかどうかとは別だ」とか、「バルザックは顔の印象だけからじゃないのか」とか、「小松たち三人は体型の共通点から言ってるんだろ」とか、「哲学と 活力ってなんかしっくりこないぞ」とか…。
世の中には、怒濤のごとき迫力を感じさせる人がいます。あなたの身の回りにもきっといることでしょう。奔流のような活力の人が。歴史的人物にもそのような人がたくさんいます。
たとえばワグナーやマーラーやオルフなど。わたしは彼らにこの上ない迫力を感じます。もっとも、あまり熱心にクラシックを聴くわけではないのですが。小説家で言うなら、小松左京、バルザック、デュマあたり。哲学者ならニーチェ。
こう書くと、次のような異論がホウハイと湧き起こってくるかも知れません。「ベートーベンの立場はどうなる」とか、「音楽に迫力があるのと作曲家自身に迫力があるかどうかとは別だ」とか、「バルザックは顔の印象だけからじゃないのか」とか、「小松たち三人は体型の共通点から言ってるんだろ」とか、「哲学と 活力ってなんかしっくりこないぞ」とか…。
旧暦3/16 再掲 元気の素
垂渓庵です。
これは2008年8月に公開した。マヘリア・ジャクソンは今も好きだ。写真や映像を見る限り、ごっつくて顔も豪快だけれど、何ともいえずかわいらしい表情を見せることがある。そんな時は可憐と言っていい心持ちがする。とりあえず1枚聴いてみたいという人にはLive at Newport 1958あたりがおすすめだろう。もっと聴きたいという人は、Gospels Spirituals & Hymns1・2(それぞれ2枚組)を聴いてみてください。
以下本文
垂渓庵です。
落ち込み気味なときにこれがあると元気になるというものが、みなさんおありなのではないでしょうか。たとえば本であるとか、歌であるとか。
あるいは、この人に会うと元気づけられるということもあるでしょうし、ある場所に行くと勇気がわいてくるということもあるでしょう。
一つだけと限ったわけでもないと思います。わたしの場合もいろいろ当てはまるものがあります。たとえば「木に学べ」の西岡常一さんの聞き語りCDや「リト ル・トリー」。隆慶一郎さんの時代小説も元気を与えてくれます。元気の出てくる飲み友達もいます。また、山を歩いていると、下界のことなどどうでもよく なってきます。
これは2008年8月に公開した。マヘリア・ジャクソンは今も好きだ。写真や映像を見る限り、ごっつくて顔も豪快だけれど、何ともいえずかわいらしい表情を見せることがある。そんな時は可憐と言っていい心持ちがする。とりあえず1枚聴いてみたいという人にはLive at Newport 1958あたりがおすすめだろう。もっと聴きたいという人は、Gospels Spirituals & Hymns1・2(それぞれ2枚組)を聴いてみてください。
以下本文
垂渓庵です。
落ち込み気味なときにこれがあると元気になるというものが、みなさんおありなのではないでしょうか。たとえば本であるとか、歌であるとか。
あるいは、この人に会うと元気づけられるということもあるでしょうし、ある場所に行くと勇気がわいてくるということもあるでしょう。
一つだけと限ったわけでもないと思います。わたしの場合もいろいろ当てはまるものがあります。たとえば「木に学べ」の西岡常一さんの聞き語りCDや「リト ル・トリー」。隆慶一郎さんの時代小説も元気を与えてくれます。元気の出てくる飲み友達もいます。また、山を歩いていると、下界のことなどどうでもよく なってきます。
2012年4月5日木曜日
旧暦3/15 原級留置、いわゆる留年
垂渓庵です。
わたしの住まいする大阪府では見直すべきだという議論が起こっているが、これまでのところ、中学までは欠席が多かろうが成績が悪かろうが、年度が変われば生徒は原則として自動的に進級してきた。しかし、高校はそうはいかない。欠席日数や成績に縛りが設けられていて、必要な要件を満たさなければ進級することはできない。わたしの勤務校でもそれは同じだ。昨年度も進級に必要な単位をとれなかった生徒が一人原級留置となった。
わたしの住まいする大阪府では見直すべきだという議論が起こっているが、これまでのところ、中学までは欠席が多かろうが成績が悪かろうが、年度が変われば生徒は原則として自動的に進級してきた。しかし、高校はそうはいかない。欠席日数や成績に縛りが設けられていて、必要な要件を満たさなければ進級することはできない。わたしの勤務校でもそれは同じだ。昨年度も進級に必要な単位をとれなかった生徒が一人原級留置となった。
2012年4月4日水曜日
旧暦3/14 再掲 ブーム到来?
垂渓庵です。
これは今年の2月に更新したもの。ごく最近の記事だ。この困った人の作品が近々発行される雑誌にどのような形で載るのかは不明だ。載らなくてもいいのではないかと思わなくもない。わたしの作品は相も変わらず川柳らしくないけれど、下に載せたタケトさんの句と比べれば屁でもない。やはりタケトさんはすごい。
以下本文
垂渓庵です。
また文体をいじってみよう。
同僚の間で川柳ブームが到来しつつある。新たに何人かが川柳を始めそうなのだ。超局地的で小規模ではあるが、あえてブームと言いたいと思う。
大学の先輩で同僚でもあるKさんは、学生の頃から句作を続けている。御年五十余歳にして柳歴すでに四十年。仕事をリタイアするあたりから句を作りだす方が多い中、川柳界では若手に属するのだが、すでに大ベテランである。現代川柳界の巨人橘高薫風に師事したその句は精妙不可思議。川柳とはこんなものという先入観を軽く打ち壊す句を作る人だ。次代のホープと言っていいだろう。
これは今年の2月に更新したもの。ごく最近の記事だ。この困った人の作品が近々発行される雑誌にどのような形で載るのかは不明だ。載らなくてもいいのではないかと思わなくもない。わたしの作品は相も変わらず川柳らしくないけれど、下に載せたタケトさんの句と比べれば屁でもない。やはりタケトさんはすごい。
以下本文
垂渓庵です。
また文体をいじってみよう。
同僚の間で川柳ブームが到来しつつある。新たに何人かが川柳を始めそうなのだ。超局地的で小規模ではあるが、あえてブームと言いたいと思う。
大学の先輩で同僚でもあるKさんは、学生の頃から句作を続けている。御年五十余歳にして柳歴すでに四十年。仕事をリタイアするあたりから句を作りだす方が多い中、川柳界では若手に属するのだが、すでに大ベテランである。現代川柳界の巨人橘高薫風に師事したその句は精妙不可思議。川柳とはこんなものという先入観を軽く打ち壊す句を作る人だ。次代のホープと言っていいだろう。
旧暦3/14 再掲 年が明けたとスマヌスマヌと川柳
垂渓庵です。
これは今年の1月に公開したばかりだ。 やはり句のわけのわからなさは健在だ。「水たまり」の句は類想句をどこかで見たような気がしてずっと気になっている。どこでだったんだろうか。句作りを続けていくといずれまた似たようなことがあるんだろうな。
以下本文
垂渓庵です。
年が明けた。去年を総括してみるに、修学旅行や体調不良などで後半がけっこうきつかったかもしれない。ブログの更新も不定期になってしまったし。修学旅行も終わり、体調も戻ったので、今年はぜひそんなことがないようにしたいと思う。
それと、去年の年末の記事が書きかけのままでアップされてしまっていた。スマヌスマヌ。記事を完成させて再アップしました。よければ御覧下さい。
さて、先月某所に掲載された川柳をお目にかけよう。
これは今年の1月に公開したばかりだ。 やはり句のわけのわからなさは健在だ。「水たまり」の句は類想句をどこかで見たような気がしてずっと気になっている。どこでだったんだろうか。句作りを続けていくといずれまた似たようなことがあるんだろうな。
以下本文
垂渓庵です。
年が明けた。去年を総括してみるに、修学旅行や体調不良などで後半がけっこうきつかったかもしれない。ブログの更新も不定期になってしまったし。修学旅行も終わり、体調も戻ったので、今年はぜひそんなことがないようにしたいと思う。
それと、去年の年末の記事が書きかけのままでアップされてしまっていた。スマヌスマヌ。記事を完成させて再アップしました。よければ御覧下さい。
さて、先月某所に掲載された川柳をお目にかけよう。
旧暦3/14 再掲 近作
垂渓庵です。
これは去年の11月に公開した。一連の修学旅行の記事というのは今回は省略。いつか機会があれば紹介したいと思う。修学旅行は主担だったため、帰阪後どうも脱力感がなかなか抜けなかった。というわけで、若干お茶を濁した的な記事になっている。
以下本文
垂渓庵です。
以前書いた川柳の句作り。まだしこしこと継続中だ。
先週一連の記事にした修学旅行中にも多少は作った。今回はそれをご紹介しよう。と言っても、なかなか落ち着いて句を作る時間をとれなかったので、数は少ない。
サトウキビ富士の樹海よりも深し
あるだけの花で飾らん壕の中
今日だけは横死した人によりそわん
壕の闇ケースに入れて持ち帰る
壕の闇死者の悲しみ荘厳す
仰ぎ見る青空闇の残滓あり
スーサイドクリフ陽光のもとただ静か
語り継ぐひめゆり身じろがぬ生徒
平和学習の後、ホテルで作った句だ。サトウキビの句のみ浮いたような感じになっているが、これは宮古島での実感を句にしたもの。あとは平和学習を踏まえた 句だ。生徒の身に成り代わった感じか。宿泊行事中に詠んだものはそうなることが多い。もう少し時間をおいて、旅行を振り返る句を作ってみようかな。
これは去年の11月に公開した。一連の修学旅行の記事というのは今回は省略。いつか機会があれば紹介したいと思う。修学旅行は主担だったため、帰阪後どうも脱力感がなかなか抜けなかった。というわけで、若干お茶を濁した的な記事になっている。
以下本文
垂渓庵です。
以前書いた川柳の句作り。まだしこしこと継続中だ。
先週一連の記事にした修学旅行中にも多少は作った。今回はそれをご紹介しよう。と言っても、なかなか落ち着いて句を作る時間をとれなかったので、数は少ない。
サトウキビ富士の樹海よりも深し
あるだけの花で飾らん壕の中
今日だけは横死した人によりそわん
壕の闇ケースに入れて持ち帰る
壕の闇死者の悲しみ荘厳す
仰ぎ見る青空闇の残滓あり
スーサイドクリフ陽光のもとただ静か
語り継ぐひめゆり身じろがぬ生徒
平和学習の後、ホテルで作った句だ。サトウキビの句のみ浮いたような感じになっているが、これは宮古島での実感を句にしたもの。あとは平和学習を踏まえた 句だ。生徒の身に成り代わった感じか。宿泊行事中に詠んだものはそうなることが多い。もう少し時間をおいて、旅行を振り返る句を作ってみようかな。
旧暦3/14 再掲 残念!
垂渓庵です。
これは去年の9月に公開した。正直に言ってベスト20に残ったのは予想外だった。変化球を一つぐらい混ぜておいてもいいか、というようなことだったのではないかと想像している。何にしても一区でも多くを選んでもらえるように精進精進。二本立てのもう一本は省略。月4本のノルマをクリアするための苦肉の策だったと思う。
以下本文
垂渓庵です。
今日は二本立てでいってみたいと思う。
ちょっと前に書いたように思うけれど、おれは最近毎月とある柳誌に川柳を投句している。こないだ年間に投句した自分のベスト五句を選んで送るコンテストみたいなのがあった。
これは去年の9月に公開した。正直に言ってベスト20に残ったのは予想外だった。変化球を一つぐらい混ぜておいてもいいか、というようなことだったのではないかと想像している。何にしても一区でも多くを選んでもらえるように精進精進。二本立てのもう一本は省略。月4本のノルマをクリアするための苦肉の策だったと思う。
以下本文
垂渓庵です。
今日は二本立てでいってみたいと思う。
ちょっと前に書いたように思うけれど、おれは最近毎月とある柳誌に川柳を投句している。こないだ年間に投句した自分のベスト五句を選んで送るコンテストみたいなのがあった。
旧暦3/14 再掲 柳人気分
垂渓庵です。
これは去年の6月に公開したもの。こうやって自分の作った川柳関係の記事を集めて眺めてみると、やっぱり変な句を作っているなあと思う。川柳誌を眺めてみても、いわゆる川柳のイメージを逸脱した句を作っている人はそれほど多くはない。いつもいいのかなあと思いながら投句している。
以下本文
垂渓庵です。
最近、川柳を作っている。と言っても、以前から機会あるごとに作ってはいた。が、それはスペシャルな取り組みだった。引率で宿泊行事に行ったり、生徒に川柳大会の応募用の句を作らせる際についでに作ったり、と。ここのところの作句は違う。某誌に投句するために、毎月定期的に句を作っているのだ。気分は柳人である。
それで上達したかというと、?だけれど、句を作るのはけっこう面白い。数ヶ月の間に延べで百句以上は作ったろう。その中で、幸いなことに某欄に採用された句をいくつか紹介してみよう。
これは去年の6月に公開したもの。こうやって自分の作った川柳関係の記事を集めて眺めてみると、やっぱり変な句を作っているなあと思う。川柳誌を眺めてみても、いわゆる川柳のイメージを逸脱した句を作っている人はそれほど多くはない。いつもいいのかなあと思いながら投句している。
以下本文
垂渓庵です。
最近、川柳を作っている。と言っても、以前から機会あるごとに作ってはいた。が、それはスペシャルな取り組みだった。引率で宿泊行事に行ったり、生徒に川柳大会の応募用の句を作らせる際についでに作ったり、と。ここのところの作句は違う。某誌に投句するために、毎月定期的に句を作っているのだ。気分は柳人である。
それで上達したかというと、?だけれど、句を作るのはけっこう面白い。数ヶ月の間に延べで百句以上は作ったろう。その中で、幸いなことに某欄に採用された句をいくつか紹介してみよう。
旧暦3/14 再掲 旅中吟?
垂渓庵です。
これは2009年3月に公開した。この時は本格的に句を作るというよりは、試しに作ってみたという感じだ。スキー合宿は、教員の待機時間がやたらに長い。そのつれづれに少し遊んでみたというところか。薫風さんの作品の後に自作を並べるのは気が引けるけれど、勢いで紹介してしまうことにする。スキー合宿の様子を書いた記事は今回は紹介を見送った。いずれ機会があればここに紹介してもいいかと考えている。
以下本文
先週から今週にかけて引率でスキーに行ってきました。
寒かったです。
グレゴール・ザムザならぬミズコール・サムサでした。
という極北級のギャグよりも寒かったです。
これは2009年3月に公開した。この時は本格的に句を作るというよりは、試しに作ってみたという感じだ。スキー合宿は、教員の待機時間がやたらに長い。そのつれづれに少し遊んでみたというところか。薫風さんの作品の後に自作を並べるのは気が引けるけれど、勢いで紹介してしまうことにする。スキー合宿の様子を書いた記事は今回は紹介を見送った。いずれ機会があればここに紹介してもいいかと考えている。
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先週から今週にかけて引率でスキーに行ってきました。
寒かったです。
グレゴール・ザムザならぬミズコール・サムサでした。
という極北級のギャグよりも寒かったです。
旧暦3/14 再掲 薫る風──橘高薫風讃
垂渓庵です。
2008年3月に公開したもの。一昨年の秋ぐらいから川柳を作り出している。今から振り返ってみれば、ここに書いた薫風さんの叙勲記念川柳大会に出席したのが遠い縁となっている。薫風さんの川柳は、川柳の通念を軽々と飛び越えていると思う。今日は川柳関係の記事をアップしようと思う。全部で7本。大盤振る舞いだ。
以下本文
垂渓庵です。
風が薫るのは五月なわけですが、今は三月。暦の上では春とはいえ、まだまだ寒いです。この時期、風が薫るのを感じるにはどうすればいいでしょうか。
海外へ脱出する、薫る風の成分を分析して科学的に合成してエアコンから噴霧する、などなどの方法が考えられますが、いずれも面倒です。わたしならもっと簡単に風が薫るのを感じることが出来ます。
2008年3月に公開したもの。一昨年の秋ぐらいから川柳を作り出している。今から振り返ってみれば、ここに書いた薫風さんの叙勲記念川柳大会に出席したのが遠い縁となっている。薫風さんの川柳は、川柳の通念を軽々と飛び越えていると思う。今日は川柳関係の記事をアップしようと思う。全部で7本。大盤振る舞いだ。
以下本文
垂渓庵です。
風が薫るのは五月なわけですが、今は三月。暦の上では春とはいえ、まだまだ寒いです。この時期、風が薫るのを感じるにはどうすればいいでしょうか。
海外へ脱出する、薫る風の成分を分析して科学的に合成してエアコンから噴霧する、などなどの方法が考えられますが、いずれも面倒です。わたしならもっと簡単に風が薫るのを感じることが出来ます。
2012年4月3日火曜日
旧暦3/13 再掲 プロスロギオン
垂渓庵です。
これも2008年8月に公開した。こういうものを読むのは実はあまり嫌いではない。もっとも、日常的に手に取るわけではないけれど。「ユニークな倫理の先生」についての記事は今回は省略したが、ほんとにユニークな人だった。哲学に興味を持つようになったのは、確実にあの人の影響だ。
以下本文
垂渓庵です。
今日は旧暦の七夕です。が、今回はそれに相応しい風流な話題では全然ありません。どちらかというと、暑さを亢進させるような話です。耽読翫市はあなたを忍耐力の限界にいざないます。
これも2008年8月に公開した。こういうものを読むのは実はあまり嫌いではない。もっとも、日常的に手に取るわけではないけれど。「ユニークな倫理の先生」についての記事は今回は省略したが、ほんとにユニークな人だった。哲学に興味を持つようになったのは、確実にあの人の影響だ。
以下本文
垂渓庵です。
今日は旧暦の七夕です。が、今回はそれに相応しい風流な話題では全然ありません。どちらかというと、暑さを亢進させるような話です。耽読翫市はあなたを忍耐力の限界にいざないます。
旧暦3/13 再掲 異議申し立て
垂渓庵です。
これは2008年8月に公開したもの。ソルジェニーツィンの死を受けて、レギュラー更新ではなく、「臨時便」として公開したのだった。彼のその後に触れるドキュメンタリーが去年BSで放映されていたはずだ。初めて「収容所群島」を読んだ頃は、過去の人という意識でいたが、死ぬ直前まで現在の人であり続けたのだと、そのドキュメンタリーを見て知った。あらためて合掌。
以下本文
垂渓庵です。
本の中にはとても重いものがあります。重量ではありません。内容が、です。あまりにも悲惨な事実を告げるものや、人間性の闇を白日の下にさらすものがいわゆる重い本になるかと思います。
これは2008年8月に公開したもの。ソルジェニーツィンの死を受けて、レギュラー更新ではなく、「臨時便」として公開したのだった。彼のその後に触れるドキュメンタリーが去年BSで放映されていたはずだ。初めて「収容所群島」を読んだ頃は、過去の人という意識でいたが、死ぬ直前まで現在の人であり続けたのだと、そのドキュメンタリーを見て知った。あらためて合掌。
以下本文
垂渓庵です。
本の中にはとても重いものがあります。重量ではありません。内容が、です。あまりにも悲惨な事実を告げるものや、人間性の闇を白日の下にさらすものがいわゆる重い本になるかと思います。
2012年4月2日月曜日
旧暦3/12 再掲 灯りまたたく黒門町に
垂渓庵です。
これは2008年7月に公開した。ニイミという友人はこういう古いものに強い。ごくたまに顔を合わせた時は、この手の古い話題で盛り上がることになる。何年か前にコンビニでウルトラマンのフィギュアが売られていると教えてくれたのも彼だ。それからせっせと買い求め、ダブっているものを交換したりしたのだったか。得難い友人の一人である。
以下本文
これは2008年7月に公開した。ニイミという友人はこういう古いものに強い。ごくたまに顔を合わせた時は、この手の古い話題で盛り上がることになる。何年か前にコンビニでウルトラマンのフィギュアが売られていると教えてくれたのも彼だ。それからせっせと買い求め、ダブっているものを交換したりしたのだったか。得難い友人の一人である。
以下本文
垂渓庵です。
わたしは昭和四十年代に少年時代を送りました。外で遊び回ることが多かったですが、テレビも嫌いではありませんでした。印象に残っている番組やテレビCMもいくつかあります。たとえば次のようなの。みなさんはご存じでしょうか。
わたしは昭和四十年代に少年時代を送りました。外で遊び回ることが多かったですが、テレビも嫌いではありませんでした。印象に残っている番組やテレビCMもいくつかあります。たとえば次のようなの。みなさんはご存じでしょうか。
旧暦3/12 再掲 木を植えた男たち
垂渓庵です。
これは2008年6月に公開した。『木を植えた男』はご覧になった方も多いことだろう。『星になったチロ』は、それほどメジャーではないかもしれない。でも、わたしの少年時代の星好きには有名だった。と思う。わたしが見つけたのはこの二つの話のつながりだけれど、世界中にこんな人たちがいるのではないかという気がする。
以下本文。
垂渓庵です。
『木を植えた男』というアニメーションがあります。吹き替え版は三國連太郎さんが語りを担当しています。もとはフランスの作家ジャン・ジオノの短編をフレデリック・バックがアニメ化しました。
ご存じない方のためにあらすじを説明しましょう。
語り手が、徒歩旅行中に木などが生えていない不毛の山地を通りかかりました。その土地に住む人々の心も荒れすさんでいました。そこに一人の羊飼いがいまし た。彼は荒れ果てた大地にたった一人で木を植え続けていました。彼は黙々と木を植え続けたのです。大きな戦争をはさんで、語り手が再びその地を訪れてみる と、そこは木々の生い茂る楽園のような地になっていました。
わたしは大学生のころにこのアニメを見てけっこう感動したのですが、今回はこの作品の魅力について語りたいのではありません。上のあらすじを念頭に置いて、次の話を読んで下さい。
これは2008年6月に公開した。『木を植えた男』はご覧になった方も多いことだろう。『星になったチロ』は、それほどメジャーではないかもしれない。でも、わたしの少年時代の星好きには有名だった。と思う。わたしが見つけたのはこの二つの話のつながりだけれど、世界中にこんな人たちがいるのではないかという気がする。
以下本文。
垂渓庵です。
『木を植えた男』というアニメーションがあります。吹き替え版は三國連太郎さんが語りを担当しています。もとはフランスの作家ジャン・ジオノの短編をフレデリック・バックがアニメ化しました。
ご存じない方のためにあらすじを説明しましょう。
語り手が、徒歩旅行中に木などが生えていない不毛の山地を通りかかりました。その土地に住む人々の心も荒れすさんでいました。そこに一人の羊飼いがいまし た。彼は荒れ果てた大地にたった一人で木を植え続けていました。彼は黙々と木を植え続けたのです。大きな戦争をはさんで、語り手が再びその地を訪れてみる と、そこは木々の生い茂る楽園のような地になっていました。
わたしは大学生のころにこのアニメを見てけっこう感動したのですが、今回はこの作品の魅力について語りたいのではありません。上のあらすじを念頭に置いて、次の話を読んで下さい。
2012年4月1日日曜日
旧暦3/11 再掲 WIPE AWAY ALL YOUR TEARS
垂渓庵です。
これは2008年8月に公開した。わたしはガンダムももちろん好きだし、その作品性の高さも十二分に評価しているけれど、バイファムとどちらが好きかと言われると、文句なしにバイファムだ。どうも最近はこういうストレートな作品が減っているような気がする。
以下本文
これは2008年8月に公開した。わたしはガンダムももちろん好きだし、その作品性の高さも十二分に評価しているけれど、バイファムとどちらが好きかと言われると、文句なしにバイファムだ。どうも最近はこういうストレートな作品が減っているような気がする。
以下本文
垂渓庵です。
タイトルを見て、おっと思った方は、わたしと同世代でなおかつロボットアニメファンだったに違いありません。
ついでにアウシタンだったとしてもわたしは驚きません。望むところです。
そのあたりのことを書くと長くなるので省略しますが。
で、このタイトル、とある作品のオープニング曲の一節なのですが、何のオープニングだったかわかりますか?
タイトルを見て、おっと思った方は、わたしと同世代でなおかつロボットアニメファンだったに違いありません。
ついでにアウシタンだったとしてもわたしは驚きません。望むところです。
そのあたりのことを書くと長くなるので省略しますが。
で、このタイトル、とある作品のオープニング曲の一節なのですが、何のオープニングだったかわかりますか?
旧暦3/11 再掲 圧縮と解凍
垂渓庵です。
これは2008年5月に公開した。コンピュータ用語は他にも奇妙なものがあるかもしれないと思いながら、そのままほったらかしてある。自動詞と他動詞の組み合わせについては、他にもいくつか例を拾っていて、訂正が必要かなとおもう部分がないでもないけれど、そのままにしてある。いずれ補訂しないといけないかな。
以下本文
垂渓庵です。
パソコンでファイルのやりとりをする際に、圧縮、解凍を行うことがあります。その際にはLHASAのような圧縮・解凍ソフトを用いるわけですね。仕組みがわからないながら、便利なので日常的に使っているのですが、あの「圧縮」と「解凍」ということば、落ちついて考えてみるとちょっと妙なところがあります。
これは2008年5月に公開した。コンピュータ用語は他にも奇妙なものがあるかもしれないと思いながら、そのままほったらかしてある。自動詞と他動詞の組み合わせについては、他にもいくつか例を拾っていて、訂正が必要かなとおもう部分がないでもないけれど、そのままにしてある。いずれ補訂しないといけないかな。
以下本文
垂渓庵です。
パソコンでファイルのやりとりをする際に、圧縮、解凍を行うことがあります。その際にはLHASAのような圧縮・解凍ソフトを用いるわけですね。仕組みがわからないながら、便利なので日常的に使っているのですが、あの「圧縮」と「解凍」ということば、落ちついて考えてみるとちょっと妙なところがあります。
2012年3月31日土曜日
旧暦3/10 再掲 アプライル
垂渓庵です。
これは2008年4月に公開した。そんな学生おるかいと思われるかもしれないが、いたのである。当事者が言うのだから間違いない。わたしが通っていた大学は、関西ではそこそこ名が通っている。と思う。
ところで、明日からは四月になるけれど、紹介していない記事がまだだいぶある。というわけで、明日以降も過去の記事を紹介しつつ、新しい記事も書いていくことにしたい。新しい記事は基本的には木曜更新の予定だ。
以下本文
垂渓庵です。
むかしむかしあるところに、思いもよらず大学に合格できた青年がおりました。
彼は合格発表があってからというもの、ひたすら遊びほうけておりました。
遊びにもいろいろあります。彼の遊びは地味なものでした。
ずっと我慢していた読書をし、やはり我慢していたテレビを見ていたのです。
そうそう、旭○書店や紀伊国○書店などにもしょっちゅう出没していました。
どちらもそのころは大阪で指折りの大規模書店でした。
彼は書店を巡り歩いては本を買い込み、それを読む、という生活を送ったのです。
読書に疲れたときはテレビ。どちらも目によくありません。
その後、かれは眼精疲労が原因でとんでもない頭痛に見舞われることになります。
しかし、その話はいまは置いておきましょう。
とにかく彼は存分に羽根をのばしまくりました。
それはそれは楽しい毎日を送ったのです。
そんな彼にも大学生として授業を受ける日がやってきました。
その時……。
これは2008年4月に公開した。そんな学生おるかいと思われるかもしれないが、いたのである。当事者が言うのだから間違いない。わたしが通っていた大学は、関西ではそこそこ名が通っている。と思う。
ところで、明日からは四月になるけれど、紹介していない記事がまだだいぶある。というわけで、明日以降も過去の記事を紹介しつつ、新しい記事も書いていくことにしたい。新しい記事は基本的には木曜更新の予定だ。
以下本文
垂渓庵です。
むかしむかしあるところに、思いもよらず大学に合格できた青年がおりました。
彼は合格発表があってからというもの、ひたすら遊びほうけておりました。
遊びにもいろいろあります。彼の遊びは地味なものでした。
ずっと我慢していた読書をし、やはり我慢していたテレビを見ていたのです。
そうそう、旭○書店や紀伊国○書店などにもしょっちゅう出没していました。
どちらもそのころは大阪で指折りの大規模書店でした。
彼は書店を巡り歩いては本を買い込み、それを読む、という生活を送ったのです。
読書に疲れたときはテレビ。どちらも目によくありません。
その後、かれは眼精疲労が原因でとんでもない頭痛に見舞われることになります。
しかし、その話はいまは置いておきましょう。
とにかく彼は存分に羽根をのばしまくりました。
それはそれは楽しい毎日を送ったのです。
そんな彼にも大学生として授業を受ける日がやってきました。
その時……。
旧暦3/10 再掲 I HAVE A DREAM
垂渓庵です。
これは2008年8年5月に公開した。もともと中国でのチベット人や少数民族への非人道的な迫害には反感を持っていたのだけれど、大マスコミには報道されなかった聖火リレー時の破廉恥な振る舞いに対して抗議せねばならないという気持ちになった。初代「耽読翫市」はZ会のサイト内で更新させてもらっており、直接的な表現をとるのは憚られたので、ここに見るように間接的な表現になった。
以下本文
垂渓庵です。今日は定期更新以外の臨時便です。
いよいよ暦の上では夏に入ろうとしています。これからどんどん暑くなっていくのでしょうね。
さて、先日長野で聖火リレーが行われました。ネット上にはこんなページがあり、この記述を信用するなら、マスコミで報道される以上に緊張が高まっていたようです。
が、今回の話題は聖火リレーとは直接関係ありません。チベットやモンゴルに関するわたしの夢を巡るお話です。
これは2008年8年5月に公開した。もともと中国でのチベット人や少数民族への非人道的な迫害には反感を持っていたのだけれど、大マスコミには報道されなかった聖火リレー時の破廉恥な振る舞いに対して抗議せねばならないという気持ちになった。初代「耽読翫市」はZ会のサイト内で更新させてもらっており、直接的な表現をとるのは憚られたので、ここに見るように間接的な表現になった。
以下本文
垂渓庵です。今日は定期更新以外の臨時便です。
いよいよ暦の上では夏に入ろうとしています。これからどんどん暑くなっていくのでしょうね。
さて、先日長野で聖火リレーが行われました。ネット上にはこんなページがあり、この記述を信用するなら、マスコミで報道される以上に緊張が高まっていたようです。
が、今回の話題は聖火リレーとは直接関係ありません。チベットやモンゴルに関するわたしの夢を巡るお話です。
2012年3月30日金曜日
旧暦3/9 再掲 王様──・エピグラフ
垂渓庵です。
これも2008年3月に公開した。ローレンツには一時はまった。日本で出版された彼の本は、全てとは言わないまでも、かなりのところまで持っている。フリッシュも同じ。ティンバーゲンの本は漏れがいくつかある。今となってはどれも内容的には古いのだろうが、読み物としては面白いと思う。それにしてもエビピラフとは極北級のだじゃれだなあ。
以下本文
垂渓庵です。
前回はエピグラフについて少し考えてみました。あまり感心しない例しか作ることができませんでしたが(--)今回は口直しにかっこいいエピグラフをご紹介しましょう。とりあげるのは、コンラート・ローレンツの著作です。
ローレンツは前世紀に活躍した動物行動学者です。今や過去の人になりつつありますから、ご存じない方も多いかも知れません。あるいは、『ソロモンの指環』あたりを懐かしく思い出すとか。二十数年前には、彼の本も何冊も出ていたのですが。
あのころはまだ時おり新刊も出版されていました。それが今ではこんな感じです。などと慨嘆していても仕方がありません。先に進みましょう。彼については、ひよこなどの刷り込みを発見した人と言えば、どんな人か多少はイメージしてもらえるでしょうか。
これも2008年3月に公開した。ローレンツには一時はまった。日本で出版された彼の本は、全てとは言わないまでも、かなりのところまで持っている。フリッシュも同じ。ティンバーゲンの本は漏れがいくつかある。今となってはどれも内容的には古いのだろうが、読み物としては面白いと思う。それにしてもエビピラフとは極北級のだじゃれだなあ。
以下本文
垂渓庵です。
前回はエピグラフについて少し考えてみました。あまり感心しない例しか作ることができませんでしたが(--)今回は口直しにかっこいいエピグラフをご紹介しましょう。とりあげるのは、コンラート・ローレンツの著作です。
ローレンツは前世紀に活躍した動物行動学者です。今や過去の人になりつつありますから、ご存じない方も多いかも知れません。あるいは、『ソロモンの指環』あたりを懐かしく思い出すとか。二十数年前には、彼の本も何冊も出ていたのですが。
あのころはまだ時おり新刊も出版されていました。それが今ではこんな感じです。などと慨嘆していても仕方がありません。先に進みましょう。彼については、ひよこなどの刷り込みを発見した人と言えば、どんな人か多少はイメージしてもらえるでしょうか。
旧暦3/9 再掲 エピグラフ
垂渓庵です。
これは2008年3月に公開した。我ながら変化球的な内容だと思う。これからもそういうところは変わらないんじゃないか。石毛さんの本はかなり昔に読んだ。自分の中で梅棹忠夫ブームが来ていたころだったか。アナトール・フランスから引用したのは、たまたまこの頃読んでいたから。
以下本文
垂渓庵です。
エピグラフとは、小説などの始めに置かれている題辞や引用句を言います。作品全体のはじめに置かれていることもあれば、章のはじめごとに置かれていることもあります。たとえば、堀辰雄の「風立ちぬ」では、作品の冒頭に、
風たちぬ 我生きめやも
というポール・ヴァレリーの詩が原文で掲げられています。堀辰雄はヴァレリーの詩にインスパイアされて『風立ちぬ』を書いたのでしょうか。何やらエピグラフを使うと高級な香りが漂い出しますね。
さっそく試してみましょう。たとえばわたしのこのブログ。言わずもがなのことばかり書いているわけですが、その始めに次のようなエピグラフがあったとしたら…。
これは2008年3月に公開した。我ながら変化球的な内容だと思う。これからもそういうところは変わらないんじゃないか。石毛さんの本はかなり昔に読んだ。自分の中で梅棹忠夫ブームが来ていたころだったか。アナトール・フランスから引用したのは、たまたまこの頃読んでいたから。
以下本文
垂渓庵です。
エピグラフとは、小説などの始めに置かれている題辞や引用句を言います。作品全体のはじめに置かれていることもあれば、章のはじめごとに置かれていることもあります。たとえば、堀辰雄の「風立ちぬ」では、作品の冒頭に、
風たちぬ 我生きめやも
というポール・ヴァレリーの詩が原文で掲げられています。堀辰雄はヴァレリーの詩にインスパイアされて『風立ちぬ』を書いたのでしょうか。何やらエピグラフを使うと高級な香りが漂い出しますね。
さっそく試してみましょう。たとえばわたしのこのブログ。言わずもがなのことばかり書いているわけですが、その始めに次のようなエピグラフがあったとしたら…。
旧暦3/9 再掲 ひろあきくん
垂渓庵です。
これは2007年3月に公開したもの。初代「耽読翫市」最初期のころの記事。もともとここに紹介するつもりはなかったのだけれど、次の記事との兼ね合いで載せた。ほんとの名前は「ひろあき」 君ではなかったが、仮名にしたのだった。本欄では時折記事にはそういう虚構を織り交ぜることがある。今日は三本公開予定です。
以下本文
中学や高校の教員は教科に関わる研究会に参加することがあります。地方の大会でも、興味のある研究発表が行われるときには、泊まりがけで出かけたりもします。
これは四年ほど前にわたしが出雲・松江方面の大会に出かけたときの話です。
わたしは夕食を食べる場所を探していました。旅行ガイドに載るようなしゃれた店は苦手で、ごく当たり前の居酒屋さんのような店の方が落ちつきます。結局、選んだのは盛り場の端っこにある居酒屋でした。五十代と思しいおかあさんが一人でやっている小さな店です。
お客はわたしも含めて三、四人。カウンターで近くの飲み屋のマスターが飲んでいました。少し話をした後、マスターは店を開けなきゃと言って出て行きました。おかあさんを相手に何やかやと話しているうちに、だれもいなくなりました。
さあ、帰るかと思っていると、小学校二~三年ぐらいの男の子が奥から出てきて、おかあさんと二言三言ことばを交わした後、トイレに入っていきました。
これは2007年3月に公開したもの。初代「耽読翫市」最初期のころの記事。もともとここに紹介するつもりはなかったのだけれど、次の記事との兼ね合いで載せた。ほんとの名前は「ひろあき」 君ではなかったが、仮名にしたのだった。本欄では時折記事にはそういう虚構を織り交ぜることがある。今日は三本公開予定です。
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中学や高校の教員は教科に関わる研究会に参加することがあります。地方の大会でも、興味のある研究発表が行われるときには、泊まりがけで出かけたりもします。
これは四年ほど前にわたしが出雲・松江方面の大会に出かけたときの話です。
わたしは夕食を食べる場所を探していました。旅行ガイドに載るようなしゃれた店は苦手で、ごく当たり前の居酒屋さんのような店の方が落ちつきます。結局、選んだのは盛り場の端っこにある居酒屋でした。五十代と思しいおかあさんが一人でやっている小さな店です。
お客はわたしも含めて三、四人。カウンターで近くの飲み屋のマスターが飲んでいました。少し話をした後、マスターは店を開けなきゃと言って出て行きました。おかあさんを相手に何やかやと話しているうちに、だれもいなくなりました。
さあ、帰るかと思っていると、小学校二~三年ぐらいの男の子が奥から出てきて、おかあさんと二言三言ことばを交わした後、トイレに入っていきました。
2012年3月29日木曜日
旧暦3/8 また来週と和歌はわからん4
垂渓庵です。
これは元サイトと同日公開だ。くどいようだけれど、あくまでも元のブログの更新が今日で終わりなのであって、今日で本ブログが終わるわけではない。本ブログのみの特典──ほんとうに特典か?──として、「和歌はわからんシリーズ」の新作を併載した。お楽しみいただければ幸いだ。なお、今日は30分刻みで「和歌はわからんシリーズ」全4本をコメント付きで順に公開した。そちらもお楽しみいただければと思う。
以下本文
垂渓庵です。
さて、今回でこのブログも最後の更新となった。思えばまる五年、好きなことを書き連ねてきた。時にはZ会的にはいかがなものかと思われる記事もあったことだろうが、思うままに書かせていただき、感謝の言葉もない。
昨日も書いたように、今後は、「耽読翫市─もと太鼓打ちのブログ」に活動の場を移すが、毎週木曜日の記事の更新をめざしたいと思っている。これまで同様ご愛顧を賜ることができれば幸いだ。というわけで、さようならとは書かない。
最後にトリッキーな別れの和歌を一首ご紹介しよう。「和歌はわからん4」だ。
これは元サイトと同日公開だ。くどいようだけれど、あくまでも元のブログの更新が今日で終わりなのであって、今日で本ブログが終わるわけではない。本ブログのみの特典──ほんとうに特典か?──として、「和歌はわからんシリーズ」の新作を併載した。お楽しみいただければ幸いだ。なお、今日は30分刻みで「和歌はわからんシリーズ」全4本をコメント付きで順に公開した。そちらもお楽しみいただければと思う。
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垂渓庵です。
さて、今回でこのブログも最後の更新となった。思えばまる五年、好きなことを書き連ねてきた。時にはZ会的にはいかがなものかと思われる記事もあったことだろうが、思うままに書かせていただき、感謝の言葉もない。
昨日も書いたように、今後は、「耽読翫市─もと太鼓打ちのブログ」に活動の場を移すが、毎週木曜日の記事の更新をめざしたいと思っている。これまで同様ご愛顧を賜ることができれば幸いだ。というわけで、さようならとは書かない。
最後にトリッキーな別れの和歌を一首ご紹介しよう。「和歌はわからん4」だ。
旧暦3/8 再掲 和歌はわからん3──続・思ふ人思はぬ人を思ふ人
垂渓庵です。
これも2010年8月に公開した。今回読み返してみると、確かに元所長が難しいというのも分かる気がする。最後まで読み通せた人はどれぐらいいるのだろうか。
以下本文
前回の和歌、解釈はできたかな。
ではさっそく読解、いってみようか。
まずもう一度和歌を見ておこう。
思ふ人侍りける女に物のたうびけれど、
つれなかりければ遣はしける
思ふ人思はぬ人の思ふ人思はざらなん思ひ知るべく
詞書によれば、好きな男のいる女にアタックしてつれなくされた男が、さらにその女に贈った歌だった。
では、和歌の解釈。
旧暦3/8 再掲 和歌はわからん2──思ふ人思はぬ人の思ふ人
垂渓庵です。
これは2010年8月に公開した。それにしてもわかりにくい歌だ。こういう歌を解釈するのは嫌いではないけれど、時に面倒になる。この時も気持ちが折れそうになった。結局記述を二回に分けることになった。挙げ句の果てに元国語力研究所所長に難しすぎると言われてしまったのだった。むう。
以下本文
垂渓庵です。
満を持して始まった「和歌はわからん」シリーズ。
ちまたの受けはいいのか悪いのか。
今時、和歌なんて流行らないんじゃないかとは思うけれど、自分の興味の赴くままに突っ走るのが快感であったりもする。
というわけで、時代の流れとは無関係に、第二弾、とりあえず、いってみようか。
これは2010年8月に公開した。それにしてもわかりにくい歌だ。こういう歌を解釈するのは嫌いではないけれど、時に面倒になる。この時も気持ちが折れそうになった。結局記述を二回に分けることになった。挙げ句の果てに元国語力研究所所長に難しすぎると言われてしまったのだった。むう。
以下本文
垂渓庵です。
満を持して始まった「和歌はわからん」シリーズ。
ちまたの受けはいいのか悪いのか。
今時、和歌なんて流行らないんじゃないかとは思うけれど、自分の興味の赴くままに突っ走るのが快感であったりもする。
というわけで、時代の流れとは無関係に、第二弾、とりあえず、いってみようか。
旧暦3/8 再掲 和歌はわからん1──音にのみきくのしらつゆ
垂渓庵です。
これは2010年7月に公開した。授業でもよく使うきわめて技巧的な歌だ。それにしても、和歌の説明は難しい。意を尽くそうと思うと、どんどん記述が増えてしまう。
以下本文
垂渓庵です。
いよいよスタートした「和歌はわからん」。
はたしてどんな塩梅になるのか。
実はわたしが一番心もとなかったりする。
とりあえず、いってみようか。
さて、栄光の第一回はこの歌。
旧暦3/8 再掲 和歌はわからん0──前口上
垂渓庵です。
これは2010年7月に公開した。シリーズを始めるに当たっての前口上だけれど、最初の和歌はわからんの記事が間に合わなかったための苦し紛れだったような気がする。いかぬいかぬ。
以下本文
垂渓庵です。
「定信ったら」シリーズで江戸随筆に切り込み、「直球勝負」シリーズで現代文学を鋭くえぐる耽読翫市が、満を持して放つ新シリーズ! その名も「和歌はわからん」。
えーと、いきなり位負けしているようなシリーズ名ですが、文学史の王道たる和歌とがっぷり四つに取り組む本格的な和歌講釈シリーズとなる、はずです。
和歌の解釈はなかなかに難しいもの。そのためか、大学入試でも和歌そのものを正面から取り上げて出題されることはあまりないように思います。せいぜいが紀行文や物語文に出てくる和歌が、本文との関連で問題になるくらいでしょうか。
そんな和歌ですが、江戸時代ぐらいまでは、文学史の第一等の座を占め、連綿と作られ続けてきました。そこには厖大な詩的蓄積があります。それを知らずに終わってしまうのは、あまりにもったいない。マータイさんもがっかりです。
というわけで、和歌の面白さを少しでもお伝えすべく、当ブログでも上記シリーズを始めることにした次第。近々第一回をお送りできるかと思います。
どこまでうまくいくかはわかりませんが、乞うご期待。
あ、ひょっとしてZ会的にはおれにそんな内容のブログを求めてたのか? 気づくのが遅すぎだろ(--)
これは2010年7月に公開した。シリーズを始めるに当たっての前口上だけれど、最初の和歌はわからんの記事が間に合わなかったための苦し紛れだったような気がする。いかぬいかぬ。
以下本文
垂渓庵です。
「定信ったら」シリーズで江戸随筆に切り込み、「直球勝負」シリーズで現代文学を鋭くえぐる耽読翫市が、満を持して放つ新シリーズ! その名も「和歌はわからん」。
えーと、いきなり位負けしているようなシリーズ名ですが、文学史の王道たる和歌とがっぷり四つに取り組む本格的な和歌講釈シリーズとなる、はずです。
和歌の解釈はなかなかに難しいもの。そのためか、大学入試でも和歌そのものを正面から取り上げて出題されることはあまりないように思います。せいぜいが紀行文や物語文に出てくる和歌が、本文との関連で問題になるくらいでしょうか。
そんな和歌ですが、江戸時代ぐらいまでは、文学史の第一等の座を占め、連綿と作られ続けてきました。そこには厖大な詩的蓄積があります。それを知らずに終わってしまうのは、あまりにもったいない。マータイさんもがっかりです。
というわけで、和歌の面白さを少しでもお伝えすべく、当ブログでも上記シリーズを始めることにした次第。近々第一回をお送りできるかと思います。
どこまでうまくいくかはわかりませんが、乞うご期待。
あ、ひょっとしてZ会的にはおれにそんな内容のブログを求めてたのか? 気づくのが遅すぎだろ(--)
2012年3月28日水曜日
旧暦3/7 ためらい
垂渓庵です。
これは今日の朝に公開したもの。公開したてほやほやだ。前回は国語の成績を上げるのは可能か検証してみた。結論から言うと可能だと思うが、そのためには授業や補習などもそれ用に調整する必要がある。今のところその形で進めており、生徒の成績も比較的好調だ。しかし、それでいいのかと思わなくもない。今回はそこらへんについて記してみた。
以下本文
垂渓庵です。
本欄の更新もあと少し。現在お引っ越しの準備を進めている。とりあえず次の住み処をgoogleのbloggerというサービスを使って構築中だ。とりあえずは、耽読翫市─もと太鼓打ちのブログという名前のブログを立ち上げた。今はミラーサイトのような形で試験運用をしている。ご用とお急ぎでない方はそちらも覗いてみていただきたい。4月以降は、基本的には本欄と同じく毎週木曜の更新を予定している。
これは今日の朝に公開したもの。公開したてほやほやだ。前回は国語の成績を上げるのは可能か検証してみた。結論から言うと可能だと思うが、そのためには授業や補習などもそれ用に調整する必要がある。今のところその形で進めており、生徒の成績も比較的好調だ。しかし、それでいいのかと思わなくもない。今回はそこらへんについて記してみた。
以下本文
垂渓庵です。
本欄の更新もあと少し。現在お引っ越しの準備を進めている。とりあえず次の住み処をgoogleのbloggerというサービスを使って構築中だ。とりあえずは、耽読翫市─もと太鼓打ちのブログという名前のブログを立ち上げた。今はミラーサイトのような形で試験運用をしている。ご用とお急ぎでない方はそちらも覗いてみていただきたい。4月以降は、基本的には本欄と同じく毎週木曜の更新を予定している。
旧暦3/7 再掲 直球勝負3 未来の記憶
垂渓庵です。
これは2008年10月に公開した。この文章を最後に本シリーズは中断してしまった。まだまだ書きたい作家さんは何人もいる。今後、本欄で書き継いでいけたらと思う。そういえば、ホーガンも去年亡くなっているのだった。合掌。「わたしの文庫」の記事というのは、今回は省略してある。
以下本文
垂渓庵です。
好きな作家の第三弾です。
わたしはSF好きです。
今を去ること三十うん年前、幼少の砌のわたしが通う小学校の図書室には、SFを含む児童書のシリーズがいくつかあったようです。「くいしんぼうのロボット」や「生きている首」「合成怪物」などなどを読んだことを覚えています。
「くいしんぼうのロボット」は、ふるたあかねという少女が妙な世界に迷い込み、「ネカアタルフ」という名前になって活躍するという話でした。「合成怪物」は、脳だけにされた男が実験室で視覚や聴覚を持ったグロテスクな人工生命体を作り、陰謀をめぐらす組織の邪魔をしようとする話です。「生きている首」は「ドウエル教授の首」というベリャーエフの長編のジュブナイル版だったんでしょうか。文字通りドウエル教授の首から上が科学の力で生かされているという話です。
これは2008年10月に公開した。この文章を最後に本シリーズは中断してしまった。まだまだ書きたい作家さんは何人もいる。今後、本欄で書き継いでいけたらと思う。そういえば、ホーガンも去年亡くなっているのだった。合掌。「わたしの文庫」の記事というのは、今回は省略してある。
以下本文
垂渓庵です。
好きな作家の第三弾です。
わたしはSF好きです。
今を去ること三十うん年前、幼少の砌のわたしが通う小学校の図書室には、SFを含む児童書のシリーズがいくつかあったようです。「くいしんぼうのロボット」や「生きている首」「合成怪物」などなどを読んだことを覚えています。
「くいしんぼうのロボット」は、ふるたあかねという少女が妙な世界に迷い込み、「ネカアタルフ」という名前になって活躍するという話でした。「合成怪物」は、脳だけにされた男が実験室で視覚や聴覚を持ったグロテスクな人工生命体を作り、陰謀をめぐらす組織の邪魔をしようとする話です。「生きている首」は「ドウエル教授の首」というベリャーエフの長編のジュブナイル版だったんでしょうか。文字通りドウエル教授の首から上が科学の力で生かされているという話です。
旧暦3/7 再掲 直球勝負2.5 真・ユーモア・抒情
垂渓庵です。
これは2008年5月に公開した。「幻魔大戦」は、平井和正さんの人気シリーズだというのは書くまでもないか。北さんにはユーモアと叙情性を融合した作品をもっと書いてほしかった。改めて冥福を祈りたいと思う。
以下本文
垂渓庵です。
前回はとんでもなく長い前振りで終わってしまいました。
本題の北杜夫さんの話に入りましょう。というわけで、バージョン2.5です。ついでに表題に「真」の字をつけてみました。おお、幻魔大戦みたいだな、こりゃ。
では、まいります。
これは2008年5月に公開した。「幻魔大戦」は、平井和正さんの人気シリーズだというのは書くまでもないか。北さんにはユーモアと叙情性を融合した作品をもっと書いてほしかった。改めて冥福を祈りたいと思う。
以下本文
垂渓庵です。
前回はとんでもなく長い前振りで終わってしまいました。
本題の北杜夫さんの話に入りましょう。というわけで、バージョン2.5です。ついでに表題に「真」の字をつけてみました。おお、幻魔大戦みたいだな、こりゃ。
では、まいります。
旧暦3/7 再掲 直球勝負2.0 ユーモア・抒情
垂渓庵です。
これは2008年5月に公開した。前振りが長くて、結局次回の分と二回に分けた。いきあたりばったりに記事を書いていると、こういうことがよくある。北杜夫さんは去年亡くなった。最近はあまり北さんの本を読む機会もなかったけれど、やっぱり特別な作家の一人だ。とても残念だ。
以下本文
垂渓庵です。
今回は好きな作家の紹介その2です。
副題は「シーモア・序章」と似ていますが、サリンジャーではありません。
「ライ麦畑でつかまえて」を読んだぐらいですが、
サリンジャーはどちらかというと苦手な作家です。
なぜでしょうか。
あ、また話がいらぬ方向に逸れてしまいそうです。
閑話休題。好きな作家の紹介に戻りましょう。
好きな作家の二人目は、北杜夫さんです。
斎藤茂吉の息子にして、精神科のお医者さん。ついでに患者さん。
お兄さんも精神科のお医者さんで、エッセイストでした。
今は娘さんが文筆家として活躍中です。
ご本人はここ数年は新刊を出しておられないようです。
お加減でもお悪いのでしょうか。
これは2008年5月に公開した。前振りが長くて、結局次回の分と二回に分けた。いきあたりばったりに記事を書いていると、こういうことがよくある。北杜夫さんは去年亡くなった。最近はあまり北さんの本を読む機会もなかったけれど、やっぱり特別な作家の一人だ。とても残念だ。
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垂渓庵です。
今回は好きな作家の紹介その2です。
副題は「シーモア・序章」と似ていますが、サリンジャーではありません。
「ライ麦畑でつかまえて」を読んだぐらいですが、
サリンジャーはどちらかというと苦手な作家です。
なぜでしょうか。
あ、また話がいらぬ方向に逸れてしまいそうです。
閑話休題。好きな作家の紹介に戻りましょう。
好きな作家の二人目は、北杜夫さんです。
斎藤茂吉の息子にして、精神科のお医者さん。ついでに患者さん。
お兄さんも精神科のお医者さんで、エッセイストでした。
今は娘さんが文筆家として活躍中です。
ご本人はここ数年は新刊を出しておられないようです。
お加減でもお悪いのでしょうか。
旧暦3/7 再掲 直球勝負1 チェコの良心
垂渓庵です。
これは2008年2月に公開したもの。それまで公開した記事では本について変則的な形で述べるものが多かった。たまにはストレートに好きな作家について書いてみようと思って、「直球勝負」という名前をつけた。シリーズ化してはみたものの、「定信ったら」ほどには回を重ねられなかった。というわけで、今日はシリーズの全四本公開の予定。
以下本文
これは2008年2月に公開したもの。それまで公開した記事では本について変則的な形で述べるものが多かった。たまにはストレートに好きな作家について書いてみようと思って、「直球勝負」という名前をつけた。シリーズ化してはみたものの、「定信ったら」ほどには回を重ねられなかった。というわけで、今日はシリーズの全四本公開の予定。
以下本文
垂渓庵です。
本に関する話題をいくつか取り上げてきましたが、好きな本や作家をストレートに紹介するということをあまりしていませんでした。ここらでお気に入りの作家を何人か紹介してみることにします。今回はカレル・チャペックです。
本に関する話題をいくつか取り上げてきましたが、好きな本や作家をストレートに紹介するということをあまりしていませんでした。ここらでお気に入りの作家を何人か紹介してみることにします。今回はカレル・チャペックです。
2012年3月27日火曜日
旧暦3/6 再掲 松平定信の小ネタ──定信ったら11
垂渓庵です。
これは2009年9月に公開したもの。これで曲がりなりにも松平定信の「退閑雑記」から西洋の事物がらみの記事を抜粋したことになる。まだ細かいところでは抜けがないわけではないけれど、大きいものはこれで全てのはずだ。全体を眺め回してみると、やはり定信の知的好奇心にはあなどれないものがある。
最初の「木琴」を「器に水を蓄へ、その上に木を載せて打てば響き出るといふ」定信の記述は、どうやら合っている。『アフリカの音の世界』(塚田賢一著 新書館刊)によると、ギニアなど西アフリカのサバンナ地域には「水太鼓(ウオーター・ドラム)」というものがあるらしい(78-79ページ)。水を入れた大きめの容器にそれより少し小さめの容器をうつぶせに浮かべて叩くものだ。
適当な容器がなかったので、風呂で湯船に風呂桶をうつぶせに浮かべて桶の底を軽く叩いてみた。そうすると、思いのほか低音の音が響いた。一度試してみられたい。
以下本文
これは2009年9月に公開したもの。これで曲がりなりにも松平定信の「退閑雑記」から西洋の事物がらみの記事を抜粋したことになる。まだ細かいところでは抜けがないわけではないけれど、大きいものはこれで全てのはずだ。全体を眺め回してみると、やはり定信の知的好奇心にはあなどれないものがある。
最初の「木琴」を「器に水を蓄へ、その上に木を載せて打てば響き出るといふ」定信の記述は、どうやら合っている。『アフリカの音の世界』(塚田賢一著 新書館刊)によると、ギニアなど西アフリカのサバンナ地域には「水太鼓(ウオーター・ドラム)」というものがあるらしい(78-79ページ)。水を入れた大きめの容器にそれより少し小さめの容器をうつぶせに浮かべて叩くものだ。
適当な容器がなかったので、風呂で湯船に風呂桶をうつぶせに浮かべて桶の底を軽く叩いてみた。そうすると、思いのほか低音の音が響いた。一度試してみられたい。
以下本文
垂渓庵です。
さあ、いよいよ「定信ったら 蛮書蛮学篇」の最終回です。思えば遠くへ来たもんだ。そもそも、え? 何ですか? 話が違うって? 何の? 「定信ったらシリーズ」は最終回じゃないのかって?
?
誰がそんなことを言いましたか? 前回の記事にそう書いてあるじゃないか、と。 前回ですか。ふむふむ、最初と最後ね。最終回の予告があるというんですね。ええと、ちゃんと記事を読んで下さい。
最初に「この定信ったらシリーズ」、最後に「今回の定信ったらシリーズ」とちゃんと書いているはずですよ。今回のシリーズすなわち蛮書蛮学篇のことです。おかしいですか。わたしの言い方は間違っていますか。「今回のハリー・ポッターは」というような言い方をしませんか。しますよね。それと同じです。わたしは間違っちゃいません。
勘違いをした人はもっと読解力を磨かなくちゃ。いや、磨かなきゃいけないのは国語力だ。仲人口やオレオレ詐欺や霊感商法などなど。世の中には巧妙に仕組まれたトラップはいくらでもあるのです。
今回勘違いをした人は国語力検定を受けましょう。国語力を磨くには国語力検定が最適です。はいそこ、だまされたのなんのとぶうぶう言わない。いいですか、小さいことを気にしていては立派な大人になれませんよ。今回は小ネタ集ですが。
というわけで、では、参ります。
さあ、いよいよ「定信ったら 蛮書蛮学篇」の最終回です。思えば遠くへ来たもんだ。そもそも、え? 何ですか? 話が違うって? 何の? 「定信ったらシリーズ」は最終回じゃないのかって?
?
誰がそんなことを言いましたか? 前回の記事にそう書いてあるじゃないか、と。 前回ですか。ふむふむ、最初と最後ね。最終回の予告があるというんですね。ええと、ちゃんと記事を読んで下さい。
最初に「この定信ったらシリーズ」、最後に「今回の定信ったらシリーズ」とちゃんと書いているはずですよ。今回のシリーズすなわち蛮書蛮学篇のことです。おかしいですか。わたしの言い方は間違っていますか。「今回のハリー・ポッターは」というような言い方をしませんか。しますよね。それと同じです。わたしは間違っちゃいません。
勘違いをした人はもっと読解力を磨かなくちゃ。いや、磨かなきゃいけないのは国語力だ。仲人口やオレオレ詐欺や霊感商法などなど。世の中には巧妙に仕組まれたトラップはいくらでもあるのです。
今回勘違いをした人は国語力検定を受けましょう。国語力を磨くには国語力検定が最適です。はいそこ、だまされたのなんのとぶうぶう言わない。いいですか、小さいことを気にしていては立派な大人になれませんよ。今回は小ネタ集ですが。
というわけで、では、参ります。
旧暦3/6 再掲 松平定信、欧州争乱を断じる──定信ったら10
垂渓庵です。
これは2009年8月に公開した。次が最終回とあるが、ほんとは続編がある。というか、もともとこのシリーズは西洋事物編として構成していたので、その他の記事を紹介するにはちょっと具合が悪いので、めぼしい記事を紹介し終えたことでもあり、いったん打ち止めとすることにしたのだ。
以下本文
これは2009年8月に公開した。次が最終回とあるが、ほんとは続編がある。というか、もともとこのシリーズは西洋事物編として構成していたので、その他の記事を紹介するにはちょっと具合が悪いので、めぼしい記事を紹介し終えたことでもあり、いったん打ち止めとすることにしたのだ。
以下本文
垂渓庵です。
この定信ったらシリーズもいよいよ次が最終回です。
残り二回、全力で取り組むつもりです。
さて、松平定信、今回は平和を考えます。
では、参ります。
この定信ったらシリーズもいよいよ次が最終回です。
残り二回、全力で取り組むつもりです。
さて、松平定信、今回は平和を考えます。
では、参ります。
旧暦3/6 再掲 松平定信と砲術・続き──定信ったら9.5
垂渓庵です。
2009年7月公開。またもよく分からないことだらけの記事だ。砲術の研究書などを見れば分かるのだろうけれど、やはり今のところ時間がない。というか、あまり食指が動かないというのが正直なところだ。専門的な論文を発表するわけじゃなし、それでいいんじゃないかという気もする。
以下本文
やあみんな元気かな。やっぱりちょっとこまめに更新の垂渓庵です。
砲術のことが尻切れトンボで終わってはや一ヵ月。ほんとうに失礼しました。今回は続きです。
とは言っても砲術の技術的問題については調査に限界があります。今回も内容は薄いかもよ。尻切れトンボの尻の肉は薄かったってことか(--)
では、参ります。
2009年7月公開。またもよく分からないことだらけの記事だ。砲術の研究書などを見れば分かるのだろうけれど、やはり今のところ時間がない。というか、あまり食指が動かないというのが正直なところだ。専門的な論文を発表するわけじゃなし、それでいいんじゃないかという気もする。
以下本文
やあみんな元気かな。やっぱりちょっとこまめに更新の垂渓庵です。
砲術のことが尻切れトンボで終わってはや一ヵ月。ほんとうに失礼しました。今回は続きです。
とは言っても砲術の技術的問題については調査に限界があります。今回も内容は薄いかもよ。尻切れトンボの尻の肉は薄かったってことか(--)
では、参ります。
旧暦3/6 再掲 松平定信と砲術──定信ったら9
垂渓庵です。
2009年6月に公開したもの。「定信ったら」シリーズには、「9.5」があることに今気づいた。というわけで、今日は4本公開します。これで「定信ったら」シリーズは打ち止めです。でも、「続・定信ったら」シリーズが後に控えているのだけれど。それにしても何と駄弁を弄していることか。
以下本文
いやあ、すっかりごぶさたしてしまっています。垂渓庵です。
今月は閏月です。わかりますか。閏秒じゃありませんよ。
さて、昔の男の子はすべからく軍艦や戦車が好きでした。わたしも旧日本軍の戦艦や戦車や戦闘機には人並みの興味を持っていました。とは言っても軍事オタクってほどではありません。
金剛型戦艦を艦橋の形で区別することもできないし、飛燕とムスタングのフォルムも区別できるかどうか。重さのわりに五式中戦車がでかいのを実感したのも最近です。
言ってみれば軍艦や戦闘機や戦車にゆるい関心を持ってたってとこです。標準的な由緒正しい少年だったのですね。あ、旧日本軍の戦車ではありませんが、キングタイガーには萌えます。え、それがどうした。早く本題に入れって?
あせっちゃいけません。焦りは禁物、腹に一物、シマチョウセンマイ牛のモツってなもんです。ああ、久々にホルモン中華を食べたくなってきた。所長、今度食いに行きますか。
久しぶりなのでついつい駄弁を駄弁を弄してしまいました。すまん。そろそろ松平定信の退閑雑記の記事を見ていきましょう。
では、参ります。
2009年6月に公開したもの。「定信ったら」シリーズには、「9.5」があることに今気づいた。というわけで、今日は4本公開します。これで「定信ったら」シリーズは打ち止めです。でも、「続・定信ったら」シリーズが後に控えているのだけれど。それにしても何と駄弁を弄していることか。
以下本文
いやあ、すっかりごぶさたしてしまっています。垂渓庵です。
今月は閏月です。わかりますか。閏秒じゃありませんよ。
さて、昔の男の子はすべからく軍艦や戦車が好きでした。わたしも旧日本軍の戦艦や戦車や戦闘機には人並みの興味を持っていました。とは言っても軍事オタクってほどではありません。
金剛型戦艦を艦橋の形で区別することもできないし、飛燕とムスタングのフォルムも区別できるかどうか。重さのわりに五式中戦車がでかいのを実感したのも最近です。
言ってみれば軍艦や戦闘機や戦車にゆるい関心を持ってたってとこです。標準的な由緒正しい少年だったのですね。あ、旧日本軍の戦車ではありませんが、キングタイガーには萌えます。え、それがどうした。早く本題に入れって?
あせっちゃいけません。焦りは禁物、腹に一物、シマチョウセンマイ牛のモツってなもんです。ああ、久々にホルモン中華を食べたくなってきた。所長、今度食いに行きますか。
久しぶりなのでついつい駄弁を駄弁を弄してしまいました。すまん。そろそろ松平定信の退閑雑記の記事を見ていきましょう。
では、参ります。
2012年3月26日月曜日
旧暦3/5 再掲 松平定信と奇薬──定信ったら8
垂渓庵です。
2009年9月公開。私は今も総務部にあたる校務分掌にいる。ここしばらくは来年度導入するとある制度の準備でやたらに慌ただしかった。来年もその制度が順調に動き出すまで同じ部署に残留だ。まだまだ面倒なことが控えている。やれやれだ。というわけで、今回の記事が考証不足なのはスルーしておく。
以下本文
職場での新型インフルエンザ防止策に頭を悩ませている垂渓庵です。そういうわけで今日も一日遅れの更新です。
わたしは企業でいうと総務部にあたる部署にいます。教員も授業をするだけじゃなくて全員が何らかの役割が割り振られているのですね。で、総務に当たる部署にいる者として、泥縄でインフルエンザ関連の勉強をしてるわけです。そうすると、いろいろと疑問も出てきます。
シンメトレルという薬はA型インフルエンザに効果があるそうですが、新型インフルエンザに聞効くのだろうか、マスクは本当に予防に効果があるのだろうか、などなど。何かの機会に校医さんにでも聞いてみようかな。
さて、前回お知らせした通り、今回松平定信は西欧渡来の薬に焦点を当てます。それも「奇薬」に。定信の好奇心はいったいどこまで広がるのでしょう。
では、参ります。
2009年9月公開。私は今も総務部にあたる校務分掌にいる。ここしばらくは来年度導入するとある制度の準備でやたらに慌ただしかった。来年もその制度が順調に動き出すまで同じ部署に残留だ。まだまだ面倒なことが控えている。やれやれだ。というわけで、今回の記事が考証不足なのはスルーしておく。
以下本文
職場での新型インフルエンザ防止策に頭を悩ませている垂渓庵です。そういうわけで今日も一日遅れの更新です。
わたしは企業でいうと総務部にあたる部署にいます。教員も授業をするだけじゃなくて全員が何らかの役割が割り振られているのですね。で、総務に当たる部署にいる者として、泥縄でインフルエンザ関連の勉強をしてるわけです。そうすると、いろいろと疑問も出てきます。
シンメトレルという薬はA型インフルエンザに効果があるそうですが、新型インフルエンザに聞効くのだろうか、マスクは本当に予防に効果があるのだろうか、などなど。何かの機会に校医さんにでも聞いてみようかな。
さて、前回お知らせした通り、今回松平定信は西欧渡来の薬に焦点を当てます。それも「奇薬」に。定信の好奇心はいったいどこまで広がるのでしょう。
では、参ります。
旧暦3/5 再掲 松平定信、日本人の気質を語る──定信ったら7
垂渓庵です。
2009年5月公開。記事を読み直していて、「レイキ」は、ドイツ語で言えば「ライヒ」なんじゃないかと今思いついた。ウイキペディアを見れば、オランダ語では「レイクRijk」。あとは「アーンシーン」と「マクテキ」だな。
以下本文
そろそろこのシリーズに飽きが来ていなくもない垂渓庵です。だからというわけでもないのですが、更新が予定よりも一日遅れてしまいました。
すまん。
というわけで、今回は定信強気です。いや、彼はいつでも強気なわけですが。何というか、いつになく強く主張してます。日本の素晴らしさを。
では、参ります。
2009年5月公開。記事を読み直していて、「レイキ」は、ドイツ語で言えば「ライヒ」なんじゃないかと今思いついた。ウイキペディアを見れば、オランダ語では「レイクRijk」。あとは「アーンシーン」と「マクテキ」だな。
以下本文
そろそろこのシリーズに飽きが来ていなくもない垂渓庵です。だからというわけでもないのですが、更新が予定よりも一日遅れてしまいました。
すまん。
というわけで、今回は定信強気です。いや、彼はいつでも強気なわけですが。何というか、いつになく強く主張してます。日本の素晴らしさを。
では、参ります。
旧暦3/5 再掲 松平定信、蛮書蛮学を考える──定信ったら 6
垂渓庵です。
これは2009年5月公開。「エコエコアザラク」か。Z会ブログの読者である受験生はたぶん知らない。いったどういう層を狙って書いていたんだろう。編集さんもチェックしようと思わなかったのだろうか。不思議だ。
以下本文
垂渓庵です。
GWはいかがお過ごしだったでしょうか。高速道路の料金が千円ですからね、車で遠征された方も多かったことでしょう。エコの時代なのに。レジャーは例外というのならエコエコ言うのはやめなさい。
だいたい、エコエコ言う人ほど自分勝手です。黒井ミサを見てもわかるでしょう。黒魔術やったりなんかして。基本的にエコイストなんですよ(ー_ー)
ええと、黒井ミサ、わかりますか。三十年以上前に少年チャンピオンに連載されていた漫画の主人公です。呪文はエコエコアザラク。
さて、軽く毒を吐いたところで、毎度おなじみ無用の記事をお届けします。とは言え、排ガスは出さないけどね。
では、参ります。
これは2009年5月公開。「エコエコアザラク」か。Z会ブログの読者である受験生はたぶん知らない。いったどういう層を狙って書いていたんだろう。編集さんもチェックしようと思わなかったのだろうか。不思議だ。
以下本文
垂渓庵です。
GWはいかがお過ごしだったでしょうか。高速道路の料金が千円ですからね、車で遠征された方も多かったことでしょう。エコの時代なのに。レジャーは例外というのならエコエコ言うのはやめなさい。
だいたい、エコエコ言う人ほど自分勝手です。黒井ミサを見てもわかるでしょう。黒魔術やったりなんかして。基本的にエコイストなんですよ(ー_ー)
ええと、黒井ミサ、わかりますか。三十年以上前に少年チャンピオンに連載されていた漫画の主人公です。呪文はエコエコアザラク。
さて、軽く毒を吐いたところで、毎度おなじみ無用の記事をお届けします。とは言え、排ガスは出さないけどね。
では、参ります。
2012年3月25日日曜日
旧暦3/4 再掲 松平定信とサフランの効用──定信ったら 5
垂渓庵です。
2009年4月公開。この回は中味の考証はともかく、本文を引き写すのが面倒だった。見慣れない熟語が多いし、おまけに見たことも聞いたこともない漢字も混じっている。この記事は飛ばしてもいいんじゃないかと少し思ったような気もする。
以下本文
垂渓庵です。
これまでの例からもわかるように、定信は好奇心のおもむくままにさまざまなものごとに関心を示します。
まるで好奇心のデパート。疑惑のデパートじゃないよ。
さて、そんな定信、香辛料にも魔の手を伸ばします。
今回の哀れな被害者(?)は番紅花(蕃紅花)。
え、番紅花って何だって?
それは以下を読んでください。
では参ります。
p58
サフランの主治、血症にのみ用ゆるやうに思ふ者多し。蛮書中にあるところをもて、和解したるを見るに、胸及び諸臓を治すること最妙なり。ゆへに咳嗽呼吸促迫、或いは脇痛、癆○、咽喉不利、心悸●◎、四肢顫掉、眩暈、心志鬱結憂悶等の症を治、その他、疝癪、腹痛、血痢、諸臓の閉塞、黄疸、石淋、臓腑に堅癖を結成したる、血液凝沍、経閉難産、諸熱症に用ひいと効あり。殊に天行疫疾を治す。また痔疾を治す。外傷の病にも多く用ひ、諸腫瘍のたぐひ、水を含みて腫をなすものを治し、すべて痛みを和し、嘔吐を定む。船暈には小袋に入れて心下にかくれば患ひなしとぞ。
○●◎は、表示できない文字です。○は「やまいだれの中に祭」、●は「りっしんべんに正」、◎は「りっしんべん」に中です。
サフラン強し。
蛮書というのは前回出てきた「ショメール」か何かだと思います。
ウイキペディアのサフランの項目に も上の薬効につながる効能が記されていますが、それどころではありません。のど、呼吸逼迫、心悸亢進、四肢のふるえ、腹痛、めまい、血便、黄疸、腎臓や膀 胱の結石、内臓のしこり、血液凝固、難産、発熱、流感のような流行病、痔、外傷、できもの、痛み、吐き気、船酔い。内服してよし、外用薬としてもよし。
すごいじゃありませんか。そして、そんなサフランに注目する定信もすごいなあと思います。彼はサフランそのものを試したのでしょうか。それとも文字による知識にとどまるのでしょうか。実際にさまざまな道具を自作する彼のこだわりから推して、サフランを手に入れていくつかの効能を確認したものではないかと思うのですが、いかがでしょう。しかつめらしい顔をしながらサフランライスを食べていたりして。
これまでの例からもわかるように、定信は好奇心のおもむくままにさまざまなものごとに関心を示します。
まるで好奇心のデパート。疑惑のデパートじゃないよ。
さて、そんな定信、香辛料にも魔の手を伸ばします。
今回の哀れな被害者(?)は番紅花(蕃紅花)。
え、番紅花って何だって?
それは以下を読んでください。
では参ります。
p58
サフランの主治、血症にのみ用ゆるやうに思ふ者多し。蛮書中にあるところをもて、和解したるを見るに、胸及び諸臓を治すること最妙なり。ゆへに咳嗽呼吸促迫、或いは脇痛、癆○、咽喉不利、心悸●◎、四肢顫掉、眩暈、心志鬱結憂悶等の症を治、その他、疝癪、腹痛、血痢、諸臓の閉塞、黄疸、石淋、臓腑に堅癖を結成したる、血液凝沍、経閉難産、諸熱症に用ひいと効あり。殊に天行疫疾を治す。また痔疾を治す。外傷の病にも多く用ひ、諸腫瘍のたぐひ、水を含みて腫をなすものを治し、すべて痛みを和し、嘔吐を定む。船暈には小袋に入れて心下にかくれば患ひなしとぞ。
○●◎は、表示できない文字です。○は「やまいだれの中に祭」、●は「りっしんべんに正」、◎は「りっしんべん」に中です。
サフラン強し。
蛮書というのは前回出てきた「ショメール」か何かだと思います。
ウイキペディアのサフランの項目に も上の薬効につながる効能が記されていますが、それどころではありません。のど、呼吸逼迫、心悸亢進、四肢のふるえ、腹痛、めまい、血便、黄疸、腎臓や膀 胱の結石、内臓のしこり、血液凝固、難産、発熱、流感のような流行病、痔、外傷、できもの、痛み、吐き気、船酔い。内服してよし、外用薬としてもよし。
すごいじゃありませんか。そして、そんなサフランに注目する定信もすごいなあと思います。彼はサフランそのものを試したのでしょうか。それとも文字による知識にとどまるのでしょうか。実際にさまざまな道具を自作する彼のこだわりから推して、サフランを手に入れていくつかの効能を確認したものではないかと思うのですが、いかがでしょう。しかつめらしい顔をしながらサフランライスを食べていたりして。
旧暦3/4 再掲 松平定信、卵を孵す──定信ったら 4
垂渓庵です。
2009年4月公開。「定信ったら」シリーズだけじゃなくって、江戸時代の随筆を紹介しようと思うと、ものによったら中味の考証を行わなければいけないことに、このあたりから気づきだした。考証自体は面白いのだけれど、時間がかかるのが難点だ。この回はまだ楽な方だった。というわけで、考証しかけてほったらかしてあることが随分ある。
以下本文
この定信シリーズ、いったい何回まで行くのか。きちんと記事のメモをとっていなかったので、わたしにもわかりません。この先いつまで面倒な古文を打ち続けねばならないのか。不吉な予感に震えが走っている垂渓庵です。
ともかく乗りかかった舟です。あとはこれが沈み行く箱舟でないことを祈るのみ。
では、参ります。
2009年4月公開。「定信ったら」シリーズだけじゃなくって、江戸時代の随筆を紹介しようと思うと、ものによったら中味の考証を行わなければいけないことに、このあたりから気づきだした。考証自体は面白いのだけれど、時間がかかるのが難点だ。この回はまだ楽な方だった。というわけで、考証しかけてほったらかしてあることが随分ある。
以下本文
この定信シリーズ、いったい何回まで行くのか。きちんと記事のメモをとっていなかったので、わたしにもわかりません。この先いつまで面倒な古文を打ち続けねばならないのか。不吉な予感に震えが走っている垂渓庵です。
ともかく乗りかかった舟です。あとはこれが沈み行く箱舟でないことを祈るのみ。
では、参ります。
旧暦3/4 再掲 松平定信、銅板鏤刻を試みる──定信ったら 3
垂渓庵です。
これは2009年9月に公開した。今回採録するに辺り読み直してみたけれど、あらためて松平定信は面白い人だという印象を持った。ただの堅物じゃなかったわけだ。いっそそういう面を表に出した方が、同僚諸氏や将軍の受けもよかったんじゃないかと思わなくもない。
以下本文
これは2009年9月に公開した。今回採録するに辺り読み直してみたけれど、あらためて松平定信は面白い人だという印象を持った。ただの堅物じゃなかったわけだ。いっそそういう面を表に出した方が、同僚諸氏や将軍の受けもよかったんじゃないかと思わなくもない。
以下本文
垂渓庵です。
いよいよ新年度がスタートしました。
わたしもビビッドでフレッシュな話題をお届けしたいと思っています。
でも今回も埃をかぶったような古い話……(--)
時代にだけではなく時節にも逆らう耽読翫市をどうぞよろしく。
今回は銅板鏤刻についてです。
いよいよ新年度がスタートしました。
わたしもビビッドでフレッシュな話題をお届けしたいと思っています。
でも今回も埃をかぶったような古い話……(--)
時代にだけではなく時節にも逆らう耽読翫市をどうぞよろしく。
今回は銅板鏤刻についてです。
2012年3月24日土曜日
旧暦3/3 再掲 松平定信とエレキテル──定信ったら 2
垂渓庵です。
これは2009年3月に公開した。エレキテルといえば平賀源内だけれど、定信もしっかり興味を示しているわけだ。コメントの「いかのぼりの~」の部分について、元記事に訂正を加えた。たぶんこっちの方が適切なんじゃないかと思う。
以下本文
これは2009年3月に公開した。エレキテルといえば平賀源内だけれど、定信もしっかり興味を示しているわけだ。コメントの「いかのぼりの~」の部分について、元記事に訂正を加えた。たぶんこっちの方が適切なんじゃないかと思う。
以下本文
何やら面倒な考証の世界に足を踏み入れねばならない予感に震えている垂渓庵です。
というわけで──どういうわけだ?──今日は先週の木曜にアップするはずだった記事を少し遅れてお届けします。お題はエレキング、もとい、エレキテルです。
というわけで──どういうわけだ?──今日は先週の木曜にアップするはずだった記事を少し遅れてお届けします。お題はエレキング、もとい、エレキテルです。
旧暦3/3 再掲 松平定信、びいどろ板を切る──定信ったら 1
垂渓庵です。
2009年3月に公開したもの。「リヨクトポンプ」の記事から実に一年以上空いている。いかに気ままに更新を続けていたかが分かる。この「定信ったら」シリーズは、蘭学と定信に焦点を絞って記事を紹介し続けた。知的好奇心を持って西洋種の知識を吸収していたという、定信の意外な一面が分かるんじゃないかと思う。
ペンチ・イライザは、「銀河漂流バイファム」に登場するメインキャラクターの一人。
以下本文
2009年3月に公開したもの。「リヨクトポンプ」の記事から実に一年以上空いている。いかに気ままに更新を続けていたかが分かる。この「定信ったら」シリーズは、蘭学と定信に焦点を絞って記事を紹介し続けた。知的好奇心を持って西洋種の知識を吸収していたという、定信の意外な一面が分かるんじゃないかと思う。
ペンチ・イライザは、「銀河漂流バイファム」に登場するメインキャラクターの一人。
以下本文
垂渓庵です。
遠い遠いケンタウルスよりも遠いお星さま byペンチ・イライザ
じゃなかった。遠い遠い昔、松平定信の『退閑雑記』という日記に出てくるリヨクトポンプについて書きました。退閑雑記を拾い読みしていると、あのリヨクトポンプに限らず、蘭学や蘭書由来と思われる記事がいくつかあることに気がつきます。
定信というと、寛政異学の禁で幕府の官学である朱子学を称揚し、同時に処士横断の禁によって蘭学者などに抑圧的に臨んだことで知られています。そんな彼の姿と、退閑雑記に見られる舶来の文物までも知的好奇心の対象としているかのような姿とはどうもうまく重ならないような気がします。
遠い遠いケンタウルスよりも遠いお星さま byペンチ・イライザ
じゃなかった。遠い遠い昔、松平定信の『退閑雑記』という日記に出てくるリヨクトポンプについて書きました。退閑雑記を拾い読みしていると、あのリヨクトポンプに限らず、蘭学や蘭書由来と思われる記事がいくつかあることに気がつきます。
定信というと、寛政異学の禁で幕府の官学である朱子学を称揚し、同時に処士横断の禁によって蘭学者などに抑圧的に臨んだことで知られています。そんな彼の姿と、退閑雑記に見られる舶来の文物までも知的好奇心の対象としているかのような姿とはどうもうまく重ならないような気がします。
旧暦3/3 再掲 リヨクトポンプ
垂渓庵です。
2008年1月公開。実は2008年から表題に旧暦表示を入れている。この記事もそうなのだけれど、「旧暦3/3 旧暦12/21 リヨクトポンプ」などと書いては分かりにくいので元記事の旧暦は外すことにする。以下同じ。さて、この記事は「定信ったら」シリーズ(全12回)の冒頭を飾る。実はナンバリングの際にこの記事に番号を振り忘れたので、通しナンバーは11までしかないのだけれど。
今日、明日、あさって、しあさっては、同シリーズの記事を3つずつ紹介しようと思う。
「怪しい少年少女博物館」は、元記事を書く直前に秘密会合に臨んだ際に所長(前出)と立ち寄ったもの。
以下本文
耽読翫市です。
松平定信という人を知っていますか。そう聞くと、おそらく日本全国でブーイングが湧き起こることでしょう。
「ばかにするんじゃねえ。このほでなす。知らんはずないやろが。なしてそげんこつ言うかね。何とかの改革の人ばい。有名な人のごたる。にしゃももうろくしたんでねが。知らねはずあんめ」……。
う~ん、とても全国ですね。
寛政の改革をおこなった人。田沼意次の対極にいる人。清く正しい人。えらい人。
一般的な彼のイメージとしてはそんなところでしょうか。もう少し詳しく知りたければ、たとえばウイキペディアを見てみましょう。彼の人となりについてこんな風に書かれています。
松平定信という人を知っていますか。そう聞くと、おそらく日本全国でブーイングが湧き起こることでしょう。
「ばかにするんじゃねえ。このほでなす。知らんはずないやろが。なしてそげんこつ言うかね。何とかの改革の人ばい。有名な人のごたる。にしゃももうろくしたんでねが。知らねはずあんめ」……。
う~ん、とても全国ですね。
寛政の改革をおこなった人。田沼意次の対極にいる人。清く正しい人。えらい人。
一般的な彼のイメージとしてはそんなところでしょうか。もう少し詳しく知りたければ、たとえばウイキペディアを見てみましょう。彼の人となりについてこんな風に書かれています。
2012年3月23日金曜日
旧暦3/2 再掲 ベニスの商人
垂渓庵です。
2007年12月公開。学生の頃は近世文学を敬して遠ざけていたところがあるが、ここ数年、近世の随筆や森銑三の本を時々ひもといている。そんな関係でこの記事も書いた。それにしても、この記事では柳北についてほとんど説明していない。我ながらちょっとどうかと思わないでもない。
以下本文
2007年12月公開。学生の頃は近世文学を敬して遠ざけていたところがあるが、ここ数年、近世の随筆や森銑三の本を時々ひもといている。そんな関係でこの記事も書いた。それにしても、この記事では柳北についてほとんど説明していない。我ながらちょっとどうかと思わないでもない。
以下本文
垂渓庵です。
明治期にジャーナリストとして活躍した成島柳北は、幕末期の幕臣でした。彼は、やはり幕末期の幕臣で明治期にジャーナリストとして活躍した福地桜痴に、「これはさて世はさかさまとなりにけり乗った人より馬は丸顔」とひやかされたほどの面長でした。確かにその写真を見ると明らさまに面長です。
この面長はよほど人に強烈な印象を与えるらしく、いずれご紹介する内田百閒にも「馬は丸顔」という随筆で枕に使われています。その他にもネット上でいくつも彼の面長をネタにした文章が書かれているようです。が、今回の話は彼の面長とは全く関係ありません。
明治期にジャーナリストとして活躍した成島柳北は、幕末期の幕臣でした。彼は、やはり幕末期の幕臣で明治期にジャーナリストとして活躍した福地桜痴に、「これはさて世はさかさまとなりにけり乗った人より馬は丸顔」とひやかされたほどの面長でした。確かにその写真を見ると明らさまに面長です。
この面長はよほど人に強烈な印象を与えるらしく、いずれご紹介する内田百閒にも「馬は丸顔」という随筆で枕に使われています。その他にもネット上でいくつも彼の面長をネタにした文章が書かれているようです。が、今回の話は彼の面長とは全く関係ありません。
旧暦3/2 再掲 碩学
垂渓庵です。
2007年12月に公開したもの。それにしても、どうしてこの本を読もうと思ったのだろうか。ムラタ先生が紹介しておられたという気もするのだけれど、どうもはっきりしない。宮崎市定、倉田卓次、狐という可能性もある。どうだったのかな。
垂渓庵です。
二十世紀の中国を代表する歴史家に顧頡剛という人がいます。中国版ウイキペディアには、こんな風な説明がなされています。
国文学関係の人には、史記をはじめとする中国の正史の点校本でおなじみなのではないでしょうか。一般の読書好きの方には、「ある歴史家の生い立ち」(岩波文庫)という自伝で知られているのではないかと思います。
二十世紀の中国を代表する歴史家に顧頡剛という人がいます。中国版ウイキペディアには、こんな風な説明がなされています。
国文学関係の人には、史記をはじめとする中国の正史の点校本でおなじみなのではないでしょうか。一般の読書好きの方には、「ある歴史家の生い立ち」(岩波文庫)という自伝で知られているのではないかと思います。
2012年3月22日木曜日
旧暦3/1 再掲 パリと通天閣と国語力
垂渓庵です。
前の記事のパリ編にあたる。2007年12月に公開したもの。パリでは妻は残念ながら体調不良でほとんど見物をできなかった。初日にツアーのオプションでざっとあちこち見たぐらいだったと思う。「所長」は、国語力検定を主催するZ会国語力研究所前所長。何かとお世話になっている。
以下本文
前の記事のパリ編にあたる。2007年12月に公開したもの。パリでは妻は残念ながら体調不良でほとんど見物をできなかった。初日にツアーのオプションでざっとあちこち見たぐらいだったと思う。「所長」は、国語力検定を主催するZ会国語力研究所前所長。何かとお世話になっている。
以下本文
旧暦3/1 再掲 セイフティボックスと国語力
垂渓庵です。
これも旅行ネタ。こちらは妻とロンドン→パリと駆け足旅行した時のことを書いたもの。2007年11月に公開した。この時は行きに私の体調がすぐれず、旅行途中で妻の体調が崩れる、というけっこう厳しい旅行となった。が、美術館などを回れて、それなりに充実したものでもあった。所長は、国語力研究所元所長のこと。
以下本文
これも旅行ネタ。こちらは妻とロンドン→パリと駆け足旅行した時のことを書いたもの。2007年11月に公開した。この時は行きに私の体調がすぐれず、旅行途中で妻の体調が崩れる、というけっこう厳しい旅行となった。が、美術館などを回れて、それなりに充実したものでもあった。所長は、国語力研究所元所長のこと。
以下本文
垂渓庵です。
所長。また表題パクってしまいました
以前妻とロンドンに行ったときのことです。現地のツアコンの方に空港からホテルまで案内されて、日程などの説明を受けました。その際に、各部屋に金庫はあるけれども、安全のためには、フロントでセイフティボックスを借りて預ける方が確実ですよと言われました。
所長。また表題パクってしまいました

以前妻とロンドンに行ったときのことです。現地のツアコンの方に空港からホテルまで案内されて、日程などの説明を受けました。その際に、各部屋に金庫はあるけれども、安全のためには、フロントでセイフティボックスを借りて預ける方が確実ですよと言われました。
旧暦3/1 再掲 セマウル号で
垂渓庵です。
これは2007年9月に公開したもの。たぶん初の旅行ネタじゃないかと思う。ブログにも書いたことがあるけれど、大学・大学院で過ごした時間は濃密なものだった。しんどいこともあったけれど、いろんな意味で面白かったと今にして思う。この旅行には、裵さんの他に、ニシさん、ミズタニ夫妻が参加した。裵さんが手配した宿が連れ込み宿っぽかったりしたのも今では楽しい思い出だ。今日は他に2本公開予定です。
以下本文
これは2007年9月に公開したもの。たぶん初の旅行ネタじゃないかと思う。ブログにも書いたことがあるけれど、大学・大学院で過ごした時間は濃密なものだった。しんどいこともあったけれど、いろんな意味で面白かったと今にして思う。この旅行には、裵さんの他に、ニシさん、ミズタニ夫妻が参加した。裵さんが手配した宿が連れ込み宿っぽかったりしたのも今では楽しい思い出だ。今日は他に2本公開予定です。
以下本文
セマウル号は、韓国の特急列車です。
20年前、まだ大学院の学生だった頃、大学の先輩たちと韓国に行きました。韓国からの留学生だった裵さんが案内をして下さいました。もともとは指導教官である増田先生の研究室一同で行くはずだったのですが、先生だけご都合でいらっしゃれませんでした。
新幹線、フェリー、セマウル号、在来線、バスその他を乗り継いでの旅行でした。記憶を頼りに行程を記すと、
フェリーで釜山へ→セマウル号でソウルへ→景福宮などソウル市内見学→
ソウル泊→急行でテジョンへ→裵さんの先輩にケリョン山などを案内してもらう→
テジョン泊→バスでプヨへ→テジョンへ戻り、急行でキョンジュへ→
キョンジュ見学→キョンジュ泊→釜山へ→飛行機で日本へ
20年前、まだ大学院の学生だった頃、大学の先輩たちと韓国に行きました。韓国からの留学生だった裵さんが案内をして下さいました。もともとは指導教官である増田先生の研究室一同で行くはずだったのですが、先生だけご都合でいらっしゃれませんでした。
新幹線、フェリー、セマウル号、在来線、バスその他を乗り継いでの旅行でした。記憶を頼りに行程を記すと、
フェリーで釜山へ→セマウル号でソウルへ→景福宮などソウル市内見学→
ソウル泊→急行でテジョンへ→裵さんの先輩にケリョン山などを案内してもらう→
テジョン泊→バスでプヨへ→テジョンへ戻り、急行でキョンジュへ→
キョンジュ見学→キョンジュ泊→釜山へ→飛行機で日本へ
2012年3月21日水曜日
旧暦2/29 再掲 マニアック・バージョン
垂渓庵です。
2007年11月に公開したもの。実はこういうリストを作るのは嫌いではない。いま担任している学年に向けても、中一、中三、高一あたりでより大規模なリストを作成している。高二向けにもリストを改訂しようとしたのだけれど、時間がなくて果たせなかった。「国語力検定のブログ」は、今では名前が「奥駿河湾釣り日記」に変わっている。変わりすぎだろ。
以下本文
2007年11月に公開したもの。実はこういうリストを作るのは嫌いではない。いま担任している学年に向けても、中一、中三、高一あたりでより大規模なリストを作成している。高二向けにもリストを改訂しようとしたのだけれど、時間がなくて果たせなかった。「国語力検定のブログ」は、今では名前が「奥駿河湾釣り日記」に変わっている。変わりすぎだろ。
以下本文
垂渓庵です。
高校生向けの推薦図書を選び、毎月一冊で一年間、計十二作品の紹介文を書くという機会がありました。選書の段階では、編集さんのアドバイスを受けたので、それなりに妥当なリストができたのではないかと思っています。
その完成版のリストについてはいずれ機会あがれば触れることにして、ここでは完成版に至る過程で日の目を見なかったリストをご紹介したいと思います。題してマニアック・バージョンです。
普通、推薦図書の選書というと、一般性が高く、かつ読み応えがあるものが中心になるのですが、このマニアック・バージョンでは、一般性という基準はかなぐり捨てました。基準は、わたしが高校生だったとして、面白がるかどうかです。
「わたしが高校生だったら、これぐらいは探し出してきて読むよ。世の読書好きの高校生の諸君、君たちはただの読書好きか? それとも知的好奇心を持った読書好きか?」という問いかけというか、挑発をしてみたくて作ったリストです。
実際の書目は以下の通りです。
高校生向けの推薦図書を選び、毎月一冊で一年間、計十二作品の紹介文を書くという機会がありました。選書の段階では、編集さんのアドバイスを受けたので、それなりに妥当なリストができたのではないかと思っています。
その完成版のリストについてはいずれ機会あがれば触れることにして、ここでは完成版に至る過程で日の目を見なかったリストをご紹介したいと思います。題してマニアック・バージョンです。
普通、推薦図書の選書というと、一般性が高く、かつ読み応えがあるものが中心になるのですが、このマニアック・バージョンでは、一般性という基準はかなぐり捨てました。基準は、わたしが高校生だったとして、面白がるかどうかです。
「わたしが高校生だったら、これぐらいは探し出してきて読むよ。世の読書好きの高校生の諸君、君たちはただの読書好きか? それとも知的好奇心を持った読書好きか?」という問いかけというか、挑発をしてみたくて作ったリストです。
実際の書目は以下の通りです。
旧暦2/29 再掲 偶然と必然
垂渓庵です。
2007年11月に公開した。結局図書館に出向くこともなく、未だに偶然の一致なのかそうじゃないのかわからないままだけれど、実はかなり気になっている。他の案件とあわせて図書館に早く行かなきゃと思いながら、まだ果たせていない。
以下本文
垂渓庵です。
表題からジャック・モノーの本を連想された方、残念ですが全然関係ありません
岩波文庫の『朝鮮童謡選』(金素運 編訳)に次のような一篇が収められています。
曲り媼(ばあ)さん 曲り杖ついて
曲り山に行き 曲り糞垂れりゃ
曲り犬奴(め) 曲り糞なめて
曲り杖に打(ぶ)たれ 曲りキャンキャン
あまり上品とは言いかねる童謡ですね
でも、ここではそれを指摘したいのではありません。次の英詩と較べてもらいたいのです。
2007年11月に公開した。結局図書館に出向くこともなく、未だに偶然の一致なのかそうじゃないのかわからないままだけれど、実はかなり気になっている。他の案件とあわせて図書館に早く行かなきゃと思いながら、まだ果たせていない。
以下本文
垂渓庵です。
表題からジャック・モノーの本を連想された方、残念ですが全然関係ありません

岩波文庫の『朝鮮童謡選』(金素運 編訳)に次のような一篇が収められています。
曲り媼(ばあ)さん 曲り杖ついて
曲り山に行き 曲り糞垂れりゃ
曲り犬奴(め) 曲り糞なめて
曲り杖に打(ぶ)たれ 曲りキャンキャン
あまり上品とは言いかねる童謡ですね

2012年3月20日火曜日
旧暦2/28 再掲 母には二たび会ひたれども・クイズの解説
垂渓庵です。
これは2007年11月に公開したもの。答えを示してから半月以上経っている。なかなか記事を書き上げることができなかったのだろうと思う。お母さんはパパだっただなんて、ちょっと衝撃的ではあるまいか。
以下本文
垂渓庵です。
遅れに遅れまくりましたが、ようやっとクイズの解説です。
まずクイズのおさらいをしておきましょう。
母には二たび会ひたれども父には一度も会はず
さてさてそれはいったい何でしょう?
というものでした。答えは、そう、「唇(くちびる)」です。
このクイズを解くためには、日本語の発音の変化──とくにハ行音の変化──を考える必要があります。
これは2007年11月に公開したもの。答えを示してから半月以上経っている。なかなか記事を書き上げることができなかったのだろうと思う。お母さんはパパだっただなんて、ちょっと衝撃的ではあるまいか。
以下本文
垂渓庵です。
遅れに遅れまくりましたが、ようやっとクイズの解説です。
まずクイズのおさらいをしておきましょう。
母には二たび会ひたれども父には一度も会はず
さてさてそれはいったい何でしょう?
というものでした。答えは、そう、「唇(くちびる)」です。
このクイズを解くためには、日本語の発音の変化──とくにハ行音の変化──を考える必要があります。
旧暦2/28 再掲 母には二たび会ひたれども 答え
垂渓庵です。
公開は2007年10月。たったこれだけの内容の回はほとんどない。これも月四回の縛りをクリアするための苦し紛れの公開だったんじゃないか。あるいは、解説を書ききれなかったか。どっちだったかはよく覚えていない。このあたりの記事から、記事冒頭を「垂渓庵です。」ということばで始めている。どうしてだったっけ。
以下本文
垂渓庵です。
雑事煩多でなかなか前々回のクイズの解答・解説を書けません。
とりあえず解答だけを示しておきます。
いちおう念のために、前々回のなぞなぞは、
「母には二たび会ひたれども父には一度も会はず」
さてさてそれはいったい何でしょう? というものでした。
答えは「唇(くちびる)」です。
答えを知っている人はともかく、そうでない人はこの答えはまず思い浮かばなかったことでしょう。なぜ唇なのか。その答えを解く鍵は日本語の発音の変化──特にハ行音の発音の変化──にあります。
公開は2007年10月。たったこれだけの内容の回はほとんどない。これも月四回の縛りをクリアするための苦し紛れの公開だったんじゃないか。あるいは、解説を書ききれなかったか。どっちだったかはよく覚えていない。このあたりの記事から、記事冒頭を「垂渓庵です。」ということばで始めている。どうしてだったっけ。
以下本文
垂渓庵です。
雑事煩多でなかなか前々回のクイズの解答・解説を書けません。
とりあえず解答だけを示しておきます。
いちおう念のために、前々回のなぞなぞは、
「母には二たび会ひたれども父には一度も会はず」
さてさてそれはいったい何でしょう? というものでした。
答えは「唇(くちびる)」です。
答えを知っている人はともかく、そうでない人はこの答えはまず思い浮かばなかったことでしょう。なぜ唇なのか。その答えを解く鍵は日本語の発音の変化──特にハ行音の発音の変化──にあります。
2012年3月19日月曜日
旧暦2/27 再掲 クイズ・母には二たび会ひたれども
垂渓庵です。
2007年10月公開。最初のクイズは、何日か前に紹介したSF作家の漢字表記に関するもの。半年以上開いてのクイズということになる。以下にも記したように、今回のネタはわりと有名な話のような気もするけれど、どうだろう。 答えの回は、明日アップします。
以下本文
久しぶりにクイズを出題しようかと思います。国語の教師が古文の時間に話すネタだろうと思いますので、ご存じの方も多いかもしれません。
母には二たび会ひたれども父には一度も会はず
それはいったい何でしょう?
これは『体源抄』という室町時代の雅楽書に出てくるなぞなぞです。当時の人でなければ、答えは絶対わからないこと請け合いのなぞなぞです。いや、答えを聞いても現代人にはわけがわからないこと請け合いの、と言った方がいいでしょうね。
その解説をする前に、もう少し簡単なのを答えつきで紹介してみます。わかるでしょうか。
2007年10月公開。最初のクイズは、何日か前に紹介したSF作家の漢字表記に関するもの。半年以上開いてのクイズということになる。以下にも記したように、今回のネタはわりと有名な話のような気もするけれど、どうだろう。 答えの回は、明日アップします。
以下本文
久しぶりにクイズを出題しようかと思います。国語の教師が古文の時間に話すネタだろうと思いますので、ご存じの方も多いかもしれません。
母には二たび会ひたれども父には一度も会はず
それはいったい何でしょう?
これは『体源抄』という室町時代の雅楽書に出てくるなぞなぞです。当時の人でなければ、答えは絶対わからないこと請け合いのなぞなぞです。いや、答えを聞いても現代人にはわけがわからないこと請け合いの、と言った方がいいでしょうね。
その解説をする前に、もう少し簡単なのを答えつきで紹介してみます。わかるでしょうか。
旧暦2/27 再掲 科学的ということ
垂渓庵です。
2007年9月に公開したもの。
昨日も書いたように大学の一般教養で論理学をとった。ナカザエ先生の語りは軽妙でなおかつ明快だった。論理学というと味も素っ気も潤いもなさそうな印象を与えるが、面白い授業だった。その後、独学で様相論理に首を突っ込むほどに影響を受けた。もちろん自爆したけれど。
以下本文
わたしは大学在学時から論理学に興味を持つようになりました。大学一回生の時、一般教養の科目として開講されていた「論理学」の授業に出席したことがきっかけです。大学時代にはそれ以後も折に触れて論理学の入門書めいたものを読んでいました。
と言っても、アリストテレスのような古典的な本を読むことはありませんでした。読んだのは主に記号論理学関係の本です。命題論理や述語論理と言われるものですね。今となっては記号の意味もはっきりとは覚えていませんが。
今回はその論理学の話です、と言いたいところですが、とても無理です。ここではそんな興味からはじまっていくつかの著作を読んだことのある哲学者、沢田允茂のことばを紹介したいと思うのです。
2007年9月に公開したもの。
昨日も書いたように大学の一般教養で論理学をとった。ナカザエ先生の語りは軽妙でなおかつ明快だった。論理学というと味も素っ気も潤いもなさそうな印象を与えるが、面白い授業だった。その後、独学で様相論理に首を突っ込むほどに影響を受けた。もちろん自爆したけれど。
以下本文
わたしは大学在学時から論理学に興味を持つようになりました。大学一回生の時、一般教養の科目として開講されていた「論理学」の授業に出席したことがきっかけです。大学時代にはそれ以後も折に触れて論理学の入門書めいたものを読んでいました。
と言っても、アリストテレスのような古典的な本を読むことはありませんでした。読んだのは主に記号論理学関係の本です。命題論理や述語論理と言われるものですね。今となっては記号の意味もはっきりとは覚えていませんが。
今回はその論理学の話です、と言いたいところですが、とても無理です。ここではそんな興味からはじまっていくつかの著作を読んだことのある哲学者、沢田允茂のことばを紹介したいと思うのです。
2012年3月18日日曜日
旧暦2/26 再掲 数学教育
垂渓庵です。
これも公開は2007年8月。学生時代数学がだめだったわたしの書いた唯一の数学ネタ。大学の一般教養でとったナカザエ先生の論理学の授業が面白く、そこから記号論理学経由で数学の本をたまにひもとくようになった。ローマ帝国云々は、今回は省略した記事と関わる。
以下本文
わたしは数学は得意ではありません。はっきり言うと不得意です。が、そんなわたしにも数学的才能がありました。と言い切っていいのかどうか少し心許ないですが、たぶんあったのだと思います。今日はそのわたしの数学的才能が、どのようにして伸ばされずに終わったかの顛末を書きたいと思います。
わたしの数学的才能はおそらく小学校5、6年のころにピークを迎え、以後衰退の一途をたどりました。山にたとえるなら、ないも同じのピークとだらだら続く裾野という、曰わく言い難い姿になります。大阪の天保山に変に長い尾根がくっついているようなものですね。あまりの情けなさに、ローマ帝国にたとえる気にもなれません(涙)
これも公開は2007年8月。学生時代数学がだめだったわたしの書いた唯一の数学ネタ。大学の一般教養でとったナカザエ先生の論理学の授業が面白く、そこから記号論理学経由で数学の本をたまにひもとくようになった。ローマ帝国云々は、今回は省略した記事と関わる。
以下本文
わたしは数学は得意ではありません。はっきり言うと不得意です。が、そんなわたしにも数学的才能がありました。と言い切っていいのかどうか少し心許ないですが、たぶんあったのだと思います。今日はそのわたしの数学的才能が、どのようにして伸ばされずに終わったかの顛末を書きたいと思います。
わたしの数学的才能はおそらく小学校5、6年のころにピークを迎え、以後衰退の一途をたどりました。山にたとえるなら、ないも同じのピークとだらだら続く裾野という、曰わく言い難い姿になります。大阪の天保山に変に長い尾根がくっついているようなものですね。あまりの情けなさに、ローマ帝国にたとえる気にもなれません(涙)
旧暦2/26 再掲 ヴォネガットと斎藤緑雨
垂渓庵です。
これは2007年8月に公開したもの。ヴォネガットと斎藤緑雨。ちょっと意外な取り合わせだと思う。本を読んでいてこういう偶然の一致というか奇妙な暗合というかを見つけると、とても嬉しくなる。 これ以外にもいくつか見つけたことがあると思うのだけれど、メモをとる習慣がないものだから、忘れてしまった。ちょっと残念だ。
以下本文
先日ヴォネガットという作家についてご紹介しました。1960年代以降、主にSFの分野で活動を続け、一時期はアメリカの大学生を中心にカルト的な人気を誇った作家で、最近では爆笑問題の太田光さんが彼のファンだということが話題になっていて…、というような話を書いたように思います。
今回はそのヴォネガットの作品の一節と奇妙に符合する斎藤緑雨の寸言を紹介したいと思います。
これは2007年8月に公開したもの。ヴォネガットと斎藤緑雨。ちょっと意外な取り合わせだと思う。本を読んでいてこういう偶然の一致というか奇妙な暗合というかを見つけると、とても嬉しくなる。 これ以外にもいくつか見つけたことがあると思うのだけれど、メモをとる習慣がないものだから、忘れてしまった。ちょっと残念だ。
以下本文
先日ヴォネガットという作家についてご紹介しました。1960年代以降、主にSFの分野で活動を続け、一時期はアメリカの大学生を中心にカルト的な人気を誇った作家で、最近では爆笑問題の太田光さんが彼のファンだということが話題になっていて…、というような話を書いたように思います。
今回はそのヴォネガットの作品の一節と奇妙に符合する斎藤緑雨の寸言を紹介したいと思います。
2012年3月17日土曜日
旧暦2/25 再掲 一川誠さんのメッセージに思うこと
垂渓庵です。
一川は「世界で一番受けたい授業」 に出て以降、同じような情報番組にいくつも出演している。「世界で~」にも三、四回出演したのではなかったか。確かに彼のやっている研究は、ビジュアル面でも興味深いものがある。これからも活躍することを期待している。
以下本文
前回、前々回にメッセージを紹介した、「世界で一番受けたい授業」の一川誠さんは、わたしの大学の同期で、実は顔を合わせる機会があれば、お互いに名字を呼び捨てにする間柄です。大学の学部、大学院と七~八年間同じキャンパスで過ごしていました。そういうわけで、彼にまつわる思い出を少し書いてみようと思います。この項目では一川さんのことを一川君と書きたいと思います。
一川は「世界で一番受けたい授業」 に出て以降、同じような情報番組にいくつも出演している。「世界で~」にも三、四回出演したのではなかったか。確かに彼のやっている研究は、ビジュアル面でも興味深いものがある。これからも活躍することを期待している。
以下本文
前回、前々回にメッセージを紹介した、「世界で一番受けたい授業」の一川誠さんは、わたしの大学の同期で、実は顔を合わせる機会があれば、お互いに名字を呼び捨てにする間柄です。大学の学部、大学院と七~八年間同じキャンパスで過ごしていました。そういうわけで、彼にまつわる思い出を少し書いてみようと思います。この項目では一川さんのことを一川君と書きたいと思います。
旧暦2/25 再掲 続・千葉大学准教授 一川誠先生に聞く
垂渓庵です。
次の記事にも記したように、大学院生の頃、彼は反転眼鏡をかけて生活する被験者をやっていたように思う。大学の研究室に泊まり込みだったのではないか。遊びに行って眼鏡をかけさせてもらったことがある。視野がグラグラして気持ち悪かったのを覚えている。
以下本文
前回に続いて「世界一受けたい授業」でおなじみの一川誠さんへのインタビューです。
自分の進路、お子さんの進路についてあれこれ考えるきっかけになるのではないかと思います。
次の記事にも記したように、大学院生の頃、彼は反転眼鏡をかけて生活する被験者をやっていたように思う。大学の研究室に泊まり込みだったのではないか。遊びに行って眼鏡をかけさせてもらったことがある。視野がグラグラして気持ち悪かったのを覚えている。
以下本文
前回に続いて「世界一受けたい授業」でおなじみの一川誠さんへのインタビューです。
自分の進路、お子さんの進路についてあれこれ考えるきっかけになるのではないかと思います。
旧暦2/25 再掲 千葉大学准教授 一川誠先生に聞く
垂渓庵です。
これは2007年の7月に公開したもの。後の記事にも書いたように、一川誠は大学時代の友人だ。テレビだけでは分かりにくい彼の人柄が以下の質疑からなんとなく分かるんじゃないか。彼も含む他の友人達と一緒に京都や岡山に行ったのは、もう十年近く前になるだろうか。今日は3本公開予定です。
以下本文
千葉大学准教授の一川誠さんが、中学生・高校生に向けてのメッセージを一問一答の形式で寄せてくださいました。一川さんは、先日(7月14日)の「世界一受けたい授業」(日本テレビ)に登場された先生です。2005年5月の同番組にも登場しておられますから、二回目の登場ということになります。両回とも人間の時間感覚や知覚の処理についての興味深い映像や現象が紹介されていました。
その他にも2003年に日本科学未来館などで行われた「時間旅行」展‐TIME! TIME! TIME!のナビゲーターをつとめておられました。昨年暮れにはジャーナリストの池上彰さんとの共著『大人になると、なぜ1年が短くなるのか? 』(宝島社)を出版されるなど多彩な活躍をしておられる気鋭の研究者です。
これは2007年の7月に公開したもの。後の記事にも書いたように、一川誠は大学時代の友人だ。テレビだけでは分かりにくい彼の人柄が以下の質疑からなんとなく分かるんじゃないか。彼も含む他の友人達と一緒に京都や岡山に行ったのは、もう十年近く前になるだろうか。今日は3本公開予定です。
以下本文
千葉大学准教授の一川誠さんが、中学生・高校生に向けてのメッセージを一問一答の形式で寄せてくださいました。一川さんは、先日(7月14日)の「世界一受けたい授業」(日本テレビ)に登場された先生です。2005年5月の同番組にも登場しておられますから、二回目の登場ということになります。両回とも人間の時間感覚や知覚の処理についての興味深い映像や現象が紹介されていました。
その他にも2003年に日本科学未来館などで行われた「時間旅行」展‐TIME! TIME! TIME!のナビゲーターをつとめておられました。昨年暮れにはジャーナリストの池上彰さんとの共著『大人になると、なぜ1年が短くなるのか? 』(宝島社)を出版されるなど多彩な活躍をしておられる気鋭の研究者です。
2012年3月16日金曜日
旧暦2/24 再掲 字余り その3の2─謎解き
垂渓庵です。
この記事の公開も2007年7月。最近の記事ではここまで手間をかけて調べ物をしていなかった気がする。いかんいかんう。字余りについてはまだ書きたいことがあるけれど、もう一度例にあたりなおしてきっちり仕上げる時間がなかなかとれない。
この記事の公開も2007年7月。最近の記事ではここまで手間をかけて調べ物をしていなかった気がする。いかんいかんう。字余りについてはまだ書きたいことがあるけれど、もう一度例にあたりなおしてきっちり仕上げる時間がなかなかとれない。
和歌の句中に単独母音が表れる場合も同様の傾向というか原理というかが働くのだと考えれば、特に古い和歌において字余りを生じている場合には高い確率で句中に単独母音が含まれているわけも理解できるのではないかと思います。さらに言うと、字余りが生じていても母音が一つ消えるわけですから、口に出して発音する場合には、字余りになっているけれども、音余りにはなっていないのではないかと考えることができます。
旧暦2/24 再掲 字余り その3の1─謎解き
垂渓庵です。
これは2007年6月に公開した。字余りが規則的に生じる理由を説明したものだ。こういうことを考えるのはやっぱり面白いと思う。このへんは大学院でモウリ先生の授業に出て勉強したのだった。そうだ、宿題が残ったままなのを思い出した。むう。
時間がとれず意外に手間取ってしまいましたが、やっと解説までたどりつけました。
古い和歌で字余りが生じている場合、句の途中に「あ」「い」「う」「お」があるという点まで書いていたかと思います。もう一度いくつか百人一首の例歌を確認しておきましょう。
これは2007年6月に公開した。字余りが規則的に生じる理由を説明したものだ。こういうことを考えるのはやっぱり面白いと思う。このへんは大学院でモウリ先生の授業に出て勉強したのだった。そうだ、宿題が残ったままなのを思い出した。むう。
時間がとれず意外に手間取ってしまいましたが、やっと解説までたどりつけました。
古い和歌で字余りが生じている場合、句の途中に「あ」「い」「う」「お」があるという点まで書いていたかと思います。もう一度いくつか百人一首の例歌を確認しておきましょう。
旧暦2/24 再掲 字余りの答え
垂渓庵です。
これは2007年5月に公開した。冒頭に記しているように試験作成の合間を縫って書いたものだ。最低月四回の記事更新という縛りがあったために苦し紛れにこんな形にしたのだと思う。
試験期間前でなかなか更新のためのまとまった時間をとれません。とりあえず答えをアップしておきます。その意味づけなどについては近日中に書きたいと思います
詳しく述べようと思うと、日本語の音韻の歴史などについても触れないといけなくなり、いずれにしても手に余ることになりそうです。でも、答えだけを示してそれで終わりというのではあんあんまりですよね。わたしが読み手なら消化不良でとても気持ちが悪くなります
試験終了後にがんばってみます
さて、正解は以下の通りです。

詳しく述べようと思うと、日本語の音韻の歴史などについても触れないといけなくなり、いずれにしても手に余ることになりそうです。でも、答えだけを示してそれで終わりというのではあんあんまりですよね。わたしが読み手なら消化不良でとても気持ちが悪くなります


さて、正解は以下の通りです。
旧暦2/24 再掲 クイズ─字余り
垂渓庵です。今日は4本公開の予定です。
学生の頃は比較的真面目に勉強していた。 ここに紹介する記事もその頃仕入れた知識がもとになっている。あわただしいとどうしても更新が不定期になるのは今も同じだ。できるだけなくしていきたいと思っているのだけれど。
以下、本文
和歌には字余りという現象があります。五七五七七の五句、計三十一文字で形作られるのが普通の和歌。それが時に六七五七七や五八五七七のように、五文字の句が六文字に、七文字の句が八文字になったりします。
たとえばこんな具合です。
学生の頃は比較的真面目に勉強していた。 ここに紹介する記事もその頃仕入れた知識がもとになっている。あわただしいとどうしても更新が不定期になるのは今も同じだ。できるだけなくしていきたいと思っているのだけれど。
以下、本文
和歌には字余りという現象があります。五七五七七の五句、計三十一文字で形作られるのが普通の和歌。それが時に六七五七七や五八五七七のように、五文字の句が六文字に、七文字の句が八文字になったりします。
たとえばこんな具合です。
2012年3月15日木曜日
旧暦2/23 再掲 ちぎれる本─和本の話の続きの2
垂渓庵です。
これも本の外形部分をとりあげたもの。やはり画像を多用するも、華やかさはない。が、古い酸性紙の本の劣化の激しさについては、画像を見てもらうとよく分かるのではないかと思う。
和本を巡る話をさらに続けましょう。
これも本の外形部分をとりあげたもの。やはり画像を多用するも、華やかさはない。が、古い酸性紙の本の劣化の激しさについては、画像を見てもらうとよく分かるのではないかと思う。
和本を巡る話をさらに続けましょう。
旧暦9/23 再掲 ちぎれる本─和本の話の続きの1
垂渓庵です。
今回も古い本ネタ。これは2007年5月に公開した。やはり作品の内容ではなく、本の表記という外形部分をとりあげている。こういうのは読まされる側にとって面白いのだろうか。そんな風な記事がいくつもある。
以下、本文
今回も古い本ネタ。これは2007年5月に公開した。やはり作品の内容ではなく、本の表記という外形部分をとりあげている。こういうのは読まされる側にとって面白いのだろうか。そんな風な記事がいくつもある。
以下、本文
前々回に、明治時代のアダムとイブの挿絵などを紹介しながら、和本 日本で和紙を用いて作られていた本のことです を巡る話題をお届けしました。
今回はその続きで、明治時代に西洋の技術を導入して作られた洋装本 今の文庫本や単行本の形を想像してください を中心に、本の歴史の一端に触れてもらいましょう。前と同じように、画像で紹介するのはわたしの持っている本たちです。
まずひとつ目。
今回はその続きで、明治時代に西洋の技術を導入して作られた洋装本 今の文庫本や単行本の形を想像してください を中心に、本の歴史の一端に触れてもらいましょう。前と同じように、画像で紹介するのはわたしの持っている本たちです。
まずひとつ目。
2012年3月14日水曜日
旧暦2/22 再掲 良心の痛み─ヴォネガットを悼む
垂渓庵です。
好きな作家ネタはいくつか書いていると思う。これは、その手の記事の中で一番古いもの。2007年4月に公開している。実はヴォネガットの作品のうち、「国のない男」と「追憶のハルマゲドン」は読まずにとってある。少しずつ少しずつ読むつもりでいる。和本についての記事の続きは明日公開します。
以下、本文
カート・ヴォネガットという作家を知っていますか? 最近では、爆笑問題の太田光さんがファンであるということで話題になりました。SF作家として出発 し、後にはSF色の薄い作品もいくつか書いています。1960年代以降、アメリカで一時カルト的な人気を誇りました。そのカート・ヴォネガットが先日、4月11日に84才で亡くなりました。
何を隠そう、太田光さんがファンであるということで話題になる遙か以前から、わたしもヴォネガットのファンでした。ヴォネガットの存在を知ったのは高校生の終わりころでしたから、かれこれファン歴25年近くです。
好きな作家ネタはいくつか書いていると思う。これは、その手の記事の中で一番古いもの。2007年4月に公開している。実はヴォネガットの作品のうち、「国のない男」と「追憶のハルマゲドン」は読まずにとってある。少しずつ少しずつ読むつもりでいる。和本についての記事の続きは明日公開します。
以下、本文
カート・ヴォネガットという作家を知っていますか? 最近では、爆笑問題の太田光さんがファンであるということで話題になりました。SF作家として出発 し、後にはSF色の薄い作品もいくつか書いています。1960年代以降、アメリカで一時カルト的な人気を誇りました。そのカート・ヴォネガットが先日、4月11日に84才で亡くなりました。
何を隠そう、太田光さんがファンであるということで話題になる遙か以前から、わたしもヴォネガットのファンでした。ヴォネガットの存在を知ったのは高校生の終わりころでしたから、かれこれファン歴25年近くです。
旧暦2/22 再掲 和本へのいざない
垂渓庵です。
これは古典ネタと言えばいいのだろうか。内容についてではなく、古い和本について書いたものなんだけれど。ここでは画像を多用している。華やかさのかけらもないものばかりだけれど。
以下、本文。
耽読翫市というブログ名を標榜しておきながら、考えてみれば、あまり、というかほとんど本の話を書いていません。まさに看板に偽りあり状態です。
それではあんまりなので、今回はわたしの持っている本を紹介していきながら、和本の話をしましょう。
和本というのは、今わたしたちが単行本や文庫本として目にしている本ではなく、日本で古くから作られていた伝統的な本のことを言います。和紙と墨と糸と少量の布で作られます。例をあげましょう。こんな感じのものですね。
これは古典ネタと言えばいいのだろうか。内容についてではなく、古い和本について書いたものなんだけれど。ここでは画像を多用している。華やかさのかけらもないものばかりだけれど。
以下、本文。
耽読翫市というブログ名を標榜しておきながら、考えてみれば、あまり、というかほとんど本の話を書いていません。まさに看板に偽りあり状態です。
それではあんまりなので、今回はわたしの持っている本を紹介していきながら、和本の話をしましょう。
和本というのは、今わたしたちが単行本や文庫本として目にしている本ではなく、日本で古くから作られていた伝統的な本のことを言います。和紙と墨と糸と少量の布で作られます。例をあげましょう。こんな感じのものですね。
2012年3月13日火曜日
旧暦2/21 再掲 ウルトラマン!─卒業生に贈ったことば
垂渓庵です。
前回のメビウスに引き続いて特撮ネタ。これは2007年4月に公開したもの。あまり何も考えずに卒業生に贈ることばにウルトラマンのことを書いてしまったのだけれど、学校的にはよろしくなかったんではないかと思わなくもなくない。
以下、本文
わたしはウルトラマンメビウスという作品が大好きですが、いちばん好きなのは初代ウルトラマンです。なぜ好きなのかは、ドクターフェルを嫌いな人がその理由をうまく言 えないのと同様にうまく言えませんが、あえて説明をするならどうなるだろうなと思いながら、卒業生に送ることばとして校内誌に書いたことがあります。
以下はその一文です。校内誌に書いたものですので、普段の本欄の文体と違っていますが、これを読めば、なぜ初代ウルトラマンが好きなのか、何となくわかっていただけると思います。
前回のメビウスに引き続いて特撮ネタ。これは2007年4月に公開したもの。あまり何も考えずに卒業生に贈ることばにウルトラマンのことを書いてしまったのだけれど、学校的にはよろしくなかったんではないかと思わなくもなくない。
以下、本文
わたしはウルトラマンメビウスという作品が大好きですが、いちばん好きなのは初代ウルトラマンです。なぜ好きなのかは、ドクターフェルを嫌いな人がその理由をうまく言 えないのと同様にうまく言えませんが、あえて説明をするならどうなるだろうなと思いながら、卒業生に送ることばとして校内誌に書いたことがあります。
以下はその一文です。校内誌に書いたものですので、普段の本欄の文体と違っていますが、これを読めば、なぜ初代ウルトラマンが好きなのか、何となくわかっていただけると思います。
旧暦2/21 再掲 ウルトラマンメビウス!
垂渓庵です。
今回は特撮ネタだ。わたしは特撮がけっこう好きだ。とくに第一期ウルトラシリーズ。たまたまメビウスには旧シリーズのアクターが時々出演していることを知った。そして見事にはまってしまった。
以下、本文
ここ二回ほど、本欄は、マンガや「萌え」などZ会的にどうなんだろうという方向に向かっていました。ついでです。ウルトラマンメビウスについても書いちゃおうと思います。わたしは特撮ファンです。
残念ながらメビウスは先日最終回を迎えてしまいました。涙涙の最終回です。エンドロールを見ながらわたしは激しく泣いてしまいました。あまりテレビ番組で 泣いたりしないのですが、メビウスはだめでした。欠かさず見だしたのが約二ヶ月前から。最終回までうるうるきっぱなしでした
実はわたしが見たのはこの一年間放映されたうちの十数回にすぎません。ほんとは全部を見た上でコメントすべきなのですが、何かを書かずにはいられない気分 になっています。それぐらいメビウスは面白かったのです。わたしが変わっているわけじゃないですよ。わたしの大学の先輩であるウルトラ大先生は、去年から すでに涙腺ゆるみ状態が続いていたのです。さすがウルトラ大先生!
わたしたちは二人とも不惑を越えています
いい年こいて何をやっているのかと思われる向きも多いかもしれません
妻などはその急先鋒でしょう
いったいメビウスの何がわたしたち二人を夢中にさせたのでしょうか。
今回は特撮ネタだ。わたしは特撮がけっこう好きだ。とくに第一期ウルトラシリーズ。たまたまメビウスには旧シリーズのアクターが時々出演していることを知った。そして見事にはまってしまった。
以下、本文
ここ二回ほど、本欄は、マンガや「萌え」などZ会的にどうなんだろうという方向に向かっていました。ついでです。ウルトラマンメビウスについても書いちゃおうと思います。わたしは特撮ファンです。
残念ながらメビウスは先日最終回を迎えてしまいました。涙涙の最終回です。エンドロールを見ながらわたしは激しく泣いてしまいました。あまりテレビ番組で 泣いたりしないのですが、メビウスはだめでした。欠かさず見だしたのが約二ヶ月前から。最終回までうるうるきっぱなしでした

実はわたしが見たのはこの一年間放映されたうちの十数回にすぎません。ほんとは全部を見た上でコメントすべきなのですが、何かを書かずにはいられない気分 になっています。それぐらいメビウスは面白かったのです。わたしが変わっているわけじゃないですよ。わたしの大学の先輩であるウルトラ大先生は、去年から すでに涙腺ゆるみ状態が続いていたのです。さすがウルトラ大先生!

わたしたちは二人とも不惑を越えています



2012年3月12日月曜日
旧暦2/20 再掲 「萌え」と国語力─続・少女マンガのヒロインは
垂渓庵です。
今回の記事は前回の記事に続いてマンガネタ。前回の記事に紹介した論文の方法で少年マンガを分析してみた。というほど大げさなものではなく、そのさわりの部分と言った方がいいかもしれない。
以下、本文
今回のタイトルは、さすらいの編集人カワフチさんに敬意を表してつけてみました
前回紹介した秋月さんの論文を授業で読み終わってから、ふと、男の子たちの好むヒロイン像も、秋月さんの指摘する女性の変化の影響を受けているのだろう か、と気になりました。秋月さんと同じ手法を少年マンガに用いて分析すれば何かわかるかもしれないと思うのですが、わたしは最近の少年マンガの事情がわかりません。
そこで思い出したのが、毎年必ずいるオタッキーな生徒の存在です。彼らの言う「萌え」を分析することで何かわかるんじゃないか、と思ったわけです。国語力の一つ、文章をもとにした発展的想像力ですね
そこで、彼らに質問をする一方、ネットで検索を試みました。
今回の記事は前回の記事に続いてマンガネタ。前回の記事に紹介した論文の方法で少年マンガを分析してみた。というほど大げさなものではなく、そのさわりの部分と言った方がいいかもしれない。
以下、本文
今回のタイトルは、さすらいの編集人カワフチさんに敬意を表してつけてみました

前回紹介した秋月さんの論文を授業で読み終わってから、ふと、男の子たちの好むヒロイン像も、秋月さんの指摘する女性の変化の影響を受けているのだろう か、と気になりました。秋月さんと同じ手法を少年マンガに用いて分析すれば何かわかるかもしれないと思うのですが、わたしは最近の少年マンガの事情がわかりません。
そこで思い出したのが、毎年必ずいるオタッキーな生徒の存在です。彼らの言う「萌え」を分析することで何かわかるんじゃないか、と思ったわけです。国語力の一つ、文章をもとにした発展的想像力ですね

旧暦2/20 再掲 少女マンガのヒロインは
垂渓庵です。
この時は少女マンガをとりあげた。ちなみにわたしは男なのだけれど、この記事を読んで女だと誤解した人がいる。やはり男と少女マンガとは意外なとりあわせなのだろう。
以下、本文
陸奥A子や小椋冬美など、きら星の如く並んでいた先生たちのマンガを愛好しておられたお母さん方もきっと多いと思います。わたしはお母さんではありません が、やはり少女マンガをいくつか愛好していました。その辺の話を書きだすと長くなりますので、またの機会に譲るとして、今回は授業で取り上げたある論文をご紹介したいと思います。とは言ってもかたい話ではありませんのでご安心を。
この時は少女マンガをとりあげた。ちなみにわたしは男なのだけれど、この記事を読んで女だと誤解した人がいる。やはり男と少女マンガとは意外なとりあわせなのだろう。
以下、本文
陸奥A子や小椋冬美など、きら星の如く並んでいた先生たちのマンガを愛好しておられたお母さん方もきっと多いと思います。わたしはお母さんではありません が、やはり少女マンガをいくつか愛好していました。その辺の話を書きだすと長くなりますので、またの機会に譲るとして、今回は授業で取り上げたある論文をご紹介したいと思います。とは言ってもかたい話ではありませんのでご安心を。
2012年3月11日日曜日
旧暦2/19 さよならだけが人生だ─別れの詩の続き
垂渓庵です。
これも2007年3月に公開した。前回の漢詩ネタの続きのようなもの。前回と今回の二つの記事を書いて、漢籍ネタは打つのが面倒だと痛感した。歴史的仮名遣いで古文を打つのも面倒そうだが、そちらは、ワープロソフト一太郎に「文語モード」があるので、それほど苦痛ではない。
以下、本文
さて、前回に引き続き、わたしが生徒や同僚たちとの別れに際して思い出すもうひとつの詩を紹介しましょう。
井伏鱒二が「さよならだけが人生だ」と訳したのは、晩唐の詩人、于武陵の「勧酒(酒を勧む)」の結句です。「勧酒」は、「唐詩選」に収められています。平 易な詩ですので、現代の注釈書ではなく、荻生徂徠(おぎゅうそらい)門下の詩人、服部南郭(なんかく)の「唐詩選国字解」を引用してみましょうか。
これも2007年3月に公開した。前回の漢詩ネタの続きのようなもの。前回と今回の二つの記事を書いて、漢籍ネタは打つのが面倒だと痛感した。歴史的仮名遣いで古文を打つのも面倒そうだが、そちらは、ワープロソフト一太郎に「文語モード」があるので、それほど苦痛ではない。
以下、本文
さて、前回に引き続き、わたしが生徒や同僚たちとの別れに際して思い出すもうひとつの詩を紹介しましょう。
井伏鱒二が「さよならだけが人生だ」と訳したのは、晩唐の詩人、于武陵の「勧酒(酒を勧む)」の結句です。「勧酒」は、「唐詩選」に収められています。平 易な詩ですので、現代の注釈書ではなく、荻生徂徠(おぎゅうそらい)門下の詩人、服部南郭(なんかく)の「唐詩選国字解」を引用してみましょうか。
旧暦2/19 別れの詩
垂渓庵です。
これも2007年3月の記事。 漢詩ネタだ。気に入っている作品について書くだけだから、もっとこの手の記事を更新できそうなものだけれど、結果として、漢詩ネタはあまり書いてこなかった。漢字を打つのが面倒だというのが大きいかもしれない。
以下、本文
一昨日はわたしの自宅近くの小学校の卒業式でした。卒業生が送り出される光景があちこちで見受けられたことと思います。そこここに、写真を撮るのに夢中のお父さん、お母さんがいたことでしょう
教職に就いていると毎年卒業生との別れがあります。もちろんそれだけではなく、退職する方との別れもあります。時が流れ続ける以上、それは避けられないことですが、いささか寂しい気持ちがします。
そんな別れに際してわたしがよく思い出す漢詩が二つあります。ひとつめは、陶淵明の「贈長沙公(長沙公に贈る)」という詩 正確にはその一節 です。

教職に就いていると毎年卒業生との別れがあります。もちろんそれだけではなく、退職する方との別れもあります。時が流れ続ける以上、それは避けられないことですが、いささか寂しい気持ちがします。
そんな別れに際してわたしがよく思い出す漢詩が二つあります。ひとつめは、陶淵明の「贈長沙公(長沙公に贈る)」という詩 正確にはその一節 です。
2012年3月10日土曜日
旧暦2/18「立ち上げる」の謎解き
垂渓庵です。
これも2007年3月の記事。前回の考察の続きだ。ブログの記事を更新しているうちに、わたしはこういうことをちまちまと考えるのが好きなんだなということに改めて気づいた。
以下、本文
前回とりあげた、ボランティア団体を「立ち上げる」という言い方について、わたしは次のように考えています。
これも2007年3月の記事。前回の考察の続きだ。ブログの記事を更新しているうちに、わたしはこういうことをちまちまと考えるのが好きなんだなということに改めて気づいた。
以下、本文
前回とりあげた、ボランティア団体を「立ち上げる」という言い方について、わたしは次のように考えています。
旧暦2/18 立ち上げる
これも2007年3月に公開したもの。ことばのネタだ。その後、類例をいくつか見つけていて、ちょっと訂正しないといけないかなと思うところがあるのだけれど、今はとりあえずそのまま載せておく。
以下、本文
「ボランティア団体を立ち上げる」という言い方があります。
普段何気なく使っていますが、変な感じがしませんか?
ドロロンえん魔くんのエンディングの歌が聞こえてきそうです。
以下、本文
「ボランティア団体を立ち上げる」という言い方があります。
普段何気なく使っていますが、変な感じがしませんか?
ドロロンえん魔くんのエンディングの歌が聞こえてきそうです。
2012年3月9日金曜日
旧暦2/17 可口可楽の答え
これも2007年の3月に公開したもの。この年の3月にブログをスタートしたので、更新頻度が高くなっている。やはり、文体が今と異なっている。
はじめてこの日記に来られた方は、昨日の日記を読んで下さいね。昨日はクイズを出題しました
はじめてこの日記に来られた方は、昨日の日記を読んで下さいね。昨日はクイズを出題しました

昨日の記事に、Z会ブログでブログをやっておられる野中すみれさん(野中さんのブログ)からコメントを寄せていただき、このブログをお読みいただいている方の中に、SF者がいるということがわかりました。心強い限りです


ちなみに野中さんのお好きなグィンの漢字表記は「娥蘇拉;勒瑰恩」です

旧暦2/17可口可楽
垂渓庵です。
これは2007年3月に公開した記事だ。ちょうど中国に修学旅行の引率にでかけていて、その時に王府井の本屋さんで買った本をネタにしたもの。二つ前の記事にも記したが、今と文体がかなり違う。
以下、本文。
表題の文字が読めますか?
これは2007年3月に公開した記事だ。ちょうど中国に修学旅行の引率にでかけていて、その時に王府井の本屋さんで買った本をネタにしたもの。二つ前の記事にも記したが、今と文体がかなり違う。
以下、本文。
表題の文字が読めますか?
有名なので読める人も多いでしょうね。答えはコカコーラ。
他にも、「麦当労(マクドナルド)」「肯徳基(ケンタッキー)」のように、中国では漢字を組み合わせて外来語の音を表すことがあります。
また、「微軟(マイクロソフト)」「視窓(ウィンドウズ)」のように意訳をする場合もあります。
ただし、人名は前の方法で表記されるようです。
他にも、「麦当労(マクドナルド)」「肯徳基(ケンタッキー)」のように、中国では漢字を組み合わせて外来語の音を表すことがあります。
また、「微軟(マイクロソフト)」「視窓(ウィンドウズ)」のように意訳をする場合もあります。
ただし、人名は前の方法で表記されるようです。
旧暦2/17 はじめまして
垂渓庵です。
Z会ブログからここに引っ越してくることになりました。週一回の更新をめざしています。本格的な更新は四月からの予定です。当面は、過去の記事を紹介していこうと思っています。
Z会ブログからここに引っ越してくることになりました。週一回の更新をめざしています。本格的な更新は四月からの予定です。当面は、過去の記事を紹介していこうと思っています。
2012年3月8日木曜日
旧暦2/16 再掲 カウントダウンあるいは社会人に必要な国語力
垂渓庵です。
これは最近アップしたものだ。最近の文体はこんな感じ。あさって以降に順次公開していく過去の記事とはだいぶ文体が違う。明日の「はじめまして」の後に公開すればよかったのだけれど、うっかりしていた。ブログを始めたとたん終わるというわけではない。
先日、本欄の担当さんからメールがあって、この3月いっぱいで本欄を終了することとなった。スペースをいただいて書いてきた身に否やはない。残念だけれどね。
直球勝負
和歌はわからん
続・定信ったら
旲の近く
震災を巡る
など、書きかけのままで中断しているシリーズがあるのが心残りだけれど、内田百閒風に言うなら、やむを得ないものはすなわち仕方がない。というわけで、木 曜のレギュラー更新としては、残り4回となった。何を書こうかと少し考えたけれど、あまりいい考えが浮かばない。というわけで、今のところ、これまで通りの更新をうだうだと続けていくことにしている。何かいいアイデアを思いついたら別だけれど。
これは最近アップしたものだ。最近の文体はこんな感じ。あさって以降に順次公開していく過去の記事とはだいぶ文体が違う。明日の「はじめまして」の後に公開すればよかったのだけれど、うっかりしていた。ブログを始めたとたん終わるというわけではない。
先日、本欄の担当さんからメールがあって、この3月いっぱいで本欄を終了することとなった。スペースをいただいて書いてきた身に否やはない。残念だけれどね。
直球勝負
和歌はわからん
続・定信ったら
旲の近く
震災を巡る
など、書きかけのままで中断しているシリーズがあるのが心残りだけれど、内田百閒風に言うなら、やむを得ないものはすなわち仕方がない。というわけで、木 曜のレギュラー更新としては、残り4回となった。何を書こうかと少し考えたけれど、あまりいい考えが浮かばない。というわけで、今のところ、これまで通りの更新をうだうだと続けていくことにしている。何かいいアイデアを思いついたら別だけれど。
2012年3月5日月曜日
旧暦2/13 再掲震災臨時便 祈り
2011.3.21初出
垂渓庵です。
イギリスに、ポール・ジョンソンという歴史家がいる。もともとは、新聞雑誌の記者や編集に携わっていた人らしい。「キリスト教の二〇〇〇年 上・下」や 「ユダヤ人の歴史 上・下」、「近代の誕生 1~3」、「現代史 上・下」、「アメリカ人の歴史 Ⅰ~Ⅲ」、「インテレクチュアルズ」、「ルネサンスを生 きた人々」、「ナポレオン」、「ピカソなんてぷっとばせ」などなど、とにかく幅広い話題に通じていて、興味深いものを書く人だ。
分冊になっているものは、どれも一冊単行本で500ページになるんじゃないかな。「現代史」なんぞは、一冊あたり上下二段組で一冊600ページを超える。どれも読めばおなかいっぱいになること請け合いだ。
垂渓庵です。
イギリスに、ポール・ジョンソンという歴史家がいる。もともとは、新聞雑誌の記者や編集に携わっていた人らしい。「キリスト教の二〇〇〇年 上・下」や 「ユダヤ人の歴史 上・下」、「近代の誕生 1~3」、「現代史 上・下」、「アメリカ人の歴史 Ⅰ~Ⅲ」、「インテレクチュアルズ」、「ルネサンスを生 きた人々」、「ナポレオン」、「ピカソなんてぷっとばせ」などなど、とにかく幅広い話題に通じていて、興味深いものを書く人だ。
分冊になっているものは、どれも一冊単行本で500ページになるんじゃないかな。「現代史」なんぞは、一冊あたり上下二段組で一冊600ページを超える。どれも読めばおなかいっぱいになること請け合いだ。
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